紋やのつぶやき

職人?たる上絵師のグチリ・知られざる失敗談・紋のウンチクを気の赴くまま語ろうと思いますが、どうなりますやら?

アンティークなバイク  AJS

2010年04月25日 13時56分48秒 | 日々
私はさほどオートバイには関心がありません。
高校生の頃、親父のスクーター、同世代の職人の350ccのオートバイを無免許で乗り回した切りです。


今日、ガソリン補給のためスタンドに立ち寄ると、後から下のようなクラシックなバイクが入るではないですか。
 

 

 

初老の(私より少々上だと思われますが)紳士が乗り手です。

珍しさもあり、思わず写真を撮らせてもらいました。

聞くところによりますと、もうすでに廃業したイギリスの「AJS」のオートバイとのこと。部品はすでに無く、全て手作りで補給しているようです。シンプルだから手直しがやり易いかもしれません。
そんなに排気量があるとは思えませんが350ccのエンジンらしいです。


バイク好きな人にはたまらないバイクでしょうな~



サイトによる紋の違い

2010年04月22日 16時42分59秒 | つぶやき
先日祝着の紋入れで、下記のような見本の「丸に三本杉」紋が来ました。ある<家紋>のサイトの紋をプリントしたようです。

上段右端の「丸に三本杉1」が今回の紋入れの紋です。
「三本杉」紋は、紋帖では<紋典><標準紋帖><紋づくし>に下記のような紋として掲載されています。
   
丸無しの紋ですが、枝の本数と根揃いが違います。
「丸に三本杉1」紋は、「見本・三本杉」と記するのが適当だと思いますし、紋の形の混乱を招きますし、現に招いています。

仕方なく下記のような「丸に見本三本杉」紋を作り、紋入れをしました。
   
又サイトの「三本杉」「丸に三本杉2」紋は、平安紋監の紋帖で「三盛杉」として記されている紋です。


ついでにそのサイトの「鷹の羽」紋を調べてみましたら、やはり混乱していました。


見づらいですが、<五瓜><亀甲><隅切>の中に入っている「鷹の羽」紋はそれぞれ線の行き方が異なっていて、それぞれ見本の「鷹の羽」紋になっています。

因みに我が「鷹の羽」紋は下のものです。
   

  私の <家紋ギャラリー>

紋帖自体も統一されていなく、紋の形が異なって掲載されていますが、これはすでに発行されて長年経っていますので何とも仕方のないことです。(我々紋屋の責任でもあります)
せめてこれから家紋をアップされる方には、正確に紋名を記して頂きたいと思う次第です。

姓と家紋・・・・・ノーマーク

2010年04月20日 18時17分13秒 | 姓と家紋と集落
墓石を訪ねて1年経ちましたが、私が今まで描いて来て収録した紋にない家紋を持つ「姓」と出会う事が時折あります。
問屋筋のお客さんの姓と家紋の関係は記録できていない事を割り引いても、まだまだ知らない事が多いです。

  
「丸に揚羽蝶」
平島霊園の「杉原」姓に古い墓石を含め数基見られました。
杉原姓は、数は少ないですが、比較的「三引」「鷹の羽」「三柏」紋が多く、「揚羽蝶」紋はわずかでした。

  
「子持ち亀甲に五三の桐」(普通「亀甲に五三の桐」に分類しています)
同じ平島霊園で、岸姓にありました。
岸姓といえば、近くの芋島墓地で「七五三根笹」紋がおおくあり、これまたノーマークの紋でした。

  
「丸に五三の桐」
これも同じ墓地の「岩佐」姓で多く見られました。
岐阜市の北部の墓地で「桔梗」紋の岩佐姓がありました。この岩佐姓の「五三の桐」紋は、今までわずかしか記録していなかった。

  
「丸の内に二引」
西改田墓地の「高橋」姓に多く見られました。
高橋姓にはいろいろな紋がありますが、「鷹の羽」「切竹笹に笠」紋が圧倒的に多く、「二引」紋は少ししか記録されてなかった。

 
正確には「細轡」ですが、他の墓石には紋帖通りの「轡」紋もほられていて、「轡」紋として収録しています。
新堀三反田墓地の「川島」姓にありました。

川島姓には「三鱗」紋が多く、この轡紋は全くのノーマークで驚きました。
右の紋は丸との境がきれていますが、轡紋の一種として収録しました。


まだまだこのようなノーマークの紋が数多くあると思われ、出会う事が楽しみです。


     「姓と家紋と集落」

逆立ちの家紋??????

2010年04月14日 18時15分45秒 | 墓石を訪ねて
画像をひっくり返して載せたのではありません!
墓石巡りをしていると、時折下記のような家紋を逆さにした墓石紋に出会います。

  
逆さ「丸に剣片喰」

  
逆さ「八角に剣片喰」

  
逆さ「亀甲に鬼蔦」

この様な見本が来ても、着物などに紋入れに来る場合は、紋が逆になっているかどうか、お客さんに確認して紋入れをします。
未だかつて家紋を逆さに入れた事はありません。
ただ、以前に書いたように、加藤氏の「逆さ上り藤」紋もありますので、あながちこれらの<逆さ紋>が間違いだとは断定できません。

間違いかどうかは別にして、これらの紋はこのまま未来に伝えられて行くのでしょう。


ところで、寒風が吹き荒れる中、今まで見た事の無い「黒揚羽蝶」が、墓地の片隅の生け垣に、寒さを堪えていました。「カラスアゲハ」とも「クロアゲハ」とも違うようです。季節を間違えて飛んで来たのでしょうか。
   

クロアゲハチョウでした。胴体部分の色が違うので、別の種かと思いましたが、後ろ羽の色、模様はクロアゲハでした。
   
     こちら参照

古戦場ー米野

2010年04月13日 18時09分48秒 | 姓と家紋と集落
墓石巡りをしていると、時折史跡にもめぐり合います。
前は歌舞伎役者?の墓がある墓地に行きましたが、今回は古戦場でした。
関ヶ原の戦いの前哨戦の「米野の戦い」の場となった所が、今墓地になっていました。
米野墓地です。

 

 


「山花」という俳人は、調べても分からなかった(汗)
この墓地には、「抱茗荷」紋の森さん、「九枚笹」紋の松原さん、「七星」紋の岩井さんが多かった。



旦の島の上起墓地は、地図にも掲載されてなくノーマークだったけど、弟嫁の話からその在りかが分かり、訪ねました。
「九曜」「武田菱」紋の井川さん、「・對い浪に千鳥」の下川さん、「雁金」紋の北洞さんが多くありました。

以前問い合わせがあった<下川理一>さんの墓石を調べましたが、見つける事が出来なかった(加藤さん、なかなか難しいです)

  
同じ下川姓の紋でも、形は様々です。

驚くかな!中学生家紋ボーイ

2010年04月06日 20時45分03秒 | つぶやき
一時期、学校の社会科なんかの授業の一環で<家紋調べ>あった事を記憶しています。
この授業でどれだけ子供に<紋>の事が浸透したかどうか知りません。

今日は感動しました。
当ブログに、中学生の子からコメントがありました。
その子のブログを訪ねると、<家紋・カモン・ボーイ>な事がわかり、是非ここに紹介し、皆さんにも覗いていただくよう紹介します。


細々した事は省略し、百聞は一見に如かず!
一度飛んでみてください。  <海老名郷土日誌>

墓石巡り 100回を超える

2010年04月05日 18時30分20秒 | 墓石を訪ねて
去年の今頃から始めた墓石調査は、やっと100回を超えました(中には調査途中の墓地もありますが)。私的には去年のうちに100回をやり遂げたかったけど、仕事の傍らでする作業ですから仕方ありません。
100回目の墓地は、「坪内」姓の多い墓地でした。

坪内氏といえば、徳川・旗本の坪内氏が有名ですが、徳川・旗本の坪内氏の家紋は「丸に州浜」を代表に「藤丸に左鎌」などがありますが、この墓地の坪内姓の家紋は「左三巴」がほとんどで、「丸に州浜」紋は二基しか無かった(もっとも紋の入っていない古い墓石が数多くありました)

    坪内氏

  

前野氏系坪内氏に「巴」紋「鷹の羽」紋「州浜」紋を使用する、と書かれているので、こちらの系統の「坪内氏」かもしれない。

近くで農作業をしていた古老に聞くと、<この地の坪内は京都・伏見の坪内氏で、関ヶ原の合戦で西軍につき、破れて身を隠すようにこの地と笠松?に落ち延びた。各務原の少林寺にも一族の墓石がある。またこの集落の坪内は三〇〇年の家系図を皆持っている>という事。

関ヶ原で徳川についた坪内氏とは異なった「坪内氏」かもしれない。ただ墓地が少林寺にもあるのは、徳川旗本の坪内氏と混同してられるかもしれません。

まだまだ美濃国は広く、墓石巡りは果てしなく続きます。