紋やのつぶやき

職人?たる上絵師のグチリ・知られざる失敗談・紋のウンチクを気の赴くまま語ろうと思いますが、どうなりますやら?

石榑姓の「石榑根笹」 塩谷姓の「・軍配」 安田姓の「剣片喰」

2010年05月23日 17時31分13秒 | 姓と家紋と集落
   
「石榑根笹」
この紋は紋帖に掲載されてなく、岐阜特有の紋だと思います。そして「<石榑>姓に多いので、「石榑根笹」と名付けられています。紋帖で似た紋は「三本足篠笹」「五三根笹」があります。
しかし、この紋の出身地は不明でした。

先日の墓石調査で初めて分かり、感動しました。
岐阜市の南・六条の墓地で見つかりました。
  
左の墓石紋が多く、他に「岐阜根笹」「根笹」もありましたが、右の紋のように変形した「石榑根笹」もありました。この変った紋は紋や泣かせで、そのまま描くのか、形を整えて正式?に描くのか迷います。

この<六条墓地>にはまだ他に新たな発見があり、気が高ぶりました。

塩谷姓の「・軍配」紋は<墓地67>の切通の墓地にも多く見られましたが、この墓地にも多く見られました。
  
形は少しづつ違い、又切通の墓地の紋とも違った紋も多くありました。同じ塩谷一族の中で、少しづつ形を変えていたのでしょうか。

さらに安田姓ですが、前にも書いたように安田姓の特徴的な紋に「・水流」「干し網」を紹介しましたが、私の幼友達に<やっさん>という安田君がいて、彼の家紋は「丸に剣片喰」でした。また安田姓の「剣片喰」も多いので、その紋の出身地を気にかけていましたが、この六条墓地にありました。改めて聞きましたら、彼の祖父はこの地の出身だったそうです。
  


杉山姓の「丸に縦木瓜」紋もこの墓地に見られました。
  

さらに以前紹介した「逆さ上り藤」紋も見られました。加藤姓です。
  

収穫の多い<六条墓地>でした。

家紋ギャラリー  「桐」

2010年05月21日 19時10分21秒 | 
再び、久しぶりに<家紋ギャラリー>を更新しました。

今回は『き』の項です。
この項は、「桐」「菊」「桔梗」「亀甲」紋と、なじみな紋が多くあり、整理するのが億劫になって、遅れてました。

まず、「桐」と「算木」「杵」を編集しました。

桐紋は、元々菊紋と同様皇室の紋で、天皇から下賜されて広まったようです。更に豊臣秀吉がその紋を大盤振る舞いをして、臣下に分け与えて全国に広まったようです。
ですから、「五三の桐」紋は様々な姓に家紋として受け継がれて現代に至り、私も一番多く描いて来た紋です。
あまりにも一般的な紋で、且つ貸衣装にもよく付けられているので、嫌う方もおられるようですが。

この「桐」紋は、他の紋と比較して、今まで描いて来た紋の種類が、紋帖より少なく、偏って描いて来た事が分かります。ギャラリーに掲載した紋の種類は少々ガッカリさせるかもしれません。

 <家紋ギャラリー> 「桐」ほか

変った紋と云えば、下の「筍桐」紋が、紋帖には掲載されていません。
     五三の筍桐

初夏~~!

2010年05月17日 17時53分52秒 | 日々
昨日の投稿に追加するのを忘れてました。

5月に入って日差しは強くなりましたが、気温が上がらず、小寒い思いをしてました。家に入ると1枚上にはおらなければないくらい・・・・・・

春は何時来た?

いつの間にか通り過ぎた感じ・・・・・・

初夏は・・・・・・・・・・・・・・来たかな??


やっと初夏を感じられるようになりました。

西の伊吹山と 東の新緑の金華山です。 

  

  

珍しき紋・・・・・・・墓石から

2010年05月16日 18時48分34秒 | 墓石を訪ねて
  
岐阜市西部の又丸墓地での西垣姓の「丸に見本抱き澤潟」紋

江戸末期からの墓石が多く残されていて、この地の有力者だったと思われますが、上のような形の違う墓石紋がありました。

抱き澤潟」紋

一般的には 下のような紋です。
    
このような紋は、今まで「見本紋」として描いてきました。

  
「丸に葉付き下り藤」とでも言いましょうか。
同じ墓地の「小林」姓でありました。

「下り花桐」でした(汗)

  
「子持ち分銅に鉞」紋でしょうか。
松岡姓でありました。

  
「丸に子持ち折入角に花角」
石原墓地で<堀口>姓にありました。

この堀口家の墓石も江戸末期からのものですが、同じ堀口家でも、紋がほかに「花菱」「橘」「剣片喰」「下り藤」紋が2~4基づつあり、出自が違う家柄かもしれません。



子安姓の「左三巴」  田邊姓の「三引」

2010年05月11日 17時49分05秒 | 姓と家紋と集落
   
「子安」という苗字は珍しく、変った姓があるものだ、と思って「左三巴」紋を描いてきました。岐阜市の西方・大垣のお客さんからの紋入れで時々描いていて、この子安姓は大垣・西濃方面に多い事は分かっていました。

大垣方面を配達中、墓地を見つけ訪れると、この姓の墓石が多くあり、ほとんどが「左三巴」紋でした。
ここは大垣市東部の上面墓地で、まだ他に「子安」姓の墓地があるかもしれません。

まだ揖斐川を越えて大垣地区の調査は初めてですので、これからが楽しみです。

   
「丸の内に三引」

同じ上面墓地に「田邊」姓で多くの墓石がありました。
田邊姓の「三引」紋はノーマークでした。


この墓地に関しては、近い中に<姓と家紋と集落>に掲載します。

巡っても巡っても・・・・・・・・・・・・・・

2010年05月05日 16時07分44秒 | 姓と家紋と集落
何々姓の新たなる家紋に出会います。

「組井桁に見本雀」
この紋は偶にしか描きませんが、来るたびに少しづつ形が変った紋です。
北野・春近墓地の<井上姓>に多く見つけられましたが、「姓と家紋と集落」には少ししか記帳してなかった。
墓石紋の形も様々です。
  
 


 「家紋ギャラリー」にもいろいろな紋があります


「轡」と「丸に十字クルス」
同墓地の<河村姓>に多くあり、2つの紋と変形した紋が、同じ河村姓で入り乱れていました。
 
 



他に<林姓>の「五瓜に一本鷹の羽」紋などがありました。