紋やのつぶやき

職人?たる上絵師のグチリ・知られざる失敗談・紋のウンチクを気の赴くまま語ろうと思いますが、どうなりますやら?

「珍しい紋」(22)

2007年09月27日 17時30分49秒 | 
仕事が少なくなったとは云え、たまに来る仕事の中には珍しい、変った紋の比率が多くなっています。
今回紹介する紋は全て「イラストレーター」で原図を描きました。最近このソフトにも少し慣れてきたようです(汗)

  「見本・丸に三つ盛幣子」 祝着の刷込み紋で描きました。一般的な「三つ盛幣子」紋と幣子の盛り方が違っています。
              『幣子』はこちら

  「見本・丸に陰帆掛け船」 これも祝着の刷込み紋。「帆掛け船」紋は来る度に紋の形が違っていて、男紋で陰紋も珍しいです。
              『帆掛け船』はこちら

  「細抱き柏に左三巴」 これ又祝着の刷込み紋。「細抱き柏」紋の中には様々な紋を入れる事が出来、バラエティーが増します。

  これが今日の超目玉!!!!!!!
「見本・向い浪に重ね十六鬼菊」 
貼り紋の注文で四国から来ました。昔瀬戸内海を縦横に走った水軍の末裔かも知れません。重厚な紋で描き応えがありました。
「浪」紋も、来る度に違った形をしている紋の一つです。
         『浪』紋はこちら

抜き紋の「色差し」

2007年09月24日 12時46分30秒 | 
「色差し」とは、色物の着物に『抜紋』をした場合、どうしても抜く過程に地色が余分に抜けるので、それを補正して仕上げる、紋章上絵の一作業です。


色無地を「木瓜」紋に抜いた所で、紋の中と縁が白く抜けています。
これを直すために、地色に合わせた色=染料を作り、彩色筆で色を差して行きます。
今でも未熟ですが、仕事を始めた頃、よく余計な所を多く抜いてしまい、手直しが大変でした。抜けた部分が多いと、作る染料自体が地色と完全に一致する事は難しく、その部分が目立つようになります。

又この仕事は緻密さが要求されますので、紋抜き・色差しの仕事は、黒の紋付の上絵が一通り出来るようになって初めてさせてもらいます。



色差しの途中で、未だ白い部分が残っています。
この前に地色に合った色を作りますが、これが一番肝心な事で、色が違えば折角の紋付は台無しになります。

着物の色は千差万別で、同じ色の系統でも少しづつ、微妙に色が違っていますので、色を合わせる作業には非常に気を使います。



差し終わり、蒸気で蒸して色を浸透させ、水際を直して完成します。

          「抜紋」「色差し」の詳細

紋屋(紋章上絵師)の現況

2007年09月21日 18時55分20秒 | つぶやき
呉服・着物業界が構造不況になってから随分経ちます。
多聞に漏れず、私達紋屋の業界もそれに伴って、仕事が激減しています。
「着物が廃れても、紋付は残る」と私共始め呉服屋さんも高をくくっていましたが、さに有らず。現在は仕事が少なく参っています。

日本経済は戦後から立直り、未曾有の発展をとげ、それに伴って着物も売れ、紋入れの仕事も、猫の手を借りたい程忙しくなり、毎晩遅くまで仕事に明け暮れしていました。

紋屋は「全国紋章連合会」なるものを作り、相互の情報、技術の発展を期し、年一回開催されていました。参加人数が、多い時は325名(1973年ー昭和48年)集まりました。
その頃、私も1日20反位仕上げています。

その時が連合会=紋章業界のピークで、『バブル景気』(1990年)までには全国紋章連合会の参加人数は徐々に少なくなり100名前後に落ち込みました。
『バブル』とは別に、この呉服業界では既に構造不況が知らぬ内に始まっていたのです。時同じくして、当地岐阜のアパレル業界も沈下して行きました。
後から聞いた話ですが、地銀の幹部の友人によると「1980年ー昭和55年頃から糸篇の業界には金を貸すな」と言う指示が出ていたそうです。アパレルを始め呉服業界はその頃から先行き不透明な不況業種だったのです。

この傾向は、『バブル』が弾ける(1991年)と更に加速し、呉服業界は慌て始め、転業する所も出てきました。
でもこの頃は、私共の仕事=紋入れの仕事の減少幅は比較的緩やかで、年10~15%の減少率で、「子供の養育費が無くなってこれから少しは楽になる、と思った分収入が減少した。トントン。世の中うまく出来てる」(笑) と余裕が僅かでしたがありました。
この頃で、1日13反位は仕上げていました。贅沢しなければ何とか生活していける位です。

      

しかし世の中甘いものではありません。一旦着物離れが始まるとその勢いを止める手立てがありません。呉服業界もいろいろと企画・工夫を凝らして、その衰退傾向を止めようとしたのですが、徒労に終わった様です。
『バブル弾け』が治まり?低成長を続ける中、紋入れの仕事は、急降下して減少しました。1995年頃。1日の仕上げ10反以下。今は5反仕上げるかどうかの状態。

世の中、収入は少なくなり、無駄な物は消費しない。サイフの紐は固くなり、更に追い討ちをかける様に若者かつその親の着物に対する意識が変わってしまいました。昔は嫁入り道具として持っていった着物より、車・・・・など現実的な物がいい、という傾向になり、着物は全然売れなくなりました。必然紋入れの仕事も激減。

この様な状況下、紋屋業界も各地で苦しくなり、「全国紋章連合会」も2001年以来開催できなくなっています。紋屋の高齢化もありますが、厳しい情況下参加する意欲も湧かなくなったことでしょう。

因みに、岐阜県の上絵師の数は、1980年(昭和55年)には21人いたのが、今は7人前後。このうちある人は他の仕事に就き、開業していても開店休業状態の時もある状況です。

こんなに長く固い文章を書くのは初めてで、内容がバラバラになって読み取れにくいかも知れませんが、お許しあれ!
補足する事がありましたら、次回に廻します。

      

「貼り紋」-元紋がある場合

2007年09月18日 17時17分38秒 | 
「張り紋・貼り紋」は、本来は元紋が汚れて紋洗いをしたいが、生地が弱っていて不可能な場合、又紋を替えたいが生地が弱っていて出来ない場合に、元紋の上に、別の生地に紋を上絵した物を貼る方法の事です。

最近は、この様な古い着物に紋を付け替える事は少なくなりました。紋付の着物が箪笥の肥しになって、取り出される機会が無くなっていると思われます。又古く汚れた紋をどうしたら良いか、分からない人が多くなっているのではないかとも思われます。

しかし、最近は気軽に貼れる「貼り紋・張り紋」が登場して、貸衣装などに貼られるようになりました。
たまたま「張り紋」の注文があって、こちらで貼る事になりましたので、少し詳しく紹介します。

紋付の生地はシッカリしていて、張り紋をするには勿体無いような気がしますが、注文されましたので仕方ありません。

 「丸に木瓜」紋の男紋付。この紋を「丸に二つ引」紋に替える注文です。この着物の紋に直接張り紋を貼ると、薄手の張り紋ですので ↓ の様に元紋が透けて見えます。(便宜上<丸に剣片ばみ」紋を貼りました)


 元紋を黒く塗りつぶします。

 「背紋用張り紋ー丸に二つ引」紋を貼りました。元紋は全然見えません。

 張り紋の縁をガラス棒で押さえて付きを良くします。

 張り紋の縁を修正して完成です。薄手の生地の張り紋ですので、重ね合わせた部分がチョイ分かります(汗)

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「イザ」というブログ

2007年09月16日 18時28分15秒 | つぶやき
以前から「産経デジタル」の人から勧められていた『イザ』というブログに投稿を始めました。
とは言っても、二つのブログに二種類の記事を書く余裕は全然ありませんので、こちらに掲載した物を転載するだけですが・・・・・・・

ジャンルは『専門家』となっていて、様々な分野の専門家がそれぞれのテーマで投稿してます。驚いた事に、先日書いた「日吉屋」さんも入ってました。
私のところは別として、その中のある分野に興味がありましたら覗いてみてください。

      こちら『イザ』専門家ブログ

「珍しき紋」(21)

2007年09月15日 18時35分44秒 | 

  「丸に本の字」 裃に紋入れをしましたが、字の書体・形はそれぞれの家によって違ってきて、紋帖通りの紋はなかなか無い。

  見本紋「細輪に船に浪」 『船』の項で紹介した様に、この紋も紋入れに来る度に違った形の紋です。

  「組井桁に下り藤」の刷込み紋。 この場合は、「下り藤」が小さくなっても、その紋通りに描いています。

  「中陰松皮菱に重ね三階松」の刷込み紋。 この場合は、「重ね三階松」紋の線が描き切れなく略しています。
『刷込み紋』は細かくなると描き切れなく、時折略す事が多いです。(これが消費者の感覚と異なって理解されない事もあります)

  「荒枝付き左三階松」 普通はこの紋ですが・・・・

  見本紋「荒枝付き左三階松」 木のこぶの下の線が1本多い。
祝着の刷込み紋で描くのですが、細かくて見本に忠実に描けなく、先に白色で刷込み、後で上絵しました。

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<物価情報> ガソリンは少し下がってきて、131円/L

障子を張る方へ・<家紋様障子>

2007年09月05日 17時31分23秒 | 
  夜の風景

  朝の風景





  外側から見たもの

最近、<和・伝統と現代>のコラボを書いてきたので、私も、以前から温めていたもの、具体的にどんな感じになるか分からないまま、<和と和>のコラボを作ってみました。
障子紙に直接、紋柄「地紙に梅蔓」「地紙に利休唐花」(Tシャツの紋様と同じです)を白色で捺染して、張りました。

「エリア15」「日吉屋」みたいなスケールの大きな、ダイナミックな物だはなく、単に家紋様を刷って張っただけのものですが・・・・・・・・・・・・・

『遊び心』・・・・・市販の障子を張ればいい事なのですが、チョット遊んでみてはどうでしょうか?
家の「家紋」もこのように張る予定なのですが、未だ準備が出来てませんので何れHPと一緒にアップします。

「家紋Tシャツ」「紋ぺタくん」と『遊び心』に訴える方法の域を脱しないと言うか、想像力の無さを感じる、今日この頃です。

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続々ー和傘

2007年09月04日 18時03分32秒 | 日々
和傘ついでにモウ一つ!



<和傘と照明>のコラボ!!!!!!!!!!!!

偶々今日の夕刊を見たら、『古都里(ことり)』なる和傘の仕組みを転用して照明器具を作った人が紹介されていました。

「日吉屋」五代目 (未だ32才と若い)

公務員からかみさんの実家「日吉屋」(その頃は、既に和傘の業界は傾いていた)に入り込んで、孤軍奮闘・試行錯誤・努力の末、照明デザイナー達との出会いから『古都里』なる照明器具を開発した。

伝統と現代のマッチング。

世の中、いろいろ頑張っている人達がいるもんだ、と思う今日この頃・・・・・・・・

和傘とデザインのコラボ

2007年09月02日 18時57分18秒 | 日々
当地岐阜は、昔は和傘の産地でした。しかし時代の流れには逆らえず次第に衰退して、今和傘を作っている所は数軒あるかどうかだと思います。
私の小さい頃、近所の空き地に和傘が天火干ししてるのを良く見かけたものです。

友人の属している写真家・グラフィックデザイナーの集団<エリア15>が、和傘とデザインのコラボレーション展をやっていましたので、チョット覗いて来ました。





顔料か絵の具で和傘に直接描いたもの、デザインをカッティングして張りつけたもの、美濃紙に写真現像して張りつけたものと、色んな方法で和傘の柄を作っていました。

  ↓ は美濃紙に金魚を写真現像して張りつけたものです。




見学者の中に近所(この会場は昔傘の産地だった<加納>地区に近い所です)のおばさんが「昔よく傘の骨を作っていたよ」と言って懐かしがっていました。

因みに協賛した傘屋さんのホームページは <こちら>

このように小さな個々のグループが、色んな方法で自分たちを表現しているのを見ると、勇気付けられます。

追   一回投稿に失敗しました。気を入れなおして書きましたが、最近、ログインといい、投稿が飛んだり、チョットおかしい?????????