紋やのつぶやき

職人?たる上絵師のグチリ・知られざる失敗談・紋のウンチクを気の赴くまま語ろうと思いますが、どうなりますやら?

「墓石巡り」 (7) 

2009年06月28日 17時11分48秒 | 墓石を訪ねて
最近根を詰めて墓地を廻るよう努めています。今日も3つの墓地を調査をしましたが、日頃座り仕事が多い私にとって、立って歩きまわる事はあまり慣れていません。少々腰が痛いです(泣)

ある地域の墓地に、中心的というか一族が集まって、同姓同紋が多いことは分かって来ました。
しかし、同じ紋と云っても描き方(彫り方)によって(元々そのような見本の紋だったかも知れませんが)形が違う墓石紋があります。


同じ墓地の平野姓の「鶴の丸」紋です。紋帖通りの墓石紋も多くありましたが、少し古い墓石だと、上の写真のような紋もありました。


やはり同じ墓地の高橋姓の「丸に鷹の羽」紋。
前にも書きましたが、線の向き・揃え方がまちまちで、墓石の主は皆「鷹の羽」紋だと思っておられます。

私ども上絵師にとって、紋入れの注文の時「鶴の丸」「鷹の羽」で来ればいいのですが、このような見本が来た場合は、少し考えてしまいます。本当の形はこうですよ、と納得されればいいのですが、この墓石紋が代々受け継がれてきたのなら、その見本通りに描かなくてはなりません。



今日は梅雨の間の暑い日。少々くたびれました!


「墓石巡り」 (6)

2009年06月25日 19時41分03秒 | 墓石を訪ねて
いつも配達の道で見かける数基の墓石に彫られた「丸に三亀甲に花菱」紋。どういう家の墓か、と思っていました。

  
古い墓石紋。これは丸なし「三亀甲に花角」でした。
遠藤姓で、墓の三分の一を占めていて、近くにいた人に聞くと、この地区は遠藤・洞田(ほらだーと濁る)・牧田(墓の数は少なかった)が昔から居住していたとの事。

洞田家は「丸に鷹の羽違い」紋でしたが、中には形(線の向き・数が異なる)の違う紋もあり、前に描いた事があるかな~?と思い起こしました。
  
  

鷹の羽紋と云えば、違う墓地でも変った形の紋がありました。
  
服部姓ですが、「細鷹の羽」紋にしては、足が出ていないし、「丸に見本・細鷹の羽」紋となります。

同じ墓地で「五瓜」の中に変わった形の「笹」紋が入った紋を見つけました。初めて見る紋です。
  



「墓石巡り」 (5) 安田姓、服部姓

2009年06月21日 17時29分55秒 | 墓石を訪ねて
同じ姓・家紋でも地域によって形が違う事が、今頃現場を回る事によって裏付ける事が出来ました(汗)

例 1 安田姓の「水流」
 
左が先日紹介した紋で、長良川の右岸にその墓地がありました。右はその対岸の少しずれた場所にある墓地の安田姓の「水流」紋(水流はもっと輪にくっついていますが、この紋だけ離れていた)。この墓地にある安田姓はすべてこの形の「水流」紋です。

同じ安田家でも集落が違えば、違う形の紋を作って差別化していたようです。それとも分派して紋を変えたのか。

  水流紋はこちら まだ他の形があります 

この「水流」紋が長良川の他の場所でもないかと、少し上流の鏡島地区の墓地を訪れましたが、半分しか調べられなく、「水流」紋は無かった。これからも長良川河畔を調べていきます。
しかし、「服部」姓の「見本・立ち鶴」紋がありました。
 
左が先日の服部姓の「見本・立ち鶴」。左が鏡島地区の「見本・立ち鶴」紋で、地域によって同じ紋でも紋の形が全然違います。

因みに右の紋に似た紋入れをした事があるように思えて、下に掲載しましたが、どうでしょうか?
        
今初めて見比べましたが、違いました(汗)


又同じ「服部」姓でも、この墓地の少し下流の墓地では、「切竹クルス」紋でした。
江崎地区ですが、10数基あった服部姓の墓石には、すべてこの「切竹クルス」紋でした。
   



調べていくと面白い事実に出会い、やりがいが更に出て来ました。 




「墓石巡り」 (4) 一族郎党

2009年06月17日 19時17分40秒 | 墓石を訪ねて
前々から、この地域(集落)にはある姓=家紋が多い、という事は分かっていました。
たとえばこの地区の「広瀬」には「木瓜の中に二木」、「長縄」には「日の丸二つ扇」紋が比較的多いというように、特異な紋に関しては経験的に知識がありました。

しかし、ポピュラーな紋、例えば「丸に違い鷹の羽」紋は、この美濃地方で集中的に多く存在する集落あるいは墓地があるとは知りませんでした(汗)

先日の墓石巡りで、その「丸に鷹の羽」=浅野を発見?しました。
岐阜市のやや南部の墓地を訪れると、なんと墓石には「浅野家」・・・・・・すべて家紋は「丸に鷹の羽」。この比較的大きな墓地の四割くらいがそうで、「永田」姓の「丸に揚羽蝶」も多くありました。

周りは20年くらい前に区画整理された広域住宅街で、古い家はなく、この墓石の「浅野」さんは方々に転居されたのでしょう。
墓地のみが昔を彷彿させているようです。

  
古い墓石に彫られた「丸に見本・鷹の羽」紋
一般的な鷹の羽紋より、線が1本づつ多く、線の向きも変っています。似たような紋は、以前描いたような気もします?

  「鷹の羽」紋
  
  
「見本・逆さ上り藤」=「後藤」
花の数も多く、初めて見ました。

  
「佐伯鶴」の変形紋か???
この紋は細かくて、彫るのが大変で、投げ出したのかしら???
いえいえ、このような紋もありかも知れない!


もう一つの墓地。
100基あまりの墓地ですが、ここは「辻」姓が80パーセント強。
家紋はすべて、形の違いがありますが「丸に十一の字」
  
古い墓石の「丸に十一の字」紋

このような墓地から、古の浅野一族、永田一族、辻一族の集落が存在したことが窺えるのではないでしょうか。
時間が出来たら、江戸末期の集落の名主・郷士も調べてみたいと思います。





「 墓石を訪ねて」 (3)

2009年06月15日 18時43分11秒 | 墓石を訪ねて
訪ねた墓地は、区画整理によって古い墓地を集めたもので、新しい墓に混じって古い墓石の多くみられた。

  
  「下り藤に豆三星」

この墓地には「安藤」姓が多く、次いで「杉山」「大野」姓が多かった。
安藤姓は「下り藤に三星」「下り藤」が殆どで、その中に上のような「豆三星」の入った下り藤紋がありました。

    「下り藤」紋はこちら

  
「丸に見本・鷺」と名付けました。
島崎姓で、前に見かけたような見なかったような・・・・紋です。

  
通常「鷹の羽」紋に「丸」つく場合は、「細鷹の羽」紋は別として、羽根の軸の先はなくなる筈なのですが、軸(足)は出た紋です。
以前にもこのような紋を描きましたが、墓石にも残っていました。
「足付き鷹の羽」と名付けています。
   
  「鷹の羽」紋はこちら 

  
「日の丸二つ扇」紋は、当地方では「長縄」「永縄」姓に多く、よく描いてきましたが、「日の丸三つ扇」は初めてで、「廣瀬」姓にありました。

  「扇」紋はこちら 

同じ「廣瀬」姓で 下のような紋もありました。
  
名付けて「丸に見本・三つ並び剣」

「三つ剣」は前にも描いた事がありますが、このような剣は初めて見ます。

 
 

 「墓石を訪ねて」 (2)

2009年06月14日 23時01分47秒 | 墓石を訪ねて

「水流」紋(紋帖には掲載されていません)
この紋は「安田」姓に多いことは分かっていましたが、この時訪れた墓地に多くあり、新たな発見と思い胸がワクワク!

この土地は、元々長良川の中州だった土地を堤防で仕切り、耕地にした土地です。
川の流れ・川仕事と関連がありそうです。

右は古い墓石の紋で、手彫りの紋です。

  「水流」紋はこちら 

安田姓は他にいろいろな紋があり、特異的な紋はこの「水流」紋と以前書いた「干し網」紋があります。


この墓地には、「安田」姓の他に「市橋」「稲葉」「服部」姓が多く、今まで描いた事のないような珍しい紋もあり、勉強になりました。


「五瓜に見本・梅の古木」  佐藤姓
ほんのたまに描く紋ですが、中の「古木」がハッキリしません。


「丸に見本・立ち鶴」  服部姓
見本・立ち鶴紋は描いた事がありますが、このような紋は始めて見ます。
少々弱々しい鶴ですが・・・・
 
左は「鶴の丸」紋を左右ひっくり返した紋。以前に描いた事があり、その時は何かの間違いだろうと思いましたが、やはりこの紋は存在しました。
右は古い墓石に彫られた「鶴の丸」

  
「丸に見本・向い雀」  中尾姓
「向い雀」紋は、基本的には丸一杯に描くのが通例ですが、この紋はこじんまりと描かれています。

今「姓と家紋」の整理の真っ最中です。





「墓石を訪ねて」 寅さんの墓????

2009年06月08日 21時48分43秒 | 墓石を訪ねて
  
とらさん????車寅次郎?????
この地方でも、多分珍しい苗字だと思いますが、「車」家の墓がありました。

昨日墓石の紋の調査?で、長良地区を自転車で駆け回っていましたら、太田墓地の一角に見つけ、ビックリして撮影。
因みに家紋は「丸に片喰」

この地区は「後藤」「毛利」「林」「橋詰」姓が圧倒的に多く、後藤姓は「下り藤」「亀甲に下り藤」、毛利姓は「丸に花菱」、林姓は「丸に三柏」、橋詰姓は「丸に三つ引」紋が多くありした。

後藤姓の下り藤には、亀甲の他に「六角に下り藤」紋もあり、結構年代物の墓石でした。
  


珍しい紋と云えば、「組井桁に見本・舞雀」があった。
  
「井桁」の中にはいろいろな紋を入れる事が出来ますが、雀紋を入れる事も多いです。

あと3つの墓地を回りましたが、それは又次回にします。