紋やのつぶやき

職人?たる上絵師のグチリ・知られざる失敗談・紋のウンチクを気の赴くまま語ろうと思いますが、どうなりますやら?

「逆さ上り藤」紋 判明?

2009年09月30日 18時55分51秒 | 墓石を訪ねて



以前紹介した後藤姓と棚橋姓にあったこの「逆さ上り藤」紋。
何らかの理由で間違って伝えられて来たのか、と思っていましたが、歴史絵巻にこの紋が描かれていました。

先日、近くの歴史博物館で「岐阜市の変遷?」が特集され、学芸員の講演を聞きに行きました。講演自体はあまり参考にならなかったけど、販売所に置かれていた同館出版の「戦国合戦図屏風」が目にとまり、何かの参考になるだろうと思い買い求め、帰宅して見てみました。

 
関ヶ原の合戦の島津勢の撤退の屏風絵に「逆さ上り藤」が描かれていました。
この紋は古くからあった由緒ある紋だったのです。
「小笠原・・・・・」と書かれていますが、この小笠原氏の末裔が姓を変えて、この「逆さ上り藤」紋を受け継いできたのでしょうか?

時間が出来ましたら、再度歴史博物館を訪れて、学芸員さんに伺おうと思います。

岡田氏の「繋ぎ五星」の紋ー全国版

2009年09月24日 18時04分32秒 | 姓と家紋と集落


「繋ぎ五星」紋

この紋は岐阜=美濃地方特有の「岡田」姓の紋と、今まで考え、この地方しか無い紋だと思っていました。

ところが、以前に袱紗の注文で、神奈川の「岡田」さんから同じ紋「繋ぎ五星」で注文があったのを思い出し、先日メールで問い合わせてみました。

すると、意外なというより新事実が判明して驚いています。

この岡田さん、というより岡田氏はお若い(私の息子よりまだ3つも年下です)のにご自身の先祖に興味を持たれ、ルーツを調査されて来られました。

そのレポートによると、岡田氏の曽祖父(明治時代)は江戸に居住し、その先代たちは列記とした徳川幕府の旗本で、武監にも記されている、という事です。(多分武監に家紋がきされていると思われるが、私はまだまだ勉強不足ですー泣ー図書館で調べます))

さらに、岡田氏の先祖は、戦国時代に尾張に居住し、織田の諸侯に仕えていて、戦国時代から江戸初期は、岡田伊勢守善同(よしあつ)として、美濃ー揖斐城下に拠点を構え、美濃郡代・奉行として勤めていた。

善同の六男・善政の又六男・善紀は美濃・揖斐川沿いに清水陣屋を構えていた。
さらに善同が前田家にも仕えた事もあり、その長男義村は加賀・前田家に仕えていた。
又、岡田家の直系は、現在千葉県内に在住、との事。

以上のことを考え併せると、岡田家の「繋ぎ五星」紋は、東京・千葉・神奈川・金沢・岐阜ー美濃の地域に分布していること、一地域の特殊な紋でなく全国的な紋だと推察されます。

ただ、岡田氏の正紋は「片喰」か「剣片喰」とされ、副紋かもしれないが、墓石にはこの「繋ぎ五星」が描かれている。

私が見つけた岡田姓の「繋ぎ五星」紋の墓石が多くあった墓地は、岐阜市東部の岩地地区にあり、何らかの理由で、揖斐から岩地に移住したことも考えられます。

因みに「繋ぎ五星」紋の由来

岡田家には、先の善同が朝鮮出兵のの時、敵将の首級を五つ荒縄で繋いで帰陣したことから、褒美としてこの「繋ぎ五星」紋を賜った、という事が言い伝えられているそうです。

私の東京・池袋が在所の友人の岡田君の家紋は「丸に亀甲に花菱」です(関係ないか~)

岐阜の<松野>さんの家紋

2009年09月22日 17時40分59秒 | 姓と家紋と集落
岐阜市から西へ行った瑞穂市・穂積の下穂積に松野さんの墓石が多くありました。
今まで訪れた墓地では、一つの姓で集中的にある紋は一つか二つですが、この墓地の松野姓は10種類の紋が確認されました。その中でも5基以上あるのは4種類もあり、驚かされました。松野姓の半分くらいの紋が見られる、といってもいいくらいです。


「丸に菊菱」 21基


「五瓜に中陰松皮菱に木公(松)の字」 13基


「丸に切竹に蔦」 18基


「丸に花菱」 5基



後は少ないですが、古い墓石でありました。


「抱き角に一の字」 4基


「丸に陰陽菊」 4基

他に「五瓜に松皮菱」「上り藤」「五瓜に逆陰陽菊」「上り藤に落ち牡丹」などがありました。

因みに、今まで描いて来た紋は、他に「一の字」「右三巴」「橘」などがあります。








「珍しき紋」 (47)

2009年09月18日 18時00分06秒 | 珍しい紋
墓石巡りでも変った紋に出会いますが、本業の上絵でも珍しい紋が入ってきます。

  
「見本・三巴字菱」
紋帖にも「三つ巴の字菱」はありますが、紋帖通りの紋でなく、初めて喪服に紋入れをしました。

  
「見本・三追い巴に二木」
加賀からの張り紋の注文で来ました。このような「三追い」の巴紋は紋帖にはないです。

  
「細輪に見本・六つ銭」
真田紋は「六文銭」ですが、この紋は「六つ星」風な紋です。前に書いた「筆七宝」紋と同じ<義太夫>?の方からの張り紋の注文です。

  
「見本・三重ね杉」
「三本杉」「三重ね杉」紋はいろいろと種類が多いです。祝着の刷込み紋紋です。

  
「見本・幣」
鈴木さんの紋で、この幣紋も種類が多いです。
先日訪れた墓地の鈴木さんの紋は ↓ 「見本・違い幣」
  


「墓石巡り」(11) 賑やかな墓石

2009年09月17日 17時10分10秒 | 墓石を訪ねて
墓石を訪ねるのも、もう50回を超えてきました。最近はアメリカンナイズされた墓石も多く見かけるようになりましたが、昨日賑やかな墓石に出会いましたので、紹介します。

  
故人が生前山桜が大好きだったのでしょうか。一面山桜があしらっていました。
さらに家紋も、「変り向う山桜に丸に三鱗」紋
  
いまだかつて「林」姓で、「桜」紋はかいていません。又「三鱗」紋は「地抜き三鱗」を二度ほど描いています。
数少ない「三鱗」紋を持つ林さんが、大好きな山桜を組み合わせて、新たに「変り向う山桜に丸に三鱗」紋として、作られたのでしょうか。
花の好きなお方、墓石の紋は如何しますか?

以前に、墓石紋で「逆さ上り藤」紋を紹介しました。その時は多分後藤姓だったと思いますが、今回は棚橋姓でマタマタ見つけました。
棚橋姓では「上り藤」は描いたことがなく、「下り藤」は多く描いていますので、、「上り藤」紋を逆さにして「下り藤」紋風にしたのでしょうか?決して写真を逆さに撮った訳ではありません(笑)
  


  
金魚も大きいのでは二センチ近くの大きさになり、元気に育っています。
そして、何故か<つぼどん>=たにし、が生息するようになりました。わざわざ連れてきた訳でなく、気が付いたらあちこちにいます。
鳥が何らかの形で持ち込んだのでしょうか??????





仕事の範囲の狭さ・実感

2009年09月09日 22時51分57秒 | 墓石を訪ねて
墓石巡りを重ねてくると、今まで描いて来なくノーマーク、または1、2度しか描いたことがない紋(問屋経由で来てるかも知れませんが)に出会うことがあり、改めて自分の仕事の狭さと云うか、客筋の偏りを感じさせられます。

  
「丸に見本・軍配」 片岡姓
片岡姓は「・軍配」「五三の桐」「根笹」「桧扇に丸に二引」を1,2回描いただけですが、水海道霊苑でまとまって見つかりました。

  
「丸に揚羽蝶」 小酒井姓
小酒井性も描く紋は少なく「並び矢」「桧扇」「揚羽蝶」「橘」を一度づつ描いて来ただけでした。
これも上記の水海道霊苑にありました。

  
「丸に一の字」 和田姓
次木上吹霊園ですが、「五瓜に一の字」紋もありました。
和田姓は「丸に三引」「下り藤」「五三の桐」「剣片喰」の順で何回か描いてきましたが、「一の字」紋は無かった。

  
「丸に切竹笹に傘」 日比野姓
日比野性も「並び矢」「荒枝左三階松」「違い矢」・・・・・・と薄く広く描いてきましたが、この紋はノーマーク(涙)

  
「丸に反り桔梗」  太田姓 「丸に桔梗」もあり。
太田姓も「橘」「隅立四目」「左三巴」「桔梗」・・・・・・と薄く広く描いてきましたが、ノーマークで、那加の新加納霊苑にありました。

話は違いますが、墓石の紋は、殆ど彫って描かれていますが、編集していて初めて気が付いたのですが、「紋ペタくん」(カッティングシート)を貼ってありました。こういう使い方は知りませんでした。
  

金魚も、日が経つにつれ大きく成長し、金魚らしくなってきました。

  









岐阜の鈴木さんの紋 「幣」

2009年09月06日 16時30分20秒 | 姓と家紋と集落
「鈴木」姓は全国的にも多く、又神官と関係が深いことから、「幣」「鈴違い幣」「稲」「藤」紋が多いと云われる。

当地・岐阜市近郊でも、今まで描いて来た紋は、「見本・幣」「下り藤」「剣片喰」などが比較的多く、他の紋の種類も多いです。
特に「幣」紋は紋帳通りの紋は少なく、ほとんどが見本紋としてきて、紋や泣かせな紋の1つでもあります。

墓石調査をしている中、量的にはまだ少ないですが、2種類の「幣」紋がまとまって見つかりました。

岐阜市から東、各務原の西端・大野墓地の「鈴木」さんの幣紋は ↓ の紋がほとんど。
    
昔の火事装束の????にも似てるような気もします。

岐阜市南部の八剣霊苑の「鈴木」さんの幣は、紋帳通りの「違い幣」もありましたが、 ↓ のよな「見本・違い幣」紋もあり、全く同じではありませんが、かつて苦労して描いた記憶が呼び覚まされました。(右は紋帳の違い幣)