紋やのつぶやき

職人?たる上絵師のグチリ・知られざる失敗談・紋のウンチクを気の赴くまま語ろうと思いますが、どうなりますやら?

バッグに、ポロシャツに・・・・・・・・

2011年04月14日 17時07分38秒 | 街角の家紋
  
  
張り紋は主に紋付に使われ、注文も頂いていますが、時折人形さんの着物、甲冑装束などに使うべく注文も来ます。
このたびは、和風?バックに張り紋を貼り、チョットしたアレンジを楽しまれている方がおられました。
上の黒のバックは、古い黒地の帯を加工してバックにしたものです。

この方は、ショールなどにも家紋の張り紋を貼られ、日本のエンブレムとして外国の人に喜ばれているようです。

私も、いろいろと張り紋を貼っていますが、古い仕事用の黒のバッグに貼ってみましたが、アクセントがあってなかなかいいものです(?)
  


  
ゴルフ用のポロシャツに家紋(丸に丹羽扇)をプリントする注文が来て、紋入れをしました。(去年も書いたことがあるかもしれません)
値札をみると1万円弱の値が付いていて、オッカナビックリ2枚分プリントしました。プロゴルファーかセミプロのゴルファーでしょうか?聞きそびれました(汗)



花嫁のれん (地方の嫁入り風習)

2010年01月24日 18時02分18秒 | 街角の家紋
嫁入りの風習は、地域によっていろいろと異なり、昔からの風習が残っている所もあるようです。

金沢の方から「花嫁のれん」(加賀のれん?)に紋入れをする仕事を依頼されました。

嫁入りの時は当家にお仏壇参りをする事は、当地でも一般的(最近は略される事も多いが)ですが、金沢でもその風習は残っているようです。

しかし、金沢ではそのお仏壇参りの際、「花嫁のれん」なるものを仏間の入口に掛けて、お仏壇参りをするそうです。

そののれんは、新聞でも「金沢しきたり展」として紹介されたように、友禅染の生地にに白抜きの家紋を描く、というとても立派な<のれん>です。
  
もちろん誂えになりますので、2、30万円、訪問着が買えそうな金額がかかるそうです。
     「花嫁のれん」

で、金沢の依頼者は、仕立てをやってらして、たまたま未仕立ての付け下げの反物があってので、下のように「花嫁のれん」を作られました。
  
縦2尺1寸、横幅2尺7寸5分の大きく、華やかな立派なのれんです。

依頼は昨年末だったのですが、今日やっと家紋を刷り上げました。
紋の大きさは、直径20センチです。

抜き紋にするには、紋が大きすぎますし、手間もかかりますので、オレンジがかった赤で刷込みました。

  

  




「町屋の瓦紋」 その3

2008年06月19日 18時33分44秒 | 街角の家紋
前回の「町屋の瓦紋」の続きで、発掘中です。
私の家の近所は、幸いにして第二次大戦の戦災から逃れましたので、まだ古い家が残っています。


「亀甲に梅の花」紋  手前の『カ』の字は屋号から取ったものか?


「丸に梅鉢」紋 (ポピュラーな紋)


「寶の角字」  お宝一杯の家か?


紋ではないですが、鯉の模様、たまに見かけます。


この瓦紋は年代物です。明治時代の製作と云う事です。
この地方の「安田」姓の方が、この紋の由来などを問合せに来られました。
「干し網に水」紋で、この地方では「安田」姓に多い紋です。
この方は研究熱心で、地誌などを調べられていましたが、私はそれにお答えする事が出来ず、袱紗の注文だけ頂きました(汗)

「町屋の瓦紋」その2-うだつの街・美濃

2008年04月04日 20時03分06秒 | 街角の家紋

先日『行灯』の勉強の為に美濃市に行って来ました。
しかし「美濃和紙」で作る行灯は、街に展示していなく、時間が遅くなったのか「行灯展示室」も4時で閉館。
美濃の「行灯祭」は10月頃の開催のみの事で、ガッカリしました。

で、趣向を変え、『うだつ』で有名な屋根瓦を見物して来ました。
防火用の屋根で、「うだつが上がらない」という名言にもなっています。
さすが美濃の町は古くからの町並みが残っていて、立派な鬼瓦がそこここにありました。


「九つ目」(紋帖ではこの数が最高)でなく、「10・・・何目」紋


「半旭光日足」紋?


上は「亀甲に右重ね鷹の羽」紋、真ん中は「細輪に三盛亀甲に二つ引」紋。どちらが当家の定紋か判らない。


上から「右上月星」、「亀甲に桧扇」、下が「変り?房付扇」
賑やかな鬼瓦です。


「一重亀甲に見本下り藤」紋。下り藤の軸が割れていて、この様な「下り藤」紋もあるようです。

変った屋根がありました。お寺の屋根は反り返っていますが、この酒屋の屋根は丸みを帯びています。


この酒屋の家紋は ↓ 「五瓜に蔦」
   

お目当ての「行灯」は見れませんでしたが、鬼瓦で結構楽しめました。


「街角の紋」(15)

2008年01月11日 16時57分27秒 | 街角の家紋
最近町の瓦紋を紹介して来ましたので、ついでに今までの在庫?を放出します。

トラック・特に建設会社・造園業者のトラックによく描かれています。

 「松葉菱に?字」

 「松葉菱に一の字」
トラックには、「松葉菱に~」「山形に~」「井桁に~」の紋がよく描かれているのが見掛けられます。

「松葉菱」紋はこちら 

↓は近所の岐阜公園の改造事業の一環として、信長館の発掘作業の囲いについてました。
「織田瓜」紋です。



よく見ると、看板やさんが描いたのでなく、「カッティングシール」=我が『紋ぺタくん』が貼られてました。エッジがシャープでなく、多分小さな原稿を拡大して作ったようです(笑)
最近ペンキで描いてあるな~と思う物が、結構カッティングシールで作られている場合が多いようです。
因みに、最近住宅建設現場の塀の文字を触って見ましたら、やはりカッティングシールで文字が描かれていました。

『紋ぺタくん』はこちら 


紅葉の落ち葉がきれいだった?ので撮りましたが・・・・・・・


「町屋の瓦紋」その1

2008年01月09日 19時47分36秒 | 街角の家紋
先日の初詣の折、お寺の瓦紋を探索すると同時に、古い町屋の瓦の紋も興味深く見てきました。

最近は建築様式の変化からか、屋根拭きの簡略化からか、鬼瓦をつける家は少なく、更に付けても下の写真の様に、その家の家紋を付ける事はなくなりつつあります。
       

うちの近所には、まだ戦前に建てられた家が残っており、その屋根の鬼瓦には様々な紋がついています。

  「林の角字」
その家の家紋ではありませんが、そこは私の友人の『林』君で、又昔からの紙問屋で、その姓を鬼瓦の紋として使っています。
「角字」紋を瓦の紋として使っている家が、結構多いのには驚きました。探索して初めて知りました(汗)

  「丹羽扇」
紋の名前そのもの、丹羽姓の家で、昔は材木問屋の大きな家です。


手前は「長の字に山形に三の字」
鬼瓦には、多分『酒』の角字と下の角字が分からない。
『角字』はいろいろ変形した形もありますので、判断に困ります。
最近信州の紋屋さんが「角字事典?紋帖」を発行して、その本を調べても同じ角字は掲載されていませんでした。

お寺の瓦紋は写真を掲載しただけですが、「町屋の瓦紋」は少し編集しましたので、よろしかったらど~ぞ!   「街角の紋」

「街角の紋」(13)お寺の鬼瓦の紋 その1

2008年01月06日 18時39分15秒 | 街角の家紋
初詣のついでに、町にあるお寺の瓦・鬼瓦の紋を探索しました。

私の家(改築しましたが)を含め、岐阜市の金華山の麓は戦災で焼失する事なく今もその家並みが残っています。現在は別として信長の時代、岐阜の町として栄えて、多くのお寺が残っています。

  「五三の桐」
葉脈が三本づつの紋もありますが、現在描いている「五三の桐」は四本で、略されています。(刷込み紋ではあります)

  「丸に抱き澤潟」
「抱き澤潟」紋は澤潟の足が交差していますが、この瓦の紋は一本で、足が略されているか、それともこの様な特殊な紋があるかも知れません。

  「東本願寺系牡丹」と「三割桔梗」
「三割桔梗」はしっかり彫られていますが、「牡丹」紋は、上絵で描いても細かく、瓦の型を作るには細か過ぎて大分略されています。

  「十二枚笹に政の角字」
たぶん<政安寺>だった(汗)と思いますが、その「政」の字を「角字」紋にしています。

  「丸に桔梗」
うちの主唱寺?(字が違ってるかも)で、日蓮宗ですが「桔梗」紋がついてました。

瓦の紋は、今はどの様に作っているか知りませんが、昔は木を彫って型を作り、それに瓦土を埋め込んで作っていたようで、細かな表現は困難なようです。
『たいせいさん』がその事に関しては詳しいと思います。

家紋に関してはこちら (掲載してない紋もあります)

「街角の紋」(『鬼瓦』紋はまだ未編集で掲載してませんが)

「街角の紋」(12)古美術・・・・・

2007年11月29日 22時22分50秒 | 街角の家紋
以前に鉄扇に貼る紋の注文を受けた、主に刀剣を扱う古美術商を訪ねました。
市の郊外の団地に位置して閑静な所に居を構えてみえますが、世界を股にかける古美術商です。

その方の経歴は別として、骨董を扱う人には特別な事ではないでしょうけど、刀剣・甲冑などの古美術には「紋」がつきものです。それも古の彫金師の細かな技、目を見張りました。

 刀の鍔

 「丸に隅立四つ目」紋

 「丸に九曜」紋

 「丸に桔梗」紋

皆直径10ミリ前後の大きさです。


姫御の懐剣の柄につけられた金具?
直径12,3㍉の中に「五三の桐」紋が彫られています。


刀鍔。この古美術商の家紋でもある「隅立四つ目」紋


奥さんが出してくれた大正時代の女色紋付。この時代は紋の大きさは7~8分・27ミリ~31ミリくらいあります(私が仕事を始めた頃の昔、紋消しした事もあり懐かしかった)
「丸に二の角字」紋

圧巻は ↓ 何だと思います?
玄関の壁に掛けられてました。



ガラス工芸家・エミール・ガレ?の造った本物の『お盆』です。
ヨーロッパの有名な城を木で埋めこんで描いたものです。取っ手はふくろうの彫り物です。
この形が「隅切角」紋と同じなのです。19世紀末の欧州で日本と同じ紋様を取り入れてあるのに感動しました。

古美術・骨董を間近かに見る機会が無い私にとって、珍しい物ばかりで時を忘れて見学させていただきました。


「街角の紋」(11)武具に貼り紋

2007年10月31日 20時54分43秒 | 街角の家紋
犬山祭の続きです。

お目当ての甲冑武者行列!
皆手作りの甲冑を纏っての登場で、ナカナカ見応えがありました。

兜の『鍬形台』には「丸に剣片喰」紋。吹返しにも「丸に剣片喰」紋(これ、多分紋ぺタくん)。
そして、刀の鞘にも「丸に剣片喰」紋。
「丸に剣片喰」紋の貼り紋尽くしです!





武者隊の隊長さん。
ハッキリしないけど、野袴に「丸に本多葵?」紋の貼り紋をペタペタ。


このお方は『鉄砲隊』の隊長さん。
鉄砲隊は名古屋からの出張で、岐阜祭にも出ています。
私が作った物ではありませんが、衛胴には「丸に松皮菱」紋。
腰の鉄砲の弾入れ?に「二つ藤巴」紋。年季が入っています。


これも私が作った物ではありませんが、凝った人がいます。
石田三成のファンのようで、陣羽織に「下り藤に石の字」紋
刀の鞘にも「丸に剣片喰」紋(この方の家紋)、三成の紋。
野袴は「丸に亀甲に花菱」の紋柄。


武具の名称には自信がありません。間違っていたらゴメンナサイ。
武者・武具には、家紋が似合います。
この様な祭のイベントでしか登場する機会はないでしょうが、前回書いた長半天と同様、家紋をいろいろな所に使って頂いて、嬉しい限りです。


「街角の紋」(10)犬山祭・たまには外へ

2007年10月30日 18時14分21秒 | 街角の家紋
先日の27,28日と愛知県犬山市で『犬山祭』が行われました。
27日は山車の曳き回しが行われたようですが、私は28日の「武者行列」を見に行きました。
というのも、「武者行列」には主に『甲冑製作教室』のメンバーが参加されているからです。このメンバーのお二人から、行列の衣装・武具に『家紋』を付けたいから、「貼り紋」を作って欲しいと依頼を受け、金刷りの貼り紋と「紋ぺタくん」(家紋シール)を作って送ったからです。

貼り紋の事は、次回に譲るとして、今日は新たな発見をしましたので、その事を紹介します。(画像を用意してなかった)



「亀甲に六角光琳鶴」紋
どういう踊の名称か分かりません(汗)が、よくイベントでお揃いの衣装で、集団で踊るメンバーの衣装・腹掛(Tシャツだったかもしれません)に、銀色で捺染されてました。

このような踊には、お揃いの「踊り長半天」など和風な衣装で踊っているのは知っていましたが、このように家紋を入れた衣装を着ているとは、驚き!
一つのデザインとして気に入られたようです。




このお若い女性、お揃いの長半天でなく、黒留袖の裾を短く端折ってご自分の半天として着てました。紋自体は滲んでいて見れたものではありませんでしたが、古着をうまく使って衣装としてました。

新たな発見に感動しました。
家の中で仕事ばかりせず、たまには世の中を見に出かけないと・・・・・・・・と反省する次第です。


途中の蔵に付いていた紋
「中村鷹の羽」紋らしき紋

  犬山城から木曽川下流を見た風景
ここから広大な濃尾平野が始まります。濃尾平野の東北端になります。