よろしくお願いします。
再訪古市古墳群巡り、今回が最終回となります、前回訪れた分の再訪分とその後に新たに巡った藤井寺市、羽曳野市の古墳を紹介していくこととしましょう。まずは前回分の再訪の続き、藤井寺市と羽曳野市を行き来しながらの巡りも終盤戦です。外環の北側の住宅地を入って行くと十字になった道のど真ん中にあるのが蕃所山古墳、よく外国で見かける道の真ん中に噴水がある風景にイメージが重なる、何気ない町の中にポツンと現れた古墳は木の柵に覆われた小さな円墳で、国の史跡に指定されている。ここから住宅地を抜けるとまたまた小さな古墳へとたどり着く、町中の小さな公園の中にあるサンド山古墳は応神天皇陵の陪塚とのことで金網に覆われている。この古墳の前を通る道を西へと行くと藤井寺市の中心部へと近づく、しかし中心部へと行くには途中で右折しなければならない、そこを曲がらずそのまま真っ直ぐ進むと駐車場へとたどり着く。その敷地内にあるのが割塚古墳、国の史跡に指定されているが車が止められた奥に柵もなく野ざらしにされているので、看板があってやっとこれが古墳だと分かる状態になっている。道はこの駐車場で終わりになっていて、その先にはお濠がありその向こうには大きな古墳が見える、それが仲哀天皇陵、古市古墳群では3番目の大きさを誇っている。写真で見ても分かるとおり全貌が撮りきれないほどの大きな古墳はもちろん世界遺産、しかし国の史跡には指定されてない、この辺りの基準はどうも分からない。このエリアの巡りで最後に訪れたのが藤井寺市の中心部の近くにある鉢塚古墳、仲哀天皇陵の南側にあってその陪塚となっているが、これも天皇と同じく世界遺産ではあるが国の史跡とはなっていない。
さて、ここからは別の日に藤井寺方面を走った時の記録、このゾーンでは3つの古墳を巡ります。まずは津堂城山古墳、古市古墳群からは少し離れた大和川に近い所にある。写真を見ても分かるように古墳には遊歩道が敷かれていて気軽に立ち入りできるようになっていて、本来はお濠になっているところは畑にされていて、菖蒲園や草花園として庶民の憩いの場になっている。古墳は世界遺産で国の史跡にも指定されている、被葬者ははっきりとはしていないが陵墓参考地とされている、いずれは○○陵と呼ばれる日が来るのだろうか。次に訪れたのは雄略天皇陵、写真上から7枚目には「雄略天皇」と刻まれた碑があり、その場に相棒君を止めて森に沿って歩いて行くと遥拝所がある、と言うことはここが雄略天皇陵と言うことか。
古墳を沿うように通っている道が長尾街道、駐輪場からほんの少しだけ行くと道はお濠に沿って緩やかにカーブしている、そのお濠の真ん中にはぽっかりとした丸い丘が浮かんでいて、道端には「雄略天皇陵」と掲げられた看板が立っている。お濠の向こうの民家の更に奥に見えている森がさっきの雄略天皇陵、と言うことは天皇陵は2つあると言うことなのか・・・?雄略天皇陵はこの2つの古墳・・・お濠にある島泉丸山古墳と遥拝所があった島泉平塚古墳・・・を合わせての総称とされているとのこと、丸山と平塚って対照的な名前だが、元はひとつの前方後円墳だったのが2つに分かれてしまったとのこと、しかし平塚古墳の方は遺構や出土品が確認されていないとのことで、本当に古墳なのかと疑問視もされているとか。
最後に訪れたのは羽曳野市と松原市にまたがる所にある河内大塚山古墳、被葬者ははっきりとしてないがここも陵墓参考地とされている。ちなみに参考となっているのは雄略天皇・・・ってもうややこしい~、実際はどうなんだあ~、まあこう言うのははっきりしないからミステリアスでいいのかも。お濠の向こうに見える大きな古墳は日本では5番目の大きさとのこと、ベスト5までのうち3つが大阪府にある古墳、世界遺産登録は大きさにものを言わせて、と言いたくもなるが、この古墳は世界遺産に登録されていない。古市古墳群と百舌鳥古墳群の中間にあってどちらにも属してないからと言うのが理由とのことで、それはちょっと不憫な気もしますなあ。と言うことで古市古墳群再訪の走りは今回で終わりです、今度は機会を見つけて百舌鳥古墳群の方ももっと細かく巡ってみようと考えています、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち
再訪古市古墳群巡り、今回が最終回となります、前回訪れた分の再訪分とその後に新たに巡った藤井寺市、羽曳野市の古墳を紹介していくこととしましょう。まずは前回分の再訪の続き、藤井寺市と羽曳野市を行き来しながらの巡りも終盤戦です。外環の北側の住宅地を入って行くと十字になった道のど真ん中にあるのが蕃所山古墳、よく外国で見かける道の真ん中に噴水がある風景にイメージが重なる、何気ない町の中にポツンと現れた古墳は木の柵に覆われた小さな円墳で、国の史跡に指定されている。ここから住宅地を抜けるとまたまた小さな古墳へとたどり着く、町中の小さな公園の中にあるサンド山古墳は応神天皇陵の陪塚とのことで金網に覆われている。この古墳の前を通る道を西へと行くと藤井寺市の中心部へと近づく、しかし中心部へと行くには途中で右折しなければならない、そこを曲がらずそのまま真っ直ぐ進むと駐車場へとたどり着く。その敷地内にあるのが割塚古墳、国の史跡に指定されているが車が止められた奥に柵もなく野ざらしにされているので、看板があってやっとこれが古墳だと分かる状態になっている。道はこの駐車場で終わりになっていて、その先にはお濠がありその向こうには大きな古墳が見える、それが仲哀天皇陵、古市古墳群では3番目の大きさを誇っている。写真で見ても分かるとおり全貌が撮りきれないほどの大きな古墳はもちろん世界遺産、しかし国の史跡には指定されてない、この辺りの基準はどうも分からない。このエリアの巡りで最後に訪れたのが藤井寺市の中心部の近くにある鉢塚古墳、仲哀天皇陵の南側にあってその陪塚となっているが、これも天皇と同じく世界遺産ではあるが国の史跡とはなっていない。
さて、ここからは別の日に藤井寺方面を走った時の記録、このゾーンでは3つの古墳を巡ります。まずは津堂城山古墳、古市古墳群からは少し離れた大和川に近い所にある。写真を見ても分かるように古墳には遊歩道が敷かれていて気軽に立ち入りできるようになっていて、本来はお濠になっているところは畑にされていて、菖蒲園や草花園として庶民の憩いの場になっている。古墳は世界遺産で国の史跡にも指定されている、被葬者ははっきりとはしていないが陵墓参考地とされている、いずれは○○陵と呼ばれる日が来るのだろうか。次に訪れたのは雄略天皇陵、写真上から7枚目には「雄略天皇」と刻まれた碑があり、その場に相棒君を止めて森に沿って歩いて行くと遥拝所がある、と言うことはここが雄略天皇陵と言うことか。
古墳を沿うように通っている道が長尾街道、駐輪場からほんの少しだけ行くと道はお濠に沿って緩やかにカーブしている、そのお濠の真ん中にはぽっかりとした丸い丘が浮かんでいて、道端には「雄略天皇陵」と掲げられた看板が立っている。お濠の向こうの民家の更に奥に見えている森がさっきの雄略天皇陵、と言うことは天皇陵は2つあると言うことなのか・・・?雄略天皇陵はこの2つの古墳・・・お濠にある島泉丸山古墳と遥拝所があった島泉平塚古墳・・・を合わせての総称とされているとのこと、丸山と平塚って対照的な名前だが、元はひとつの前方後円墳だったのが2つに分かれてしまったとのこと、しかし平塚古墳の方は遺構や出土品が確認されていないとのことで、本当に古墳なのかと疑問視もされているとか。
最後に訪れたのは羽曳野市と松原市にまたがる所にある河内大塚山古墳、被葬者ははっきりとしてないがここも陵墓参考地とされている。ちなみに参考となっているのは雄略天皇・・・ってもうややこしい~、実際はどうなんだあ~、まあこう言うのははっきりしないからミステリアスでいいのかも。お濠の向こうに見える大きな古墳は日本では5番目の大きさとのこと、ベスト5までのうち3つが大阪府にある古墳、世界遺産登録は大きさにものを言わせて、と言いたくもなるが、この古墳は世界遺産に登録されていない。古市古墳群と百舌鳥古墳群の中間にあってどちらにも属してないからと言うのが理由とのことで、それはちょっと不憫な気もしますなあ。と言うことで古市古墳群再訪の走りは今回で終わりです、今度は機会を見つけて百舌鳥古墳群の方ももっと細かく巡ってみようと考えています、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち