こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

想い出のひと

2018-07-09 05:30:00 | 我が家
六月最後の土曜日の夕方のことです。

親類にあたるおじさんが帰るのを見送りに出たところ、入れ違いに見たことの無い人が

やってきました。私とおばあちゃんは 怪しい人だと身構えていたら

「○○さん(うちの名字)ですね?」と駆け寄ってきました。その顔を見たことある人だと

気がついて「もしかしてHくん?」「あ~そうです。わかりました?」というけど

正直 Hくんとは高校の時の同級生だけど同じクラスになったことはないし、顔と名前は

わかるだけで口をきいたことはないうえに、なぜうちにやってきたのか見当がつきません。

おばあちゃんは私に「誰?」と聞くので「高校の時の同級生やけど 同じクラスになったことないし

私を知っているとも思えないし、でもHくんと言う名前」「いや、僕知ってますよ。○○ちゃん(凹の

名前)ですよね。実はお姉さんのSちゃんから・・・」ここで鈍な私も気がついたのです。

「はいはい、Sとも友達だったって聞いてたわ」Sとは 姉で学年は二つ上だけど生年月日は

一年違い、早生まれというのか 姉は小さい頃から体が弱くしょっちゅう扁桃腺を腫らしたり

病気をしがちで、その逆に私は風邪はひいても その活気で治していくような子供だった。S は

小6ごろに盲腸炎になってそれを切ってからは 病気をしなくなったのだが、大人しい 色白の

見た目がとても白いワンピースなど似合う少女で 当然私は色黒のそれがまたピカピカ光ったような

健康児でした。ただ姉は 動作がゆっくりでおやつを出しても 私が自分の分を食べきって、

横に置いた姉の分もきっちりとかっさらって食べつくし、でも姉は怒りも泣きもせず 呆然としていた

らしい・・(おばあちゃんがいまだに他人にそう言う)なのでか知らないが 私はいつからか

姉をちゃん付けで呼ばなくなった。長姉には「姉ちゃん」というけど次姉をどう呼ぶのか、いまだに

わからないのだけど Sと呼び捨てても 怒りもせず返事はしてくれていた。

そのSと私の同学年であるHくんと知り合いになるには もう一人の人物が出てくる。それがMKだ。

MKは私が高2、高3と同じクラスになって知り合った男子で、それまでは別のクラスの男子だから名前だけ

知っていた。中学からの彼女もいて二人とも勉強ができて彼はバスケ部だった。この時Hくんも

バスケ部だった。私はサンババ会の二人と行動を常にしていて確か高3の選択科目で二人と選択が

違ったため たまたま偶然MKと同じ選択科目になり選択教室に行くことになった・・と記憶している。

サンババ会の一人がMKと同じ中学で、家も近所で彼女のことも知っている・・ので

私たちサンババが話をしているときに声をかけてきたけど そんなに知らない男子だったし

同じクラスで選択教科が一緒だったから、その教室に行くために筆記道具と教科書やらを持って

移動するときに いきなり「これ持って行っといて」と筆記用具と教科書類を私に渡してきた。

今なら「なんでやねん!」という凹さんも 当時は目立つことはあまりしないほうだったので、

「わかった」とおとなしく従ったのが運のつきなのか 卒業までそういう状態で おまけに

いつの間にか「○○○」と下の名前を呼び捨てられるようになり、それが授業前の廊下の

ガヤガヤしたところでも当たり前に大声で呼んできた。それがたぶん ≪半分、青い。≫の

ブッチャーぐらいのただの同級生なんだと思う。私は MKに彼女がいるからなんか彼女も

その周囲も変に思ってないか気が気ではなかったけど、MKは単にそういう男子だと思う。

呼び捨てにされてる女子は他にもいたし、サンババの二人も呼び捨て組だ。

高校卒業してからそれぞれ関西圏に出払って、MKは予備校に通っていた。志望校に合格しなかった

から・・って言ってたけど、私と違って大阪に慣れていて 寮生になってからも遊びに連れ出して

くれたし、なぜかおごってくれた。結局MKは大学に行かずに ピアノ調律師になるため浜松に

行ってしまった。Hくんは また高校時代、私の中学校時代の同級生の彼氏だった。お似合いの二人だと

思っていたけど それはいつの間にか消滅していた。

学生時代は長期休暇で帰省するので 田舎に帰ると友達同士で遊ぶためどこかでまずMKと

私と姉のSが知り合いになったのだと思う。もうだいぶ古いことなのではっきりしないが

それまでMKは私に電話をかけてきていたのが ある日Sを呼び出したそうだ。sは留守で

母親がそう伝えたら「それなら○○○(私)でいいです、いますか?」って言ったらしい。

あとで「お前でいいって失礼やね」と言っていたわ。たぶん このあたりでMKを通じて

HくんはSとも知り合ったんだと思われる。Sからは両方の名前を聞いていたし、そこに

Hくんが登場したのも普通なような気がしていた。

姉は短大を卒業して泣く泣く家に戻らせられた。したいこともあっただろうし しかし

父親が許さずなんとか家に縛られたくないと 田辺の洋裁学校にその頃持っていたアパートの

一室に住んで家にいるよりは自由に生きていた。Sは子供の時とはうって変わって 性格も行動も

素早くなり、友達もたくさんいた。運転免許をとってその友達とあちこち出かけたりした話も

聞いたことがある。その頃彼氏と別れて(たぶん家に戻らなければならなくなった)その時に Hくんが友人として

泥酔した姉を介抱したと・・なんかそんな話を本人から聞いたことあるなぁと思っていたら

この日Hくんが「実はSちゃん部屋を汚すくらいもどしてしまって、それを必死に片付けたんです」と

ひょえ~あれはたまらんよ。匂いあるしゲロだよ、ゲロ・・・と聞いていたら「高校の修学旅行で 旅館で飲み会をやって

引率の担任に見つかってしまったときに 粗相をした部屋を担任が素手でかき集めて掃除したのが

僕の記憶にあって、すごいなぁ・・と思っていたから僕もできたんです」と。「え?じゃ

Hくんはそっち(旅行後謹慎くらった)だった・・・?」「そうなんです」

私のクラスは謹慎を受けた生徒が皆無だったんじゃないかな・・・この騒動は今も語り草らしい。

前回のブログで≪串本高校はやんちゃ≫とあるのは ある意味こういうことでして・・・


それでこの日来たのは 「実はSちゃんが好きで聞いていた歌を歌っていた人が 最近亡くなったのを

知って 急にSちゃんのことを思い出して、」と差し出してきた一枚のCDに私は「あっ!」と

声が出た。「森田童子だ・・・」Sがよく聴いていた。当時はレコードでそのLPからカセットテープに

ダビングしたのを部屋でも車の中でも聞いていた。私はまだ子供だったのか 「この歌暗いよね」と

いつも言った記憶があるし、でもそのハスキーな声は一度聞いたら耳に残るし 歌手自体もなんか

不思議な感じだった。今年の四月に亡くなったとニュースで知った時も 浮かんできたのがSであり

あの≪ぼくたちの失敗≫のメロディーだった。1993年のドラマ≪高校教師≫の主題歌でもあり

私の記憶の中では姉=森田童子だ。それをHくんも知っている。「よく聴いたんです、車でも部屋でも。」



私の知らない姉との時間がHくんにあるんだと思いながらも、私はいいけど母親のおばあちゃんは

どう感じとっているのか気にはなったけど、私以上に「亡くなってからもう30年以上たってるのに

あの子を思い出したからって来てもらえただけでも嬉しいよ(あら、意外と素直に言ってる)」と。

Hくんは「お嫁に行かれて亡くなってしまったけど、知り合って40年近くなるからいいかなと勇気を出して

来たんです。もしかして こちらにお墓があればお参りさせてもらおうとも思って」

私が「お墓は嫁いだ先に造ってもらって、それが家の隣なんでね~。あ、でもこのCD,娘に手渡していいですか?

あの娘、母親の記憶って無いんです。一歳半だったから。だからいろいろ聞きたがるんです。」

「それは僕も嬉しいです。Sちゃん、不思議な人でしたよね?」と「不思議って」家族としたら不思議かどうか

そのまま育ってきたから 不思議とは思わないけど Hくんは「急に手紙が来て≪いま淡路島に来ています。一人旅です≫

(まるで古いフォークか演歌みたいダナ・・と思ったんだけど)・・・ふーこ」って書いてるんですよ。

「≪ふーこ≫って名乗ってました?」彼女は あだ名というか本名で友達を作らなかったのか 本名が堅苦しい字面ゆえ

あえて違う名前で友達には呼んでもらいたかったのか 私が知っているだけでも≪うずら≫≪冬見(ふゆみ)≫≪ふーこ≫

≪ベラ≫とある。それがすごく友達にも自然なのか 何度か名字の下に≪冬見≫で郵便物が届き 配達員から「この名前の

人、いらっしゃるんですか?」と聞かれたことがある。ある意味、でも不思議な人だったかも・・・

「≪雨のクロール≫が好きだった」とHくん。「一度古座の花火を見に行ったんです。見に行ったけど9時までに

帰らないとあかんって。でも 古座から帰ってくるのに 打ちあがってすぐ向こうを出ないとあかんでしょ。道路を

暗闇の中走ったら、僕深いドブに落ちたんです(笑)」なんか その様子が目に浮かんでしまった。

「でもHくん、私を知らないよね。話をしたことないし」と言うと そこに先ほどのMKの名前が出てくるのだ。

「なんで ○○ちゃんはMKに呼び捨てにされてたんで?」「いや私もなぜかは知らない。別に恋愛感情なんかなかったし」

「不思議に思ってたんです」「Aちゃん(サンババ会の一人)と家が近くで、彼女とも知りあいだったからじゃないかな。

私もY(サンババ会のもう一人)もMKとはつながりないし・・」「Yってなんで知ってる?」「え、高校時代

私ら三人いつもつるんでいたし。去年も長浜に連れってもらったよ・・・ってなんでY・・、あ 中学校一緒?」

あ~ なんとHくんつながりでサンババ会までつながってもうた・・・「Yとこの間 電話ではなしたばっかり・・」って

私の記憶もスピードアップして「Hくん!お父さん硬筆の先生よね、確か。こっちにも教えに来てくれていて長男君たち習ったし、

お母さん、俳句作られてたよね。おじいさんに電話があったし保健の先生だった・・・」メチャクチャ相関図にしたら

不思議なつながりばかりになってしまうやん。




たしかに姉Sは 不思議な人だったのかなと思う。彼女は 誰彼なく相談に乗る・・というか 話を聞いてくれる対象だったのかもしれない。

田辺の洋裁学校を卒業して、強制的に家に戻ってからも 父親を説得して串本の洋品店に勤めだした。当時そのお店は ミセス物がほとんどだった

けど 内容を女子高校生、若い女性のものもいれはじめ客層が一変し、もとから美術学校を出ていた姉はポップやディスプレイも得意で

何度か私もお店に行ったけどこの小さな町にしては流行っているほうだなと感じていた。この頃 お客さんで来る高校生たちには

話がしやすい 相談しやすいおねーさんという存在だった。妹の私より若い子たちの話を聞くし、自分と同じくらいの友人とも

休みには遊びに行ったりして家には滅多にいなかった。結婚したら好きなことができない・・っていう思いの表れか、でも姉妹三人で

一番≪我≫が強かったのかもしれない。わたしなんぞは不承不承・・・半分やけくそみたいな。≪我≫もなく、いやぁ

「これって長女が跡を持たず、二の矢の次女も継がないって言ったら、この家の中でどんな暴風が吹き荒れるか。

そんなら失恋の痛手を負った今こそ 私が引き受けたら 父親の暴風もそよ風くらいになるんじゃない?

誰かが残らなきゃいけないのに 上が逃亡したら下がなんとかしなきゃならへんやん・・・どうにでもなれや。」

二人には言い分もあろうけど 私が一番何もかも割に合わない。父親の不機嫌さも この先ずっと本当なら私が知らずに

生きていくのを、あの二人は我関せずと便利のいい生活をしていると思うと≪なんで私だけ≫の毎日だったことも事実で。

でも、待てよ 私が継がずに上のどちらかが継いだとしても この気持ちはきっと同じように彼女らも感じて≪なんで私だけ≫と

涙するよな・・と。だから 我慢したけど 人間、そんな優しくないんだと・・それぞれの生活に実家のことなんか やっぱり

家を出たほうが楽よね・・・みたいな事多かりき。人生の選択って 鬼にならなくちゃいけないと残りの年数が見えてきた今

痛感しています。

Hくんは 今だから言えるけどと笑って「Sちゃんの手をつなごうとしたり、肩に手を回したりしようものなら≪わたしをバカにして≫

と怒られたんです」と言いました。二つ上のおねーさんに憧れていたんだろうなと笑えるエピソードだし、Sならありえるなとも思う。

そんな人だったなぁ・・・。Hくんとあちこち車で走ったことも 思い出も それはHくんの心の中で残しておいてもらえたら・・と

意味もなくイルカの≪あの頃のぼくは≫のせつないメロディーを思い出しました。「暑い日でしょう、よけいにSちゃんを思い出す

んです。泳ぎには行かなかったけど海や川、ドライブとか思い出があるんで。そう、Sちゃん絵が上手だったでしょ。

僕、描いてもらったんです」とHくんが言った。その話も 聞いたことがあるような気がしてきた。若いころのHくんは 美形だった。

姉が描いたのなら そのまんま美形に描いただろう・・・私も好きだった人を マンガ風に描いてもらったことがある。

≪半分、青い。≫のすずめちゃんを見ていたら どこかSの顔を思い出すことがあり すずめの鼻がもう少し上を向いていたら

似てるな・・とかつい思ってしまう。いや実際は全然違うんだろうけど・・・。

あれから一週間、おばあちゃんと二人でいると急に「Hくんが」「Hくんって」と話しを振ってくることが多くなった。

おばあちゃんにとって スゴイスイッチになったのかなと思う。最近はそんなにSのことは話にしなかった。辛いとかではなく

時の流れで もう気持ちに区切り・・・親ならば逆縁で逝った子供のことは忘れることはないけど 戻ってはこない事実を

認めるしかないんで、そんな毎日に 親の知らない 生きていた娘の時間を知っている人が話をしてくれるだけで嬉しい以上に

想ってくれている人がいることが 何よりもなんだと。私も思う、その人の記憶の中に覚えていてくれていることがもう、

ありがとうございますなんだ。おばあちゃんと話して最後は「でもさぁ Hくんにしたって 若いころのSが記憶に残って

いいよね。いいイメージのままで覚えていられるのは」という結論に達して 大笑いするのだ。



Sを知る人は 昔「Sちゃんってコスモスみたいやね」とか「カスミソウみたいやわ」とか言ってくれてた。

細身の体ゆえなのか、27年という短さで逝ったはかなさなのか 私ならSはたんぽぽの綿毛みたいな感じの人だな。

踏まれても意外と綿毛にまでなって ふわふわして包み込んで ふわ~っと飛んでいってしまって・・・

不思議なひとだな、ほんとうに。

数日後、Yからメールが来た。中学校の同級生を通じて Hくんから私と会ったことを聞いて彼女も驚いたみたい。

そんなつながりがあるとは知らなかったので 彼女が帰省したら四人で食事でも行きませんかって・・・

私たちも60の折り返しが近づき、昔の話を懐かしく話したいという時代に突入したようだ(笑)

姉が とりもつ縁、不思議な人だな・・・

コメント (4)
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