平成29年7月5日
私を襲う強烈な腹痛
一昨夜 強烈な腹痛と吐き気に襲われた
近くの医院で点滴治療と血液検査を受け自宅に帰るが 翌朝 病院より 血液検査の結果のお話がありますと言われ病院に呼ばれた
膵炎の疑いがあるからとすぐ入院を勧められる
彼女が大変な時に
入院は困ると言うと 医師は命に係わることだからと言う
彼女の入院している病院を紹介してもらうようお願いした
自分自身の入院がてら彼女の見舞いもできるから
救急車で入院となり そこで急性膵炎と診断される
しかし私の目論見は失敗した
彼女の入院しているのは内科消化器科で私の診療科は内科循環器科である
彼女の入院している病院にはないのだ
△△病院への転院となつた
自分の病気がうらめしい
△△病院の診断は 胆石からくる膵炎であった
膵炎の炎症を抑えるため絶食絶飲で点滴のみの入院生活である
彼女にメールをするも携帯を見る気力もないのか返事がない
娘が私と彼女の病院を掛け持ちし彼女の様子を教えてくれる
元気だよとの報告にほつとし少し元気ないという報告は辛かった
〇〇病院長が 私の主治医に彼女の余命が1カ月であること 私が毎日彼女を見舞っていることなど補足していたようだ
主治医は炎症を鎮めるためにいろいろ手を尽くしてくれた そして私を早く彼女の元へ帰そうと胆嚢に胆石を残したまま退院することとなった
結果 元気な彼女と接することができ 医師の心遣いとその判断に感謝する
平成29年7月22日
退院のその足で彼女の元へ
膵炎の炎症が納まり退院する
そのまま彼女の病院に行く 彼女は微笑んで私を迎えてくれた
病状が進行し時々痛みが襲うようだ
痛みが薄らいでいる時いろいろの会話をした
我々の子育ての時 彼女とは共稼ぎだった 彼女は正社員ではないが会社では重要視されながら一生懸命仕事をした 家庭でもそうだった
子供や私に貧しさを感じさせず 買い物や食事会 季節季節の家族旅行も計画してくれた すべてに前向きに取り組む彼女だった
「あなたの努力だね」と話すと
私も頑張ったねとしみじみと話していた
平成29年7月23日
夜の電話
痛み止めのモルヒネ注射をうっているが 注射と注射の間の薬効の間隙に激しい痛みに襲われる その痛みに耐える彼女に対してただ手を握るだけである
落ち着いた時に 何時もの通り昼食の後自宅に帰る
その夜8時ころ彼女の携帯より電話がくる
看護婦にお願いし電話をかけたようだ 看護婦が電話を支えてくれて話をしているらしい
口ごもり明瞭な声でないが看護婦の説明によると寂しいらしい
彼女が聞いているだろう受話器に向かって話しかける
明日も病院に行くよと話を終えた2~3分後
また彼女から電話がくる
今度はしっかりした声である
さっき刺繍をしていてうっかりかぎ針を落としてしまった
心配だったがその針が曲がっていることを思い出したので安心だからねと
そして「電話してごめね」と言う
涙が止まらなかった
平成29年7月24日
夢と現と その1
病室に入ると寒いと訴えてくる
震えていた手を握ってやると気持ちいいと その手を放さなかった
昨日より譫妄が多くなった
悪い方への進行がほんとうに早い
痛み止めの薬効が切れた時の彼女の苦痛は計り知れない
私の手を握りしめ胸や腹をかきむしり耐えようとする
外に連れて行って投げ捨ててなどと言う
痛みが薄らいだ時
家のパン買い忘れてない?と聞く
救急車のサイレンの音を聞くと「荒川さんの家の火事かな?」と話してくる
荒川さんとは彼女のが若いころ住んでいた隣の家である
お腹の上で右手を前後左右に動かしている
「何をしてる?」と話しかけると 餃子を焼いているという
夢を見ているのだ
医師は譫妄だと言う
常に手を動かしぶつぶつと呟やきながら胸の上で手をしきりに動かしている
「何をしている?」と聞くと
「契約の仕事をしようと思う」と答える
「洗濯をちゃんとして」「うんこまみれになっている」
「〇永さんからグランドゴルフ大会に誘われてたから断っておいて」
とも言う
胸元の毛布をなぞる様に右手を動かしいているので「何をしてる?」と聞くと
「野菜サラダをつくるからトマトとレタスを洗って」と言う
夢と現を行ったり来たりの彼女である
彼女の顔をじっと見つめしっかりと手を握りながら
涙がとまらなかった
平成29年7月25日
よい思い出と楽しい計画を
交互に来る夢と現の中でよい思い出を語り
これからの楽しい生活を思いめぐらすような話題を心がけるようにする
口をもぐもぐさせているので
「何をしている?」と聞くと
「ご飯食べている」
「おいしくない」
「お口の中の里いもが見つからない」と言う
お母(彼女のことをそう呼んでいた)の作った料理はいつもうまかったよと言うと
「お世辞いうな」と一言
昔 私がゴルフ大会のブービー賞で鶯宿温泉ペアで一泊の旅行券を獲得したことがあった
彼女の提案で子供 孫みんなで行くことにした
その時の孫たちの元気なふるまいを明瞭な言葉でないが楽しく話していた
退院したら松島「壮観」に行こうと話しかけた 毎年に2度か3度出かける時の宿である
しかし彼女の答えは
「もつたいない」だった
会話になっているのが嬉しい
なんど涙をぬぐったことか
平成29年7月26日
混濁と現の往復
朝
おはようと声をかけると私の方を見て笑顔をみせたような気がする
看護師が薬を飲ませながら私を指さしこの人だれ?と聞くと「まさるさん」と答える
彼女が私を見つめているので
「どうした?」と聞くと
「腰痛くない?」と尋ねてくる
脊柱管狭窄症からくる腰痛を心配しているのだ
「大丈夫だよ」と答えながら涙声になっていた
彼女にお父さんと呼びかけられる
「黒い財布取って」
「相撲始まるからテレビつけて」
「外食に出かけるから起こして」
すぐに適えられない頼みである 適えてくれないことに彼女は苛ついている
手を伸ばし私の手を求めてくる
しっかり握り合うこと3分くらい自分から手を離し静かになった
今日より鎮静剤を皮下注射することになった
平成29年7月27日
アイスクリームを食べた
病院に着くと彼女は眠っていた 穏やかな寝顔である
鎮静剤の効果であろうか そんな彼女の顔を見るのが嬉しく愛おしくなる
看護婦が熱測りますねなどと言うと頷いている
私は特に声かけことなく寝顔を見ていることにする
3時半頃突如目を開き 私の方を見つめて
「きてたの?」としっかりした声
そして
「カップのアイス食べたい。買ってきて」という
買ってきたアイスをスプーンで口元に運ぶと「おいしい」と言って何度も何度も催促してくる
そして
「アイスはすぐ溶けるし溶けるとおいしくないから一緒にたべよ」
私も食べるように促し
彼女と二人で一つのアイスカップを食べた
平成29年7月28日
私もあのようになりたい
突如彼女が
ベッドを起こしてと言う
同部屋の患者が椅子に座って食事をしているのを見て
「私もあのようになりたい」と言う
どうして私だけ‥‥
彼女を頻繁に痛みが襲うようになった
モルヒネ入りの湿布をし 痛み止めの薬を飲み 痛み止めの点滴をし それでも長い時間を置かずに痛みが襲う
手を振るわせ息を詰め痛みに悲鳴を上げている
私の差し出す私の手を離さない
少し薄らぐと
「どうして私だけ痛くなるの?」と訴えてくる
私が「他の人は痛くないけど呼吸が苦しいとかいろいろあるみたいだよ」と言うと
納得したのか無言であった
夜が怖い
彼女はしきりに斜め前方の掛時計を見ている
「今日の昼間は時間の進むのが遅いね」と言う
そして
「夜が怖い」と
「夜は誰も居ないから怖い」と
看護婦さんが夜も寝ないで見てくれているんだよと言うと納得したように見えるが怖い気持ちは消えていないだろう
平成29年7月30日
昼が長い
彼女を襲う痛みの間隔が短くなった
痛み止めの薬を飲んでも
1時間もすると痛みがくる
それも激しい痛みが
痛みの収まっている時 彼女は今何時とよく尋ねてくる
30分か1時間おきに
そして「昼が長いね」と嘆息する
夜7時に
眠れるようにと痛み止めの点滴をし 加えて鎮静剤の皮下注射をするのだが それが良く効き一晩痛みを感じないでゆつくり眠れるのだ
彼女は夜7時のその注射を待っているのだ
間断なく襲う日中の痛みに耐えかねて
つらかったろうね気づかなかった
明日看護婦と相談するよ
平成29年7月31日
このまま一生‥‥
病室に入ると穏やかな彼女の顔があった
10分前に痛み止めの薬を飲んだという
ところがそれから10分後身体が痛いと言い始め たちまち痛い痛いと悶え出した
看護師を呼び痛み止めの薬を飲ませてもらったが
看護師は痛みに恐怖を持っていることからくる譫妄も考えられるという
彼女のその恐怖を和らげたい
鎮静剤の検討をお願いすることにする
少し落ち着いた彼女は
「痛いのは一生治らないのかな?」
と呟き天井を見つめている