『万物の霊長』たる<人類>の精神構造と、その生活形態で有る<国家>の姿に、進化は認められ無い様だ。
(晴れのち曇り、時々パリ)より
フランス南西部の僻地、『ペリゴール地方』は、現生人類の揺籃の地の一つと、言われる。
ドルドーニュ河の蛇行する流域に、カリスト大地が広がり、ネアンデルタール人とクロマニヨン人とが、共棲していた。
ここ10年程、道路は整備され、鉄道も「単線」ながら近代化されて、かっての「フランスの陸の孤島」と言う感じでは無くなった物の、英仏百年戦争時の、両国の支配地が交錯していた為、ドルドーニュの両岸には500メートル毎に、頑丈な城塞の廃墟が互いににらみ合っている。
その「奥地ペリゴール」の主邑の一つ『レ・ゼジー・ド・テヤック村』のはずれ、『クロマニヨン』という字(あざ)の岸壁の凹みから発見された人骨の化石が、旧人類『ネアンデルタール』とは違う、現代人類の直系の先祖と見なされる『クロマニヨン』人である。
この辺りは、風穴や鍾乳洞が実に多く、第四氷期の終わる頃から、多くの人類の先祖達が住み着いた。
名高い『ラスコー洞窟』に残されている岩面絵は、21世紀の如何なる<大芸術家>の作品にも、引けを取らない見事さである。
紀元前1万6千年程前に描かれた、と推定されている。
方や『北アフリカ』に目を向けると、アルジェリア南部、地中海岸の首都アルジェから南に2千キロの、サハラのただ中に『タッシリ・ナジェール』という広大な石灰岩の台地がある。
麓のサハラの標高が既に800メートル程あり、そこから「まだ風化に耐えて崩れ落ちていない」岩盤の台地が1000メートルそそり立って、数百平方キロメートルも広がって居る。
標高2千メートル程の台地の上に登ると、全く火星か月の表面に降り立ったかの如き風情で、岩と風と静寂とが支配している。
野営しながら歩くと、荒涼とした岩盤に数千年前の道筋が見られ、最初の頃の人類の残した矢じりから、最後の住人達の残した土器の破片に至る、1万8千年程の、気が遠くなる年代差が共存しているのが見つかる事すらある。
その岩盤台地の風化で出来た窪みに、ラスコーと同じ頃から西暦が始まる頃までの、通り過ぎて行った多くの人類の残した<岩面絵>が残されている一帯がある。
ラスコーは、洞窟の中に閉じ込められて現代に残されて、発見後のわずか数十年の汚染で、消え去る危険性が叫ばれている。
今は、「等身大に再現した」レプリカしか見る事は出来ない。
一番美しい部分の写真が手元に見当たらないが、ここに載せた部分でも、<レプリカ>で見ても、壁面の微妙な凹凸を巧みに利用して、鬼気迫るリアルな美しさで、「神々しい」と言って良い程の見事さである。
タッシリ・ナジェールの方は、屋根も壁も無い、吹き曝しの状態で残り、サハラの強烈な太陽光線で、ほぼ消えかかっている物が多い。
ともに『世界遺産』に登録されている。
それらの岩面絵の、素晴らしい事。
タッシリ・ナジェールの台地の上は、標高2000メートル。
岩盤の平らな平地に所々崩壊しかかる岩盤が、まるで巨大な茸の様に屹立して居り、半ば砂漠化が始まっている様に砂が押し寄せている。
このような所を。野営しながら3乃至4泊して、1万年前から2千年前までの、その地に移り住んでは去って行った多種の民族が残した岩面絵が、<彩色画>と<線刻画>とで残され
キリンや象等、毎日草木を200キロ程も食べる大型草食獣があがかれている事から、数千年前のサハラのあたりは、草木の生い茂り、船で「戦争」する情景すら描かれて居る事から、ふんだんに水のあったところであった事が分かるのだ。
まず、ネグロイド族の時代『円頭族時代』の絵は、野生動物を狩りで追って居た時代の風俗が分かる。
その後、現在フルベ族などアフリカ北西部に多く分布する、頭の細い種族の時代となり『長頭族と牛の時代』を迎え、牛が家畜化された事を表して居り、長角牛、短角牛、等が無数に描かれている。
人類が、サハラで「移動」から「定住」、そして「遊牧」屁と生活パターンが変わって行った。
その後、ギリシャからエジプト経由で「馬の民族」が侵入し、牛を放牧する人々が駆逐され始め、そのご乾燥期を迎えて「草食動物」が住めなくなって行く。
その頃から、人々は、南部へと移動を始め、ニジェール川流域まで下って行く事になった。
台地を下りて、麓の町ジャネットの周辺の裁くんただ中に、ぽつんと大岩が二つそびえている。
周囲20メートル、高さ30メート程も有ろうか。
その岩肌に彫り込まれた、線刻画の傑作『泣く牛』は、砂漠化により草が無くなって、住み慣れた土地を離れてさまよう始めた頃の「牛の流す涙」と言われていて、胸を打つ。
人類は、その発祥以来長きに渡って、文明を発祥させ、文化を育み、進歩して行った。
と、思い込んでいる。
しかし、旧石器時代から、人々は「食料を巡って」絶えず争いを繰り広げ、住む土地を巡って、戦いを続けて来たのだ。
文明の発達とともに、人々の生活のやり方が変わり、求めるものが多くなって行くに連れて、他の人間達との共存は、増々困難になって行ったのだろう。
国家を形成する以前の段階では、集落単位での争位で住んでいた。
求める物、守るべき物の質と量も、生活圏の範囲での事だけで住んでいた筈だ。
ところが、ヒトは進化するに連れて「国家」を形成し、経済活動が規模を増して行くに連れて、奪い合う物の量は増え、収奪の技術も進化して行った。
紀元前1万年と、1万2千年後の我々の時代と、人間の質は縄って居るのか。
いや、本質が変わる筈は無い。
奪い合い、殺しあう、やり方が「直接話法」から「間接話法」へと変化したに過ぎないのでは無いか。
騙しあい、裏切りあう、やり方が「表層的」で「単純」な次元から、「深層的」でより「多元的」な連立方程式へと変化して来た分だけ、表面に直接見えないところでの操作が、複雑に絡み合う様になって行ったもだ。
その分、奪い合い、収奪しあう事のもたらす結果は、より大きく、より深く、より深刻になってしまった。
21世紀の現代において、人々は「社会」と言う枠の中での「権利」や「義務」に縛られながら、憲法やら法律やらで守られて暮らしている、平等な社会に生きている、と思い込んでいる。
しかし、一国の税制を少し変えさせる事が出来れば、その国を遠隔操作で支配出来る、そんな時代になってしまっている事を、忘れてはならない。
パリの、セーヌ川の岸辺に出来てまだ数年しか立っていない『ケ・ブランリー博物館』と言うのがある。
かっての、『人類学博物館』と、『オセアニア美術館』、更には『アフリカ美術館』や『(コロンブス以前)中南米美術館』等を統合発展させた博物館である。
ヨーロッパの、いわゆる「アカデミスム」による芸術とは一線を画す、地球上のあらゆる「マイナー美術」と思われて来た作品を集めてあって、実に興味深い。
ついでに言っておくと、フランス人は「中国と日本」及びアジア全般の文化芸術には、早くから深い認識を持って理解して居り、「ルーブル美術館別館」と言う待遇で『ギメ美術館』と言うところが、東洋美術を網羅している。
『ケ・ブランリー』は、それ以外の「第三世界の美術」スポットライトを当てたのだ。
そのなかに、ここ300年くらいの間の、世界中の民族が造り出して来た、ローカル美術が、実に魅力的に飾られて居り、それらの美術工芸が、旧石器時代から、表現方法は殆ど変化していない事が分かるのだ。
そして、ブラック・アフリカの仮面や日常の生活用具の一部が呪術的に発展した物など、ピカソやル・コルビュジエその他大勢のヨーロッパの現代芸術家達に、大きな影響を与えて来た事が手に取る様に分かる仕組みである。
その角度で考えれば、人間なんて、「変わっていない」のですね。
創造して来た物も、破壊して来たやり方も。
何も変わってなどいない。
近代的法的体系の中で、上品にかこつけて能書きを垂れ、やれ国会だの議員だのといっても、1万5千年前に野生動物を追いかけて狩猟で生きていた頃と、駆け引きも、力関係が生み出す獲物の分配の「不公平」も、結局は同じなのだ。
中世の「力が全て」であった時代と、『敵を排除する』駆け引きや手管など、同じ事なのだ。
敵は倒さねばならぬ。
その為には、あらゆる手段を講じて、恥じる事など無い。
敵を排除出来た者が「勝者と言われる」のです。
裏切りや、不正義、悪行や恥知らずなあらゆる不道徳、などは「負けた方が文句をつける」時の材料に過ぎず、勝った方は全てが「正義」なのだ。
その、人類が歩んで来た悠久の流れの中の、「一こまを生きるに過ぎない個人」にとっては、歴史全体は見る事能わず、今現在の結果しか感知出来ない以上、敵の悪逆非道ぶりを言い立ててみても、敵には痛くも痒くもない訳だ。
後世の歴史の評価は、本人は知る由もないのだ。
従って、なんでも有り。
したがって、ヤラレル方は、ただやられっ放しで居ると、本当に抹殺されてしまう。
目には目を。
攻撃には、攻撃で防御しなければ、勝ち目は無いと言う事を、しっかりと認識しなければならない。
我々の前に立ちふさがる「敵」は大きい。
司法機関であり、行政機関であり、国会であり、報道機関である。
並大抵の攻撃では、びくともしない彼等に立ち向かう為には、しっかりと「理論武装」をして、時を間違えずに行動に出なければならない。
マスコミに抗議しよう。
抗議し続けよう。
司法機関に抗議しよう。
抗議し続けよう。
国会にも、各政党にも、抗議しよう。
抗議し続けよう。
語ろう。
人々に、真実を語って聞かせよう。
デモが企画されれば、可能な限り参加しよう。
あらゆる、可能な限りの手段で、現代の巨悪に抵抗しなければならない。
そして、諦めてはならない。
明日の自分達の為に。
明日の我が子の為に。
官僚の好き放題な無駄遣いを辞めさせる為に。
捜査と裁判と言う、本来独立している筈の「司法の両輪」の癒着による、「恐怖政治」を終わらせる為に。
国会議員達の、無能なタワゴトで国を滅ぼさせない為に。
中国に、領土を奪われない為に。
アメリカに、日本の全てをしゃぶり尽くされない為に。
現代ニッポンの、「民主党」というムラには、ネアンデルタール人とクロマニヨン人との共棲は、為されていない。
声を上げ続けよう。
(晴れのち曇り、時々パリ)より
フランス南西部の僻地、『ペリゴール地方』は、現生人類の揺籃の地の一つと、言われる。
ドルドーニュ河の蛇行する流域に、カリスト大地が広がり、ネアンデルタール人とクロマニヨン人とが、共棲していた。
ここ10年程、道路は整備され、鉄道も「単線」ながら近代化されて、かっての「フランスの陸の孤島」と言う感じでは無くなった物の、英仏百年戦争時の、両国の支配地が交錯していた為、ドルドーニュの両岸には500メートル毎に、頑丈な城塞の廃墟が互いににらみ合っている。
その「奥地ペリゴール」の主邑の一つ『レ・ゼジー・ド・テヤック村』のはずれ、『クロマニヨン』という字(あざ)の岸壁の凹みから発見された人骨の化石が、旧人類『ネアンデルタール』とは違う、現代人類の直系の先祖と見なされる『クロマニヨン』人である。
この辺りは、風穴や鍾乳洞が実に多く、第四氷期の終わる頃から、多くの人類の先祖達が住み着いた。
名高い『ラスコー洞窟』に残されている岩面絵は、21世紀の如何なる<大芸術家>の作品にも、引けを取らない見事さである。
紀元前1万6千年程前に描かれた、と推定されている。
方や『北アフリカ』に目を向けると、アルジェリア南部、地中海岸の首都アルジェから南に2千キロの、サハラのただ中に『タッシリ・ナジェール』という広大な石灰岩の台地がある。
麓のサハラの標高が既に800メートル程あり、そこから「まだ風化に耐えて崩れ落ちていない」岩盤の台地が1000メートルそそり立って、数百平方キロメートルも広がって居る。
標高2千メートル程の台地の上に登ると、全く火星か月の表面に降り立ったかの如き風情で、岩と風と静寂とが支配している。
野営しながら歩くと、荒涼とした岩盤に数千年前の道筋が見られ、最初の頃の人類の残した矢じりから、最後の住人達の残した土器の破片に至る、1万8千年程の、気が遠くなる年代差が共存しているのが見つかる事すらある。
その岩盤台地の風化で出来た窪みに、ラスコーと同じ頃から西暦が始まる頃までの、通り過ぎて行った多くの人類の残した<岩面絵>が残されている一帯がある。
ラスコーは、洞窟の中に閉じ込められて現代に残されて、発見後のわずか数十年の汚染で、消え去る危険性が叫ばれている。
今は、「等身大に再現した」レプリカしか見る事は出来ない。
一番美しい部分の写真が手元に見当たらないが、ここに載せた部分でも、<レプリカ>で見ても、壁面の微妙な凹凸を巧みに利用して、鬼気迫るリアルな美しさで、「神々しい」と言って良い程の見事さである。
タッシリ・ナジェールの方は、屋根も壁も無い、吹き曝しの状態で残り、サハラの強烈な太陽光線で、ほぼ消えかかっている物が多い。
ともに『世界遺産』に登録されている。
それらの岩面絵の、素晴らしい事。
タッシリ・ナジェールの台地の上は、標高2000メートル。
岩盤の平らな平地に所々崩壊しかかる岩盤が、まるで巨大な茸の様に屹立して居り、半ば砂漠化が始まっている様に砂が押し寄せている。
このような所を。野営しながら3乃至4泊して、1万年前から2千年前までの、その地に移り住んでは去って行った多種の民族が残した岩面絵が、<彩色画>と<線刻画>とで残され
キリンや象等、毎日草木を200キロ程も食べる大型草食獣があがかれている事から、数千年前のサハラのあたりは、草木の生い茂り、船で「戦争」する情景すら描かれて居る事から、ふんだんに水のあったところであった事が分かるのだ。
まず、ネグロイド族の時代『円頭族時代』の絵は、野生動物を狩りで追って居た時代の風俗が分かる。
その後、現在フルベ族などアフリカ北西部に多く分布する、頭の細い種族の時代となり『長頭族と牛の時代』を迎え、牛が家畜化された事を表して居り、長角牛、短角牛、等が無数に描かれている。
人類が、サハラで「移動」から「定住」、そして「遊牧」屁と生活パターンが変わって行った。
その後、ギリシャからエジプト経由で「馬の民族」が侵入し、牛を放牧する人々が駆逐され始め、そのご乾燥期を迎えて「草食動物」が住めなくなって行く。
その頃から、人々は、南部へと移動を始め、ニジェール川流域まで下って行く事になった。
台地を下りて、麓の町ジャネットの周辺の裁くんただ中に、ぽつんと大岩が二つそびえている。
周囲20メートル、高さ30メート程も有ろうか。
その岩肌に彫り込まれた、線刻画の傑作『泣く牛』は、砂漠化により草が無くなって、住み慣れた土地を離れてさまよう始めた頃の「牛の流す涙」と言われていて、胸を打つ。
人類は、その発祥以来長きに渡って、文明を発祥させ、文化を育み、進歩して行った。
と、思い込んでいる。
しかし、旧石器時代から、人々は「食料を巡って」絶えず争いを繰り広げ、住む土地を巡って、戦いを続けて来たのだ。
文明の発達とともに、人々の生活のやり方が変わり、求めるものが多くなって行くに連れて、他の人間達との共存は、増々困難になって行ったのだろう。
国家を形成する以前の段階では、集落単位での争位で住んでいた。
求める物、守るべき物の質と量も、生活圏の範囲での事だけで住んでいた筈だ。
ところが、ヒトは進化するに連れて「国家」を形成し、経済活動が規模を増して行くに連れて、奪い合う物の量は増え、収奪の技術も進化して行った。
紀元前1万年と、1万2千年後の我々の時代と、人間の質は縄って居るのか。
いや、本質が変わる筈は無い。
奪い合い、殺しあう、やり方が「直接話法」から「間接話法」へと変化したに過ぎないのでは無いか。
騙しあい、裏切りあう、やり方が「表層的」で「単純」な次元から、「深層的」でより「多元的」な連立方程式へと変化して来た分だけ、表面に直接見えないところでの操作が、複雑に絡み合う様になって行ったもだ。
その分、奪い合い、収奪しあう事のもたらす結果は、より大きく、より深く、より深刻になってしまった。
21世紀の現代において、人々は「社会」と言う枠の中での「権利」や「義務」に縛られながら、憲法やら法律やらで守られて暮らしている、平等な社会に生きている、と思い込んでいる。
しかし、一国の税制を少し変えさせる事が出来れば、その国を遠隔操作で支配出来る、そんな時代になってしまっている事を、忘れてはならない。
パリの、セーヌ川の岸辺に出来てまだ数年しか立っていない『ケ・ブランリー博物館』と言うのがある。
かっての、『人類学博物館』と、『オセアニア美術館』、更には『アフリカ美術館』や『(コロンブス以前)中南米美術館』等を統合発展させた博物館である。
ヨーロッパの、いわゆる「アカデミスム」による芸術とは一線を画す、地球上のあらゆる「マイナー美術」と思われて来た作品を集めてあって、実に興味深い。
ついでに言っておくと、フランス人は「中国と日本」及びアジア全般の文化芸術には、早くから深い認識を持って理解して居り、「ルーブル美術館別館」と言う待遇で『ギメ美術館』と言うところが、東洋美術を網羅している。
『ケ・ブランリー』は、それ以外の「第三世界の美術」スポットライトを当てたのだ。
そのなかに、ここ300年くらいの間の、世界中の民族が造り出して来た、ローカル美術が、実に魅力的に飾られて居り、それらの美術工芸が、旧石器時代から、表現方法は殆ど変化していない事が分かるのだ。
そして、ブラック・アフリカの仮面や日常の生活用具の一部が呪術的に発展した物など、ピカソやル・コルビュジエその他大勢のヨーロッパの現代芸術家達に、大きな影響を与えて来た事が手に取る様に分かる仕組みである。
その角度で考えれば、人間なんて、「変わっていない」のですね。
創造して来た物も、破壊して来たやり方も。
何も変わってなどいない。
近代的法的体系の中で、上品にかこつけて能書きを垂れ、やれ国会だの議員だのといっても、1万5千年前に野生動物を追いかけて狩猟で生きていた頃と、駆け引きも、力関係が生み出す獲物の分配の「不公平」も、結局は同じなのだ。
中世の「力が全て」であった時代と、『敵を排除する』駆け引きや手管など、同じ事なのだ。
敵は倒さねばならぬ。
その為には、あらゆる手段を講じて、恥じる事など無い。
敵を排除出来た者が「勝者と言われる」のです。
裏切りや、不正義、悪行や恥知らずなあらゆる不道徳、などは「負けた方が文句をつける」時の材料に過ぎず、勝った方は全てが「正義」なのだ。
その、人類が歩んで来た悠久の流れの中の、「一こまを生きるに過ぎない個人」にとっては、歴史全体は見る事能わず、今現在の結果しか感知出来ない以上、敵の悪逆非道ぶりを言い立ててみても、敵には痛くも痒くもない訳だ。
後世の歴史の評価は、本人は知る由もないのだ。
従って、なんでも有り。
したがって、ヤラレル方は、ただやられっ放しで居ると、本当に抹殺されてしまう。
目には目を。
攻撃には、攻撃で防御しなければ、勝ち目は無いと言う事を、しっかりと認識しなければならない。
我々の前に立ちふさがる「敵」は大きい。
司法機関であり、行政機関であり、国会であり、報道機関である。
並大抵の攻撃では、びくともしない彼等に立ち向かう為には、しっかりと「理論武装」をして、時を間違えずに行動に出なければならない。
マスコミに抗議しよう。
抗議し続けよう。
司法機関に抗議しよう。
抗議し続けよう。
国会にも、各政党にも、抗議しよう。
抗議し続けよう。
語ろう。
人々に、真実を語って聞かせよう。
デモが企画されれば、可能な限り参加しよう。
あらゆる、可能な限りの手段で、現代の巨悪に抵抗しなければならない。
そして、諦めてはならない。
明日の自分達の為に。
明日の我が子の為に。
官僚の好き放題な無駄遣いを辞めさせる為に。
捜査と裁判と言う、本来独立している筈の「司法の両輪」の癒着による、「恐怖政治」を終わらせる為に。
国会議員達の、無能なタワゴトで国を滅ぼさせない為に。
中国に、領土を奪われない為に。
アメリカに、日本の全てをしゃぶり尽くされない為に。
現代ニッポンの、「民主党」というムラには、ネアンデルタール人とクロマニヨン人との共棲は、為されていない。
声を上げ続けよう。
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