紋やのつぶやき

職人?たる上絵師のグチリ・知られざる失敗談・紋のウンチクを気の赴くまま語ろうと思いますが、どうなりますやら?

金華山ー山道

2005年05月29日 22時56分59秒 | 日々
今日は3時過ぎから登ったので出会う人もまばらだった。
この金華山は岩山で、岩盤が隆起した感じで急峻です。で、登る道も岩肌が露出して難儀です。
登山コースは主に「百曲り登山道」「七曲り登山道」「岩戸登山道?」「瞑想の道登山道」「馬の背登山道」があり、前2コースは比較的簡単で、後になる程険しい山道となります。登る道はまだまだ幾通りもあるそうです。
今は「瞑想の道」を登ってます。








木々が山岩にへばりついて、自らを維持する為に、根を張り巡らせてます。岩をも股?に挟み込んで。


ここで小休止ー何回もしたけどー長良川から伊吹山系を遠望できます。今日はもやがかかってダメデスガ。
高校生の頃、ここから(いや、もう少し下かもしれない)見る伊吹山の夕焼けの風景が好きだったな―何回も来たもんでした。

鎧展―続

2005年05月23日 21時21分35秒 | 
昨日、戦国時代の鎧に描かれた紋が現在の紋の形と同じだと書きましたが、ここで両方を比べてみました。

               「丸に抱茗荷」

                「源氏車」

              「森家鶴の丸」
ご覧の様にほとんど同じ形をしています。現在の紋の形は先人の描いたものを受け継いで来た訳です。そして時代と共に少しづつ洗練させてきた、特に江戸時代に完成されたと、今まで私なりに思っていましたが、もう既に関が原合戦前後の時代に完成された紋が存在してた事に感嘆する次第です。
まだまだ勉強が足りません。反省、反省!

鎧展

2005年05月22日 19時40分01秒 | 
先週「武士の誇りー鎧」展へ行って感銘を受けましたが、今日、鎧の部位の名称を調べに再び行ってきました。

色々な所に紋が嵌め込んでいます。上から「鍬形台(兜の中心)」「吹き返し(兜の横)」「肩上(わだかみー肩に釣る部分)」「胸板(鎧の胴の上部)」「鳩尾板(きゅうびいた)か栴檀板(せんだんいた)-胸板と肩上の上を覆う物?」「衛胴(胴)」「冠板(かんむいた)・笄金物ー袖の飾り」「篭手」「草摺(くさずり)-腰に着ける鎧」「はい盾ー太腿を覆う物」などに、紋が彫られたり、箔を置いてあったりします。
篭手には、当主と拘わりなく、片ばみ・花菱・梅などの紋が紋様として彫られています。それも心憎いほど精密に彫られていました。

ここに展示されてる鎧は、関が原の合戦前後の製作物と説明がありました。その鎧の胴に描かれている紋は「源氏車」と「丸に抱茗荷」ですが、現在の紋の形と全く同じです。よく戦国絵巻や屏風に描かれた紋は初歩的と言うか原初的というか、形が少し崩れて洗練されていない紋が多いと見受けられたんですが、もうこの紋は完成されています。驚きました!
展示室での撮影が出来なく、パンフのスキャンしか出来なかったのが残念でした、
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おたま観察その1

2005年05月20日 22時37分28秒 | 日々

この公園の噴水の側を、犬(チャロ・チコ)の散歩で何回通っていたのか。昨晩噴水で犬に水をやろうとして近寄ったら、小さなおたまじゃくしがウヨウヨ。
思えば、啓蟄の日、ヒキガエルにあって以来その辺をウロウロ、そして交尾、そこまでは毎年に見て知っていた。その後卵はどうしたんかなーと思っている位で深く考えてなかった。ましてや、この噴水辺りでおたまじゃくしや小さなカエルを見た事は今まで一度もなかった(と思う?)
ところが、あのヒキガエルはちゃんとこの噴水の中に卵を産んでいたのだった(考えてみれば当然の事だけど)。カンテン状の卵は気が付かなかったけど、チャ―ンとコッソリと少しづつ成長していたのだった。
感動しました(こんな事で?)

で、昼に撮影に行ったら、当のおたまは全然いない。1、2匹見かけるだけ。
で、又夜にまた行ったらウヨウヨしてました。親が夜行性なので、子も夜行性なんかな?

十数年ここを通っても知らずにいた、この噴水のおたまをこれから観察しようと、意を決した次第です。
(大きくなる前に忽然と消え去るのを危惧しながら)

金華山登山

2005年05月16日 23時12分56秒 | 日々
これで6度目になるのかな?最近運動がてらよく登ります。おかげで比較的楽に登れる様になりました。
    
今では「モチツツジ」がよく咲いています。「モチ」と言うようにガクから花にかけて、蜜が滲み出ている様にネバネバしています。舐めてみると少々甘い感じがしないでもない。高々338メートルの山ですが、ふもとでは満開で、頂上近くでは蕾の状態です。
  「一つ葉」の芽吹き?です。根は地下で繋がっている様で、地上には一つ一つ独立して葉だけがでています。より詳しくは後ほどに。

登る前に、麓にある市の歴史博物館に寄って「武士の誇りー鎧」展を見てきましたが、もう少し調べる事があるので、来週紹介します。紋が一杯付いていて感動!

撫子

2005年05月14日 20時08分32秒 | 
5月に入り、いろんな花が咲き乱れています。近所に撫子の花が咲いてたので「撫子の紋」を紹介します。

撫子は秋の七草と言われる様に、秋の草花と思ってましたがもう咲いています。でも、「常夏」の別名がある様に夏の花で、咲く期間も長いと云う事です。又「床」を一つにする、と言う意味をかけて恋の歌に詠み込まれたそうです。この写真の撫子はかわら撫子・大和撫子だと思いますが、華奢で可憐な花で、昔はともかく、今風の大和女の子に似つかわしいかどうか??????

左から「撫子」「江戸撫子」「石竹」(唐撫子)「陰石竹」「三盛石竹」です。まだ、三割撫子、割り撫子菱、撫子枝丸とありますが、どちらかと言うとその紋の種類は少ないです。
又、この地方ではこの様な紋を持っておられる家が少ない様で、あまり紋入れする機会がありません。手持ちの原稿もこれくらいです。
しかし、この地方・岐阜瑞竜寺には、斉藤道三の画像の中に「撫子紋」をつけた旗が添えられてる、という事で、案外私の知らない所で存在してるかも知れない。

この仕事に入って間もない頃、「撫子」と「石竹」の紋を同じだと思い込んでいた時期がありました(恥ずかしい事ですが)実際、かわら撫子と唐撫子で、同じ撫子の仲間ですもんね。でも唐撫子(石竹)は紋の画像の様に少しふっくらしてますね。

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うちの猫

2005年05月09日 19時44分42秒 | 日々
うちのプリン(多分4年目)が何処からかバッタを取って来て、戦利品を見せに来ました。
このプリンはまだ若く、最近でも子ねずみを捕まえてきてビックリさせられたけど、昨日はバッタ(殿様バッタ)を取って来て遊んでます。散々遊んだあげくお腹に収まったけど、この町の中(庭はあるけど)でまだバッタが生息しているとは・・・・驚きました。よくぞ生き残ってた!

それに比べ、トラはもう10年近くいて、若い時はゴミ袋、ねずみ(大きな親ねずみ)取って来てわざわざ見せに来てました。ヤモリも取って来てやはりお腹の中、おかげで我家のヤモリは全滅しました。で、うちは傾きつつあります。(笑)
最近はもう年取ったのか、昼寝ばっかしで何も取って来る事はなくなりました。
ところが、このおばさん猫トラ、何を考えたか昨晩、ねずみを取ってきました。それももう寝てから・・・・大騒ぎしたけど、よく見るともう死んでて、取り上げてポイ。一件落着!

連休始末記ー続

2005年05月08日 22時00分00秒 | 日々
奥飛騨、信州安曇野ー北アルプスの山々の木々はこれから芽吹きの時期でした。カラマツ・・・・(名前が出てこない)など、黄緑色の新芽が出てきています。写真はトチノキで、枝エダの先端に大きな芽がニョッキリ出てます。山の木々のエネルギーを感じます。

岐阜の山(金華山)はもう初夏の新緑の季節で、椎(ツブラジイ)の花の強い独特な匂いが蔓延してます。

恥ずかしい話ですが、この匂いは栗の木だと今まで思ってましたが、どうも椎の木のようでした。子供の時はよくこの椎の実を拾って、炒って食べたもんです。

連休始末記

2005年05月07日 19時23分40秒 | 日々
今年の連休は急品が入りボチボチ仕事してました。こういう仕事をしていると、どうしてもこの日に着用の予定が入ったので作らなければならない、という事で紋入れをせざるを得ない事態が起こってきます。又この不況の世の中、断る事も残念ながら出来ません。で、仕事を引き受ける訳です。

でも4、5日と空ける事が出来たので、孫の顔を見がてら高山へ行き、一緒に白骨温泉まで行ってきました。去年、入浴剤問題があった所です。温泉に入ったら白濁してたけど入浴剤を入れてるかどうか聞けなかった。


この写真は、乗鞍高原温泉の牛溜池から見た乗鞍山系。画像が悪くってハッキリしないけど、まだ白い雪が残っています。あーちゃんはおネンネ。
この場所は国民休暇村のすぐ傍にあり、もう一度来て見たいようななかなかいいところです。

池の端にこっそりと水芭蕉が咲いていました。ズーム機能のないデジカメで、分かるかナー?


帰りに「平湯の大滝」に寄ってきました。

400キロのドライブになりましたが、久し振りに成長した?(そうそうー寝返りが出来る様になった)孫と楽しい旅行でした。
帰って、6日からマタマタ急品。シッカリ遊んだから頑張らなくっちゃ!!!!!!

藤の紋ー続き

2005年05月01日 13時25分42秒 | 

        師匠の紋                私の紋 
       
左の紋は、30数年前師匠である親父が手本として描いてくれた「下り藤」の紋で、右が私が描いた紋です。技量の差は一目歴然としてます。
これは、この業界が手書きからスクリーン印刷に変わってきた事に一因があります。
20数年前から、上絵筆をロットリングに、分廻しをコンパス・雲形定規に変えて原稿を創り続け、それで作った版で紋をプリントしてきました。それに従って、上絵筆を使うのは線の補正くらいしか出番が無くなり、当然筆を使う上絵の技量は落ちてきてる訳です。

                
これが今の「下り藤」の紋の版下です。
今後、いや現在進行形で、この様な版下から製版するので無く、イラストレーターなどのソフトによるパソコンを使った原稿作りが主流となります。製版環境の変化からアナログからデジタルへ変わらざるを得ません。

風さーん、何とか出来ました。少し手間が掛かるけど慣れたらスムーズに行くかな?