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「余命2か月」宣告された夫が食事を変えることで6年生きた

2013年03月06日 18時27分37秒 | Weblog
「余命2か月」宣告された夫が食事を変えることで6年生きた

(女性セブン) 2013年3月14日号より


「食養」(食によって病気を予防し、心身ともに健康を維持しようという考え方)で話題――76才で髪は黒々、老眼なし。

夫のがんも完治させた“若杉ばあちゃん”こと若杉友子さん。

“肉は食べない”“カタカナ食材はNG”などのユニークな食事法が話題となっている。

立て続けに出版した著書は累計35万部を突破し、現在は料理教室や講演会で全国を飛び回る日々。

そんな若杉さんは、4才年上の夫・俊男さんと21才で結婚。


 52才のとき、静岡市内で野草料理を教える教室をオープン。

やがて「食養をとことん極めたい」という思いは募り、58才のとき、昔ながらの暮らしを求めて、若杉さんは京都府綾部市内の山里に移り住むことに。

「夫は移住を認めてはくれたけど、食養なんかにまるで興味がなくて、“おれは、そんな山奥の生活はまっぴらだ”と言って静岡に残り、別々に暮らすことになったんよ」

(若杉さん・以下「」内同)

 自分の勝手を許してくれた夫に感謝しながら、若杉さんは“食”への研鑽を積んだ。

妻は田舎、夫は都会の暮らしが10年ほど続いた2003年春のこと。

「肉食中心で暴飲暴食を繰り返していた」夫が、急に体調を崩し始めた。

診断の結果、肺がんのなかでも進行が速い“小細胞肺がん”で、余命2か月と宣告された。


「夫にとっては、死刑を宣告されたと同じで、もう藁にもすがる思いだったんでしょう。

“今日から、お前のやっている食養をやる”って急に言い出してね。

肉、卵、乳製品を一切やめて、ご飯とみそ汁を基本とする一汁一菜の食事にしたのよ」


 若杉さんは夫のいる静岡へ定期的に通って世話をした。

そして前述の食事法を守らせたほか、炭状になるまで煎った玄米を土瓶で煎じた「玄米の黒焼き茶」、体の毒素を排出するとされるイネ科の植物・マコモを乾燥させて煎じた「マコモのお茶」、梅干しを24時間かけて土鍋でじっくり加熱して炭状にし、粉末状にしたものを煎じた「梅干しの黒焼き茶」を、朝、昼、晩の3回、毎日飲むことを徹底した。

すると半月ほどで、がんがどんどん小さくなり始め、6年後には、がんが完治したというのだ。

「夫は諸手を上げて大喜び。さすがに、食養の効果を認めざるを得なかったんだけど、のど元過ぎれば…で、再びグルメ生活に戻ってしまってね」

「血の滴るような肉が食べたい」と、元の暴飲暴食生活に逆戻り…その結果、今度は肝臓にがんが見つかってしまった。

「がんが再発した夫に“また食養やる?”って聞いたら、“今度は医者に任せる”って。でも、いくら治療をしても、症状は悪くなるばかり。

 そんなある日、夫が医者に向かって“もう治療はするな!”って言い放ったもんだから、亡くなる2日前には医者に一切の治療をやめてもらって。

最期は家族みんなで看取って、安らかに眠りについたのよ」


 2009年9月、俊男さんは76才の生涯を閉じた。彼は亡くなる数日前、妻の目を見つめてこう言った。

「おまえのやっていることはすごい。

おれが6年も生き延びたことは、すごいと思う。

これからはいろいろな人を助けてあげなさい」

 遺言のように残してくれた言葉が背中を押し、

若杉さんは、ますます食養を広める活動に力をいれるようになったのだ。

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