きのう14日は ワタクシの誕生日でありました。なのに 未明からムシムシとした室温に
眠りを妨げられ、4時にはもう起きだしてしまいました。誰が誕生日であることに気がつく
かと思ってたら、やはりおとうさんが7時に起きて「きょうは14日やろ」とだけ言います
もう 誕生日を心待ちにする年代でもないし、最近『歳をとる』という言い方よりも『歳を
重ねる』と言うほうがぴったりくるような気がするのは私だけ?
なので 私はお盆生まれなのだ。そのせいだと思うのが写真のお菓子『フローレット』が
大好きなのだ。よそでは知らないけど、このあたりではお盆のころになると仏前にお供えす
るお菓子にこの『フローレット』という名のお菓子がお店に並ぶ。子供の頃からいろんな
タイプの『フローレット』を食べたので、私はちょっとうるさい。今年は 7月中ごろに
スーパーにお盆用品の仲間として並んだのを見て、ニンマリしたのだが、値段が100円と
いうのが少し、不安。この値段だと、歯が融けるような甘さか、もしくはパリッとしていな
い 湿気たようなものではないかと。それもこれもここまで食べてきた経験から、そんな気
がするのだ。食べてみると 値段の割には味もよく、甘さもしつこくなく 湿気た感じまで
はいかないが、もう少し、そう前歯でパリッと折れるような感触が足りない。
袋の裏に『フローレット』についての説明が書かれていました。長年、研究したけどこう
いったサービスは初めて!
≪フローレット 誕生メモ≫
明治30年代のはじめ、洋行帰りの人々が丈の高い襟(ハイカラー)のシャツを着るのを見
て世間では、"ハイカラさん"と評していました。 その頃、現在の森永製菓の創業者である
森永太一郎氏が、米国修業を終え、新しいお菓子と製造技術を携え帰国しました。
それが、チョコレートでありキャラメルでありマシュマロであり、フローレットでした。
先駆者たちの"西洋菓子を普及させる"という熱き想いと努力は、ハイカラさん達の支持を
得、衛生的な工場での新しい製造方法により次々とヒット商品を生み出しました。
そして、これらの新しいお菓子は多くの人々に受け入れられ、またたく間に全国へと広ま
っていきました。
なんと、この美味なフローレットは明治時代からのお菓子だったのね。なんて、ステキな
んでしょ。だから袋のイラストの女性もなんかそれっぽいのか。『高級西洋菓子』と小さく
書かれてはいるものの、製造者の『花舎(はなのや)』が定価100円であってもこのお菓
子は森永製菓からの血を受け継いでいるひと品って言いたいんだね。私は 『フローレッ
ト』のいろいろある味で バナナ味がとくに好きだ。この袋には『お口にやさしい ハイカ
ラお菓子 ミックスバナナ』とも書かれている。だから バナナ味がメーンだと思っていた
のだけど、中にはピンクのイチゴ味や白いただの砂糖菓子のような味と黄色いバナナ味・・
そのミックスと 形がバナナってことだと、この時気がついたのだ。研究者として恥ずかし
い。いや、昔、子どもの時に食べた『フローレット』はヒマワリの花の形で、花びらが白く
真ん中がピンクだったり、黄色かったりしていた。だからフラワーが変化して『フローレッ
ト』となったと思いこんできたのだ。ちなみに その味は 歯が融けるような甘さでワタシ
的ランクは低い。それ以外で驚いたのは 果物の形の『フローレット』も食べた。バナナは
黄色くこれと同じかっこうだったけど、ブドウ色で房ブドウ型やミカンはオレンジ色で袋を
むいたミカン型、メロン味もあったけどバナナ型のような記憶だ。このお菓子はなぜか
夏のこの時期にしか お店に陳列されず、たまに秋に母親が「売れ残ったのがあった」と
買ってきてくれた。それを 姉には一つ二つしか私は渡さず、残りを袋を抱えて食べまくっ
たのさ!だから、いま、歯医者通いなんだと思っている。なかなか私が求める『フローレッ
ト』に出会えないのが寂しいのだが、お盆までに私は4袋購入し、仏前には供えずお盆まで
に食べきってしまった。・・・また来年まで楽しみに待つしかない。これは 誕生日の自分
へのプレゼントとしよう。しっかし、夜になっても誰も、誰からもお誕生日メールもなく、
親も気がついてないようでした。昨年は 小・中学校時代の同窓会があったので、その場で
「きょうは私の誕生日なんや~」と言うと、みんなが「お~、そうやったんかぁ!それは
おめでとう」と言ってくれたんだけど・・・。ちなみに、来年のお正月は 高校時代の
普通科4クラス合同で 同窓会を開くというハガキが届きました。これを逃すと、次回はい
つになるかわからないという懸念があるので 出席しようと友人Aちゃんと相談しています