こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

1月17日

2011-01-18 05:30:30 | いろいろ
きのうは阪神大震災16年目の特集番組が各局で放送されていた。いま、震災直後の映

像を見ても、胸が痛くなる。当時の様子を見て涙が出そうになる。あの「しあわせ運べ

るように」の歌を聞いてもウルウルしてしまう。今年もその時間に黙とうをした。

こうして私が、私の家族が変わりなく暮らせることが当り前のようであることが申しわ

けないような気がする。これまでの間、1日でもはやく淡路・神戸、多大な被害を被っ

た街が復興することを願ってきた。それは1年、2年と確実に実現したと思っていた。

でも、形は復興したようでも被災された人達には多くの問題が生じていると報道されて

いた。復興住宅は20年で出なくてはならず 再開発ビルはテナントが入らず神戸市は

買い上げをやめ 賃貸で安い値段にするとか・・・。復興住宅は 自治体が7割負担な

ので毎年15億も補填しなくちゃならずそれが市には苦しい状態になっているんだとか

再開発され、広い道路を造るため、元の場所には住めず寒くて暑い仮設住宅から逃れた

すえに、また復興住宅を去らなくてはならない人も多いという。16年という年月も

自身の年齢を高齢にさせ、新居を構えることも容易ではないのに。それでも開発された

所や、元の場所で新居を建てたその横がさら地のままという場所も多い。戻りたくても

戻れない。震災にあった場所には戻りたくない人もいるだろうけど、生まれ育った神戸

に住みたい人がほとんどだろうに、きれいにするばかりで人間の救いにはならなかった

どこか あの日のことを見ないふりをして今まで来てしまった行政じゃないかな。

もう風化されていくようで、昨日の朝の「す・またん」で辛坊さんが言っていた。

「東京にいたときに、関東の新聞は震災のあった1月17日になっても新聞の一面には

載らなくなっていた。関西の新聞は各新聞17日の一面は震災の記事になるのに。」と

言っていた。今を生きている私達が体験した初めての大震災を忘れてはいけないのだ。

南海・東南海地震が近いと騒ぐばかりで阪神大震災の教訓を伝えていかなくちゃ、地震

はどこで起きるかわからないのだ。直下型だと津波の心配はないけどプレート型だと

陸上の被害と津波という被害も重なる、阪神大震災以上の防備も知識も必要になるし、

予知ということもすすめていかなくてはいけない。そのための地球探査船『ちきゅう』

だ。でも、この『ちきゅう』だって確固たる成果をださないと「それは必要ですか!』

と、仕分けされてしまいかねない。きょう調べて一週間後に答えがでるもんではないの

だよ。地震国日本ということを忘れてはいけない、この方こそ和歌山県の浜口ごりょう

の「稲むらの火」を読むことをお勧めする。教科書に載るっていうからね。


再開発ビル、長男君もその一つに入っているお店で働いている。たしかに神戸に行った

ときにビルの一階は人通りもあり賑わっていた(それでも震災前とくらべると少なくな

ったらしい。串本より多いんだけど、比較の対象じゃないか・・・)けど、二階は

お店はあってもあまり賑わっているようにもみえなかった。鉄人28号ができて人も増

えたと、鉄人ができた頃テレビで長男君のお店の店長さんが話していた。そうか、安心

したと思っていたけど撤退するお店も出ているようだ。賑わいがもどっても 神戸の人

達は心のどこかにあの日のことがあって、みんな傷になっているんだろうな。どこか

心から喜べない、それは震災にあってない私にはわからない 言葉にできない、闇のよ

うな重い塊りなんだろうと思う。

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