紋やのつぶやき

職人?たる上絵師のグチリ・知られざる失敗談・紋のウンチクを気の赴くまま語ろうと思いますが、どうなりますやら?

「功名が辻」総集編

2006年12月14日 16時57分59秒 | 功名が辻
勢い込んで「総集編」を、と思いましたが、画像が多すぎて一部のみアップしました。

思えば、このドラマには物語の筋は別として、様々な着物が登場し、様々な紋・紋様が出ました。
中には私が未だ知らない紋様もありましたし、いろいろと勉強になりました。
日曜の20時に縛られましたが『紋捜し』を楽しむ事が出来ました。






『カテゴリー』に「功名が辻」を追加しましたので、ご希望の方はそこからお入り下さい。功名が辻を一まとめにしてあります。

来年は「信玄」を題材にした大河ドラマですが、また懲りもせず紋・紋様を捜そうかと思っている今日この頃です。

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「功名が辻」最終回

2006年12月13日 19時27分48秒 | 功名が辻
最終回と言うのに、デジカメを構えてみていると、内容もどこか他の所に飛んでいる(汗)
唯一というか、淀殿の打ち掛けに「亀甲」紋がついていた。(はっきりしなくて申し訳ない)


「三重亀甲に花角」紋と言いましょうか。
普通、「亀甲」紋は「一重亀甲」と「二重亀甲」があり、「二重亀甲」の方が一般的で、「亀甲に花菱」「亀甲に橘」というと、それは「二重亀甲に~」をさして言います。
右の紋は、見本の「亀甲に花角」で、亀甲に境が一般的な紋より太く描かれています。

    
晩年の千代は、変った紋様の着物を着ていましたが、その紋様ははっきり分からない。

物語の総括的な事は別として、大した働きも無く功名の為、山内家の為に戦った一豊(土佐20万石を拝領した事は、それなりに一豊の人そのものにも価値があったでしょう)、それを支えたというか、操った千代。
小説を読んでも、あまり千代には好感が持てなかったが、千代は千代なりに必死に戦国を行き抜いたのだと思うし、頭脳とそれに合った性格を持った、素晴らしい女性であったと思う。
私も、好感は持てないが、一豊のように、心の片隅に劣等感?を抱きつつ、惚れてしまうかもしれない(汗)

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「功名が辻」を倍楽しむ(17)

2006年11月13日 18時38分07秒 | 功名が辻
一豊が囚われの身の三成に掛けた陣羽織には、先日補足で書いた「一文字」紋が付いていたが、撮り損ねた(涙)
リピートが見ることが出来たら、再度撮ってみます。

土佐に封じられた時の着物には、「七宝」紋の連続紋様・・・だと思われたが???撮って改めて見ると菱に見える。紋は「中陰七宝に一の字」
 

羽織の中の着物には「四つ寄せ松皮菱」紋とでも呼びましょうか?「松皮菱」紋が四つ盛られた紋様。
 

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<物価情報>レギュラーガソリン 122円/L(前売りチケットで)


「功名が辻」を倍楽しむ(16)

2006年11月06日 19時09分49秒 | 功名が辻
      
      

さながら戦場絵巻。
様々な紋様の旗指物が行き交う。
ひとつ一つの命が虫けらの様に飛び散っていく・・・・ふと、こんな感傷にもなった。

石田三成の紋は「大一大万大吉」紋として知られているが、「桔梗」紋「九曜」紋もあったと言う。兜の頬当て?には「丸に三つ星」紋が飾られていた。(NHK小道具の間違いか・・・・・?)
     

一豊(後姿)の兜の飾りには「幣」紋が付いていた。功名の為の神頼みか・・・・とすると一豊らしい飾り物である。
      

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<補足 > 「家紋大図鑑」によれば、戦国時代の織田信長は禅僧の南化国師の影響から「無の字の紋」を家紋としていたが、一豊も南化国師にかぶれ、会津征伐では「無紋の旗」を立てていた。
又、一豊の本紋は「三つ柏(土佐柏)」だが、替え紋は白黒一文字で、山内家ではこの「一文字」紋を重く見ていたという。

余談だが、風さんの紋「丸に鱗に一文字」はこの一豊の「一文字」紋にあやかったかも知れない。

「功名が辻」を倍楽しむ(16)

2006年09月25日 18時17分05秒 | 功名が辻
秀次に続き、お捨(ひろい)様ードラマではどう呼んでいたか分からないーは似たような境遇、状況から10才で出家。涙を誘う。
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「九枚笹菱」紋

出立の時は、以前一豊が着ていた紋柄と同じ様な「星付き鍬形」紋の三つにした紋様。
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家来の????さんが着ていたのは「三つ入れ子枡」紋の半分隠れた紋様。チョット強引かな???

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「功名が辻」を倍楽しむ(15)

2006年09月18日 19時04分27秒 | 功名が辻
今回も前回に続きあまり紋様はなかった。
不運というか自業自得と言うか分かりませんが、秀次は「隅切りに七星」紋の柄の裃(当時裃と呼んでたかどうか不明)。

若い故の思い上がり、自己主張、邁進(頭が回らなくなった性かいい言葉が出てこないー汗)は誰でも経験するのですが、秀次の場合はその立場から落差が余りにも大きかった。

   

   

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紹介してから間も無いのですが、このブログを見ていただく人から「袱紗」の注文が二件ありました。
ここで改めてお礼申し上げます。ありがと!!!!!


我あーちゃんも元気に育っています。(ダッコ癖が心配ですが)お気に入りのキティちゃんのハンカチを持ってご機嫌です。
   


「功名が辻」を倍楽しむ(14)

2006年09月11日 19時29分05秒 | 功名が辻
昨晩の番組にはあまり紋様はなかったと云うか、気持が集中してなかった。



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秀吉は金糸(ここまでお金をかけないでしょうな~NHKも)じゃなく金の刷込みの、「五七の桐」と唐草文様の着物でした。
寂しいから2枚掲載。

いろいろと忙しく、丁寧に紹介出来なくって申し訳ありません。

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追伸  今 ↓ のような「紋や」さんの全国一覧を作ろうかな~と、儲からない企画を考え、ウキウキしてます(汗)夢物語に終わらないか心配ですが・・・・・・・・

   


「功名が辻」を倍楽しむ(13)

2006年09月04日 18時17分55秒 | 功名が辻
今回の功名が辻には紋様はあまり無かった。
しかし、豊臣と徳川の象徴すべき紋の対峙がありました。

鮮明でないですが、「五七の桐」は「太閤桐」と同様、豊臣の家紋です。
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家康の陣羽織に「徳川葵」の紋。

面白い画像が撮れました。画面の変る一瞬ですが、二つの場面が重なって撮れていました。(テレビ画像は一瞬一瞬変るので撮りにくいです)
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この紋も徳川の「葵」紋ですが、陣幕に使われていました。
「徳川葵」紋が徳川の定紋となる前の前期的紋ではなかったかな、と思います。それとも陣幕用の紋だったかも知れません。

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「功名が辻」を倍楽しむ(12)

2006年09月03日 00時16分33秒 | 功名が辻
先々週は群馬行き(その時間は駅近くの居酒屋で呑んでました)、先週はデジカメのバッテリー切れで撮る事が出来ませんでした。
で今日、先週分のをリピートで撮りました。

北の政所様はさすが太閤殿下の妻だけあって豪華な着物。
「十六重ね菊」紋のように見えました。
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お千代はハッキリしませんが梅模様ー「匂う梅(香う梅)」の陰陽紋様のような感じ・・
紋は紋帖から拝借。
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一豊殿の式服は「上下対い鶴菱」紋。立派になった事ですね~
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茶々様は「雪持ち笹」紋様の着物。
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もう一つ茶々様。「幸菱」紋様(これも紋帖から拝借)
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「功名が辻」を倍楽しむ(11)

2006年08月14日 19時23分49秒 | 功名が辻
このコーナー、秀吉のおっかさんが初登場。あまりある紋ではないけど、「四つ星」紋です。
      

秀吉の政略に利用され続けられたあさひは、前にも書きましたが白色の「唐花」紋。
よく見ると、右胸に赤色の「蔦」紋も付いていました。 
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家康に嫁ぐ時の籠は、お市の方の時と同じ「九曜」紋が付いてました。籠の使い回しかな?
「紋ペタくん」を利用してくれたら良かったのに・・・・・・・
      

一豊は「菊菱」紋を割ったような紋様。
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家康は細かいけど、「六つ菱」紋(この紋は紋帖には載ってないけど)の連続紋様。麻柄に似てます。
      

家康が所望した秀吉の陣羽織は「五七の桐」紋。その下に載せたのは、「太閤桐」(平安紋監)で、こちらの方が秀吉の色々な装飾に出てくる様な気がします。
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