F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

終戦のエンペラー

2013年07月24日 21時53分20秒 | 日記・エッセイ・コラム

今夏、見なければならない映画がもう一つありました。「終戦のエンペラー」です。

有名なマッカーサー元帥と天皇陛下の写真について、小さいころ誰に聞かされたのか忘れましたが、「天皇が命乞いに来たか」と待っていたマッカサーに対し天皇陛下は「私の命はどうなっても構わないから国民が困らないようにお願いする」と言い、マッカーサーはその勇気と誠実さに感動して、敬服したというエピソードが刷り込まれています。

昭和から平成になったころ、F老人は世界最大の海軍基地と言われるノーフォークの隣の市、バージニアビーチに数週間滞在していました。ビーチリゾートで有名なところで、ホテルは夏料金と冬料金があり、F老人はヒルトンホテルにいましたが、冬料金の上、改装工事中の割引でバカみたいなホテル代でした。土曜日、旧友から連絡があり、ノーフォークのマッカーサー記念館で合流し、週末を一緒に過ごしました。

連合国軍最高司令官を退任し、日本を離れてから13年後、84歳で没したマッカーサーは、母親の故郷であるノーフォークの旧市庁舎に夫人とともに葬られており、その建物が記念館になっています。床が一部透明になっており、その下に墓碑があったのには驚きました。数多くの勲章やコーンパイプとともに有田焼などの日本の思い出の品が飾られていました。

Macarthur_memorial

陸軍のエリートコースを歩み、大統領になろうとしたマッカサー元帥の約10年後輩で副官も務めたアイゼンハワー元帥は少佐から中佐になるまでに16年かかり、決してエリートとはいえませんでしたが、その才能を発揮し、5年3カ月で中佐から元帥になり、大統領になりました。初めてアイゼンハワーの伝記を読んだ時、米軍の指揮官選びの柔軟さに驚きました。日本のように10代の時につけられた序列が何十年も影響するようなことはなかったのです。

映画は、天皇陛下とマッカーサー元帥、占領軍の日本統治の裏側のエピソードのようです。現在では「国体」と言えば国民体育大会ですが、本来、国のあり方、国家の根本体制のことです。マッカーサー元帥を敬服させ、思わず玄関まで見送りに行かせた昭和天皇の凛とした態度と誠実さが今の日本の形、国体を作ったのでしょう。このようなことをお隣の国の人はわからないでしょうねえ。