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小沢グループ離党の意義

2012年07月04日 08時35分27秒 | Weblog
小沢グループ離党の意義 ・・・(永田町異聞) より


朝日新聞の3日付社説は、小沢一郎とそのグループの離党についてこう書いた。

◇小沢氏は、消費増税関連法案の撤回を要求していた。129時間に及ぶ国会審議と、自民、公明両党との修正協議の末、やっと衆院通過にこぎつけた法案である。

無理難題というほかはない。◇


苦労して衆院通過させた法案を潰そうというのか、となじっている。

貴紙はいつから民自公の“感情代弁者”になったのかと問いたい。


輸出戻し税という大企業の消費税利権をそのままにしての増税に国民は納得がいくだろうか。

再販制による価格カルテルで増税分を自在に転嫁できる大新聞社が、そのうえ軽減税率の適用まで受けようと財務省に媚を売る。

一方で、財政再建、社会保障の持続などを大義名分に消費増税推進論を展開し、しかも、自らの特権を棚に上げた欺瞞性をいっこうに恥じることがない。

そんな報道姿勢を、はたして国民は信用できるだろうか。


この不平等きわまりない法案に反対するため、資金不足や支援組織との関係など、あらゆるリスクをかえりみず、小沢氏をはじめ50人の国会議員が、霞ヶ関色にすっかり染まった民主党と決別した。

もし彼らの造反行動がなかったら、アンチテーゼが国民にかくも鮮やかに示されないまま、民自公の談合の産物である増税案がおおでを振って歩いていただろう。


「壊し屋」がまた政界をかき回しているという、画一的な記事の氾濫は、記者たちが自分自身の自由闊達な思考を封印しているせいに違いない。

新聞社やテレビ局という組織のなかでは、世間に受け入れられやすいイメージをもとに記事をつくるのが、処世術としても、短時間に書き上げる術としても、すこぶる楽なのである。

むしろ、この国の政治の不幸をただ一つあげるとすれば、これまで小沢以外に革命児的「壊し屋」がいなかったということだ。

壊さなければ、新しい国のかたちはつくれない。


もし小沢一郎が存在しなければ、1955年以降初めて非自民政権が誕生した93年政変も、小選挙区制導入などの政治改革も、ましてや国民の選択で実現した09年の政権交代もなかったであろう。

ダイナミックな政治の動きには、ほとんど小沢がからんできた。

彼が離党、結党、解党をくりかえし、多くの政治家がついたり離れたりしたことをネガティブに言いつのる陳腐で定型的な言説があるが、それは官僚支配体制の解体、政治主導の実現という一本の理念を貫こうとする過程で生起したさまざまな現象を誇大に吹聴しているにすぎず、本質とはほど遠い議論である。


小沢は近いうちに新党を旗揚げし、「反増税」「脱原発」を訴えるという。

選挙で勝つためのスローガンに過ぎないと受け取られがちだが、選挙で公約したことは最大限守るべきだという小沢の政治姿勢は、今回の離党で証明されたといえよう。

離党をためらう人数をかぞえて小沢の求心力低下に結びつけようとするマスメディアの近視眼に惑わされる必要はない。

われわれは、大きい政治の流れのなかで小沢一郎をとらえる視点を忘れないようにしたいものである。


新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)

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