タイトルが面白そうなので買ってみた。早稲田を出た詩人?だか研究者だかわからない女性が書いてる。
懐かしい、粗大ゴミ論争から濡れ落ち葉、さらには「パンハシ妻」(そんなのあった?)。
男性は居場所がないのである・・・・
それにしても、「定年後すぐ夫に死んで欲しい」って思っている妻たちは、きっとお金の管理もしっかりできてるんだろうと思う。
そうでないと、まずお金のことが心配で、夫に死んで欲しいとは思えないだろう。
居場所のない高齢者の男たち(本では年齢を問わず居場所がないと定義されているが)。
確かに、街を見渡すと、元気な高齢女性が多い・・・でもこの数年は、元気な高齢者カップルが散歩したり買い物しているのもよく見るようになったけれど、気のせいかな?
私の住んでいる塩屋は、外国人居住区もあったり異人館もあったり、普通電車しか止まらないけれどちょっとおしゃれな下町なので、高齢カップルが散歩したりカフェを訪問しているのも見かける。
数年前はそういうカップルはいなかったけど。
「時間」のない女性、についても、妻が夫に期待する「家事労働」「育児」について、半数程度が期待していないという意識調査の結果があって、「よくそんなんで夫婦関係(というのか協同保育)ができるなあ・・・」という印象。それにしても日本政府や研究機関は、山ほど統計を取ってる。カンボジアでは全然ないので、感心感心なのである。
並行して、「定年女子」という岸本裕紀子さんという方が書いた本も読んでみた。60歳を超えて働いたり自分のやりたいことをやって人生を楽しんでいる女性の話。
私ももう人生の折り返し地点を過ぎたので、考えないといけないのだが、まあ子ども二人を成人に育てるまでをゴールに、それまでは稼ぐしかないと思っているのである。
カンボジアって、定年したら・・・・大抵孫の世話とかかな、田舎の人は。
都会の人はどうだろう。定年なんて役人くらいだし、幾つになっても働いているような気が。
LBT調査でインタビューさせてもらった人たちは、50代ですでに「年取ってるからのんびり生きたい」とか言ってて、かなりショックだったのだが・・・・
カンボジアの60代なんてすでに高齢者の域に入ってて、日本とは全然違うのである。
60歳まで働いた女性っていうのは、これからは珍しくなってくるだろうけれど、今の60歳以上の女性だと、均等法の前の採用になるから、結構厳しい思いをして働き続けてきた人たちだろうか。
定年女子では「離婚して幸せになった!」という女性が多い、という指摘があって、これは「時間がない女性」が、夫に見切りをつけて(水無田さんは「諦念」と定義)、子どもを連れて自立するのと同じ構図。