夜の講義で担当している僧侶が5名いるので、ちょっと早く講義に来てもらって、代理出産とカンボジアの仏教について教えてもらうことにした。シェムリアップでも話してたし、個別にちょっと話す機会を持っていたので、堅苦しくなく大学で話聞けるかなと。
ただこの日は2時前から小雨が夕方まで降ってたので、5時にキャンパスに現れたのは22−24歳の僧侶4名。
とりあえず寺の話とか将来のこととか雑談をしてから、許可を取って代理母について話を聞かせてもらうことにした。
↓そろそろ飛ぶかな、日本直行便
「僕の寺で、代理母があって、男女問題がありました」(なんでも多分セクハラか性暴力だったらしい・・・本当にこれまでの講義を理解してたのか、代理母についてのすごい理解の仕方だ)
「僕の寺では、代理母問題はありません」。そりゃないだろう。
「代理母問題についても相談を受けたことないです」そらそうだ、20歳の僧侶(それも当然男女関係なんて分かってない)に、出産の悩みなぞ聞いてたら、聞く方が悪いかも(デスパレートならやりかねないが)。
「代理母をすることは無理です、夫は絶対そういうことを許しません。」
(これも伝統的代理母の話だった・・・・胚移植の話をしたら、理解できなかった)
「ブッダの教えでは、子どもを授からない夫婦は、カルマなのです』(過去に悪いことをしたからその償いというかその罰を現生で受けてる)。でもこれは代理出産を完全に否定したかというと、そうとも言えないだろう。
でこれまで何度か聞いた議論を尋ねた、「仏教では、困ってる人を助けることはいいことだって教えてるじゃない?」、「それはもちろんだ、でも代理母に当てはまるかわからない」、とのこと。
そうなのだよな、あまりにも新しい生殖技術だから、まずその技術そのものを理解することがほぼ不可能に近いというのを実感した。そもそも女性で不妊とか理解できない見たい(全ての女性は妊娠可能と思っている発言がかなりあった)。
↓ナスとチーズのサラダ、すっごく美味しいつまみ
とか20歳くらいの僧侶たちと話してたら、若く見えるが実は35歳の僧侶が来てくれた。
なんでも仏教では、「生まれることは苦悩である」というサンスクリットの言い回しがあるそうで、生まれてきた子どもを誰かが責任を持って育てなければいけないそう。なんか理論がかなり飛躍していてイマイチわからないんだけれど、仏教で代理出産を説明するにはこれしかないかなって。
思うのだが、この僧侶学生たちは、そのうち僧侶を辞めて普通の男子になろうとしている人ばかり。カンボジアでは、青年まで普通にいて僧侶になるのではなく、貧しいから僧侶になって、大人になったら普通の男性になる。でも青年期を僧侶として過ごすと、世の中の普通からかなり取り残されて、その後の人生、苦労するんじゃないかなと・・・・杞憂かな、老婆心かな、でも話していて、ちょっと20歳の男子とは思えない「無垢さ」を感じたのであった。
カンボジア滞在も終わり、5日間はあっという間だった。
代理母問題でかなりインタビューをとって、出張授業と大学での講義をして、理事をやってる団体で職員にモチベーションを高めてもらうための研修を実施して・・・代理出産って面白い問題だ。いまいち描く方は進まなかったけれど(ビリオンズを見ているせいもある)、今回出張の成果は大きかった。