若い頃は日に40本喫うヘビースモーカーだった。
煙草を喫うことを「紫煙をくゆらす」という文学的な表現があり映画のワンシーンにはよくみられた。実際、指の間に挟んだ煙草から立ち昇る煙を見ながら物思いに耽ったり緊張の仕事の区切りで喫う煙草の煙に癒されたりよい思い出が多い。(ただし25年前より禁煙している)
煙草を喫うことを「紫煙をくゆらす」という文学的な表現があり映画のワンシーンにはよくみられた。実際、指の間に挟んだ煙草から立ち昇る煙を見ながら物思いに耽ったり緊張の仕事の区切りで喫う煙草の煙に癒されたりよい思い出が多い。(ただし25年前より禁煙している)
今は、ほとんどの公共施設では禁煙となつているが、始まったのは10年位前だろうか。初めの頃、休憩時間には施設の外に喫煙者がたむろし紫色の煙が結構めだっていた。
今はそのような光景は見られなくなったが、先日セブンイレブンの外に灰皿が置かれ3人の人が煙草を喫っているのを見かけた。だが、指に挟んだ煙草からは煙がたっていない。煙草が口元から離れても煙がでてこない。煙のでない煙草となり「紫煙をくゆらす」という言葉は死語になつたようだ。
ちなみに「くゆらす」は「燻らす」と書くことを初めて知った。