ジェンダーから見るカンボジア

南国のカンボジアからの日記、ジェンダー視点でカンボジア社会を分析します

人身取引されてたんです

2019年03月31日 | カンボジアの子どもの権利



調査をしている関係で、学生たちとカフェで座って雑談することが続き(なぜか男子が多いのだが、女子はあまり自由時間がないため)、いろんな話を聞かせてもらう。

↓スターバックス、停電後1時間で誰もいなくなった・・・


その中で、偶然サシで仕事の話をしていたアシスタント兼学生から、凄まじい話を聞かせてもらった。
彼は3年ほど誘拐されて搾取されていたというのだ。

今は20歳ちょっとの彼、田舎出身で、6歳くらいの頃に両親の仕事が失敗して借金を抱え、小さい子供2人(兄弟)を親戚に預けて夫婦で未開の地へとチャンスを求めて出稼ぎに行ってしまった。
学生は当時3歳くらいだった弟と叔父に預けられたのだけれど、近所にいる親切なおばさんが、プノンペンに行って育ててあげると言ってくれて、叔父が許可したので、その女性についていったそう。
すると、今のコ・ペッチは昔船着場で、船の中に押し込められ、朝になると管理人に連れられて外に出て、夜までカルメット病院の近くで物乞いをさせられた。

「お金が稼げないと、電気ショックを与えられて、今でも思い出すとぞっとする。」

3年くらいそういう生活を続けて、偶然、自分の本当のおばさんがたまたま自分たちを見つけてくれて、よくわからないまま田舎に戻れたそう。
その頃には両親が収入を得てもともと住んでいた家に戻ってきていて、一緒にまた生活するようになった。

↓早朝のプノンペン、建設現場は24時間で働いてる




"I was trafficked" と言われて、え?って感じだったのだけれど、話を聞いていくうちに、まあなんて経験をこの学生はしてきたんだろうと・・・・

彼は最近まで私が理事をしている団体でインターンをしていて、人身取引事業でも活躍してくれていた。
私は調査員に、どんな辛い話を聞いても、「その気持ち、よくわかります」っていったらダメだと教えているんだけれど(経験していないとまず絶対に本当にはわからないから)、彼なら人身取引や搾取の被害について本当に分かるんだろうなと。

辛くて、よくフラッシュバックがあったけれど、今は乗り越えてるそう。この2ヶ月ほど調査員として雇用するようになって、自由時間がほとんどないくらい仕事をしてもらってる。
忙しいのはいいことだ、昔のことを思い出さなくていいから、っていう彼の言葉はありがたい。

次の妻、探してるんだ

2019年03月30日 | カンボジアの子どもの権利


2002年に大学教員として最初に講義をした直後のこと。
教室から教員室に行くと、一人だけその場にいたカンボジア人教員と1時間ほどムダ話をしてから夜8時だか9時になってから帰宅した。
当時のキャンパスは、とっても小さいキャンパスで(今はサウナになってる)、教員室も6畳くらいの狭い部屋だった。

その時話をした教員(男性)は当時はまだ独身で、新任教員の私に色々教えてくれて、とても嬉しかった。当時はまだ白人が圧倒的大多数の大学運営で、カンボジア人なんてほとんどいなかったのだ(今は9割以上がカンボジア人)。
話し相手が欲しかったのかもしれない。

専門が異なるのであまり接点はないんだけれど、時々顔をあわせることがあるその同僚、大学でも学部長になったし、それ以外にも法曹界でたくさん役職について大活躍している。
とはいっても、何しろもう15年以上の付き合い。最近は会っても、子どもの学校の話しかしない。

最近大学で久しぶりに仕事で一緒になる機会があったので、「ちょっとやせた?」って聞いたら、「そう?新しい妻を探してるんだよ」と言われた。

これは冗談なんだろうか・・・・

↓カンボジアのラム?



彼の妻は、私が2005年に働いていた弁護士団体で学生インターンをしていたこともあってよく知ってるのである。
彼女が無事卒業してから結婚したからいいけれど、彼は自分の教え子と結婚したのである。
あの時はびっくりしたなあ・・・
結婚後、妻は弁護士になるのを諦め、投資に励み、すっかりビジネスウーマンになったのである。


久しぶりに会ったこの日は、大学関係の業務で大きな予算が関わる超重要な会議に参加していて、午後4時ごろから結論を出すために学長を入れて凄まじい議論が始まった。
すると途中で、「子どもを迎えに行かないといけないから、後はみんなで決めてください、決定に従います」と言って帰っていった彼。
もしかして妻にさられたんだろうか・・・・
まあ、凄腕のビジネスウーマンの妻だから、偉い立場になった夫に子育てを任せててもおかしくないかな。

超重要な決定権を握っているので、学長にも好き勝手に物申していて(うちの大学、管理職はみんな海外経験が長いので意見を言うことについてはすごく自由なのである)、あれは嫌だこれは嫌だと自分の好き放題色々議論を進めていたのに、子供のために議論を掘り出して帰っていった彼。

カンボジアらしい、でも、こういう環境にいて、幸せだなと思ったりする。

女性に魚釣りを教えると・・・

2019年03月29日 | カンボジアの女性指導者たち



ボヘミアン・ラプソディ、すでに30回以上見て、子どもたちまでシーンをしっかり覚えてる。
夜な夜な母は、子供達を無理矢理付き合わせて一緒に見るのである。
上の子は「お母さん、My Truth とボヘミアン・ラプソディどっちが好き?」とまで聞いてくるのである。

97年ごろ発売だったアルフィーの「夢幻の果てに」がなぜだか突然出ててきて、20年ぶり以上くらいに聴いてみた。
すると、これはクィーンだ・・・というくらいクィーンを意識して作られたアルバム。


ケップに行ってもカンポットに行っても、魚釣りをしたがる子どもたち。

↓どっちに大きい肉が入ってるか検討中、母と同じで主食は肉なのである


アドボカシーについてちょっと調べ物をしていたら、以下の文章が出てきた(イギリス政府資料、どこかからの引用)


「もし女性に魚をあげたら、その日は家族を食べさせられる。もし魚釣りを教えたら、一年家族を食べさせられるかもしれない。でも、もし女性と一緒に河川への権利を要求する運動をすれば、何代に渡ってもさかなが捕れるだろう。」




If you give a woman a fish she can feed her family for a day, teach her to fish and she can feed her family for a year, but campaign with her for the rights to the river and her family will have fish for generations2.

かなりまずくない・・・・?

2019年03月29日 | カンボジアの子どもの権利




カンボジアの大学は、まあ色々問題がある。教員が研究しないとか(高校教員と同じ)、9割の教員がアルバイトとか。

大学の給与は少なすぎるので、いくら支払われているかあまり気にしてない私。
ところが、昨日になって初めて知った事実。先月の給与、83%しか支払われていなかったらしい。
学部長から、残りの13%振り込まれたと連絡が教員にメールで通知されたのだ。



この83%っていう割合、なんだか危機感を募らせるものがある。いつもは全額遅延(クメール人だけ)とかなのに、こういう比率はどうやって割り出したんだろう。

最高学府で、一応世界的にもカンボジアの大学としてネームバリューのある大学なのだけれどなあ・・・・。

先週は教え子を2年間の日本留学に送り出し、明日には現在担当している学生2名が半年ドイツの大学に留学。
頻繁に推薦書を書いてる立場としては、なんだか不安・・・うちの大学、いつまで持つんだろう?
学生が戻ってきて、大学がなくなってたりしたら、かなりシャビーだなあ。






馬鹿な、だから後進国と言われる

2019年03月28日 | カンボジアの生活



学生の一人が、卒業前に急死した。

私の講義は2回受講していて、うち2回目は一緒にプルサットにクメールルージュの調査で行った学生。

死因は末期ガンで、亡くなる数日前になって「もうダメだ」と家族に通知があり、本人も多分もうダメだと気付いたのではないかと。

カルメット病院で亡くなったそうなんだけれど、最後の15時間は苦しみぬいたそう。医者は巡回してくれたtけれど、「もうダメだから」と何もしてくれなかった。
ご両親が付き添って、苦しむ娘を支えたそう。



数日あまりもショックで沈黙していたのだけれど、一人で抱えててもダメだしと思って、医者の家庭で育った日本にいるベンツ氏にメールすると、「馬鹿な。だから後進国と言われる」という回答。
家族は医者を訴えるべきだ、との主張。ベンツ氏は奥様ががんで治療中なのでカンボジア旅行も延期していて、癌にそうとうセンシティブなのだ。

学生の初七日に行ったら、亡くなった学生の上司(私の元学生でもある、狭い社会なので)がいたので、ガンの話をしていたら、「実は私の義理の姉も昨夜乳がんで亡くなった」
胸にしこりがあって、おかしいと思いつつ、最後の最後まで隠していた。亡くなる数日前に顔がむくれて大変なことになり、カルメット病院に連れて行ったら、乳がんの末期だったそう。
「姉は、恥ずかしくて、夫にも病気を言えなかったみたい。乳がんって言葉を知らなかったかもしれない」

ちゃんとした病院に行っていれば、亡くなった学生も、もうちょっとちゃんとした治療を受けられたかもしれない。伝統医療に頼ったせいで、生き残られたかもしれない時間を失ってしまった。


↓たまに食べるとおいしい、いきていくって大変なことだ


「亡くなった人は、すべて終わったんだから、幸せと思いたい」と同僚は言っていたけれど、22歳の娘を失ったご両親の心痛は想像を絶する。