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ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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2013GW奇譚 その5 観

2013-06-04 13:34:30 | 奈良
いまだにGWの話^^;
っつか、まだまだ続くんだけど。

5月4日は薬師寺さんで最勝会があります。
最勝会とは、日本三大会(南京三会)と言われる法要の一つ。
一つは宮中で行なわれていた御斎会(ごさいえ)。
一つは興福寺で行われていた維摩会(ゆいまえ)。
そして薬師寺で行われている最勝会(さいしょうえ)。
御斎会と維摩会は途絶えてしまっておりますが、最勝会は平成15年の大講堂の復興と共に復活したのであります。

最勝会では、護国経典とされる「金光明最勝王経」について講師(こうじ)が講義し、その後僧侶が経の内容について論議します。そして国家の繁栄と皇室の安泰を願い、国民の幸せを祈る法要となります。(最勝会の細かな内容はこのあたりをご参照ください → 

最勝王経と護国之寺(国分寺)に関しては、このへん → に少し書いています。

こちらの法要は夜の7時(19時)から始まりますので、日中はフリーなわけです。
で、早くから出かけて、ならら満喫♪ってしようと思ってたんですが。。。。お寝坊さんをいたしまして(っつか、早く起きたのにだらだらしちゃったのら^^;)、なんか微妙に遅い時間から出動したのであります。


問:どこへ?

答:當麻寺


當麻寺展へ行った時にスタンプラリーのカードをいただいたのでね、やはり行ってみようかと。。。ここんところ、中之坊しかお参りしてなかったけれど、ほかの塔頭にも行ってみるべ、的な。

でも、やはり出発した時間が時間なので小一時間しか拝観できなかったんですが^^;
小一時間で4つの塔頭お参りするのとか、無理だし(´・_・`)
それでもいいか♪ってことで行ってみました。

當麻寺展真っ最中なので、奈良博へ行脚されている仏様が多いんですが(笑)
それはそれ、お参りはお参りですから♪

数年ぶりで曼荼羅堂の中でのお参りをいたしました。やはり中は落ち着きますね。
ご本尊様の當麻曼荼羅・・・めっちゃ大きくって見上げないといけないのに・・なんであんなに威圧感がないんだろう。
壁とか箱(←箱言うな、お厨子と言え!)があの大きさで目の前にあると、圧迫感が相当あるのに。。不思議だねぇ。

奈良博でお会いした姫子ちゃんの坐像とか思い出しつつ、曼荼羅堂のお参り終了。
金堂、講堂へのお参りを済ませ、国宝の梵鐘を・・・と思って行ったら、既に拝観時間を過ぎていました^^;

中之坊の入口で、蓮花ちゃんがおいでおいでしています。

いつもと違うところ・・・って思ってたのに、蓮花ちゃんに誘われて中之坊へ(笑)
しかし、蓮花ちゃん可愛いよね。携帯向けたら「ニッコリ」風味に首をかしげて手を振ってくれました。
ゆるキャラっていうより、萌えキャラですよね。


さて、東塔を借景にいただいた新緑のお庭は・・・うーたんも飛び交って(笑)いつもどおりスンバラでした。

そして、いつもは咲いていないお花達。(←そんな時期にしか今まで行ってなかった^^;)

牡丹は盛りを少し過ぎたところでしょうか。
それでもとても綺麗に咲いていました。


黄色の牡丹って珍しいですよね。(え?そうでもない?)


鉄線も満開。
クレマチスって言ったら洋風に感じるけれど、鉄線って呼ぶと和風に感じる。不思議な花だねぇ。


これは何の花でしょう。桜のような葉っぱだけど、花はちょっと違う形状。
しかし、可愛いな。


すずらんも咲いてました。なんて涼やかなんでしょうね。


さて、これなーんだ。


黒臘梅と言うそうです。
しかし、春先にあのなんとも芳しい香りを放つ臘梅とは違い、香りは全然しませんでした。
時期の問題かな?

宝物殿はこぢんまりしているけれど、めっちゃ充実しています。
こちらの宝物殿、個人的に大好きなんです♪

しかし、このあたりで、タイムアップ。
っつか、當麻寺さんの拝観時間もアップのようです。
残りの2つの塔頭。。。行くよ、ちゃんと日を改めて!


で、この日の本来の目的地へ向かう。
薬師寺に着くと、既に先立のお坊様がお堂へ向かわれておりました^^;

やべぇ。急がねば!


花会式の時にも、練行衆の後ろを着いていくという失態をしたのでね。
かといって、お坊様を追い越すわけにもいきません(笑)


つかず離れず後ろをついて行くと・・・


お坊様方は東回廊へ向かってシャラシャラと進まれます。

おし。今だ!

オイラはショートカットで講堂前までスタタタ・・・と移動。


無事、入堂されるところを拝見することができたのでした(笑)

  
この方々が入堂されたあと、いよいよ行列が出発し、大衆、講読師、勅使が入堂いたします。
この先に入ったお坊様は、多分。。。お堂の中で大衆たちをお迎えする用意をしてるんだと思います。


こちら、今回の進行役の村上定運師。
今回初めての役どころで、少々テンパっているそうな。(全然余裕に見えましたけれど)


雅楽の音がかすかに聞こえ、次第に大きくなってきます。

 

 
一旦、席に着き堂内から呼ばれるのを待ちます。


加藤大覚師の宣言(?)でお堂の中へと入っていくのであります。

 

勅使の方の裾が長~いのを写したかったのですが、場所的にうまくタイミングが取れず激写は断念^^;
僧侶と勅使が入堂した後、我々一般ピープルも入堂。(したくない人は堂外からでもOKだよ)

僧侶の入堂から数えて、全体で小二時間程度でしょうか。
法要は粛々と進められます。
花会式の薬師悔過のような華々しい躍動感とはまた違い、最勝会は論じ合う厳かな感じです。それがたとえ子供の声であってもです。あれだけのことを覚えている小坊主さんに感歎しつつ、でもその中にちゃんと重さを感じる。こういった儀式特有の重厚さかもしれません。

5月とはいえ、日が落ちた堂内・境内は冷え込みます。
最勝会の法要が滞りなく終わり、お堂の外に出るとお松明が煌々と燃えています。

しばし火に温まってから(笑)帰路に着く。


帰り際、いつもと表情の違う夜の輿楽門を見る。

いつも不思議な気分になる。

駅への道を歩きながら、もう一度振り返る。
 
お写経道場へ向かう門の提灯に薬師寺の文字と下がり藤が綺麗に映えていた。


法要に参加させていただくと、背筋がピンと伸びる。
でも哀しいかな、凡人のオイラには西ノ京の駅・・・電車を乗るころには、このピンが弛緩してくるんですよね。
まだまだ煩悩様も我儘も押えきれませぬ。。。











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2013GW奇譚 その3 巡る

2013-05-11 11:58:25 | 奈良
さて、後半戦です。

以前テレビで見て以来、ずっと行きたかった場所があります。
それがこちら。

頭塔。
住宅街の中にデデーンとある、土の塔です。(っつか、住宅ができる前からそこにあるんですけどね。)春の公開時期にはホテルウエルネス飛鳥路さんの敷地から入ることができます。

この塔、土塔と言って日本には3基しかない珍しい塔なのです。(残りの2基は岡山県と大阪の堺にあるそうです。)

東大寺の実忠様によって造られたと記録が残っているそうです。
初めは東大寺の管理だったのかもしれませんが、遍歴はわからないものの国有化される直前には興福寺の管轄になっていたそうです。
しかし現在は東大寺さんが法要を営まれているそうで、なんだか巡り巡っているようです^^;。いつ法要が行われているのか気になって、ボランティアガイドのおじちゃんに聞いたんですが、結局、日取りは解らなかった^^;(情報プリーズ!)

北側半分は復元保存、南側半分は現状保存という、ビフォアアフター状態の史跡です。


一辺が30m、高さ10m、七段のピラミッド状の土塔は、奇数段に浮き彫りされた石仏があります。
幾つかなくなっているものもあり、その部分にはダミーの石を発掘調査された年数を刻んではめ込んであります。
写真は写メでも写るくらい非常に綺麗にレリーフが残っている石仏です♪

南側に回ると・・・

草葉にひそりと石仏が見えます。


小山の草葉に点々と石仏がある・・・これが史跡に指定された時の姿なんですね。
南側は山の傾斜が急な上、民家がすぐに迫っていることから、発掘復元調査をするのは危険との判断で現状保存となったそうです。


南側にあるこの五輪の塔のトコロで法要が営まれるんだって。


一応、こっちが正面ですね。
普段は民家の間にあるこちら側から入って見学することができます。(要予約)


奇数段には傾斜があり偶数段は平らであることから、作られた当初は瓦の葺かれた回廊を巡らせたような形状であったと考えられてます。
今は、石仏のところにだけ瓦葺。


見えるかなー。頂上部分にはお舎利を収めたと考えられる穴があるそうで、そこに五輪の塔があります。下から写しても見えないねー^^;
ホテルウエルネス飛鳥路さんに泊まったら見えるかな~。
このお舎利を収めた穴には焼けた跡があることから、一度落雷したことが伺えるそうです。


現在見えている石積み部分。
創建当初のものと、調査後に復元するために積まれたものとがあります。

板を挟んでその境界を区切っています。
下の部分が奈良時代に積まれた石です。
板を挟んで区切ることで、当時のままの部分がきちんと分かるようにしてあるのです。

ちなみにこちらの石仏の一つが、郡山城の石垣から発見されているそうです。
しかもそれは「仏様を連れてこよう」と思って持ってきたのではなく、築城にあたり、石垣に適当だったから持ってきたもの。
なぜそうだと解るかというと、石と石の間に逆さまに挟まっているそうです。
郡山城にも行かなきゃですね。

ボランティアガイドのおじちゃんを独り占めして、いろいろお話を聞かせていただきました。説明してくださったおじちゃま方、有難うございました。


さて次は、そのボランティアガイドのおじちゃんオススメの不空院を目指します。

途中で見つけたお店。

なんかええ感じ~。
今度はここでランチしてみよ~っと。

ぷらぷらと住宅街を歩きます。
そこで見つけた小さなお社。

赤穂神社と申すそうな。
御由緒を読んでみると、十市皇女様と縁のある場所なんだそうです。


更にテクテク。

こーんな雰囲気のある小路があったり・・・

門があったり。


飽きることなく周りを見ながら歩いていると、不空院に到着。
新薬師寺の近くにある不空院は、弘法大師が八角円堂を建立し、不空羂索観音を祀ったとされています。藤原広嗣が父を弔うために建てた興福寺・南円堂の雛形となっているそうです。
不空院の八角堂は1854年の地震によって倒壊してしまいます。今のお堂が再建されたのは大正に入ってからだとか。今でもお堂の下に八角堂の礎石はあるそうです。(見られませんが^^;)

ご本尊様の不空羂索観音様は、三目八臂のお姿です。こちらも南円堂の雛形となっているんだとか。不空院あっての南円堂なんですね。
とても穏やかなお顔で、三つ目の目は額にあります。もちろん、玉眼。
手にはそれぞれ宝具を持っておられますが、左の膝に置かれた手に持たれているのが「索」です。お不動さんも手に索を持っていらっしゃいますね。
「索」は、衆生を救うためにこの索を使うのですが、悔い改める事を表してると以前聞いたような気がします。(←いい加減^^;)
ちなみに右の膝に置かれた手に持っているフワフワの雲みたいなのが払子なんですって。オイラ、払子って名前しか知らなかったんですよね~^^;

ご本尊様のお隣には、めっちゃ可愛らし弁財天様もいらっしゃいます。
こちらも八臂で、琵琶などいろいろお持ちでございました。

弁財天を祀っていることから、この付近の技芸とも由が深いそうです。
悪縁を断ち、良縁を結ぶお寺としても有名で、境内には小さな鳥居さんがあり、縁切りと縁結びの神様を祀っています。
 
鳥居さんの足元にいるのは、なんと狛狸!!!
可愛い~(笑)
瀬戸内寂聴さんが書かれた「女徳」のモデルとなった高岡智照さんが最初に駆け込んだお寺が不空院だったそうです。(その後、久米寺で得度し、京都の祇王寺に移られます)


境内を一周して門の外に。
「秋にも多分公開するから、またおいで」とお寺の方が声を掛けて下さいました。

そろそろ陽が傾きはじめています。
あと一ヶ所行こうかな、どうしようかな。。。と思いつつ、小路を歩いていると・・・


今年の新薬師寺の修二会で使われたお松明を飾っているお宅が・・・
個人のお宅でしょうか、お寺関係のお宅でしょうか、それともお店???よくわかりませんでしたが、こうやってそれぞれのお寺で行われた修二会の名残が見られるのって、地元に根付いているんだなぁって感じられていいですよね。



ブラブラ歩きながらどうしようか考えていたら、浮見堂に出ました。
穏やかでいいなぁ。。。

結局近鉄奈良駅に向けて帰路に着き始めたんですが、途中に興福寺さんがあるんですよね。
そう、不空院の八角堂と不空羂索観音を雛形に作られた南円堂と北円堂が同時特別開扉されております。

思ったよより早く帰路についたので、まだ拝観できる時間に南円堂に到着しました。
せっかくなので、不空羂索観音様にお会いすることに。


閉館時間近くだったからか、参拝されている人数もまばらで、ゆっくり拝むことができました。
不空院の観音様より何倍も大きい南円堂の観音様。座してお厨子に向かう参拝と違い、見上げるようにしての参拝ですが、威圧感はまったくなく、とっても涼やかな眼差しで見つめてくださいます。ため息が出る美しさですよね。
不空院の不空羂索観音様は右足を上に組んでおられますが、南円堂の不空羂索観音様は左足を上に組んでおられます。冠も南円堂の方が透かしで凝った作りですね。小さな違い探し♪
でも、座っておられるぷっくりと幾重にも重なった花びらの蓮台は、同じ形に見えました^^

ちなみに、南円堂は靴を脱いでお堂の中に入ります。
その時、靴入れ用の袋をくださるんですが、これがかなり可愛い緑の袋。
多くの方が、手荷物入れに使って靴入れにしておりません。オイラも靴入れには使わずに、もって帰ることに致しました。



さて、せっかくなので北円堂もお参り。
んーーーー。。結構最近に北円堂はお参りしたような気がします。
ま、何度お参りしてもいいんですけどね^^

いよいよどのお寺さんも閉門の時間となりました。
粘っても拝観できませんので、サクサクっと帰ることに。


東向き商店街の中の南都銀行のトコロにある祭事の展示(?)

うちわ撒きのうちわの中に、山田管主の書かれたものが♪


大好きな村上豊さんのも!


そして松久保長老の書かれたものもありました(´∀`*)
左隣は永六輔さんですね。


商店街まで来ると、どうしてもぶと饅頭とかコロッケとか・・・餅飯殿に足を踏み入れたくなるんですが、それはまた別の機会にってことで。
5月2日、オイラ的GWの初日はこれでオシマイ。












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清酒発祥の地とお薬師様

2013-04-30 15:47:21 | 奈良
ずーっと行きたかったお寺の一つに正暦寺さんがあります。
大和真奈さんの「僧力結集」という本で確か知ったんだと思うんですが、こちらのお寺、清酒の発祥の地なんです。
それまで濁酒だった日本酒なのですが、このお寺で清酒にする技術が生まれたんですね。
日本酒好きとしては、やはりお参りしなければいけないでしょう?(笑)
しかもこちらのご本尊様、秘仏であられるんですが、お薬師さんなんですよね~。
春と秋に御開帳がなされますので、この機会を逃してはなるまい!ってことで4月28日・・・お不動さんの日に行ってまいりました。(別にお不動さんの日だからってチョイスではなく、27日は休日出勤になったので仕方なくなんですが・・・)

早めに出発したかったんですが・・・前日に貯めていた録画を消化したためお寝坊しました^^;
ゆっくり出発ではありましたが、ともかくJR桜井線の帯解駅を目指す。ここが一番の最寄駅なんです。

その名のとおり、帯解駅のすぐ近くに帯解寺があります。

古くは1100年前の文徳天皇妃がご祈願なさり、ご懐妊ご安産されたことにより伽藍を建立しお寺の名前も無事に帯が解かれたことから「帯解寺」となったそうです。
以来、皇族の方のみならず、江戸時代にはお江与の方もご祈願に来られ、竹千代君(後の三代将軍家光)をもうけられたとか。

美智子皇后様も雅子様、紀子様もこちらに安産祈願にこられている、由緒正しいお寺なのであります。

昔は大伽藍であったんでしょうけれど、今はこぢんまりとしたとても身近に感じられるお寺でした。


この日もたくさんの方が、安産祈祷・求子祈祷・御礼参りに来られていました。
お堂の中からは、読経が・・・
オイラは妊婦でも妊婦予備軍でもないのですが、ご祈願を受けていらっしゃるお経さんを溺れ聞くだけで、なんだかホッコリした気持ちになりました。
約2名ほど妊婦のお友達がおりますので、よろしくお願いしますとお参りしました^^

拝観もできたらしいことを今知った。。。リベンジ決定です(笑)

さて、一番のメイン寺までは帯解駅から4.4kmとありました。
出発が遅かった分、サクサクと移動せねば。


道しるべ。
さて、どっち?

答えは右側。

右の道を進みます。

のどかな風景です。
民家があったり、畑になったり・・・

しばらく行くと牛頭神社にたどり着きました。

今から正暦寺さんへ行ってきます!と報告して、再度歩き出す。


とってもいい天気で汗ばむくらい。
もうすぐ端午の節句です。鯉のぼりも悠々と泳いでたんですが・・・写メを撮ろうと近づいているうちに風がやんだ^^;
残念。


柳茶屋に到着。ここで半分くらいかな。
まだまだ歩かないといけませんよ。

テクテク歩くこと小一時間。


ようやく菩提山の文字が。

ここから更に歩いて行くと、泣き笑い地蔵様がお出迎えしてくださいます。

仲良く並んでいらっしゃいます。どっちが泣きでどっちが笑いかな。。。

どちらのお顔も、笑っているようにもクッと見据えているようにも見えました。

そしてようやく今回の目的地、正暦寺さんに到着です。

・・・っつっても、ここからもまだ歩くんですが(笑)

ガッツリ2時間歩いたので、まずはおトイレさんをお借りいたしました^^;
駐車場のおトイレさんは懐かしいポットンでした。

さて、いよいよ中へ。

まずすぐに見えてくるのが清酒発祥の地碑。
木陰で真っ黒に見える石にはこう記されています。

菩提酛創醸地

今ではお酒の製造はされていませんが、酒母の仕込みはされているそうで、その酒母で「奈良菩提酛による清酒製造研究会」に属する蔵元がお酒を作っているそうです。

ん?
もちろんGETいたしましたよ(笑)


福寿院の入口です。
紺碧の空に屋根が映えますね。ウキウキ気分でくぐって中へ。

拝観と御朱印のお代を納め、御朱印はお願いをして瑠璃殿へお参りです。
瑠璃殿はお寺の収蔵庫でもあるので、たくさんの仏様がいらっしゃるのですが、お薬師様は真正面に安置されております。

とってもお会いしたかった、お薬師様は・・・小さくて愛らしお顔でした。ちょっとね、笑っているような印象も受けます。
金銅製で、小さくてらっしゃる上にお厨子の中にいらっしゃるので、お参りの場所からはちょっと見えにくんですが^^;
踏み割蓮華という半分の蓮華に足を下ろした座ったお姿です。
薬壺は持たれていません。やはり奈良時代のお薬師さんは薬壺持ってない場合が多いようですね。
お厨子に薬壺が描かれていますか?って尼僧様にお伺いしたところ、得には描かれていないらしい。
「お見せはできないんですが、お背中もとっても綺麗んですよ」と尼僧様。白鳳時代の仏像は、光背がないのかな。背中がお綺麗な仏様が多いような気がしますね。(って、薬師寺の仏様くらいしか知らないんだけれど^^;)

座したお薬師さんの後ろにも、お薬師様がいらっしゃいます(笑)
踏み割り蓮華のお薬師様より大きなお薬師様です。室町時代の作っておっしゃってたかな。。。鎌倉だったかな。。。記憶が^^;
木造でいらっしゃるそうです。
こちらは立派な唐草のような雲気の透かしみたいな光背がついております。薬壺も左手にちゃーんと持っておられますよ~^^

両脇に立たれている木造の日光月光菩薩様は、明治の神仏分離の時に、三輪の若宮さんから来られたそうです。
かなり損傷が激しく、どちらの菩薩様も腕の先がありません。
同じくらいの大きさだし同時期に作らたらしいですが、作り手は明らかに違うと思います。お顔が全然違ったのでね。(尼僧様もそうおっしゃてました。)
薬師寺の日光月光様と同じ様に、腰を少し捻られた、たおやかな立像でございました。
文化財の指定を受け、近々修理がされるそうです。(といっても調査などをした後なので、
実際の修理は来年以降になりそうだとのこと。)
そしてこの日光月光様の修復に合わせて、本尊である薬師如来様を建立されるとのこと。
正暦寺さんは南都の焼き討ちの煽りで焼失し、その後、藤原氏の意向で復興、しかし江戸期には衰退をし、100近くあった塔頭のすべてが山に帰し、現在のお堂を残すのみとなりました。その長い歴史の中で、本来のご本尊であるお薬師様は失われたそうです。(現在は白鳳時代のお薬師様がご本尊様です。)
尼僧様が「お寺は祈りの場、学びの場であるのだから、やはりご本尊様に常にお出ましいただきたいと思うのです」とおっしゃってました。
今のご本尊様は秘仏でいらっしゃるので、本堂に常駐されていません。
どれくらい先になるのか解りませんが、本堂のお薬師様が落慶される日が楽しみですね。


客殿にはくーちゃんこと、孔雀明王様とその両脇に愛染ちゃんが2体祀られています。
そしてそこから眺められるお庭は、小さいながらもとても美しいのです。
京都の侘び寂びのお庭とは違い、生き生きと生命の息吹を感じるお庭だとオイラは思うのですが。。。

お庭自体は小さくとも、借景により山全体がお庭の一部となります。
この日はポッカポカのお天気でしたので、ずーーーーっと眺めていたい気分でした。
縁側にある欄間に施された絵は、奈良の山の四季の花々を描いてるんだそうです。(うまく写せそうになかったので写メナシ^^;)


金具がとっても綺麗なんです。
孔雀の羽根を思わせる、鮮やかな模様がめっちゃ素敵だと思いませんか~?


紅葉の時期が有名な正暦寺さんですが、この若葉が萌える時期もとっても素敵です。
受付にいらっしゃったお母さん(と勝手に思ってます)もとっても朗らかな方で、オイラがこのあと奈良公園へ行くって伝えると、わざわざ地図を出してくださいました。
秋にもまた来ますと伝えると「秋もとっても綺麗ですよ。でも山のこと寒いので防寒をしっかりしてきてくださいね」とのお返事。次回は防寒バッチリで来ますね。
そうそう、このお寺の中にぶんぶく茶釜がいました(笑)。お坊様は苦笑いされてましたけど。いわゆる年代物の文化財ではありませんが、気になる方は探してみてください。


尼僧様とのお話や不動堂の護摩を焚く音を思い出し、秋に再度来ることを楽しみにしつつ、満足気分でお山を降りたのですが。。。このブログを書いてて気づきました。
オイラ、本堂へお参り行ってねぇ^^;

マジカー(((゜Д゜;)))

そんな訳で、何が何でも、秋に行かなければならんとです。



さて、そんなこととはツユも思わず、気分よく奈良公園へ向かうオイラ。
途中で道の真ん中で、でーんと居座るワンコに遭遇しました。

畑仕事をするお母さんを追って来るんだそうな。

そして、我が道をゆく忠犬は。。。車が来たって不動なのであります。
車が避けておりました(笑)

奈良公園への道すがら・・・

シャガが満開。(っていうのかな?)道端に沢山咲いておりました。


筍だって、竹に進化中です。

かなり歩いて疲れた頃、崇道天皇陵を発見。

崇道天皇ってどんな天皇様?
無知なオイラは知りませんでした。

ご存知でした?
早良親王様の追号なんだそうです。
もろもろの祟り事件の後、この場所に移葬されたんですって。今回オイラは知らなかったので行かなかったけれど、この近くに親王を祀るお社もあるそう。

御陵に手を合わせて今日はこんなんしてましたって報告した後、ほんげら~と休息してたオイラを、崇道天皇はどうご覧になったでしょう。
平和じゃのぉ。。。そう言って、眉間に皺を寄せてこめかみをクリクリしてたのかもしれませんね^^;
ちゃんと認知したので、次はその心構えで手を合わせます。



お庭の花を備えているのでしょうか、道端のお地蔵様です。


少し日が落ちて風が出てきたので、鯉のぼりも元気よく泳いでました。

五時半頃にようやく奈良公園に到着。
ブランチで出てきたので、この頃には腹ペコでした。

鹿ちゃんに持ってきたじゃがいもの革とかりんごの革とか、キャベツの芯などをあげる。
その途中、転んで負傷しました。(別ブログ参照 → 
最後の最後で、とほほなオイラ。
っつか、転んだの崇道天皇様のせいにしちゃぁ「自分の不注意を祟にするな!朕の祟はもっと高尚じゃ!」って怒られるよね(笑)


この日の夕陽はまん丸でとっても綺麗でした。
携帯では光が散ってしまって、あの丸の輪郭が写せませんでした。残念。


近鉄奈良駅に着くと、行基様の噴水の屋根が完成してました。
出来るまでは、行基様に屋根はいらないと思うって思ってたんですが、思ってたより・・・いいかも。と思いました。
皆様はどうですか?


駅の売店で絆創膏を買って、ようやく傷口にペタリ。(それまでは、ティッシュをギュッと掴んでました)


この日の移動距離、8~9kmほど。
うーん。流石に疲れました。











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雪柳を愛でに

2013-04-23 16:07:56 | 奈良
まだ桜が満開だった頃、、、少し前の話です。

ツイッターのつぶやきで、とある情報を得たので、これは行かねばなるまい。。。と重い腰を上げたんです。
本当に重くって、14:00を過ぎてから出発とゆー^^;
お寺の拝観ギリチョンでございました。

行き先は海龍王寺さん。

新大宮からテレテレと歩いて佐保川を越えます。
両岸の桜が満開。
佐保姫だぁと思わずにはいられない風景でした。


うろ覚えだった道ですが、特に迷うこともなく海龍王寺さんに到着。


境内は溢れんばかりの雪柳です。
ちょうどご本尊様の十一面観音様の御開帳でもありました。
雅なお姿を間近で拝見させていただく。切金模様や装飾品の透かしなど、ホントため息が出る美しさですが、特に素晴らしいのはお顔ですね。柔らかな眼差しでありながら、どこか凛とした強さもあって。遣唐使の時代より、航海の安全をずっと見守ってこられた観音様のお顔です。(この観音様自体は光明皇后が刻まれた観音様を鎌倉時代の慶派の仏師が模して作ったもの)
十一面と言いつつも、正面から見えるお顔は10面です。後の一面は頭の後ろ側にあると考えられております。
お厨子からお出ましになったことがないため、まだ確認がされていないんですって。
お厨子の前には、世界各地の海水を入れたガラスの器があり、四海安全祈願をされています。東日本大震災の被災地、女川の海水もその中の一つに入っています。


西金堂にある国宝の五重小塔。
ミニチュアの塔と思うなかれ。この塔、大きさは通常の塔より全然小さいのですが、その造りは、本物の塔と全く同じなんだそうです。これは愛でるために作らたおもちゃのようなものではなく、限られた敷地の中に大寺院と同じ様式を保つために作られた、伽藍の一つとしてきちんと建造されたものであると考えられているんだそう。
この小塔も美しくて見飽きないんですが、今回気になったのは西金堂の屋根。
切り妻なんですよね~。よく見るお寺の屋根って入母屋か寄せ棟じゃないですか。周りの僧房とかなら切り妻もあるんですが。。。金堂で切り妻って初めて見た気がします。
それとも、オイラが無知なだけで意外とあるんでしょうか?ちょっと気になるところですね。


こんな可愛いお花も咲いてました。
なんていう名前か解りませんが可愛い~♪


本堂を正面から。


参道から入ってすぐにあるお地蔵様。
桜と雪柳に彩られてとっても綺麗です。

さて、この日のお目当ては特別開帳されている十一面観音様にお会いするの以外にもう一つありました。
そう、例の情報・・・それは・・・


ピンクの雪柳でーす!
場所がわからなくて、受付をされていたお寺の方に聞いたんですが、入口のすぐ脇にある数株の雪柳だけがピンクになるそうです。


咲いちゃうとほとんど白に見えるほんのり淡いピンクになるんですが、蕾や花を裏側から見るとピンクを感じることができます。

 
オイラが行った3月30日は、既に満開を過ぎ散り始めでございましたが、それでもとっても綺麗でした。

ちょうどお寺から出てこられた女性と話すきっかけがあったので、雪柳のことをまるでめっちゃよく知ってる人みたいに教えてあげたんですが、なにか?(笑)
しかもこの方、薬師寺さんもめっちゃ好きって仰るので、その後意気投合して新大宮の駅までご一緒してしまいました(爆)
連れ合いをなくされてから、大好きな奈良に横浜から移住されたそうです。いずれはご家族のいらっしゃる横浜に戻られるようですが、第二の人生、元気なうちに沢山の奈良に触れたいんだとおっしゃってました。めっちゃ素敵な方ですよね。憧れちゃいました。
また、奈良の街のどこかで遭遇できるかな~。。。なんて♪

新大宮の駅でお別れし、オイラは5時も回ろうという時間から奈良駅へ。
鹿ちゃんに会いに行ってきました(笑)


氷室神社も今が盛って感じ。


奈良県物産展陳列所の枝垂れもスンバラです。

鹿ちゃんともしっかり戯れましたので、帰路に着く。。。
つもりが、餅飯殿のお肉屋さん「おかにし」さんのコロッケに引き寄せられる(爆)


そしてGET♪
パクついた分以外に、おウチ用に5つGETし、ようやく帰路についたのでした。


東向きで出会ったお薬師様。(となりにお水取りの展示がされてました)
この日から薬師寺で修二会が始まります。
時計を見ると、初夜の法要に間に合う時間。

行くか?

一瞬行こうかなって思ったんですがね、左手にしっかりアツアツ揚げたてのコロッケ(5個入り)持ってるわけですよ。
コロッケの香りをプンプンさせながら法要に行くのはNGですよね。

そんな訳で後ろ髪を引かれつつも、おとなしく帰宅したのでありました。









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四季を司る女神さま

2013-04-09 17:08:27 | 奈良
最近気になって調べている事が、四季の女神さまのこと。
日本には四季があって、それぞれに女神さまがいらっしゃる。

最も有名なのはやはり春の佐保姫でしょう。それに対なす秋の竜田姫もまた有名。
どちらの女神さまも大和の佐保山(現在の法華寺町付近)と竜田山(現在の生駒郡三郷町西付近)にいらっしゃいます。
佐保姫、竜田姫ほど有名ではありませんが、夏と冬にもちゃんと女神さまはいらっしゃいます。
夏は筒姫、冬は宇津田姫(黒姫とも白姫とも)。
でもこのお二人の女神さまの資料って、ほとんどないらしく・・・どこのどの文献に載っているのかさえ見つけられませんでした^^;

平城(なら)の都の東西に位置する山に佐保姫と竜田姫がいらっしゃることから、南北にあるどこかの山(もしくは山であった場所)に筒姫と宇田津姫がいらっしゃるらしい。

四季の女神さまの考えは、五行思想に基づいて例えられているそうです。

筒姫、宇津田姫のいる山だけでなく、今では佐保山も竜田山もココと確定できるモノはないそうですが、それでも間違いなく四季は巡ってきます。

すごいですよね。

陰陽五行説とかあまり(とゆーか、全然)詳しくないんですが、太極図って、気が発して次第に大きくなり、それが地に潜ってまた芽吹く姿を現していると、遠い昔にお花のお稽古の時に聞いたような気がします(笑)
芽吹いた草木が葉を茂らせ成長し、花咲き実を付け、落葉し土に帰る。でも翌年にはまた芽吹く。。。この自然の姿が対極図なんですね。

そんな自然の中にいらっしゃる女神さま達が気になって仕方ない。


3月30日に海龍王寺さんへ行った時、佐保川の桜が満開でした。

あぁ、佐保姫だぁ・・・と思いながら、しばし足を止め魅入っていました。
以前、嵐山の桜のポポッと咲いている山を見て「山笑うってこれだ♪」って思ったのと同じ感動。

4月7日に透かし彫りを見に行ったあと、薬師寺→奈良公園とぶらぶらしに行ったのですが、その途中の電車の中から見た佐保川の桜は、前日の嵐ですっかり散っていました。でも視線を落とせば川面は一面の花筏。
女神さまは粋だなぁとホッコリ思った次第です。


そうなると、筒姫はどんな姿を見せてくれるんだろう、竜田姫にも会いに行かねば、年末には宇津田姫にご挨拶して・・・と夢が膨らみますよね。
竜田姫に会える場所はわかっているので、筒姫と宇津田姫の居場所を探したいと、そう思うオイラなのでありました。

しかし、情報が・・・^^;
どこを探せばいいのやら。
女神さまの載っている文献をご存知の方は、コメントプリーズ!(←切実)





花会式を終え、静かに佇む薬師寺金堂。
っつか、風が強くって扉が締まってました。

奈良公園をサクサク歩きながら、鹿さんに持ってきた蕪の皮やほうれん草の根っこをあげる。
ちびンこやお母さん鹿になるだけあげるように頑張るけれど、鹿に見つかると取り囲まれるので要注意。


遠くに春日さんの鳥居


陽がどんどん落ちてゆきます。


佐保姫の裳裾は、こんなトコロにも彩を残しております。









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花会式 4日目  参籠

2013-04-03 11:53:14 | 奈良
2回目の花会式は4月2日の4日目に参りました。
例年は初夜半夜の法要にばかり参加していたのですが、今回は会社を一日お休みして、聴聞をメインに日中日没・初夜半夜・後夜晨朝とガッツリ法要に浸りました。

この日は蒔絵の般若心経の奉納があったのですが、蒔絵で文字ってすごい挑戦だったそうです。(初めは無理って断られたんですって。しかし、書家の想いが優ったのでありました)
蒔絵体験をしたことあるんですが、漆って墨のように伸びないんですよね。素人のオイラが言うのもなんですが、文字を書くのはとっても大変だったと思います。

日中日没の法要は堂内が明るくって全然雰囲気がまったく違います。
もちろん、お経さんの編成も違いました。雨が降りそうなお天気でしたが、やはり明るい堂内に舞う散華はとても綺麗ですね。

法要の後は、雨を考慮して東院堂で奉納されている狂言とお能を見に。
んが、東院堂満杯!床が抜けないか心配なくらい満員でした^^;
演目は、狂言は「鬼瓦」で、あきらさんと丸石さんが演じられました。これは少し見えました。
お能は「花月」で、観世喜之さんがシテ、プク王和様(福王和幸さん)がワキでした。アイは童司くんだったのですが、お能はほとんど見えず。。。大鼓(おおかわ)が哲っちゃんだったんですがこちらもさっぱり見えませんでした^^;
残念だったのですが、ならば・・・と言うことで、村上太胤師のご法話を聴きにお写経道場へ。

ご法話のテーマは「花会式悔過について」でございましたが、花会式のお話は終わりの方にちょこっと。大部分は奈良のお寺の有り様と空(唯識かな?)の教えについてを笑い満載でお話して下さいました。
太胤師の幼い頃のお話は、何度聞いても笑いと切なさの涙が止まりません。
一つお話の中で気になったのが、興福寺のたとえの時に神仏分離を廃仏毀釈と話されていたこと。西山先生のお話を聞いて間なしだったので、太胤師のおっしゃってることは多分、廃仏毀釈ではなく神仏分離のことではないかと思いました。さすがに挙手して突っ込むことはできませんでしたが(笑)

ご法話のあと、参籠をする人の受付及び説明があり、夕食を頂きました。

薬師寺の名前入りのお弁当です。


蓋を開けると、こんな綺麗な精進料理です。
古代米のご飯に、炊き合わせ。青菜の胡麻和えに胡麻豆腐の揚げ物。。。どれも非常に美味しいでした。ボリュームもしっかりありましたよ。
お味噌汁は具だくさん。分厚いしいたけがめっちゃ美味しいでした。

さてお食事が終わると、三々五々宿所へ向かいます。
男性はお写経道場、女性は慈恩殿です。
初夜半夜の法要の前後に沐浴タイムがあるのですが、オイラは朝風呂に入ってきていたので沐浴はしませんでした。でも湯殿は覗いてきましたよ。
想像していた湯殿より広いでした。浴槽の縁は木で作っていると勝手に思い込んでいましたが、木でありませんでした(笑)
沐浴をしなかったオイラが何をしていたかというと、慈恩殿で接待をしてくれていた青年衆の方とお話を。
どこから来たの?とか、どうやって青年衆を知ったの?とか、どんなことしてるの?とか、そりゃぁもう、いろいろ。
親しみのある中にも丁寧な受け答えと、参籠する人たちそれぞれの為を思った案内で本当にお世話になりました。
高校生と大学生・・・今日日の子は!なんて言いますが、みんなとてもいい子ばかりでした。やはり志というか、そういうのを持っている子は芯がシャンとしてるんでしょうね。
オイラも青年衆に入れて欲しいなぁ。。。。

初夜半夜の法要は、雨がそぼ降る中で行われました。
シトシトと雨音が聞こえる法要も趣があります。
日中日没は西で聴聞したので、今回は東で聴聞致しました。
蝋燭の揺れる堂内は厳かで、昼間とは違った表情です。そしてなんといっても呪師走。
お隣に小さなお子様を連れた方座られたんですが、あの子は小坊ンちゃんでしょうか。多分、お稚児さんにいらしてた子だと思います。どなたかのお子さんなんでしょうね。
妹ちゃんもお利口にしてました。さすがに長時間は無理ですけれど。あの太鼓の音や鐘の音にも泣かないって、かなりの強者だと思う。
どちらのお子ちゃまもめっちゃカワイイでした。(←悔過に集中せず、煩悩まみれなオイラ^^;)
あ、そういえば、今回初めて呪師の方の持つ刀が当たる音を聴きました。あの刀、やはりホンモノなんですね。
切れるのかな?さすがに切れないかな?気になる。。。

初めて法要に参加させていただいた時には小っ恥ずかしかった「南無薬」の絶叫。
今ではガッツリ叫ばせていただいてます。

法要終了後、宿所に戻り22:00には仮眠。
すごく眠いのに、なかなか寝付けませんでした。やっぱ、興奮してたのかな?


翌日、2:30に起床。
3:00からの後夜晨朝の法要に参加です。
電車の音も車の音もしない真夜中。丑三つ時は神様に一番声が聞こえる時間だと言われるように、お薬師様にもよく届くのではないでしょうか。

お堂に朗々と響き渡る声が、体の中にもどんどん沁みます。
ひらりと散華がオイラの目の前に降ってきました。ありがたや。

それぞれに、違う雰囲気の法要。
本当に貴重な経験でした。

晨朝の法要が終わって外に出ると、ちょうど5時の鐘を撞くところでした。
渾身の力で鐘を撞くんですね。見ていて感動でした。
合掌しながら5つ鐘が鳴るのを聴いてから、宿所に戻り、ちょいと休憩。
朝食までに小一時間あるので、再度寝る人が大半でした。

そーして、念願(笑)の朝食

茶粥でーす♪
祖母は奈良の人だったので、よく茶粥を食べてました。亡くなってからは…もしかしたら初めてかも!
懐かしい思いと共にいただきました。

お箸をつける前に、少しだけ小皿にお粥を取ります。
これは「以粥施(いじょくせ)」と言って、小鳥たちへの施しとなるのです。

お代わりありますよってことでしたので、練行衆の方たちのお下がりをいただきました。
なんだかご利益ありそうじゃね?

ちなみに梅干しが近年まれにみる酸っぱさでした。
梅干しの本来の力を発揮された気分。。。


after。。。
はじめてにしては、綺麗に食べれた方?かな(笑)

食事の後、解散とのことなので、お世話をしてくれた青年衆の方にお礼を言って、薬師寺を後にしたのでした。


朝7時ごろの輿楽門。
なんだか清々しいですね。
オイラはこのまま出勤。行ってきます。


ん?よくよく考えると、初奈良お泊りでございました。








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花会式 2日目 お稚児行列

2013-04-01 16:45:53 | 奈良
今年も花会式の時期になりました。
姪っ子もずいぶん大きくなりましたが、今年もお稚児行列に参加させて頂きました^^

お天気は、10時頃に雷と共に霰が降ったそうなのですが、オイラ達、まだ電車の中だったので全然気づきませんでした。
西の京の駅についた頃には、霰も雨も止んで、花曇りとなっておりました。



受付を済ませ、お弁当をいただき、まずは腹ごしらえ。
姪っ子の好きな散らしです^^
ガリは辛かったらしく、ママに渡して代わりにレンコンと蕗を強奪してました(笑)

TOPの写真の様に、お稚児さんの衣装を着けてもらい、いよいよ行列が始まります。


天理大学の学生さん達による雅楽の音色に導かれ、お稚児さんもゆるりゆるりと進みます。


ママと一緒に姪っ子もシャナリシャナリと*^^*

中門でお稚児行列は一旦停止し、練行衆の皆様をお迎えします。
練行衆が堂内へと進み、その後をお稚児さんもシャリシャリと続いてお堂の前に。
呪師が鐘を鳴らしお稚児さんを清めます。(このあたり、舞台の奥の方であまりよく見えないんです^^;)

雨に合うこともなく、無事にお稚児行列は終了。


姪っ子達お稚児さんは、ひと仕事終えて・・・衣装は着崩れてヨレヨレ(笑)
こどもの体って、重ねがすぐに滑っちゃうんですよね。どの子も、冠、烏帽子、狩衣とズルズルになってました(苦笑)

着替えに戻る途中、お寺の事務の方が声を掛けて下さったので、東僧坊にいた大淀町のマスコット、YODORIちゃんと一緒にお写真を撮ることができました^^

サクッと着替えを済ませ、恒例のうーどんをいただきに。


今年は薬師うーどんではなく、でっかいお揚げうーどんでした。
薬師うーどんもめっちゃ美味しかったけれど、今年からのでっかいお揚げうーどんもとっても美味しいでした♪


姪っ子、一人でペロリ。

うーどんを食べた後、桜の花びらを拾いたいと姪っ子ご所望でしたので、休ヶ岡八幡宮へ行こうと思ったんですが、エイサーの奉納が始まりました。


太鼓の音を聞くやいなや、真っ直ぐ金堂前へ向かう姪っ子。
学校で太鼓クラブに入っている姪っ子、エイサーに釘付けでした。

じっくり奉納を楽しんだ後、ようやく休ヶ岡八幡宮へ。


線路を隔てた休ヶ岡八幡宮への参道には、桜が咲いているんです。
薬師寺から休ヶ岡八幡宮へと行く途中のしだれ桜はみんなが目に止めるんですが、参道の桜は意外とお薬師さんへ来る人でも知らない穴場なんですね。


規模は小さいですが、桜のトンネル。
ひらひら舞う花びらを、姪っ子一生懸命拾ってました。


薬師寺さんへ引き上げようと、休ヶ丘八幡宮の境内に入ると、ちょうど和太鼓のお稽古をされてました。
なんと、稽古をしていた方が「上がり~。太鼓打ってみるか?」と声をかけてくださったんです!


照れ屋のあー介さん、バンバン腕前を披露することはできなかったけれど、おじちゃんたちと一緒に太鼓を打たせてもらいました。
写ってないけれど、右側にも太鼓打ってるおじちゃんがいて、姪っ子と同じ太鼓を一緒に打ってくれたお姉さんもいて、左の端にはちゃんとチキチンの間を入れてくれるおじちゃんもいたんですよ!

YODOYIちゃんと撮影できたり、和太鼓を打たせていただいたり、、、本当ラッキーでした。
帰り道、エイサーのお兄さんにも遭遇。
花会式を満喫した一日でした。








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↑花会式とは薬師寺で行われる修二会。東大寺さんのお水取り同様、お薬師さんへ一年の穢れを悔過する法要を7日間行います。私たちに代わって一年の穢れを懺悔(さんげ)してくださっている練行衆の方たちに感謝を込めて、ポチっとな☆

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東大寺 修二会 その2

2013-03-08 15:11:50 | 奈良
声をかけさせていただいた方は、ほんとうに良いお方で。
お母様と修二会にこられたんだそうです。
こぶ平さん(今は正蔵さん)に似た感じで、とっても優しそうな方でした。以降こぶちゃんと呼ばせていただきます。

さて、二月堂の西局(にしのつぼね)で日中の行法を行われるのを待つオイラ。
西局はいわゆる二月堂の正面です。格子戸の向こうに大きな扉がありまして、その前に向かって右側に五体投地の台(五体板)、左側に数取懺悔の畳があります。中央には高めの台みたいなのが置いてあって大きな鉢みたなのが置いてありました。

11時前くらいかなぁ。大きな鉢を取りに来て、11時半から食堂作法なのでそのまま食道へ行った模様。
食堂作法も見たかったけれど、あれもこれもは一回には無理ですから、オイラはおとなしく西局で待つのでありました。

ちなみに、こぶちゃんも食堂作法は見に行かずに、舞台の上から生飯投げ(さばなげ)を見ていたようです。(この頃はまだ、こぶちゃんに声をかけた程度)

しばらくして、練行衆の方が上堂され、目の前の扉が開かれました。扉の奥が内陣です。
扉の内側には白い長い布が垂れ下がっており、内陣が見えないようになっています。その端っこをクルクルっと巻き上げて、内陣の清掃が始まるのです。
なんか、内陣からいっぱい掃き出されてくるんです。小さな白い紙切れのようなものと粉が入り混じったモノが・・・あれはなんだろうと思いつつ、掃除風景を眺める。
外陣と内陣とは扉で隔てられ、橋を架けてあるんです。橋とゆーのは、大きな扉の前の部分が一段下がった造りになっているので、そこに板が架けられて橋の役割をしているのであります。
その一段下がったところに内陣から掃き出されたもろもろを落とし、大きなちりとりで集めてお堂の外に持っていきます。
内陣を掃くのは練行衆の方。内陣外は練行衆の身の回りのことをする人(←役名が解らない^^;)が担当されてました。

内陣が清められて、クルクルっと巻き上げられていた帳が降りて(端っこの方の少しだけ巻き上げた状態まで帳が下がります)、いよいよ行法の始まりです。

帳の奥で。。。ボツボツボツ・・・と低い声で声明を唱えているようです。隔たりがあるので外にはあまり中の声が漏れてきません。
途中で大きな声明になったり、小声になったり・・・節回しもお薬師さんで聴くお経さんとは全然違います。
途中で内陣を回ったり、出てきて何かを取り替えたり・・・いろいろ作法があるようです。

宝号を唱える頃にはだんだん大きな声になり「なむかんじざい」と言い出すと、南無観のコーラスへと突入。オイラが一番聴きたかった部分です。だんだんとスピードが増し練行衆の方がどんどん没頭していくのが感じられます。
「南無観」を何度も何度も繰り返すあたりは、聴聞しているオイラもトランス状態(笑)
南無観とは、南無観自在菩薩の事。興奮のあまり縮まって言われてるんですね。
花会式の時の「なむや~」と同じです。(こちらは、南無薬師如来が縮まって「なむや」になってます。)

南無観コーラスの後、一人の練行衆の肩が出てきて五体投地が始まります。

五体投地を間近で見たんですが、ものっそ迫力!ってか、痛そうです。
いわゆるインドの巡礼で見るような、中国やチベットのお寺で見るような五体投地ではありません。
大きく弓のように体を反らせた後、右の脛を中心に全身を五体板に打ち付けるんです。(右膝を着いたような格好になります)
聴聞の人たちの小さなため息のような感嘆の「おぉ」が漏れ聞こえます。

五体投地の後しばらくして、数取懺悔が始まります。

数取懺悔は毎日あるのではなく5、7、12、14日にだけあるそうです。
畳が敷いてあるのと「数取」という響きだけで、勝手に箸で豆を右の皿から左の皿に移す様な作法をするって思い込んでました。(←まなさんのブログで「激しい礼拝」って予習しているのに、思い込めるところがすごいでしょう?)
目の前の格子が少し開かれ、数取懺悔が始まりました。(チョーラッキーでしょ♪)
体を大きく反らせ、弓なりの姿勢から腰をかがめて礼拝する。
五体投地の様な痛みはありませんが、数回続けて休むことなくこの礼拝をするのです。
練行衆といえども行中に過ちがあったりするので、それを懺悔しているのだそうです。
独特の数え方で「千遍」「二千遍」「三千遍」と数えていきます。
どうやら4の数字は飛ばしていたようです。
数え方を調べたらこんな風に数えているらしい・・・

「同時に、
  一遍、 二遍、 三遍、 五遍、 六遍、 六遍、 七遍、 八遍、 九遍、
  十遍、二十遍、三十遍、五十遍、六十遍、七十遍、七十遍、八十遍、九十遍、
  百遍、二百遍、三百遍、五百遍、六百遍、七百遍、八百遍、八百遍、九百遍、
  千遍(せ~んべん)」
これが1セット。

これで分かるように、位が上がると途中を飛ばすんです。
そして、「四」が避けられます。
そのかわり「六遍」、「七十遍」、「八百遍」をダブルカウント。

(ブログのちょっと奈良までいってきます を参照させていただきました。ってか、こちらのブログ、めっちゃ素敵!お気に入り登録しちゃった♪)

こんなからくりがあっても、このセットを3回もするので、ものっそしんどそうでした。


あ、ちょっと余談ですが、この数取のときに数を数えていらっしゃったのが堂司さんだったらしいのですが、びっくりするくらいええ声の方でした。
いやね、帳の中でお経を読まれている時にも、一人ものっそええ声の人がいたんですが。
いかんせんお顔は見えませんからね、気になってたんですよ。
謎も解明されて、ホクホクです(笑)


日中の行法が終わると、西局にぎっしり詰まってた聴聞の方が三々五々散っていきます。
気づくとこぶちゃんもいなくなってました。(後から聞いた話だと、北局に移動されてたんだって)

もう一度内陣の清掃が始まります。
そして日没の法要となるのです。

何がどう違うのかはわからないんですが、日中の時とお経の読み方が違う気がします。
南無観のテンポも微妙に違う気がします。
何ぶん初めての悔過法要なので、どこがどう違うかさっぱりわからないんですよね。何度もお参りさせていただくと違いがわかってくるのだと思います。
毎年一回は来ないとなぁ~。

日没の法要が終わり遅昼へ出かけようとした時、内陣から出てきた件の「モノ」と遭遇。

こちらがその「モノ」
小さいものなので見えにくいですが、お堂の職員さんに聞いたところ、櫨の実だとのこと。
元々は米を撒いていたようですが、手に入りやすいもので櫨に代用されたのではないかとのことでした。(本当のトコロは解らないですけどね。)
この櫨の実とお香を撒いて内陣を清めているそうです。いわゆる、畳を掃除するときにお茶っ葉を撒いて汚れを引っ付けながら掃除しるのと同じで、ハゼの実とお香に穢れや埃をくっつけて内陣から出す・・・ということらしいのです。
くしゃくしゃになっている紙は、油などを拭き取ったあとだとのこと。
どこに油が?って思ったんですが、お灯明の油なんですって。

オイラと同じようにこの「モノ」が気になっている方がいました。
係りの人に聞いてらっしゃったので並んで一緒に聞いていると。。。なんとこぶちゃんでした(笑)

日中が始まる前に話していたこともあって、なんとなく意気投合。
その後の予定を話し合ったところ、こぶちゃんも初夜からの法要をお参りされることが判明。ご一緒に居られたお母様は、日没で帰られるとのこと。
北局でご一緒することにしました(笑)

遅昼に行くオイラにこぶちゃんはこんなものを教えてくれました。

じゃーん。さだまさしさんの奉納されたお松明。8日に使われるそうです。
その後、被災地に持っていくらしいです。


練行衆の方は初夜までの間に湯屋へ行き仮眠を取るそうな。
その湯屋の横では餅つきしてました。
8日の壇具になるそうな。


おくどさんで蒸し上げられるもち米。

一旦こぶちゃんとお別れし、オイラはお昼を食べに。。。どこで食べれるかなぁ~って探してたら、二月堂のすぐ近くの茶店が開いていたのでこちらで食べることに。
ものっそお腹空き空きちゃんだったので、ガッツリ注文。

かやくご飯とあんかけ玉子とじうーどん♪
なんだか、ベロンゴックンの勢いで食べちゃいました(笑)

早々に二月堂に戻り、お堂の周辺をゆっくりめぐります。来た時は法要法要!って思ってゆっくり見てなかったので^^;

舞台の欄干に行って奈良の街を見渡していると、となりの方が「お帰り」って声をかけてきました。こぶちゃんです(笑)
こぶちゃんはオイラがお昼に行っている間、奈良の街を見ていたようです。
そのへん回ってきます!とこぶちゃんに言って、お堂を回りだすオイラ。

こんな吊り灯篭、ぜんぜん気づかなかった~。


垂木の重なりや、柱の重なりを見るのは大好きです。
綺麗だよね。


正面の額


舞台から見た奈良の町。


お堂から参籠宿所へと続く階段には、この日使われるお松明が用意されてました。


いたる所に張られている結界。
これは服忌令という決まりで、穢れを忌むために修二会の間は服喪中の人は入ってはいけないというもの。僧侶はもちろんお堂の職員の方もこの結界内に入れないんですって。


食堂で練行衆の方が食事を取られる時に使う食器。。。だと思う。


蒸されるのを待つもち米たち。


これ、井戸なんですけど。。。


釣瓶はこーんな感じで上げ下げされるんです!!


今回初めて知ったこと。
お松明に使われる竹って、根っこから引っこ抜いてくるんだ!!


お松明を見るところ、柵が設けられています。


手水には十一面観音様の梵字「キャ」が。。。
ここのお水は飲めません。

ぐるぐる回って疲れたので、北局で場所取りがてら休憩する。

しばらくするとこぶちゃんも休憩にきました(笑)
局の中でこぶちゃんといろんなお話をしながら時間潰し。
こぶちゃんは28日の別火にもこられてて、前日にも来てたらしい。で、ビデオでいろいろ撮していたので、オイラの見られなかった食堂作法や生飯投げなどを見せてくれました。
やっぱり何日か通うのっていいなぁ。。。
こぶちゃんは地元なので、お仕事の帰りに聴聞に来ようかなって言ってました。羨ましい。。。いや、オイラも聴聞だけなら聴きに来れるか(爆)

実はこぶちゃん、この日は娘さんが修学旅行から戻って来る日だったらしい。。。でも、「パパは修二会を選びました!」って笑って言ってました。
娘さんに怒られてないかな?

こぶちゃんと話してたので、待ち時間もすぐに過ぎていきました。
で、初夜。

西局から見てた外からの法要と違い、内陣の一部が見えるので、これまた神秘的です。
局にいるので、お松明を見ることはできないのだけれど、お松明の爆ぜる音や焦げる匂いはわかります。
次々に内陣に入ってくる練行衆。差懸の音が響き渡ってなんだか荘厳です。
全員が内陣に入る=お松明終了なので、このあたりからお外がザワザワ(笑)
お松明を見た方が聴聞のため局に入ってきます。

なんていうんでしょ。
ある意味、奈良時代のおおらかさでしょうか。。。ザワザワキャッキャしてても、まったく意に介さず法要は続けられます。
この日は実忠忌があったんですが。。。内陣の見える北局で聴聞していてもさっぱりお経さんはわかりませんでした^^;

こんな時にもこぶちゃんが小声で行法の推移を教えてくれたりして、ホント助かりました。

オイラが唯一わかったのは、やっぱり南無観コーラス。
そして神名帳のなかの「ふたかみのみょうじぃ~ん」っての♪この部分はテンション上がった!!
電車の時間の関係上、オイラは10時過ぎには二月堂をあとにしなければならず、過去帳が聴けるか聴けないかの瀬戸際でした。
こぶちゃん、大阪のどこ?車で遠いの?と気にかけてくれます。
思わず「こぶちゃん送ってくれそう。。。過去帳聴けるかも。。。」とか思ってしまいましたが、いやいや明日もお仕事あるので、こんなところでご迷惑はかけられん。と自粛しました。(当たり前です)
でもね、なんと過去帳の「聖武皇帝」「光明皇后」は聞いた!(ちょっと・・・さんのブログによると、聖武天皇と光明皇后の間に「藤原宮子」のお名前があるようです)
とにかく、この日の目的は達成されました。
時間もそろそろリミットか。

こぶちゃんに別れを告げ、聴聞の方の足を踏み踏み(ごめんなさい)、局を出て帰路に向かうオイラ。
たくさん親切にしていただいたのに、結局こぶちゃんにお名前を伺えずじまいでした。


吊灯篭に灯がともり、昼間とは全く違うお顔の二月堂です。


うーん。。。堪能する時間がない^^;
ってことで、急ぎ帰るんですが。。。昼間と見え方が違って道がわからぬ~(爆)
早めに出てきてよかった(苦笑)
それでも東大寺さんの境内は明かりがちゃんとあるので、それに沿って下っていくとなんとか大通りまで出ることができました。


。。。んが!


奈良博を越えたあたりからの大通りの真っ暗なこと!!!
ビックリするくらい暗いのです。もうね、笑っちゃうくらい。
前から来る人が見えぬ。。。
夜の泉涌寺もたいがい暗かったんですがね、奈良公園の比じゃないですね。
人が潜んでそうとかそういった次元ではなく、「闇」に対する本能的な怖さがありました。
あまりに怖いので走っちゃいました!!!
駅までは緩やかな下り坂ですのでめっちゃ早く走ることができ、駅まで30分を見込んでたのですが20分もかからずに二月堂から駅まで出れたと思います(笑)
早く帰れたので、近鉄奈良駅前のコンビニで肉まん買いました。

帰りの電車で肉まんを頬張ったのはオイラです。

こうしてオイラの東大寺修二会は満足のうちに終えたのでありました。
長々と(そしてダラダラと)した文章にお付き合い、有難うございました。









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東大寺 修二会 その1

2013-03-07 17:19:20 | 奈良
小さい頃、親に連れて行ってもらってたかもしれませんが、全く記憶にないので初めて行ったも同然。。。奈良に春の訪れを告げる風物詩。

修二会

お水の取りの名前の方が世間ではよく知られていますね。

オイラはもっぱらお薬師さんの花会式ばかり行ってて、東大寺さんの修二会にはちゃんとお伺いしたことがなかったんです。
ブログでのお知り合いの方に、東大寺さんに非常に詳しい方がいらっしゃるのです。
お話を読ませて頂いていると、修二会にも行かなければ!という気持ちになったので、この度ガッツリ聴聞に行ったのであります。

修二会とは何かをザックリ・・・めっちゃアバウトに説明致しますと、一年の穢れを観音様に報告し清めていただく法要のことです。
花柄式では報告するのがお薬師さんな訳ですね。
「穢れ」とは、知らず知らずに人々が溜め込む三毒=貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴によって生まれる罪過の事です。
これを懺悔(さんげ)し、心を清浄にしていただきます。
(先日教えて頂いたのですが、仏教用語では懺悔(さんげ)と読み、キリスト教では懺悔(ざんげ)と読むそうです。)
これを個人の単位でするのではなく、国家全体の懺悔を代わって行ってくれているのが修二会の悔過(けか)法要なのであります。

東大寺を開山した良弁僧正の高弟、実忠和上(じっちゅうかしょう)が夢で垣間見た、観音様にお参りする仏様の姿を人間界でも再現したい!と思って行ったのが今日の作法なんだそうです。
東大寺さんの修二会の素晴らしいところは、2度の焼討による伽藍消失の折も戦時中も、途絶えることなく続けられた行法であると言う事。
うち一回は、お寺的には今回は無理!って決断を下したのに、僧侶の有志によって規模を小さくしながらも続けたんだそうです。
今日、古の行法を体験させていただけるのは、そういった東大寺の僧侶とそれを支えた人々のお蔭なんですね。



さて、オイラが行きましたのは3月5日の実忠忌のある日。
なぜこの日にしたかと言うと、前述のブログで知り合った方にお勧めしていただいた日だったからです。
二七日(ふたなのか)ある法要の中身は、日によってそれぞれ微妙に違います。この日はこれをするけれど、この日には別の事をする・・・みたいな感じなのであります。
オイラが行った5日は実忠忌がある分、通常より法要が後ろにずれ込むのだそうですが、盛りだくさんを聴聞できて聴聞ニスト(っていうのか?)にとっては聴きどころ満載の日なのだとか。


朝は会社に行くより少しゆっくり目に家を出ました。
本当はいつも通りには出たかったんですが、ダラダラしてしまったんですよね^^;
奈良には10時半くらいに着いたでしょうか。

前もって予習していたこの日のざっくりとした予定は、
11:30頃 食堂作法
12:00頃 日中
13:00頃 日没
19:00頃 初夜(実忠忌含む)以降、晨朝まで法要はずっと続く・・・
と言ったもの。
ドットの真奈さんからも、いくつも時間割や見る場所などの説明のコメント返しを頂いてたのでバッチリ♪って思ってたのにぃ・・・
実際行ってみると、意外とどこがどうで何なんだからさっぱり解りません^^;
まず、お堂のどのへんで法要をするのか見当がつかず、お堂の職員の方にご説明をしていただきました。
その時職員の方がおっしゃっていたのですが、「行われている事はすべて行法ですので、扉を開けている、そのひとつにも意味があってしていることです。決して見ている人のために開いているのではないことを心に留めてください。我が我がの気持ちで無理に見ようとするのはだめですね」と。
もう、正しくおっしゃる通り!!激しく頷いてしまったわ(笑)
お堂の職員の方に説明してもらってもなお解らないことが多々あったので、見るからに観光客!って人を避け、聴聞に来てますって感じの方に声を掛けて、更に詳しく教えていただいたオイラなのでした。

あー。こーゆー時に人見知りで内気な人じゃなくってよかったと思います。
オイラ、旅の恥はかき捨てタイプなので(^ω^)

さて、ようやく法要の感想にはいろうかと思うんですが・・・
あまりにも長くなってきたので、続きはその2に書こうと思います。

その1は前フリだけで終わってしまった^^;
今回はほとんど写メ撮ってないんですが、その2には少しは修二会らしい写メをアップしますね。











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大津に会いに。

2013-02-28 17:23:45 | 奈良
中学生の頃からずっとずっと恋しているお相手、大津皇子様。
いろんな歴史上の人物を好きですが、このお方ほど惹かれ続けている方はいらっしゃいません。
1月の話ですが、今年は十数年ぶりに大津に会いに二上山へ行きました。

あ、どーでも良いことですが(って、オイラ的にはこだわってますが)、個人的には「にじょうざん」とは読まず「ふたかみやま」と読んでいます。
「にじょうざん」って響き、趣ないでしょう?
やはり大和の時代を感じさせる「ふたかみ」の響きが好きなんです(*´ω`*)

ってな訳で、運動不足この上ないオイラの頑張り足跡でございます。


今回のルートは二上神社口下車で。

少し歩くと二上山がすぐ目の前に見えます。

「大津~久しぶり~♪」ってウキウキした気分と、「う゛~~~。これに登るのだぁ」って気分と複雑です(爆)



登り口にある葛木倭文座天羽雷命神社に、登山(とユー程険しくはないが)の無事をお願いする。



その昔登ったときは、この道はもっと荒れてていたんですが・・・綺麗に守ってくださっていて嬉しい限りです。

小さなお子様を2人連れたご家族も登ってらして、一人で登っていても心強かったです。
また、ワンコのお散歩でしょうか、山から下ってこられる方もポツポツ。
今でも二上山は愛されているんだと思いつつ、ひぃ~ひぃ~登る登る。



山頂近くなると、残雪などもあり・・・
たかだか517m(雄岳)の山と侮るべからず!って気持ちになりますね。

登り始めて小一時間。
ようやく山頂にある大津のお墓に到着。


どーん♪
こちらが大津皇子様が祀られている二上山の山頂です。
大津の遺体が埋められているわけではありませんが、大津を慕う人の心はここに集まっていると思います。



陵内にある碑には「大津皇子二上山墓」とあります。
磐余にある訳語田の自宅でで沙汰を受け果てたとされる大津皇子。
彼は死後、怨霊となったため、その御霊を鎮めるために二上山に祀られたと薬師寺縁起は言っています。
実際にどこに改葬されたかは、江戸時代に既にその場所はわからなくなっていることから、大伯皇女の歌から推察されているとのことですが、ここに大津の墓が設けられてからは、実際の場所がどこであれ、きっと大津の心はここにもあると思うんですよね。
あれです。あれ。千の風方式。どこにでもあるんです。いるんです。想う限り。
総都合よく考えながら、ぐるりと周りを歩きます。


時計回りで行きましょかね。


盛土部分は丸いんでしょうけれど、境界は四角く取られています。
中に入る扉。。。中に入りてぇ!!


こんもりワサワサ。木がいっぱいです。


なんだか中へ誘う道のようですよね。


灯篭なんかもあります。


ハイ。正面に戻ってまいりました。

初めて大津のお墓に来た時は、確か中学生でした。
天気の良い日で、墓前に寝転んで空の写真を写したことを覚えています。
大津が真上にいる気がしたんだよね。

空を見上げていると、登山途中であったおばちゃんと再会。
ゆるゆるお話を聞いていると、おばちゃんも大津が好きなんだって。時間があるときには、大津に会いに上りに来るそうです。
素敵~♪
ひとしきりおばちゃんと大津談義に花が咲きました。


まだしばらくお参りしているというおばちゃんと別れ、もう少し登ったところにあるホントの山頂を目指す(笑)
行く途中に、振り返ってもう一度大津のお墓をパシャリ。

少し歩くと、すぐに山頂に着きます。

以前来た時には、こんなのあったかな?


山頂には葛木二上神社が鎮座しております。
昔はここに登山料を納めるところがあったんだけど・・・なくなってました。


焦っていたのか、雌岳の山頂へ行かずに當麻へ下っちゃったオイラ。
途中、昔見た木立に似てる・・って思って歩いてたんですが、昔通った道とは違いました。だって、昔は雌岳山頂まで行ってから當麻を目指していたので。
どうやら少しショートカットルートだったのな。登ると非常に険しい道を下ります。
下りは膝にくるって言うけれど、上りの方がしんどいオイラであります。軽快に下っていきましたさ。
オイラを通り越す子供と話ししたりしながら、楽しく下山。


途中にこんな水飲み場があり、いつもと違う道もいいなって思いました。


今度は空のペットボトルを持っていこうかな(笑)


沢に沿って下るので、マイナスイオンもいっぱいです♪

さて、急いでくだったのには訳があります。
大津のお墓に詣でるってのがこの日のメインイベントだったのです。
山頂の陵墓でメイン終わり!

・・・

ではなく、こちらへも絶対行きたかったの!!


鳥谷口古墳。
大津のお墓とも言われている古墳です。


二上山付近にはこの鳥谷口古墳しか、古墳はないそうです。
謀反の罪で自害した大津を、もし古墳を作って弔ったとするなら・・・この小さな古墳は大津のお墓にふさわしいという考えもあるんですって。


古墳の入口はしっかり保護されています。


小さな石棺が中にあります。


花が手向けられているってことは、ここを大津の墓所として参っている方がおられるって事でしょう。
オイラ、花を持ってくる余裕はなかったよ(苦笑)


のんびりと古墳の前でぼんやりして、ようやく當麻へと下っていったのでした。



途中の當麻山口神社の鳥居。


更に下るとこんな碑が。。。


大津を歌った大伯皇女の歌碑ですね。
ちょっと泣ける。

更に下ると、當麻寺の奥の院に着くのです。
拝観料を払って中に入ると・・・

10月桜という小さな可憐な桜が咲いてました。


もちろん寒牡丹もまだ見ることができましたよ。(1月20日に行きました)


ギリギリ滑り込みで見られたようです。
数日前の寒波の頃だったら、雪を被ってたのなかぁ~とか思いつつ。


なんと、三叉も咲いてました。
可愛いねぇ~♪


一応、本堂も写してみる。
この中に中将姫子ちゃんの當麻曼荼羅があるんですね。


當麻寺の境内から見る二上山。
中将姫が見た「美しき人」を見たいなぁって思う。

當麻寺も堪能したので、少し早いけれど帰路に着く。

お腹が空いたので、大好きな中将餅屋さんに立ち寄ります。

中将餅とお煎茶のセット。

こし餡に見えるかもしれないけれど、ところどころに粒がある餡なんです。
草の香りがしっかりしてる、あっさりとした美味しいお餅。
當麻へ行ったら必ずお土産で買うんですよね。お店の中で食したのは初めてでした。


あぁ。のんびり。
大津を詣でた一日でした。





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