そんなに不安に思っていたなら、なぜ自分から学校に
リクエストしてでも事前の準備をしなかったのかというと、
実は私にはもう1つ抱えている問題があったからでした。
4月2日に、実家の父が入院したのです。家にいたときに急に
息苦しさを訴えて救急で受診したらそのまま入院になったとか。
入院した翌々日の日曜日に、息子を連れて慌てて見舞いに行ったら、
父は思ったより元気そうで、自分で歩いてトイレにも行っていました。
「なんだ、緊急入院とかいうからびっくりしたわ。
思ったより元気そうじゃない。最近ちょっと調子が良いから、って
無理しすぎたんじゃない?ちょっと自重しなさいっていうことよ」
と私は軽口をたたき、父もてへへと笑いながら、息子に
「もうすぐ高校やな。頑張ってや。おじいちゃんぐらい年寄りになると
頑張ろうと思っても頑張られへん。今のうちにうーんと
お勉強して、頑張っとくんやで」
と声をかけてくれたりして、ほっとして帰ってきたのでした。
ところが、その翌々日に、弟が主治医に呼ばれて告げられたのは、
心臓病の末期で、もう手の施しようがない、ということ。
「おそらく、ここ一週間以内の勝負になるでしょう。長ければ
2,3週間伸びるかもしれませんが、それ以上とは
ちょっと言えません」
まだベッドの上で起き上がって、母にわがままを言い、さあいつに
なったら家に帰れるかな、と思案している父が、
もう生きて病院を出ることはない、と主治医に断言されても、
まだ私たち家族にはその実感がわきませんでした。
でも、家では3食をペロッと平らげ、まだ足りなくてベッドの上で
スナック菓子を食べては母に叱られていた父の食が
だんだんと進まなくなり、弱気になってきて、
体につながれるモニターやチューブの数が増えていき、
3~4日おきに私が会いに行く度に、目に見えて弱ってくるのが
わかり、なんとも言えない気持ちになりました。
でも、ドクターの言った一週間はなんとか超え、
2週間目も終わろうとする今、
まだまだ子どもだったころの私の知っていた
元気な父に戻ってくれるのではないかという気がして
希望を抱きながら、せっせと病院に通って、
「あんたは昔から気が強いからなあ」などと
憎まれ口をたたかれながら、せめてもの親孝行を
重ねています。
リクエストしてでも事前の準備をしなかったのかというと、
実は私にはもう1つ抱えている問題があったからでした。
4月2日に、実家の父が入院したのです。家にいたときに急に
息苦しさを訴えて救急で受診したらそのまま入院になったとか。
入院した翌々日の日曜日に、息子を連れて慌てて見舞いに行ったら、
父は思ったより元気そうで、自分で歩いてトイレにも行っていました。
「なんだ、緊急入院とかいうからびっくりしたわ。
思ったより元気そうじゃない。最近ちょっと調子が良いから、って
無理しすぎたんじゃない?ちょっと自重しなさいっていうことよ」
と私は軽口をたたき、父もてへへと笑いながら、息子に
「もうすぐ高校やな。頑張ってや。おじいちゃんぐらい年寄りになると
頑張ろうと思っても頑張られへん。今のうちにうーんと
お勉強して、頑張っとくんやで」
と声をかけてくれたりして、ほっとして帰ってきたのでした。
ところが、その翌々日に、弟が主治医に呼ばれて告げられたのは、
心臓病の末期で、もう手の施しようがない、ということ。
「おそらく、ここ一週間以内の勝負になるでしょう。長ければ
2,3週間伸びるかもしれませんが、それ以上とは
ちょっと言えません」
まだベッドの上で起き上がって、母にわがままを言い、さあいつに
なったら家に帰れるかな、と思案している父が、
もう生きて病院を出ることはない、と主治医に断言されても、
まだ私たち家族にはその実感がわきませんでした。
でも、家では3食をペロッと平らげ、まだ足りなくてベッドの上で
スナック菓子を食べては母に叱られていた父の食が
だんだんと進まなくなり、弱気になってきて、
体につながれるモニターやチューブの数が増えていき、
3~4日おきに私が会いに行く度に、目に見えて弱ってくるのが
わかり、なんとも言えない気持ちになりました。
でも、ドクターの言った一週間はなんとか超え、
2週間目も終わろうとする今、
まだまだ子どもだったころの私の知っていた
元気な父に戻ってくれるのではないかという気がして
希望を抱きながら、せっせと病院に通って、
「あんたは昔から気が強いからなあ」などと
憎まれ口をたたかれながら、せめてもの親孝行を
重ねています。