ぶらりぶらり

今日が一番

巡礼(北の道)13日目・・・2012年5月1日part5

2012年12月16日 | 「北の道」巡礼

アルベルゲに6時半過ぎに、やっと到着した。

先ずはシャワーを浴びたい洗濯もしたい。

ここでの説明を受けると、7時からリブロと称する集会に参加しなくてはいけない。

とても間に合わない、それに良く事情が飲み込めない。兎に角シャワーと洗濯を優先する。

Castroで一緒だったオーストリアのマリアが同室だった。

後々までも何かとご縁があったニーナとデビッドも同室、おばさん2人を含めて計5名。

シャワーと洗濯の優先事を済ませて、30分位遅れてリブロに参加。

このアルベルゲの成立の紹介とアルベルゲとは?巡礼とは?スペイン語、英語,ドイツ語といずれも苦手な私達にとっては9時までのリブロは長かった。薬剤師を目指すデビットが英語の説明をドイツ語に通訳をしていた。

しかし、お世話をしてくださる方々の優しさに大感謝です。テーブルでは、Castroで知り合った、イタリアのまりお、ベルギーのカップル、ビルバオでお別れしたドイツのおばさん2人組イタリア3人組みとも再会。楽しいデイナーとなった。

ベルギーのカップルも途中で出会った時のくたびれた顔は無かった、彼は日本の熊野古道や四国八十八カ所の巡礼にとても興味を持っていたが未だに連絡は無い。スペインの巡礼の様な安い宿は無いのでcaminoと同じにはいかないだろう。

デビットは,日本に興味があるようで物価等に関心があるようだった。


巡礼(北の道)13日目・・・2012年5月1日part4

2012年12月14日 | 「北の道」巡礼

昼食後再び歩き始めて約1時間、健康器具がある公園に辿り着く。

中国では良く見かけたもの、どの国も健康志向が高まっているようだ。

矢印の通り歩くも,雑草だらけの道に入る。

前もって調べているAの資料にはないようだ『えっ!こんな道の事なんかなかったよ~

現実は資料通りにはいかないようです。

この道はそれほど長く続かなかった、直ぐにアスファルトの舗装された奇麗な道に出ました。

そして待ちに待った標識です、確かに地図の中にある地名。

地図に書かれている地名が出るとホッとします。

その一時間後方向をさす標識です。又も地図に書かれた名前Bareyoです。

でも今夜の予定のアルベルゲまで6.5k・・・後一時間以上掛かります。

しかも既に17時20分、といってもこの辺りには宿らしきものが見当たりません。

先へ行こうサマータイムで日暮れまでにはまだ時間がある。

しかし、正直言って私達はもうくたくたでした。

それでも歩くしかありません。

通りがかりに,道を聞くとやっぱり「後2キロ」”ご親切に、グラシアス

アルベルゲは,あの山の麓のようです、気を取り直して進みます。

その後は,写真等も撮るゆとりはありませんでした。

途中Castroでベッドの上段にいたカップルが路上に寝そべっていました。

「思わずどうしたの?」なんてバカな事を聞いてしまいました『休んでいるんだよ」若者だって疲れるよね

7時近くなって,車でやって来た老人に出会いました。

「アルベルゲはもう直ぐだよ」もうすぐは良いけどチョット乗せて欲しいな~

彼は行ってしまいましたが直ぐに用事を済ませて再び私達の側へ、荷物と私達を乗せてアルベルゲへ連れて行ってくれました。

あ~あ、ヤコブ様のお使い????彼はアルベルゲのオーナーでした。

そして彼は巡礼者の中でとても有名な方だったのです。http://desnivel.com/excursionismo/ernesto-bustio-peregrino-de-la-vida


年金暮ら・・・・ひさびさ・・・我が家では毎日トマト缶

2012年12月12日 | 年金暮らし

毎朝我が家の朝食に欠かせないトマト缶。

何時の頃からか夫がトマトを好んで食べるようになった。

旬のころは、安くて良質のトマトを手に入れて欠かす事の無いようにしている。

ところが、夏も終わる頃はトマトが高くなる。

ひとつ100円を超す頃には、トマト缶に変更する事にしています。

今朝、TBSの「はなまるマーケット」でトマト缶を取り上げていました。

えっ困るスーパーからトマト缶が無くなってしまう~

1缶を3日で使っています。

どうか皆さん使うだけを買ってね、良いものだから買うなとは言いません。

買いだめは止めて~


巡礼(北の道)13日目・・・2012年5月1日part3

2012年12月11日 | 「北の道」巡礼

13日目(5月1日) 47,282歩27.5k: Laredo~Güemes part3

やっと矢印を目指して歩き始めるも,又登りです。

少し上ると眼下に美しい海岸、ホッとします。本日は晴天,ぬかるみは無いけど岩と砂地も結構きびしい

何時も早いAだが、本日砂地の登りと格闘しております。

珍しい私の後ろ姿、私も砂地と格闘中。

やっと頂上です、いやはやご苦労様でした。

でも下りをなめてはいけません,楽だと侮っては膝をやられてしまいます。

下りが終るとお隣の海岸のようで丁度12時でした。

それからが長かった、昼食にありつけたのは1時間半後でした。

 


巡礼(北の道)13日目・・・2012年5月1日part2

2012年12月10日 | 「北の道」巡礼

13日目(5月1日) 47,282歩27.5k: Laredo~Güemes part2

塀が終わりそのまま歩くと左手に建物,どうもお役所らしい感じです。

見ると刑務所センター100年の歴史とある。サイトで調べると下記のサイトです

スペイン語でびっしりと書かれたHP興味のある方はご覧ください。

http://www.eldueso.es/principal.html

更に進むとリゾートマンションの様な高級長屋??ここはリゾート地、平日に散歩する人・ナアルホド

海岸添いには、潜る人、ヨットをする人等様々の施設もありました。

はてそろそろ矢印があっても良い頃、通りがかりの方にお聞きすると行き過ぎていたようでした。

少し戻ると電信柱に矢印高くて見落としていました。

 


巡礼(北の道)13日目・・・2012年5月1日

2012年12月08日 | 「北の道」巡礼

13日目(5月1日) 47,282歩27.5k: Laredo~Güemes

 

前日インフォメーションでの情報では、Laredoを出るにはインフォメーションから5kを歩き船でSantonaへ渡るとのこと。

8時45分出発、海岸線5kを歩く。10時船を降りると大きなモニュメント,港町といったところ。

しかし、矢印が見当たらない?地図を見ながら道を探していたバルセローナの2人の若い女性にで会う

彼女達について行く事にする。大きな二人は歩くのが早い、しかしここで別れたらたいへん

おばあさん二人は必死について行きます。

もちろんその間写真を撮るゆとり等ない

この道を真っ直ぐとおぼしき所にガソリンスタンド、限界に来ていた私達は彼女らにお礼を言ってお別れをしてcoffee break

随分歩いた気がしていたがほんの15分位だったようだ。少し行くと湿地帯を左に見ながら,前方に大きな塀が見える。

塀沿いをウオーキングするカップル。今日は日曜日でもないのだが,それに年金暮らしの年代でもなさそうだな?

まあどうでも良い事でしたこの塀はなんだろう?実は刑務所でした。

 



巡礼(北の道)12日目・・・2012年4月30日Part2

2012年12月07日 | 「北の道」巡礼

14時頃レストランを出発。

ケビン達はまだ食事と休憩を楽しんでいるようだ,彼らは直ぐに私達を追い抜く事だろう。

アスファルトの道をひたすら歩く事1時間半、遠くにLaredoの海岸線と街並みが見えて来た。

前後していた,スペイン在住のご夫妻と一緒に石の門をくぐる。アスファルトの道から石の門をくぐるとまるで別世界だった。

16時頃に到着、インフォメーションに行くが5時までシエスタ。

そうだここはスペイン、はてアルベルゲは?インフォのまえの地図を頼りに行く事にする。

一緒に到着した夫妻に教えてもらい、彼らはホテルに直行。方向音痴の私は何とかなると教えらえた方向へ。

迷路のような旧市街地を右往左往しながらさがす、地元の方の助けを借りながら辿り着く。

私営アルベルゲで私達にはツインの部屋があてがわれた。まるでホテルのよう13€、台所と食堂があり自炊が出来る。

シャワーと洗濯後Aは疲れたので外出はしないというので,私だけ町に買い物へ行くことにする。

既に開いていたインフォメーションでスーパーや八百屋の場所を聞き,明日のスタートに着いても情報を得る。

買い物から戻り台所に行くと,イケメンの青年が本格的な料理中。

彼はあのオーストラリア3人組みナーニの息子だった。

彼は足を痛め3人とは別にバス等を使い移動し宿で合流しているらしい。

私達は買った食材で簡単な夕食とする。

 

 


巡礼(北の道)12日目・・・2012年4月30日

2012年12月04日 | 「北の道」巡礼

12日目(4月30日)41,640歩29.1k :Castoro Urdiales~Laredo

57kをメトロとバスで移動してしまった。歩き始めて10日を過ぎ体も疲れていたのだろうと自分に言い聞かせる。

今日は歩くぞと歩き始めるがのっけから上り坂そんな事言っていたらサンチャゴまで行けないよ

それにしても辛い今日は30k頑張れ!頑張る!えいえいオー

なんだかかけ声ばかりです最初の頂上に着いた時の海奇麗でした。気がつくとケビンが海を見ながら何を考えるやら?オーイと声を掛けるが聞こえないようだ。後で聞くと音楽を聴いていたとの事、何を聞いていたのかな?一件ブルースウイルス風のオランダの息子です。

10時半,キャンプ場にレストラン有り。アルベルゲで朝食を食べたがろくなものが無かったので,ここで再び朝食?

カフェコンレチェを楽しんでいる所へケビンがやって来た。大きなボカデイージョを注文、若いから食べれますよね。

私達はお先に出発します。きっと何処かで抜かれる事でしょう。


海岸線を歩きます。何処まで続くのやら?果てしなく感じました。

海が終わり山道に入るも直ぐにアスファルトのロードを歩きます、古い石が旧道を思わせます。


空腹が疲労を感じさせます、13時を過ぎ住宅街に入りやっとレストランです。

スペインは豆の文化です。マメのスープを注文,余りに疲れていたので写真は食べ終わって気がつきました。

今まで沢山の種類の豆を食しました,又市場では何種類もの豆が売られていました。

おなかもいっぱいになり外に出ると、新しいペリグリーノ達とケビン達がいました。

”Buen Camino 💓”


巡礼(北の道)11日目・・・2012年4月29日part3

2012年12月02日 | 「北の道」巡礼

2012年4月29日castoroのアルベルゲ

闘牛場の側にあるこじんまりとしたアルベルゲ。ベッド数は20だった。

イタリアのマリオに続いて私達が2,3番目のペリグリーノだった。

宿泊費は5€だが、夕食、朝食込みで14ユーロを支払う。食事を作ってくれたのはアルフォンソ、期間付でペリグリーノの世話等しているらしくてホスピタリティともチョットちがうようでした。少し悪ふざけが過ぎるおっちゃんでした。しかし、料理の腕はまあまあかな?

 

夕食は,camino名物アホスープ・ニンニクスープともいう。トルティーヤとソーセージにパンとワインで晩餐会だった。

夕方から降り出した雨はひどくなり、暗くなって次から次へとペリグリーノがやって来て,最後アメリカのグループのベッドがなくなり、フロアーに寝る状態になった。

まだ季節外れの筈だが、北の道も人気が出て来て段々人が多くなるようです。ケビンやイタリア組他顔なじみが数人やって来ました。