平成29年8月1日
相部屋から個室に
午前 二人用だが個室に移った
他の人の声が聞こえず
自分が痛い痛いと叫ぶ声も聞こえないから快適だね
痛みも少なくなったような気がする
と彼女の感想である
痛み止めの薬もよく効き静かに眠る時間が多かったような気がする
付き添いの人も隣のベッドで休んでよいと言われ楽になった
平成29年8月2日
梅雨開け宣言
仙台も梅雨開け宣言があった
あいにくの曇り空だが病室の外はことのほか明るい
彼女は梅雨開けの実感もなく
痛み止めの薬を飲み先ほどから眠っている
心の尊厳とはこのことか
痛みが襲ってくる時の彼女は身もだえし
「痛い」
「どうしたらいいの」
「この痛いのをなんとかして」
と口走る。その合間に
「部屋の戸を閉めて」
「痛い痛いというのが外に聞こえるから」という
彼女は痛さに我を失くす姿を余人に知られたくないのだ
襲ってくる痛みにおののくのは
耐え難い痛みのためだけではなかったのだ
死の尊厳、生の尊厳とよく言われるが
痛みから解放する心の尊厳もあっていい
彼女のこの思いにむきあっていなかった
平成29年8月5日
夢と現と
午後3時頃 病院に着く
断続的な痛みが続くので
モルヒネを自動で注入する機器が取り付けられていた
彼女は痛い痛いと呻いている
看護師は痛みはないはずだといい
譫妄かもしれないという
確かに 今までと違って全身でする痛さの表現ではないような気がする
そのうちに
「豆腐どこで買うの?」
「若芽も買って」と言いながら大きなため息をつき顔を両手で覆う
苛ついたしぐさで身もだえする
布団から手を出している時握ってやると
「ありがとう」という
また「ちょっと」と声をかけられ 顔を寄せてどうしたと聞くと
「名前をいってしまった。ごめん」と言う
これは現であり私に呼びかけた言葉である
平成29年8月6日
我慢するから痛いの助けて
娘が午前に 私は午後に病院に行った
午前も譫妄の中で激しい痛みを訴えたそうだ
午後2時眠りから覚め激しく痛い痛いと訴える
そんな時看護師が点滴の交換にきた
注射針を刺す時痛いから我慢してねと声をかけると
「我慢するから 痛いの助けて」と切ない声を出す
それから何度も「我慢するから痛いの助けて」と同じ言葉を繰り返しもがき苦しむ
看護師にこの痛みを救ってと頼むも モルヒネを注入してるのでこれは譫妄ですね
という答えが返ってくる
譫妄であっても苦しむ彼女を救いたい
痛さに耐えかねる彼女
生活の中で 怒りを表にだす彼女を見た覚えがない
夫婦喧嘩でも 子供を叱るときでも言葉で諭し言葉で思いを伝える彼女だった
現在は痛い痛いと叫び 早く何とかしてと感情のもろ出しである
かっての彼女と余りの違いが切なく悲しい
痛みに耐えながら手を求めてくるのでしっかり繋ぐ
癌患者に対し生の尊厳または死の尊厳というのが話題になる
心の尊厳というのもあるのではないか彼女の痛みや苦しみを軽減することである
平成29年8月7日
もういいわ 頼まない
鎮静剤を打っている彼女だが 突如目覚めて「青い領収書持ってきて」といいだした
そして「川に滑り込みたいから背中押して」とも
それらに応えてやれないと苛立ちを見せ 身振り手振りで激しく悶え痛い痛いと大声を出す 譫妄である
しばらくして
また「川に滑り込みたいから背中押して」という
背中に触れながら「なかなか押せないなあ」というと
「もういいわ 頼まない」と襟元の毛布をポンと捨てた
そして眠ってしまった
譫妄の苦痛でも和らげたい
今モルヒネを常時注入するなど彼女の痛みの軽減に医師と薬剤師が努力をしている
痛みはないはずだがそれでも痛いと絶叫する
そんな彼女を見るのが辛いたとえ譫妄でも意識の中では痛いのだろう
苦痛がなく静かに過ごさせたい
今日医師と面談した時
彼女の叫ばざるを得ない苦痛を取り除きたいとお願いした結果
日中も眠る時間を多くするために鎮静剤の増量をすることになつた
眠ることの多くなる彼女だがその選択はベターと思う
平成29年8月8日
「うれしい」の言葉
昨日よりできる限り午前の早い時間に病室に着くようにしている
8時50分病室に入ると
ちょうど目覚めたばかりの彼女で怪訝な表情で周囲を見回していたが 私を見つけしっかりした目でみつめ手を伸べてきた
私の手をしつかり握り
「うれしい うれしい」
と繰り返していた
ひとりぼっちの不安が常にあるのだろう 白い手をしつかりと握り続けた
それから水ようかん5口と水を少し飲んだ
そしてベッドを倒すとまた眠りに入った
寝顔がいい口を閉じ痛みや不安を忘れているのだろう 安心しきった顔である
「うれしい」と私を迎えた表情と言葉が心から離れな
痛みを堪える彼女の言葉
「なんとかして」
「どうして私だけ痛くなるの?」
「痛い 痛い 痛い ‥‥」
「わたしどうしたらいいの」
「痛いなあどうしたらいいんだろう」
「外に連れて行って投げ捨てて」
「川にすべりこみたい背中押して」
「痛いの来ないといいなあ」
「神様痛いよう」
「助けてー」
「どうしたらいい?」
「もうだめだおうちに帰りたい」
平成29年8月9日
穏やかな顔
眠っていた彼女が目覚めた時
顔を寄せて「この人だれだ」と聞くと
「パパ」と答えた
それだけで他のリアクションはなくまた眠りに入った
穏やかな寝顔である
昨日一昨日とは全く違う穏やかさである
鎮静剤が効いているのだ
平成29年8月9日
情けないまた入院となつた
病室で眠っている彼女の側に居る時
腹痛がしてきたが 先日の膵炎に罹った時の症状と同じような気がした
〇〇病院の院長先生に事情を話し血液検査をしてもらった
その結果アミラーゼの検査値が1万を越していたという
すぐ院長先生の指示で△△病院に再度の入院となった
彼女のこんな時に情けない
彼女のベッドに戻り
「ごめん また膵炎になったみたい 入院になるので来れなくなる。ごめんな」
というと 彼女は私をじっとみて頷くだけだった
譫妄であれ 私のいない処で苦しむ彼女がかわいそうで 院長に強い鎮静剤で眠り続ける処置を御願いし救急車で△△病院へ
大切な時に 入院なんて
前回もそして今回も
私の入院は 私だけでなく彼女もやりれなかったと思う
口にはださないが 私の看病をできないことが彼女としてはつらかっただろう
そして上の娘も
余命1ヶ月の母親が入院し父親もまた入院
会社勤めをしながら両方の病院を見舞うのである
家に帰ればに一人である
食事洗濯ごみ出し等々家庭の雑用もしなければならない
それ以上に家に帰った時父 も母も居ず一人でいることが不安で寂しかったことだろう
東京に居る 次女もこの半年しばしば病院に来てくれた
仙台駅から真直ぐに病院に来て彼女の看護をしてくれた
東京の家庭も大事だから無理に来るなというと言うと
主人も勧めてくれるからと
1週間も看護してくれることがあった
今回の自分の入院は本当につらかった
2度も
〇〇病院で余命1ヶ月ですと言われたのが6月
もう2ヶ月が経過している自分の入院中に彼女に万一があつたらと考えると気が気でなかった
辛いことだが万一のこと考えたを段取りをしておかないと一人留守をしている娘が困る
△△病院の看護婦に次第を話し
病院の一室を借り葬儀屋と彼女の葬儀の段取りを相談した
その後 病室に弟、妹と娘を呼んで
通夜、葬儀、法要について打ち合わせした
平成29年8月26日
17日ぶりの退院
今回も胆石をそのままに残し 炎症を抑えての退院である
胆石が落ちやすいようにと胆管入り口を切開したという
早く彼女の元に帰りたい私の願いを適える処置である
主治医は涙ぐんでその説明をしていた
都合により今日は自宅に帰ることとし 彼女の病院に行くのは明日になる
私の退院を彼女はどのように迎えてくれるのだろうか
平成29年8月27日
今夜より彼女の病室に
18日ぶりに彼女の病室に入った
眠っていたが頬をさすると目を開きしっかりした目で見つめる「お父だよ」というと頷いてくる
声をだせるほどの元気はない
「今夜からこの部屋で一緒に寝るから」というと
首を横に振るそんなに無理しなくていいよというジェスチャーだ
「大丈夫 今まで会えなかった分泊まるから」というと頷いた
昼は家で仕事があるから夜に来て泊まるというと頷いている
夕方病室にくると眠っていた頬をさすっても起きない
手を握っていれば無意識にも私を感じるかと思い握り続けた
突如 涙が出て止まらなくなった
胸元にはナースコールのボタンがあるがこれで看護婦さんを呼んだことはないという
彼女のおまじないなんだ
平成29年8月28日
側にいること感じてほしい
彼女の病室泊2日目
日中は自宅に戻り雑用をして宿泊となる
夕方戻った時は鎮静剤の効き目で一日眠り続けていたという
彼女の頬をなで
「ただいま」
「今夜も側で寝ているよ」というと
薄く目を開き二度三度頷きすぐ目を閉じた
意識は朧だと思うがこの夜は度々頬をなで手を握り続けた
側にいることを感じ穏やかな気持ちでいて欲しいから
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