ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

友達ほぼいないどうしの結婚でした。

2019年10月10日 | 介護
2019.10.10
今から29年前の10月29日に私たち夫婦は結婚しました。
2月にお見合いをして、5月に結納を交わし、10月に結婚をすると言うあっという間の結婚でした。
お互いにこれと言って友達も友人もいないので、私は唯一そこ頃友達で結婚式に呼ばれた年上の女性と仕方が無いので以前の職場のデパートの食品売り場のおばちゃんたちを数名呼びました。
まあ、そのおばちゃんたちが意外と曲者です。
某新興宗教の熱心な信者です。
事あるごとに食事時間や休憩時間にその信仰宗教の話をしてきます。
果ては新聞を広げて見せてきます。
呼ぶ人いないので仕方なくその人たちを呼ぶことに!
主人に至っては呼ぶ人がいない。
来たのは会社の先生夫婦だけでした。
友人のほぼ列席しない結婚式です。
いやあ、本当につまらない結婚式でした。
引き出物から料理まで主人の両親と母が決めてしまいました。
私たちが決めたのはキャンドルサービスはしない。
スライドはしない。
後は貸衣装くらいでした。
結婚式はほぼ主人の親戚と主人の母の友人のカラオケになり、私の方は父の姉が詩吟をし、仲人さんが日本舞踊を踊ると言う結婚式でした。
つまらないことこの上ない結婚式です。
そのころ母と別居していた父も参列してくれ、父は終始娘の私の結婚式に泣くばかりでした。
私は成田離婚を決め込んでいたので、終始泣かない花嫁を演じ、唯一泣いたのは控室に集まった親戚を見たときに「成田離婚するのに義理でこんなに来てさ!」でした。
ところが新婚旅行の帰りの飛行機で主人の両親が成田まで迎えに来ることを知り、成田離婚が出来なくなったのです。
あれから29年経ったわけです。
友達本当にいなかったんです。
最初の1年間は仕方なく時々裏の主人の親戚のおばさんの家にお茶を飲みに行きました。
2年目に友達が欲しいと市の広報で見た手話の講習会に参加しました。
講習会が終わって数名の人から誘われてグループで手話の勉強をすることに!
誘われたことは友達を作る良いチャンスだと思いました。
はじめのうちは真面目に手話の勉強をしていたのが、そのうちお茶飲みの会になり、その後ランチの会になり、それぞれが仕事を持ったり高齢者になったり、都合が悪くなり人数が減り最終的には3人になり、私が高齢者大学に入ったので解散になりました。
地元の手話サークルにも入りましたが19年前に母と同居し、夜の外出がうるさくなったのでやめてしまいました。
母と同居し、その後更年期になり更年期からうつ病になったときもそのころ知り合った数名の友達は静かに回復を見守ってくれていました。
病気のことは言わないつもりでしたが、そのころ働いていたパート先を病気でやめることになり、おしゃべりな母が自分の妹弟に私の病気のことを言い、私は友達にも病気の開示をしました。
そもそもうつ病の原因を作ったのは母です。
子供の頃から過干渉の母でした。
この頃は「母源病」という言葉もあるようです。
認知症になった母はいまだに過干渉ですからね。
私の1日の行動を知りたがる。
休日の過ごし方に文句を言う。
外出に文句を言う。
自分中心です。
あからさまに文句は言いますから!
突然急に病院の付き添いもあるんですよ。
私の予定より自分のことが優先です。
あっ!主人は本当に友達いないんです。
私が唯一の友達です。
私は友達欲しくて地元の高齢者大学に入りましたから!
母は自分も昔高齢者大学に入っていたのに、どうもボケたら自分優先なので高齢者大学に私が行くより家に居て欲しいようです。
ボケたら徒歩で20分のスーパーも10分のスーパーも私がお使いに行くのは遠いと言いますからね。