紋やのつぶやき

職人?たる上絵師のグチリ・知られざる失敗談・紋のウンチクを気の赴くまま語ろうと思いますが、どうなりますやら?

続・雪見行燈

2010年12月16日 16時47分19秒 | 
 
 
 
  
 
 

2年前に自作の雪見行燈を作りましたが、あまりにもお粗末でお蔵入りにして頂き、プロの差物師に作ってもらい、柄は自分で作りました。
ズーット前から後ろにある看板が老朽化して崩れかかって来たため、急遽以前差物師に作ってもらっていた雪見行燈に障子を貼り直して作りました。
春夏秋冬に合わせて、柄を貼り替えていきます。

今まで役目を果たしてきた看板は、新しい看板が出来上がり、寿命を感じ取ったのか、行燈を備えて2日後、昨日看板板が落ち崩れました。

お役目、ご苦労さん!
年末にかけて撤去するようにします(汗)

前の<雪見行燈の記事は 下


http://blog.goo.ne.jp/chitaya/e/38f3cb59b9fef0c6bc4f2f3f805b7b8d
http://blog.goo.ne.jp/chitaya/e/e2857f488e4f226805c934576f1bd1e3

2008・2・4 の記事です

雪の伊吹山

2010年12月14日 20時17分27秒 | 日々
  

  
これは10日の伊吹山
9日の寒波で、多分初冠雪だと思いますが・・・・・・・・
今年初めての雪の伊吹山です。
この風景を目の当たりにすると、冬が来たな~と感じます。


  
ところが昨日の雨で雪が解けて、今日はこの通り。
今晩からの寒波で、また雪の伊吹山が見られるでしょう。

思い違い・・・・野田姓の「又の字」紋

2010年12月02日 18時48分04秒 | 墓石を訪ねて
    
上の紋は「野田」姓に多い紋で、今まで字面から「ヌの字」紋だと思い、家紋ギャラリーでもそう紹介してきました。

ところが、先日岐阜市から南、足近町北宿の墓地を訪ねると、この様な紋の墓石が数多く見られました。もちろん野田姓の墓石で、墓地の80パーセント近くが野田姓でした。



    

又の字にも見え、近くで畑作業をしていた地元の人に確認すると、「まるまた」と言い、「又」の字でした。
一瞬、野田姓の「又の字」紋の発見のうれしさと共に、自分の思い違いの恥ずかしさを味わいました。

話によりますと、江戸末期まで野田なにがしと云う庄屋がいて、明治になって姓を付ける時に、村の皆が庄屋の「野田」姓を名乗った、又野田には三系統あったらしい、という事です。

一昔の私でしたら、姓を持たない或いは名乗れなかった村民のほとんどが、庄屋の姓を名乗る事は、疑いませんでしたが、今は、一部の人はそうかもしれませんが、江戸時代のいつ頃からか野田氏がこの地に来て営農し累々と子孫を増やしてきて、一族を形成したのではないかと、推測します。

もっと江戸時期の村落の有様を勉強しなければなりません(汗)