紋やのつぶやき

職人?たる上絵師のグチリ・知られざる失敗談・紋のウンチクを気の赴くまま語ろうと思いますが、どうなりますやら?

街角の紋(1)

2006年02月25日 13時44分45秒 | 街角の家紋
街を歩いていて「紋」を見かける事はないでしょうか?
神社仏閣、街角の神棚(社)、屋根瓦、都市のマークなど色々見かけられると思います。

これから、街を歩いて(と云うより車の中から)見つけた「紋」を時折紹介しようと思います。
今日は食事処「こうろかん」の看板にあった「紋」です。詳しくは「こうろかん ダイニング」と云う店です=宣伝したな~

この紋は、下記の「稲鶴」(私が描いたこの紋の版下があった筈なんですが、捜しても無いので紋帖から転載)の紋の変形型の様です。稲と鶴を合成した紋です。この様な合成紋は数多くあります。
JALのマークも「陰光琳の鶴の丸」から創られています。


食事処らしく、<米ーご飯>をイメ-ジしているのか、又経営者の家紋だったかもしれません。鶴の羽、胴も米粒か麦みたいに見えませんか?
うれしい事に、窓にもその紋の<家紋シール>(当方で言う『紋ぺタくん』)が張ってありました。


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珍しき紋(1)ほら貝の紋

2006年02月22日 22時21分15秒 | 珍しい紋

先日この様な家紋を祝着に入れました。
「ほら貝」の紋の一種で、見本付きで来ました。

「ほら貝」の紋は紋帖にも一つ位しか掲載されてなく、私自身もそんなに紋入れをした事はありません。家紋の本にも詳細の解説はなく、出自も不明、と云う事です。

余談ですが、数少ない「ほら貝」の紋ですが、大抵は口(吹く口)は右側にあるのが一般的で、お客さんにもその旨問い合わせたんですが、お客さん自身も『はっきり分からないけど留袖にこんな風に付いていた』と云う事で、「口」は左上になる様に紋を創りました。

想像するに、ほら貝を使った人、古来山伏、海賊、漁師等の職業の人が家紋として使ったと思われます。
この注文された人は岐阜の「笠松」と言う町に在住で、その地区は昔木曽川に面した川の湊があった地域です。川の漁師もほら貝を使っていたんだな~その末裔かな~と想像する次第です。この地域にこの様な紋が多くあるかどうかは、後日調べて報告します。

これから「珍しい紋」に出会った時は、このカテゴリーで紹介する様にします。

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紋を替える<紋替>

2006年02月09日 19時04分37秒 | 
今入っている紋を別の違った紋に替える事を「紋替」と言います。
紋替は紋入れの仕事の中で一番面倒で手間の掛かる、且つリスクのある仕事です。
加工賃も普通の紋入れの3倍位頂いております。

忙しかった昔は、注文を受けても納品は2ヶ月後位にしてもらうのが普通でした。今は仕事も少なく2~3週間位、急ぎの場合は3,4日でも仕上げてしまいます。

今回黒留袖に入っていた、左の「五三の桐」の紋を右の「片喰」の紋に替える行程を紹介します。

   
昨日「思い込み」で書きました様に、HPのインデックスと「上絵2」のページでも「桔梗」と書きこんであって、慌てて訂正した次第です(汗・汗)

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思い込み

2006年02月08日 21時38分59秒 | つぶやき
長く紋の仕事をしていると、たまに<思いこみ>でトンダ失敗をする事があります。

今日はまさにその日でした。
黒留袖に入っている「五三の桐」の紋を「片喰」の紋に<紋替>する仕事でしたが、五三の桐の紋を白く抜いて、いざ片喰を入れようとしたんですが、何故かその時点では「桔梗」の紋を入れるのだ、と思って型を出していました。
よく紋を入れる前に、不安だったら一度伝票で確認する事にしていたので、もう一度伝票で確認し様と、その伝票を見たら「片喰」となってるではないですか!
ヨカッタ~間違えて入れ紋する所でした。

思い違いの原因は、多分同時に地直しの仕事していた留袖の紋が<桔梗>の紋だったので、その紋が頭の中に刻み込まれていたのだと思います。

こう云う「思い込み」の失敗はたまにあります。そんなに頻繁ではないですが(汗)
大抵仕上げる時に気が付いて直し表沙汰にはならずに済みましたが、1,2度お客さんまで渡ってしまった事がありました。
セッカチな性格から来るのでしょうか?今一度気を引き締めて仕事に掛かります!

因みにこの「紋替」については明日くらいにアップしようと考えてます。

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先日あーちゃんが来た時のトラちゃんとの座卓の下でのご対面です。

2006年02月05日 00時11分26秒 | 日々
冷え込んできて細かい雪が降り続いています。二センチくらい積もりました。
このままだと随分積もると思われます。サムーーーーーー
明日、今日か?娘っ子が可児から来ると言うけど、来れるかしら?
(前のページに追伸で書こうとしましたが、吹っ飛ぶのが怖くって新規にしましたー汗ー)

祝着の紋

2006年02月04日 23時54分15秒 | 
赤ちゃんが誕生して30日前後に宮参りしますが、その時赤ちゃんに着せるのが「祝着」(熨斗目)です。「祝着」には当家の家紋を、男の子は当家の定紋、女の子には女紋(この地方では定紋の丸無しの紋を入れるのが多い)を入れます。

しかし、最近は時々ご自分の家紋をご存知ない方がいて、持ちこまれた「見本」を見て戸惑う事が多々あります。当の若夫婦はもとよりその親(60才台以前)もご存知ない方がおられます。

下図は最初に持ち込まれた「見本」です。丁寧に描かれています。

この紋は「井桁」の陰紋です。当の本人は『着物の紋を書いてきた』と言っていますが、本職の立場としては、これはどう見ても「陰紋」(どちらかと言うと、目立たない様に又裏紋として女紋の一つ紋として使います)だし、正式な定紋ではない、多分お母さんの羽織の紋を見て書いてきたのだろうと、思いました。
実際、今の家々に紋は、女性の留袖か喪服にしか残っていない事が多いです。『家紋額』-宣伝しようかな?ーで代々残しておられる家もありますが、お母さんの留袖の紋を「これがうちの定紋」と思い込まれている方もおられます。

それで、この図は『何を元に描かれたのか確認してください』と呉服屋さんに聞いた所、やっぱり『お母さんの羽織の紋』を描いてきたものでした。今時携帯の写メールがあって便利です!


で、持ちこまれた見本は「陰紋」であって、この紋の正式な紋は「井桁」である事、又定紋としては、多分丸が付く(たまに丸無しの井桁が定紋の時があります)事を説明して以下のような「丸に井桁」の紋を「祝着」に入れた次第です。


家紋について分からない事がありましたらーこちらからー今変なのが入ってますが削除方法が分からずすみません)