F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

津山城祉

2016年10月09日 19時14分32秒 | 旅行記
道の駅「彩菜茶屋」でさわやかに目覚めました。



まず、「津山城址」に向かいました。観光センターに車を止め、城に向かいます。



規模の大きなお城です。建物は何も残っていません。城を作ったのは「森忠政」。森忠政は本能寺の変で有名な森蘭丸の末弟です。



森家は4代続きますが、嗣子がなく改易。越後高田から松平氏が10万石で入封。明治まで続きます。

石段の作りが立派で、一枚一枚、大きな石が使われています。





石垣は、高さのある野面積みで、石垣にも大きな石が使われています。





復元されたのは、「備中櫓」と呼ばれる天守閣から一段下がったとことにある櫓です。







天守閣は石垣のみですが変わった作りです。





なんと昭和11年に模擬天守が作られていました。それが、まったく似ても似つかない代物でした。

これが写真をもとにCGで再現した天守です。破風のない質実剛健といった感じですが



再現されたものは



この天守は昭和20年、空襲の目印になるということで撤去されたそうです。

本丸御殿は天守閣の近くに広い敷地があり、そこに設けられていました。





立派なお城でした。100名城スタンプをいただきました。










武蔵の生まれたところ

2016年10月09日 14時52分29秒 | 旅行記
道の駅「ひらふく」で腹ごしらえ。味はともかく、しっかりいただきました。





向かったところは「武蔵の里」。太鼓のバチさばきにヒントを得て二刀流を考え出したという讃甘(さのも)神社。小さな神社です。





武蔵生誕地記念碑。



文豪の碑。



平尾家。武蔵の姉おぎんの嫁ぎ先。慶長5年武蔵が武者修行に出立した時、家の道具・系図・すやり・十手をおぎん夫婦に渡しました。



武蔵の墓。武蔵の養子・伊織によって熊本の弓削の里より分骨され、父の平田無二斎と並んで祀られています。





武蔵神社。







武蔵の真筆。





静かな村。



青年期の武蔵像。



十三歳で最初の勝負、二十一歳の時、京で吉岡清十郎に勝ち、二十九歳で下関で佐々木小次郎を破る。五十四歳で島原の乱に出陣、五十七歳、細川家に客分として迎えられる。



智頭急行「宮本武蔵駅」。







この後、湯郷温泉の鷺温泉館でゆっくり入浴。





道の駅「彩菜茶屋」で夕食、就寝。同じ敷地にCOOPがあり、便利。