紋やのつぶやき

職人?たる上絵師のグチリ・知られざる失敗談・紋のウンチクを気の赴くまま語ろうと思いますが、どうなりますやら?

4月始末記

2007年04月28日 18時47分15秒 | 日々
「一月は正月で酒が呑めるぞ~二月は・・・・・・で酒が呑めるぞ~」という歌がありましたが、4月は祭を機会によく呑めました。しかも徹底的に・・・・・・?????

7、8日は岐阜祭で、宵宮は少しズッコケましたが、、、、、、、、
22日は山車おろし(打上げ)で、、、、、、、、、、、、、
27日はお囃子(笛と大太鼓)の打上げで、、、、、、、、、
呑ませていただきました。しかもベロベロになるまで・・・・・・・
私にとって呑める事が最高の幸せです。

岐阜祭に参加する事によって、笛が曲がりなりにも吹ける様になった事、又笛の稽古を通して笛仲間と深い絆が出来た事、そして、最近スマートに呑む人が多い中、酔いつぶれるまで呑む「ミヤくん」と出会った事、いい思い出が出来ました。
大人気無い事ですが、呑み始めると徹底的に呑みあかさないと気のすまない私です(汗)

少々二日酔いの中、配達に出ましたら珍しい光景に出会いました。
最近、結婚式というと式場で済ましてしまう事が多い様ですが、新郎の家にお嫁さんが来て仏壇にお参りして、その家から新郎新婦そろって式場に向う場面に出会いました。
家には垂れ幕も飾っていました。昔でしたらここで菓子をばら撒くのですが、それまでは居られませんでした。
懐かしい光景だな~と思いつつ、幸せな気分になって通り過ぎました。


おしゃれ紋ー加賀紋

2007年04月22日 09時50分29秒 | 
何ヶ月振りに加賀紋を縫いました。

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今流行りの着丈・袖丈とも長めの、白地に裾ぼかしの羽織です。
踊りにでも着るかと思われるような羽織ですが、「四君子に鷹の羽」の加賀紋を入れました。

   

大きさは一寸四分(53ミリ)で、始めは少し大きいかなと思いましたが、入れてみるともう少し大きくても良かった感じです。
型の調整から糸の選択、試し縫いそして本縫いと三時間くらいかけて出来上がりました。
この作業は、一気にやりたいものですから、比較的時間の余裕のある土曜にやりました。

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今日は、11時半から先日の岐阜祭の山車おろし(打上げ)です。軽く呑んできま~す(汗)!

「風林火山」(6)

2007年04月16日 18時20分32秒 | 風林火山
久し振りに風林火山を見ました。
丁度原作始まり辺りの場面になりました。原作とドラマの脚本の間に違和感がありますが、今日は不問にします。脚本家はここまで持って来るのにいろんな想像力が必要なんだな~と思ってます。

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「花菱」紋。前にも着ていたような気もしますが・・・・・・
武田の紋を普段着の柄にしてます。

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晴信の親衛隊?の旗印。百足紋ですが、紋帖に「百足紋」はありますがこの形の紋はありません。私も右の見本紋「百足の丸」紋を描いたのみです。

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                                 (紋典から)
「諏訪梶の葉」紋。紋帖にもちゃんと諏訪家の紋として掲載されています。
ただ、紋帖は丸付きになっています。昔は現代と違い、丸無しの紋が多かったと思います。

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背の張り紋

2007年04月15日 18時13分01秒 | 
最近いろいろと多忙でホームページの更新が出来なかった。
やっと、岐阜祭の時に着た着物の張り紋を参考に更新しました。

岐阜祭の時の着物に付いていた張り紋は ↓のようなだいぶ色褪せた張り紋でした。
      
この張り紋を着物から外してみると、↓のような張り紋で、驚かされました。
予め背合せをした張り紋を背に張ったあったのです。
 

一般的に私共が張り紋をする場合、『上絵2-背の張り紋』で紹介する様に、生地に直接張りつけて後に、背を縫い合わせます。
又最近自店でも販売している、気軽に張れる張り紋は、1枚の張り紋で背に張りつけます。

背合せを施した張り紋は、恥ずかしながら私の先代も用いていなかったと思います。
一回り年の違う従兄弟に聞きましたら、たまにこの方法で張り紋をした事があるとの事。
こんな張り紋の方法があったとは、いや~ビックリしました。(全国の上絵師さん、井の中の蛙、不勉強で恥ずかしい限り)

で、新たに『背紋用張り紋』を作り、背紋に拘ってみました。
これは、上絵師自ら作る張り紋だからこそ出来る事です。
着物に張りつけると、張り紋そうろうでなく、いかにも『背紋』という感じになります。
↓は祭用の着物に張りつけた「背紋用張り紋」です。
     

追記 祭の宵宮は、前に書いた様に雨になりましたので、残念ながら『我が張り紋』は外れかかってました。翌日、未だ在庫があったので張り直しました(汗)

黄の絨毯

2007年04月11日 18時39分42秒 | 日々
   

   

ここは長良川の河川敷の野球場。
毎年ここの堤防道路を走るのですが、見事なタンポポの黄の絨毯が見られます。
今年は時期的に少し早く、黄色の絨毯とは言えませんが綺麗に咲き始めています。
4,5日後に撮影すればいいのですが、今度の土日には草野球の人達に踏み荒らされて無くなってしまいます。

   

桜の白のカーテン?が終わりかけ、菜の花の黄色もいいのですが、私はこの場所のタンポポンの絨毯の風景が好きです。
来年はもっと見事な黄色の絨毯を撮ってみます。

桜は、先週満開になりましたが、気温が低かったせいか未だ緑の新芽を出しながら咲いています。
   

「岐阜祭」(10)始末記

2007年04月09日 18時46分50秒 | 
年始め早々、気軽に引き受けた岐阜祭のお囃子の笛役は、昨日の祭をもって無事?終える事が出来ました。?は私事、何かズッコケル所があるからで、困った性分です。

  
山車の中の様子で、畳三枚分の広さで、この中に小太鼓の子供三人、鼓手四人、笛手四人、大太鼓一人の総勢12人が乗ります。

  
  
全員が乗り合せると、身動きできない状態です。新しい張り紋も映っています。

  
これは山車を後から見たもの。交代要員の笛手がゾロゾロ歩いています。

  
正面からの絵。紅白の綱は地区の子供たちが引きます。子供人口減少の中、いろいろな人が参加しています。
白装束の神主役が幣を振っています。

  
子供たちの小太鼓。三人7グループに分かれ交代で演奏します。笛手・大太鼓・鼓手は午前の奉曳のなかで2~3回の交代です。

  
車力も女性参加で頑張っています。
山車は真直ぐしか進めませんので、街角を曲がる時は車力の力が必要となります。その時の笛の曲は「車切」で、真直ぐ進む時は「道行」です。

  
ハッキリとしませんが、各町内では一回からくりを披露します。

7日の午前中は少し酒を呑みながら笛を吹いて、お役目をシッカリ果たしておりましたが、昼からの休憩がいけなかった。
車力手他お偉いさんのお昼は、近くの料理屋での割御弁当でしたが、私達は呼ばれず、丁度その場所が、笛手の一人の店だったので、ミヤくんと二人で呑みに入ったのが最後となりました。

後は朧・オボロ・・・・・・・・帰って昼寝をしたのですが、祭の真骨頂『宵宮』に合わせて行った事は行ったのですが、酔いが回って笛の音が出ない、頭はふらふ~ら。まともに吹けません。
下の写真と同じ感じです。
  

おりしも夕方から小雨になり、伊奈波神社に近くなった頃には本降りとなり、私は雨に打たれ、酒に呑まれて、あっちフラフラ、こっちフラフラの状態で、祭の中をさまよっていました。更に肝心のお囃子交代を一度サボってしまいました(汗)
雨のお陰で、宵宮のからくり奉納は中止。

途中、あーちゃんが参加して来ましたので、かろうじて何とか酔いを押さえて、祭にくっついておりました。あーーーーーーーーーーーあ

翌日の8日は、二日酔いが効を奏したのか、昨晩の汚名挽回か、笛はしっかり吹けて?、お役目を果たす事が出来ました。

いろいろとハプニングがあるのが私の習いですが、いい思い出が出来ました。次回は8年後ですが出きるかどうか、又生きてるかどうかも分かりません。

岐阜祭の事に関して、近所の「ヤンジジ」さんがブログをやってますので、覗いてみて下さい。

岐阜祭(9)着物の張り紋

2007年04月06日 19時40分23秒 | 
お囃子の合同練習も、昨日からくりのメンバーも加えての練習で終わりました。
猛?練習の成果はイマイチですが、明日の本番・祭ではベテランの笛の音の陰に隠れて一生懸命吹くのみです。
今日は練習は休みです。

前に祭りに着るドテラ着物の背の張り紋について書きましたが、新しい張り紋を作りました。

     

 

やはり、着物の背に『紋』-見本紋「結び抱き稲に左三巴」をつけると、着物自体が引き締まります。
この紋は伊奈波神社の社紋という事ですが、この神社には正式には「五七の桐に十六枚菊」の比翼紋があり、たぶん氏子の祭用の社紋だと思われます。
この張り紋を、笛手と鼓手の人に、新しく着物に付けるべく差し上げました。

この着物に付いていた張り紋について、新たな事が発見できましたので、後日祭の様子と合わせて報告します。

さあ~明日明後日と、呑んでのんで&吹きまくって頑張るぞ~!!!!!!!!!!