雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

「指導をしない」という「指導」

2007年06月07日 | 楽しい学校生活
ちびくまは、今日も自分で選んで交流級の体育の授業に参加しました。
もともと体育は苦手な科目でもあるうえ、暑さでへろへろになった
ようですが、クラスの女子がファイルで陰を作ってくれたり、
先生が途中での休憩を許してくれたりで、なんとか乗り切ったようです。

障碍児学級の教室での数学の授業や作業学習、障担K先生以外の
教科担任の先生による国語や技術(パソコン)の個別指導も入り、
ようやく本格的にちびくまへの特別支援教育が始動した感じです。

今の様子だけを見ると、すごぶる順調な適応のしかたで、
とても4月に給食も食べられない、交流級へも行けない、
ひいては学校へも行けなくなりそうだった子どもには思えません。

でも、ちびくまがこんな風に自らの態勢を立て直す大きな助けに
なったのは、やはり障担K先生の力がとても大きいと感じています。
4月下旬から5月下旬の約1ヶ月半の間、先生は徹底して
ちびくまの心理的・肉体的負担を取り除いて、先生や障級の教室を
本人にとってくつろげる・安心できる人・場所にすることを
唯一の目標にしてくれました。

それは、子ども本人にとっては快適でも、傍目にはとても
「指導」をしているようには見えません。
一緒に公園へ行って、一緒にすべり台を滑って遊ぶ。
教室の床に一緒に寝そべって、ドミノを並べる。
バランスボールの上に乗った子どもをバウンドさせて遊ぶ。
体中をくすぐって、喜ぶツボを探す。
隣同士のPCで、それぞれゲームをしながら、そのゲームの
やり方を「ひとりごと」で言う。
時には、先生が1人でPCゲームをやっているのを、息子が
バランスボールの上で弾みながら見ているだけのこともありました。

私は、それが今一番ちびくまに必要な「指導」だと考えていたので
誰に教わることもなく、そういう取り組みを始めてくれた
K先生に驚き、感服していましたが、同時に、他の先生たちが
はたしてそういう「指導」の仕方があることを認めてくれるだろうかと
いう心配もしていました。

「先生、他の先生に説明が必要なときはいつでも言ってください。
 こういう指導の仕方を、保護者である私が一番重要だと考えていて
 一番望んでいるのだということを、お話ししに行きますから」
そういう私に、
「いや、校内(の教師)は大丈夫だと思うんですよ。
 問題は生徒ですよね。 この教室の前、結構生徒が通るでしょう?
 外から見たら、どうみても僕が授業もせんと、ちびくまくんと
 遊んでるか、ちびくまくんをほったらかして遊んでるようにしか
 見えませんからね~」
と、K先生は笑うのでした。

子ども当人の気持ちややる気より「教師としてのプライド・面子」
「『スキル指導』をした、という達成感を望む気持ち」
「自分自身の『教えたい』という気持ち」が優先している人、
目に見えるものしか見えず、言葉の表面的な意味しか
理解できない人にはこのような「『指導をしない』という指導」は
できません。

なぜなら、嫌がる子、泣く子、指導に乗らない子に、手を変え
品を変え、指導に乗せて行くことより、
嫌がらない子、素直に指導に乗ってくる子に、指導をしないで
じっと寄り添い、待つことのほうが、ずっと忍耐力と
子どもの「外からは見えない」内面を繊細に探る感受性が必要だからです。

環境が大きくがらっと変わった中学入学の時期に、こういう先生に
出会えたちびくまは、やはりとっても運がいい、
「自分にあった指導者を引き寄せる運」を持った子どもなのかも
しれないと思っています。