道の駅「彩菜茶屋」でさわやかに目覚めました。
まず、「津山城址」に向かいました。観光センターに車を止め、城に向かいます。
規模の大きなお城です。建物は何も残っていません。城を作ったのは「森忠政」。森忠政は本能寺の変で有名な森蘭丸の末弟です。
森家は4代続きますが、嗣子がなく改易。越後高田から松平氏が10万石で入封。明治まで続きます。
石段の作りが立派で、一枚一枚、大きな石が使われています。
石垣は、高さのある野面積みで、石垣にも大きな石が使われています。
復元されたのは、「備中櫓」と呼ばれる天守閣から一段下がったとことにある櫓です。
天守閣は石垣のみですが変わった作りです。
なんと昭和11年に模擬天守が作られていました。それが、まったく似ても似つかない代物でした。
これが写真をもとにCGで再現した天守です。破風のない質実剛健といった感じですが
再現されたものは
この天守は昭和20年、空襲の目印になるということで撤去されたそうです。
本丸御殿は天守閣の近くに広い敷地があり、そこに設けられていました。
立派なお城でした。100名城スタンプをいただきました。
まず、「津山城址」に向かいました。観光センターに車を止め、城に向かいます。
規模の大きなお城です。建物は何も残っていません。城を作ったのは「森忠政」。森忠政は本能寺の変で有名な森蘭丸の末弟です。
森家は4代続きますが、嗣子がなく改易。越後高田から松平氏が10万石で入封。明治まで続きます。
石段の作りが立派で、一枚一枚、大きな石が使われています。
石垣は、高さのある野面積みで、石垣にも大きな石が使われています。
復元されたのは、「備中櫓」と呼ばれる天守閣から一段下がったとことにある櫓です。
天守閣は石垣のみですが変わった作りです。
なんと昭和11年に模擬天守が作られていました。それが、まったく似ても似つかない代物でした。
これが写真をもとにCGで再現した天守です。破風のない質実剛健といった感じですが
再現されたものは
この天守は昭和20年、空襲の目印になるということで撤去されたそうです。
本丸御殿は天守閣の近くに広い敷地があり、そこに設けられていました。
立派なお城でした。100名城スタンプをいただきました。