ジェンダーから見るカンボジア

南国のカンボジアからの日記、ジェンダー視点でカンボジア社会を分析します

クメールルージュ時代の補償について

2022年01月17日 | クメール・ルージュ時...



欧米にある団体がカンボジアの戦争被害者(性犯罪、強制結婚も含む)に調査を実施した。
随分前にインタビューされたのだが、現地調査がわって、ドラフトができたので、コメントを依頼された。




サンプルが少ないのだが、「被害を受けたことに対する補償」は95%がお金で欲しいと回答。
日本で聞いても、同じようになるだろうか。


夫との再会が一番嬉しいことだったねえ

2021年02月24日 | クメール・ルージュ時...

学生たちに、自分の祖母にお願いして、高齢女性のライフ・ストーリーインタビューを取ってもらった。
祖母がいない学生は、近所の人。
みんな苦労してインタビューしてくれた。

質問項目の最後の方は、人生を振り返って色々聞いているのだが、そのうちの質問の一つは「これまでの人生で、一番嬉しかったことはなんですか」

↓私にとっては美味しい酒との出会い楽しみ、人生の喜びは美味しいお酒と美味しい食べ物に象徴されると思う



インタビュー対象は、みなさん、70歳とか80歳の高齢者女性。
孫とか子供の成長とか結婚を見るのが嬉しいっていう人が多い中、ある女性は、「クメールルージュが去って、夫と再会できたのが一番うれしかった」
この言葉を見て、この人は、きっと多分総合的に見れば幸せな結婚生活だったんだろうなと。
40年前の出来事以降、それ以上に嬉しかったことはないんだろうか・・・それとも、クメールルージュ時代がそれほど辛かったってことなんだろうか。

いずれにしても、こういう発言ができるような相手と巡り会えて人生を過ごしてきたことは、幸せだな。


シェムリアップでの調査結果の25名のインタビュー記録は、これから学生が提出してくれる。
読むのがとてもとても楽しみ。



クメールルージュ裁判での出来事

2018年05月09日 | クメール・ルージュ時...



3日間かけて、クメールルージュ裁判所との研修事業。




裁判所の弁護士が、裁判に傍聴に来ていた参加者の経験を共有してくれた。彼女は、他の多くの人と同様に同時代の被害者で、グループで裁判を傍聴に来ていた市民。
その日は、トゥールスレンいにた兵士が裁判の証言者として出頭していた。
すると、その被害者の女性が、「あの男が刑務所で自分をレイプした!!」と気づいて、動揺してすぐに対応が必要になったことがあるそう。
その女性は、被害者としては名乗り出ていなかった様子。

こういう話を聞くと、クメールルージュ時代が残したレガシーが、まだまだ現在にも残って影響を与えていることを感じるのである。



クメールルージュ時代の強制結婚

2017年10月03日 | クメール・ルージュ時...





やっと最終段階にはいった、クメールルージュ時代の結婚の本。
長い道のりだった・・・

お盆休みの間に、学生が集めてきたインタビューで、たくさん印象的なコメントがあった。
たいてい、指導通り、祖父母とか両親にインタビューしてきてくれてた。

↓カンポットで、とてもおいしかったブリットを出してくれたカフェ




以下はインタビューのうちのひとつ。




When I talk about my life during the Khmer Rouge regime, my children never listen to me.
They never lived such a tough life, they are living in the modern society. Thus they think their father’s experience does not matter to them.
My children said, “The past is the past. Forget it. Start a new life here.”
- Mr Ly Somnangsom, Phnom Penh


クメールルージュ時代の結婚、子どもは信じてくれない

2017年03月19日 | クメール・ルージュ時...



クメールルージュ時代の結婚のノートを大量に持参してのマレーシア。

↓部屋からの眺め、本を書くにはいい環境


強制結婚の調査をしたのが昨年の10−11月で、さらに、その後いろいろ別の調査をやってるので、かなり記憶が曖昧だったり・・・・

ただ、以下、書いたときは印象にも残ってなかったけれど、読直すと素晴らしい内容だと思った。たまにだけれど、調査やっててよかった、って心から思えるようなコメントが残ってるんだ(問題は、直接聞いた時には、他にもいろいろ聞きすぎて、どれもすごすぎて、特に印象に残ってなかったり・・・)



My husband passed away already 20 years by now. I ever told my children how I was forced to marry in the KR regime. At that time, I refused to marry with my husband, because I did not know anything about him. Then I was threatened that the KR would send to re-education for torture, if I continued to refuse to marry. My parents also persuaded me to accept an order to stay alive. So I had to agree to marry him. After a marriage, my father-in-law was very harsh to me and it was very difficult until he accepted me as his daughter. Ironically, my children did not believe all those stories, they just laughed at me.

-Mrs Ien Sout, 60 years old, from Kampong Thom province