F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

「風立ちぬ」-堀越二郎-零式戦闘機

2013年07月15日 22時44分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

7月20日、スタジオジブリのアニメ映画「風立ちぬ」が封切られます。主人公は零式戦闘機の設計主任であった堀越二郎氏です。

ノンフィクション作家の柳田邦男氏の「零戦燃ゆ」は、昭和52年から平成2年まで週刊誌等に連載され、1993年に文庫版が出版されました。零戦の歴史と詳細が著されており、大きな衝撃と感動を覚えながら読みました。それから「ゼロ戦」に興味を持ち、いろいろな本も読みました。「零戦燃ゆ」を読んで一番衝撃を受けたのは燃料タンク(両翼などにあります。)の内張りのゴムの性能が悪く、銃弾が貫通した時にすぐ縮んで発火を防げなかったので燃え上がったこととエンジンの出力が低く、機体の軽量化だけでは大出力の米軍機にはかなわなかったことです。また、日本人の悪い癖的に言われている「ひとつの成功例に満足しすぎて次の段階に進めないこと」の例にゼロ戦が取り上げられていることもショックでした。

零戦についてはいろいろとうんちくを書きたくなるのですが、今、日本で展示されている零戦は10か所に11機あります。完全オリジナルは鹿児島県の知覧特攻平和会館にあるものだけで他は復元機です。F老人は鹿屋航空基地史料館の52型(鹿児島錦江湾と吹上浜で発見された2機を海上自衛隊鹿屋基地の航空機整備の隊員がリストアしました。)、国立科学博物館、靖国神社の遊就館、呉の大和ミュージアムに展示されているものを見たことがあります。また、零戦燃ゆは1984年に映画化されその時作られたレプリカが海上自衛隊岩国基地に保存されており、見学したことがあります。米国ではワシントンのスミソニアン航空博物館、サンディエゴ航空宇宙博物館で展示されているものを見ました。サンディエゴの展示です。

800pxsan_diego_a6m7_

堀越二郎氏は戦後、東大、防大、日大などで教鞭を取りYS-11の開発にも関与されました。後継者曽根嘉年氏をはじめ零戦関係の多くの方が戦後、三菱自動車の社長や要職に就かれました。

宮崎駿氏はNHKのインタビューでそれぞれの時代に合ったように作品を作ってきたが、「風立ちぬ」も今の時代が要求しているものを感じながら作ったとおっしゃっていました。それが何なのか、考えながら見てみたいと思います。