現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

J.D.サリンジャー「フラニー」フラニーとズーイ所収

2022-02-11 14:40:00 | 作品論

 サリンジャーの作品全体の大きな転換点になった作品で、グラス家サーガ(年代記)にとっても重要なポジションを占めます。
 東部の名門女子大生のフラニー(グラス家の七人兄妹の末っ子)は、イェール大学との対抗戦(おそらくアメリカンフットボール)が行われる週末に、恋人の大学生(おそらくプリンストン大学)を訪ねます。
 冒頭のプラットフォームでの再会(恋人がフラニーからの手紙を読むシーンも含めて)を除くと、こじゃれたレストランでの二人の会話(恋人は旺盛な食欲を示しますが、フラニーはマティーニを二杯飲んだ以外は何も食べずに、煙草を吸い続けていました)だけで構成されています。
 フラニーは当時のエリート層における完璧な服装をした美人なのですが、ここでは手紙と再会シーンで示した久しぶりに恋人に再会する若い女性らしいかわいらしさはみじんもなく、世俗的な人々に囲まれた大学生活に絶望し、宗教(キリスト教でも、仏教でもかまわないのですが、ただひたすら祈りを捧げる、仏教で言えば念仏宗的な素朴なものに魅かれています)に回帰しようとしています。
 そうしたフラニーを、世俗的人物の典型(決して悪い人間ではないのはところどころに現れる彼の素の部分に現れているのですが、他の大学生や大学の教員たちと同様に、エリート主義あるいは教養主義の鎧でガチガチに身を固めています)として描かれている恋人にはまったく理解不能です。
 こうした作品が1955年に発表されたことは、二重の意味で重要です。
 ひとつは、サリンジャー自身の体験や当時彼が置かれていた状況です。
 1951年に出版した「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)が大ベストセラーになり、サリンジャー自身も超有名人になって、それをめぐる周囲の大騒ぎに巻き込まれたことに嫌気がさしていました(一時ヨーロッパへ避難したり、帰国後もニューヨークから転居したりしていました)。
 また、転居先では周囲(高校生や大学生が中心)と交流していましたが、彼らとの信頼関係を裏切られる事件があって、周囲との関係を断ちました。
 その一方で、周囲と交流中に知り合った女子大生(フラニーのモデルの可能性もあります)と結婚(「フラニー」は彼女への結婚プレゼントとも言われています)して、子どもも生まれました。
 もう一つの意味は、当時のアメリカ、特にエリート層の状況です。
 他の記事にも書きましたが、当時のアメリカは「黄金の五十年代」と呼ばれる空前の好況期にあって、田舎町の高校生でも自分の大きなアメ車(当たり前ですが)を乗り回していました。
 映画「アメリカン・グラフィティ」の世界(ただし、ルーカスは1944年生まれなので、時代は1960年ごろと思われます)ですね。
 ボブ・グリーンの「17歳」という小説の時代はやや後の1964年ですが、もっと詳しく同様の様子が書かれています。
 ましてや、エリート層の子弟たちは、この作品で描かれているような鼻持ちならない暮らしぶりだったのでしょう。
 大学(いわゆるアイビーリーグの有名私立大学)に通うにしても、現代のように、MBAを取ったり、医者や会計士の資格を取ったりするばかりが目的でなく、ここで描かれたような文学論、演劇論、宗教論を戦わす教養主義真っ盛りの時代だったので、大学では将来の社交に必要な教養を学んで、卒業後は家業を継ぐ男性たちが多かったと思われます(サリンジャー自身もその一人です)。
 女子大生が大学に通う目的も、将来の職業のためよりも、同じようなエリート層の男性と知り合って結婚し(サリンジャーの妻も同様の早い結婚を経験しています)、卒業後は彼と一緒に社交をこなすための教養が必要だったのです。
 こうした状況に適応できなかったフラニーが、素朴な宗教(質よりも量を重視して、ひたすら祈ります)に回帰したのも無理のないことです。
 さて、この本が出版されてから60年以上がたち、日本だけでなくアメリカでも教養主義は見る影もなく衰退してしまいました。
 竹内洋「教養主義の没落」(その記事を参照してください)によると、日本の大学での教養主義の時代は1970年ごろまでだったそうです。
 それはアメリカも同様で、1980年代の初めにアメリカの会社の研究所に行っていた時に知り合ったアメリカ人(WASP(白人(ホワイト)で、アングロサクソンで、プロテスタント))の友人は、理系の博士号を持っていましたが、専門書以外の本はほとんど読んだことがないと言っていました。
 こうした状況の現代の読者がこの作品を読んでも、フラニーや恋人の人物像を正しく理解するのは難しいかもしれません。
 しかし、フラニーが陥った現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていくリアリティの希薄化、社会への不適合など)は、形を変えて現在ではより広い社会層や年代の人たちにも広がっています。
 そうした点では、グラス家サーガでこうした問題を描こうとしたサリンジャーの作品について考えることは、新たな意味を持っていると思っています。




 

 

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ワン・モア・ライフ!

2022-02-10 16:06:02 | 映画

 2019年公開のイタリア映画です。

 バイクで信号無視をして車にはねられて死んだ男が、天国の手違い(スムージーを飲んだ効果が計算されていなかった)で、1時間32分だけ生き返る話です。

 この時間設定が作品のミソで、それをほぼリアルタイムで描いて、男に人生を振り返らせます。

 しかし、浮気癖のあるさえない中年男に、振り返るべきたいした人生はなく、最後は家族(妻と娘と息子)との別れを惜しんでタイムアップです。

 ラストでは、再現事故を巧みな運転で切り抜け、家族のもとに無事に帰り着きますが、彼の浮気癖は直らないようです。

 人生なんて取るに足らないもの、しかしその取るに足らないものの中に幸せがあることを、この映画は主張しているのでしょう。

 他のイタリア映画の記事でも書きましたが、彼らは日本人とはかなり違ったメンタリティーの持ち主のようです。

 

 

 

 

 

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J.D.サリンジャー「ズーイ」フラニーとズーイ所収

2022-02-10 14:12:55 | 作品論

 1957年に書かれたグラス家の七人兄妹の六番目であるズーイ(作品の時代設定である1955年当時は25歳で、テレビの人気俳優です)に関する作品(ただし、語り手は次兄のバディのようです)です。
 前作「フラニー」(その記事を参照してください)で、大学や恋人の世俗主義に絶望し、ひたする祈りを捧げる念仏系の宗教(キリスト教でも仏教でもかまいません)に回帰して、精神的に参って家に閉じこもってしまった妹を、あらゆる方法(ズーイ自身としては自分の殻に閉じこもろうとしている妹を激しく批判し、次兄のバディ(当時36歳の作家兼大学教師で、サリンジャー自身の分身と言われています)を装ってフラニーへ電話をして優しく慰ぶし、それがばれてからは長兄のシーモァ(バディより2歳年上で18歳で博士号を取った、秀才ぞろいのグラス家兄妹の中でも最も優秀な天才で、他の兄妹たちに大きな影響を与えていますが、7年前に自殺しています(「バナナ魚にはもってこいの日」の記事を参照してください))の遺訓を伝えて、目指していた女優として人生を全うすることがフラニーにとっての神への祈りだということを悟らせます)を使って自閉的な状況から救い出します。
 幼いころからラジオの「賢い子」という番組に出演させられた(両親が成功した芸能人だったからでしょう)ために、異常に早熟にならざるをえなかった七人兄妹(もともと知性的には優れた資質があったのだと思われますが、特にその傾向が強かったシーモァの影響を弟妹たちが強く受けました)ことと、年が離れた上二人(シーモァとバディ)が下二人(ズーイとフラニー)の教育係をかってでて、難解な文学書や宗教書を幼い二人に押し付けたことが、フラニーの悲劇とそれを救済しようとするズーイの献身(彼がフラニーが陥っている状況を一番理解しています)を生み出したと言えます。
 彼らの両親は、かつて賢く可愛かった子どもたちを無邪気に懐かしむだけで、現在の彼らを理解することはできません。
 この時20歳だったフラニー(しかし、大学にもう4年もいると書かれていますので、シーモァほどではないにしろ、かなり早熟です)は、長兄のシーモァとは18歳も年が離れていただけに特にその影響が強かったようで、ズーイに「バディと電話で話すか?」と問われた時に、「私が話したいのはシーモァ」と答えていたのは痛切でしたが、一方で彼女の魂の救済方法を暗示していました。
 そのため、賢明なズーイはそれを察して、偽バディの電話とシーモァの遺訓によって、フラニーを救済することに成功したのでした。
 さらに、七人兄妹の中で、この二人が一番容姿に恵まれていると書かれていますので、他の兄妹にはないずば抜けた才色兼備であるがゆえの苦悩も、彼らの共通点としてあったことでしょう。
 結果として、ズーイはそれを逆手にとってテレビ俳優として成功(業界には不満があるようですが)し、フラニーも同じ道(ただし舞台女優志望のようですが)を歩もうとしています。
 なお、この作品の解説や評論には、フラニーが精神分裂症に罹ったという文章を見かけますが、正しいフラニーの状況は当時の言葉で言えばナーバス・ブレイクダウン(神経衰弱)だったと思われます。
 だから、兄妹とはいえ医学に素人のズーイ(もちろん、バディやシーモァまで繰り出した彼のアイデアは素晴らしいのですが)でも救済できたわけで、精神分裂症(現在の言葉では統合失調症)ではこんなに簡単には治らなかったでしょう。
 また、この作品では、グラス家の兄妹がシーモァ(15歳で大学入学、18歳で博士号習得)やフラニー(16歳で大学入学)を初めとして、日本にはない(現在は限定的に存在しますが)いわゆる飛び級をしていることがうかがわれますが、そのことが彼らの孤独(それゆえに兄妹のきずなは強い)にどんな影響があったかは言及されていませんが、なんらかの影響があった可能性はあると思われます。
 一方で、飛び級がないための悲劇(教育制度が平均的な子どもに合わせて作られていて、それについていけない子どもたちに対する救済策はありますが、通常の授業(私立や国立のエリート校の授業でも、その差はたかが知れています)ではすでに知っていることばかりで何も得られない子どもたちに対しては、日本では救済策はまったくありません。
 私事で恐縮ですが、私自身も小中学校では授業に全く関心が持てずに(知っていることばかりなので)、授業中に自分のやりたいことを勝手にやっていたので、毎日のように廊下に立たされたり、教室の前の方に正座させられたりしていました(今だったら体罰にあたるかもしれません)。
 受験体制をドロップアウトすることを決めて、高校で私立大学の付属校に進んでから、自分の専門分野だけを異常に詳しく教える(大学受験がないので)教師たち(全員が修士以上の学歴で、大学の研究者と掛け持ちの人たちもいました)に出会って、本当の勉強のやり方(自分でテーマを決めて、できるだけ詳しく調べて(当時はコンピュータやインターネットがないので、図書館(高校の図書館だけでなく、あちこちの公立図書館も)からできるだけたくさんの関連書籍を借りて読みあさるぐらいしか方法がありませんでした)、自分の考えを文章にまとめる)を学びました。
 三年生の時の日本史の授業では、毎学期一回、担当教師に代わって授業をヒトコマ(五十分)する機会があり、今でもその時のテーマを三つとも覚えています(一学期が「憶良と旅人」(万葉集における山上憶良と大伴旅人の比較研究です)、二学期が「記紀のヤマトタケルノミコト」(古事記と日本書紀におけるヤマトタケルノミコトの比較研究です)、三学期が「江戸の遊郭」(江戸における遊郭の制度と、文化や文学に対する影響についてです))。
 小中学校のころから、普通の教育以外に、こうした自分が興味を持てる分野の自由研究(もちろん理科系のテーマも含めて)をサポートする仕組みが公にあれば、もっと有意義な勉強を早くから受けられる子どもたちが数多くいることと思われます。
 専門家以外が英語やプログラミングを教えるなんてまったく無意味なことに、莫大なお金や時間を使うぐらいなら、比べ物にならないぐらい小さな費用で将来の日本や世界に貢献できる人材を育成できると思うのですが。

 

 









 

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J.D.サリンジャー「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」大工らよ、屋根の梁を高く上げよ所収

2022-02-09 15:54:38 | 作品論

 1955年に発表されたグラス家サーガを構成する重要な中編です。
 1942年に行われたグラス家の七人兄妹の長兄シーモァの結婚式をめぐる騒動を、二つ年下の次男のバディ(作家でサリンジャー自身の分身と言われています)の眼を通して描いています。
 結婚式の当日に、「幸福すぎて結婚できない」という奇妙な理由で、シーモァはミュリエルとの結婚式をキャンセルして姿を消します。
 大混乱の式場で、バディは偶然花嫁の縁者たちと狭いタクシーの中に押し込まれ、さらにパレードのために交通止めになったために、偶然近くにあったシーモァと二人で借りていたアパートメント(二人が兵役に就いていたため、妹のブー・ブーが住んでいましたが、彼女も兵役に就くことになって不在でした)へ招待する羽目になり、シーモァを非難する花嫁の縁者たち(特に花嫁の付添役の体育会系の女性が強硬派)に囲まれる四面楚歌の中で、シーモァの名誉のために酒の力も借りて奮闘します(精神分裂症だとか同性愛者だとか、花嫁の付添役に言われますが、なにぶん七十年以上も前の話なので、マイノリティへの差別意識は、両者ともにあります)。
 結局、その頃ミュリエルの実家に現れたシーモァは、前言を翻してミュリエルと結婚することと、彼女の母親の勧め通りに精神分析医にかかることを約束すると、大泣きしていたミュリエルもあっさり機嫌を直して、花嫁の家族や親戚たちを残してハネムーンへ旅立ちます。
 しかし、ご存じのように、二人の結婚生活はわずか6年後にシーモァのピストル自殺によって幕を閉じます(「バナナ魚にもってこいの日」の記事を参照してください)。
 シーモァは、ミュリエルが自分を好いていることも確かだけど、愛しているから結婚したいというよりは結婚という制度とそれに付随する楽しいこと(結婚式や、二人での新生活や、やがて授かるであろう(自分に似て)かわいい子どもたちなど)にあこがれていて結婚したがっていることを見抜いています(現在の日本でも、同様な女性が少なからず存在していると思います)。
 しかし、重要なことは、シーモァがそれを非難しているのではなく、それも含めてありのままのミュリエルを愛そうと決意していることです。
 いや、むしろ、自分にはない(兄妹たちも同様です)そうした愛すべき部分を持った女性(もちろん美しい外見も魅力なのでしょうが)に魅かれているのだと思われます。
 一方、ミュリエルも、彼女の知性ではシーモァのような存在(15歳で大学に入学し18歳で博士号を得ています)を理解するのは無理なのですが、一応理解しようとは努めています。
 問題は、彼女が親離れ(特に母親)していなかったことです。
 シーモァのことはなんでも母親にそのまま話してしまいますし、母親の方も子離れしていないので何かと干渉してきます(一番驚いたのは、シーモァを家に招いた時に、自分の精神分析医を同席させたことです)。
 シーモァはミュリエルをそのままの存在として愛していましたし、ミュリエルもシーモァのことを理解しようとしていて積極的には変えようとはしていませんでした。
 しかし、ミュリエルの母親は、シーモァを自分の娘にふさわしい男性に変えようとしていたのです。
 こうした母娘関係は、現在の日本では大きな問題になっていますので、極めて今日的なテーマを備えていると言えます。
 シーモァの自殺については、戦争体験などいろいろな要素がからみあっているのですが、この不幸な結婚もその一因になっていたでしょう。
 あのまま、シーモァが逃げてしまっていたらと思わざるを得ません。
 なお、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」という風変わりなタイトルは、妹のブー・ブーがアパートメントに残したメッセージに起因していますが、その意味合いについては諸説あってはっきりしていません。
 ただ、兵役に就くために結婚式に出席できなくなったブー・ブー(兄弟の中では一番バランスの取れた聡明な女性で、ミュリエルやその母親の本質を正しく見抜いていました)が、厳しい未来が予想される結婚に臨む兄を励ましている(チアーアップしている)と読むのが、一番素直なように思えます。




 

 

 

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森川展男「サリンジャー」

2022-02-08 16:56:44 | 参考文献

 1998年に出版された「伝説の半生、謎の隠遁生活」の副題を持つ評論です。

 惹句に惹かれて、新事実や新説を期待して読むと、拍子抜けします。

 あとがきにも書かれているように、サリンジャーのほとんどの作品に言及し、先行文献にもよく目を通しているのはわかるのですが、作者自身の視点や意見には新味はありません。

 また、作者はサリンジャー・ファンを自称していますが、その書き方にはあまり愛情は感じられず(他の記事にも書きましたが、欧米を中心にしたサリンジャーの研究者たちも同様で、そのあたりが宮沢賢治の研究者たちとは違う点です)、サリンジャー・ファンが読むと不快に感じる部分も多々あります。

 また、文学理論に照らし合わせたり、英米の純文学系の大家たちと比較するような書き方も、サリンジャーのような平明さを命にしているような作品を批評する時には、あまりフェアとは言えません。

 特に、サリンジャーがその作品の中で重要視しているイノセンス(無垢)な魂の持ち主を、未熟としてしか捕らえられない作者には、サリンジャー作品の本質は理解できないでしょう。

 それなら、何故、ここまでの労力をかけて本を書いたのでしょうか。

 それは、いみじくも文中で作者自身が他の研究者を揶揄しているように、サリンジャーについて書けば、「本になる」「お金になる」からでしょう。

 アメリカで(そして日本でも)、もっとも読まれているアメリカ文学の書き手がサリンジャーなのです。

 それでは、なぜ洋の東西を問わず、時代を超えて今でも、サリンジャーが若者に読まれているのでしょうか?

 それを説き明かすには、この本のようなテキストにこだわった文学論的なアプローチではなく、社会学的なアプローチや発達心理学的なアプローチが必要でしょう。

 また、他の記事にも書きましたが、児童文学論的なアプローチ(文学と子どもという二つの中心を持つ楕円形として作品を捕らえる)も有効かもしれません。

 そうでなければ、サリンジャー作品のような現代的不幸(生きることのリアリティの希薄さ、アイデンティティの喪失、社会への不適合など)を抱えた人物を主人公にした作品は解読できません。

 

 

 

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武田勝彦「グラドウォラ=コールドフィールド物語群」若者たち解説

2022-02-07 16:54:05 | 参考文献

 訳者である鈴木武樹が、ジョン・F・グラドウォラあるいはホールデン・モリス・コールフィールドを主人公にした短編を一つのグループにまとめたのに即して解説しています。
 これらの作品は、サリンジャーの代表作である「キャッチャー・イン・ザ・ライ」ないしは、自選短編集「九つの物語」のための習作あるいは下書き的な性格を持っています。
 そのため、これらの作品自体を論ずるよりは、完成形の作品との差異やなぜそのように変化していったかを考察すべきだと思うのですが、そのあたりが中途半端になっています。
 また、アメリカ文学の流れとしての「ロマンス」から「ノヴェル」への変化についても言及していますが、こうした大きな話は限られた紙数の「解説」という場にはふさわしくなく、中途半端に終わっています。
 以下に各短編の評について述べます。

<マディスンはずれの微かな反乱>
 この作品は、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の第17章から第20章にかけての内容の、ごく断片的な下書きともいえます(その記事を参照してください)。
 しかし、著者は、それとの関連に対する考察は、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」と「美しき口に、緑なりわが目は」とのあまり本質的ではない関連に触れただけで、この作品自体の評価としては、サリンジャーの巧妙なまとめ方は認めつつも完成度が低いとしています。
 この短編を読んで、ここから長編「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にどのように変化していったかを類推しようとしないのは、著者が実作経験に乏しいためと思われます。
 他の記事にも書きましたが、創作する立場から言うと、長編作品には、大きく分けると「長編構想の長編」と「短編構想の長編」があります。
 前者は、初めから長編として構想されて、全体を意識して創作される作品です。
 後者は、初めは短編構想で書きあげられて、そののちそれが膨らんだり、あるいはいくつかが組み合わさったりして、結果として長編になる作品です。
 サリンジャーは、自分自身も認めているように、本質的には短編作家です(長編は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」しかありません)。
 そうした作家の長編の創作過程を考察するためには、こうした初期短編は絶好の材料です。
 その点について、もっと掘り下げた考察をするべきでしょう。
 また、五十年以上前の文章なので仕方がないのですが、著者のジェンダー観の古さと、アメリカ人と日本人のメンタリティの違いが理解できていないことも感じられました。

<最後の賜暇の最後の日>
 平和主義者のサリンジャーの戦争批判の仕方について論じて、「エスキモーとの戦争の直前に」(その記事を参照してください)との共通点を指摘しています。
 ただ、この作品が、幾つかの点で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)のための習作の役割(詳しくはこの作品の記事を参照してください)を果たしていることが書かれていないので、物足りません。

<フランスへ来た青年>
 戦争で精神的に傷ついた青年が、妹からの手紙で救済されたことについて、「エズメのために ― 愛と背徳とをこめて」との関連で述べています。
 ここにおいても、幾つかの点で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)のための習作の役割(詳しくはこの作品の記事を参照してください)を果たしていることが書かれていないので、物足りません。
 また、当時の翻訳者が、日本と外国(この場合はアメリカ)との風俗や人間関係の違いから、読者にわかりやすくするという名目で勝手に意訳したり設定を変えたりすることについて肯定的に考えていることがほのめかされていて、驚愕しました。
 そう言えば、最近は少なくなりましたが、外国の文学作品や映画の日本でのタイトルはかなり大胆に変えられていて、オリジナルのタイトルを知って驚かされることがあります。
 もちろん、そちらの方が優れている場合もあるので、一概に良くないとは言えないのですが。
 例えば、スティーブン・キングの有名な「スタンド・バイ・ミー」は本当は主題歌のタイトルなのですが、オリジナルの「ボディ(死体)」よりはこちらの方が内容的にもしっくりします。
 サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も、初めの邦題は「危険な年頃」なんてすごい奴でしたし、日本で一番ポピュラーになっている「ライ麦畑でつかまえて」もなんだかしっくりきません。

<このサンドイッチ、マヨネーズがついていない>
 主として技巧面での解説をしていますが、この作品については「キャッチャー・イン・ザ・ライ」との関連が述べられています(詳しくはこの作品の記事を参照してください)。

<一面識もない男>
 サリンジャーの繊細な表現について肯定的な評価をしていますが、明らかな誤読か見落としがあって、この作品もまた「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の原型の一つであることに気づいていません(詳しくは、この作品の記事を参照してください)

<ぼくはいかれている>
 この短編が、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の原型であることは述べていますが(まあ、誰が読んでも明白なのですが)、それについての具体的な考察はなく将来の研究(他者の?)に委ねてしまっています(私見については、この作品の記事を参照してください)。

 

 

 

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武田勝彦「J.D.サリンジャー ― 人と作品」フラニーとズーイ解説

2022-02-07 16:48:35 | 参考文献

 1969年に出版された、鈴木武樹訳の角川文庫版「フラニーとズーイ」(その記事を参照してください)に掲載された解説です。
 同じ訳者の角川文庫版「九つの物語」(1969年)、「倒錯の森」(1970年)、「若者たち」(1971年)、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」(1972年)にも転載されています(なお、この出版順は、サリンジャーの作品の実際の発表順とは無関係です。詳しくは、それぞれの記事を参照してください)。
 サリンジャーとその作品について、以下の観点でまとめています。

<私離れと私そのまま>
 サリンジャーの作品を、どこまでが実体験(目撃や観察も含めて)であるかどうかについて論じていますが、結論としては彼の作品は簡単に私離れを起こさせる自由度を持ちつつ、その根っこの部分には自身の体験があると指摘しています。
 そして、実体験に基づいた初期の短編から、作家として成熟するにつれて、私離れを自在に行えるようになっているとしています(まあ、私自身の乏しい実作体験から類推しても、ほとんどの作家が同様なのですが)。

<ユダヤの血>
 ご存じのように、サリンジャー自身がユダヤ系アメリカ人ですし、彼の一番重要な作品であるグラス家サーガの七人兄妹もユダヤ系アメリカ人の父とアイルランド系アメリカ人の母の間に生まれています。
 どんな作家も、自分自身に流れる血の影響は免れないものですが、アメリカ社会におけるユダヤ系のようなマイノリティの場合は特にその影響が強いでしょう。
 また、そうした血脈の影響は親子などの垂直方向に働くことが通常は多いのですが、サリンジャーの場合にはグラス家兄弟のように水平方向に働いているとの著者の指摘は非常に重要です。
 家族関係が希薄な現在では、これら水平関係も希薄になりつつあり、その結果として逆に「血」の結びつきが国家単位(「日本人」とか、「アメリカ人」とか、「中国人」とか、「韓国人」とか)に回帰する傾向さえあって、「血」の定義が非常にあいまい化されるとともに、「ポピュリズム」によって操られる可能性があるのではないかと危惧しています。

<青春彷徨と詩魂>
 サリンジャーは、青年と大人の境界を彷徨う魂を吸い上げて、文学作品にまで昇華させる詩魂が大きかったとしていますが、全く同感です。
 代表作の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)で、主人公のホールデン・コールフィールドを、退校させられた寄宿高校から家へたどり着くまで、文字通り彷徨させていますが、初期の短編にも多くの擬似ホールデンが登場します。
 このことが、同様の現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティの希薄さ、社会への不適合など)を抱えた多くの若い読者たちのハートを掴み、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」をベストセラーであるばかりでなく、現代にいたるまでのロングセラー(現代的不幸に直面する人たちの年代は、国や時代によって様々なのが長く読み続けられている主な理由です)にした要因でしょう。

<戦火の悲劇>
 サリンジャー自身の戦争体験を反映した作品もありますし、それが原因の一つと考えられるシーモァの自殺はグラス家サーガに大きな影響を与えています。
 私見を述べれば、悲惨な戦争体験に加えて、戦後のアメリカにおける空前の好景気による世俗主義に対する嫌悪が重なり合って、シーモァの死だけでなく、ホールデンの悲喜劇、フラニー(「フラニー」(その記事を参照してください)の主人公)の悲劇が生み出されたのではないでしょうか。

<マスコミとの双曲線>
 著者は「サリンジャーは、マスコミ嫌い、人間嫌いとして有名である」と断じていますが、はたして本当にそうでしょうか?
 著者も指摘しているように、サリンジャーが一般の読者に注目されるようになったのは、グラス家サーガの記念すべき第一作「バナナ魚のもってこいの日」(その記事を参照してください)が「ニューヨーカー」誌に掲載されてからです。
 それ以前にも、「ニューヨーカー」に短編を掲載したことがありましたが、彼の人気はこの作品で決定的になり、「ニューヨーカー」と特約を結んで、以降の作品は、書き下ろし長編の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)を除いて、すべて「ニューヨーカー」に発表されています。
 「ニューヨーカー」と言えば、専門家やマニア向けの純文学専門の雑誌ではなく、その名の通りハイソでおしゃれな文学系雑誌です(村上春樹の作品の翻訳がよく掲載されると言えば、雰囲気が分かってもらえるかもしれません)。
 そこと特約を結ぶということは、少なくともその時点では、ある程度の商業的な成功も志向していたと思われます。
 もともと短編を書き始めた10代のころは、作品をハリウッドへ売り込みたいと思っていたそうなので、そのころは普通に有名作家になる夢を持った文学少年だったのでしょう。
 マスコミ嫌いになったのは、1950年に映画化を許した(少年の時の夢がかなった訳です)「コネチカットのグラグラカカ父さん」の出来があまりにも悪く、公開を拒否したことにあるでしょう。
 その後は、ハリウッドに幻滅したサリンジャーはすべての作品の映画化を拒絶しています(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の映画化の話(監督はエリア・カザン(ジェームス・ディーン主演の「エデンの東」などで有名)などは、巨額の原作料が提示されたことでしょう)。
 さらに、1951年に発表した「キャッチャ・イン・ザ・ライ」が大ベストセラーになって以降のマスコミを中心とした馬鹿騒ぎに嫌気がさしたことが、「マスコミ嫌い」に拍車をかけたのでしょう。
 「人間嫌い」については、私はそう考えていません。
 確かに、交流のあった高校生たちに裏切られ事件(1953年)をきっかけに、外界をシャットアウトした生活を2010年に91歳で亡くなるまで続けましたが、その間結婚もして子どもたちも授かっているので、たんに「自分のことを理解しない(あるいはしようとしない)人間たちをの関係を断った」だけです。
 それは、他人がとやかく言うべきではない一つの生き方なので、決して「人間嫌い」であったわけではないと思っています。

<グラス家年代記への執着><グラス家の系譜>
 1948年に発表された「バナナ魚にもってこいの日」を皮切りに、同じ1948年の「コネチカットのグラグラカカ父さん」、1949年の「下のヨットのところで」、1955年の「フラニー」、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」、1957年の「ズーイ」、1959年の「シーモァ ― 序論」、1965年の「一九二四年、ハップワース十六日」に至るまで、グラス家七人兄妹(シーモァ、バディ、ブー・ブー、ウォルト、ウェイカー、ズーイ、フラニー」について断続的に書かれたグラス家サーガは、著者が言うように、それぞれが優れた短編や中編でありながら、全体が完成すれば、長男シーモァを中心にして物質文明の中での兄妹の精神史を描いた、一大叙事詩になる可能性を秘めていたと思われます。
 技法的にも、オーソドックスな短編から、しだいにストーリー展開に頼らない前衛的な作品に深化していっています。
 著者は、解説の最後に、期待を込めて以下のように述べています。
「サリンジャーは、一九六五年に「ニューヨーカー」誌に「一九二四年、ハップワース十六日」を公にして以来まるまる四年以上の沈黙を守っている。現代作家としては珍しい沈黙ぶりである。果たして、今後如何なる作品が公にされるかに期待がもたれるわけであるが、グラス家物語の完結以外にサリンジャーが他の問題に取り組むとは今のところどうしても思えない。次作の興味深く待たれるゆえんである。」
 しかし、ご存じのように、その後新しい作品が発表されることはありませんでした。
 本当に筆を折ってしまったのか、期待を込めた噂として囁かれている「実際には、発表されていないだけで「グラス家」サーガは密かに完成している」のかは、現在のところ謎のままです。




 

 








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カメラを止めるな!

2022-02-05 17:11:48 | 映画

 2017年公開ですが、国内外のいろいろなマイナーな映画祭で受賞を重ねて話題になり、2018年にメジャーな公開がされています。
 前半は、廃墟でソンビ映画を撮影していたチームが本当のゾンビに襲われるというB級ホラー映画で、その終了時には実際にエンドロールも流れます(ところどころ放送事故のようなおかしな場面があって、出来栄えはイマイチなのですが、それが後半の伏線になっています)。
 中盤は、その映画の監督一家(夫は再現シーンなどのマイナーなフィルム専用の妥協ばかりしている監督、妻は元女優、娘も監督志望だが一切妥協しないのでADとして問題ばかり起こしている)を中心に、この映画(実は、30分ノーカットで生中継もされる)に関わる、いずれも一癖あるプロデューサー、スタッフ、キャストなどの紹介(それぞれのキャラクターが後半の伏線になっていますが、ここが一番つまらない)。
 後半は、ノーカット生中継のゾンビ映画などという無茶苦茶な設定と、いろいろなアクシデント(何かと撮影で手抜き(ゲロはNG、涙の代わりの目薬など)を要求する主演女優のアイドル、やたらとリアリティにこだわる主演男優のイケメン俳優、監督役の男優とメイク役の女優が実は不倫中で一緒の車で撮影現場に来る途中に事故を起こし来れなくなり、実際の監督と元女優の妻が代役をすることになる。監督は、次第に夢中になって、日頃と違って妥協しなくなる。元女優の妻は、やたらと役にはまり込んでしまって、本番中に暴走する(もともとそのために女優を辞めさせられていた)。アルコール依存症のカメラマン役の男優が差し入れの日本酒を飲んでしまって、本番前に泥酔してしまう。硬水が飲めない体質の音声役の男優が誤って硬水を飲んで本番中に下痢を起こす。クレーンカメラが落下して壊れてしまい、代わりに人間ピラミッドを組んでその上で撮影するなど)を乗りこえて、生中継をなんとか最後まで乗り越えていく様子を、ノンフィクションタッチで描いています。
 前半のゾンビ映画でのおかしな場面や、中盤で紹介されたいずれも一癖あるメンバーなどのすべての伏線が、後半のドキュメンタリーですべて見事に回収されていく腕前には感心させられ、上映中の満員の館内のあちこちで絶え間なく爆笑が起きていました(私自身も抱腹絶倒でした)。
 なお、八月ごろにこの映画の原案になった舞台関係者と一時トラブル(原案ではなく原作で著作権を侵害しているといった内容のようでした)になりましたが、その後解決したようです(この作品の面白さはどう見ても映画的な所ですし、興業的に大ヒットして大手の配給会社も関係するようになったので、金銭的にも納得のいく線で保障できたのでしょう)。

【映画パンフレット】カメラを止めるな! ONE CUT OF THE DEAD
クリエーター情報なし
アスミック・エース
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スペシャルアクターズ

2022-02-05 17:07:58 | 映画

 2019年公開の日本映画です。

「カメラを止めるな!」を大ヒットさせた上田慎一郎監督の作品なので、この映画も無名俳優だけによる素人感満載の映画です。

 依頼人に頼まれた状況に合った芝居をするという特別な芸能プロダクションによるプロジェクトに、主役の精神的な病気(緊張すると失神してしまいます)を持つ売れない役者が巻き込まれます。

 そのプロジェクトは、インチキ教団から旅館を守るという芝居なのですが、最後にもう一回り大きなプロジェクトが仕掛けられたというオチが用意されています。

 下手な芝居に目をつぶれば、結構笑えます。

 

 

 

 

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パーム・スプリングス

2022-02-04 18:07:28 | 映画

 2020年公開のアメリカ映画です。

 タイムスリップもののラブコメディです。

 タイムループに閉じ込められた男女が、他人(男にとっては恋人の親友、女にとっては妹)の結婚式当日の一日(目を覚ますたびに、その日の朝に戻ってしまいます)から抜け出すために四苦八苦する姿(よそへ逃げたり、自殺したりします)が結構笑えます。

 初めは、他人だった二人が、協力し合ううちに、二人の間に愛が芽生える姿にも納得がいきました。

 ただし、タイムスリップによるパラドックスの処理や最後にタイムループから抜け出す手段は、かなりいい加減です。

 

 

 

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アバウト・タイム 〜愛おしい時間について

2022-02-03 18:49:14 | 映画

 2013年公開のイギリス映画です。
 タイムトラベル(ただし自分の過去に戻れるだけ)の能力を持つ男性(父親も含めて一族の男はすべて、21歳になるとその力を持ちます)を主人公にしたファンタジック・コメディです。
 恋愛でも仕事でも、失敗したら何度でもやり直せるのですから、ある意味無敵で、かわいい彼女をゲットして幸せな家族を作ったり、落ちこぼれで身を持ち崩しかけていた妹も救えます。
 そういった意味では、けっこうキワモノなのですが、ストーリーを通して主人公が成長して、タイムトラベルの力を必要としなくなるラストがこの作品のミソでしょう。
 家族愛が非常に強く、特に大人になっても父親と仲良く卓球をしたりする主人公は、現代の日本人には受け入れにくいかも知れません。
 また、SFとしては、タイムトラベルのルールがかなりいい加減で、特にタイム・パラドックスの扱いはご都合主義です。




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パーフェクト・プラン 人生逆転のパリ大作戦!

2022-02-02 16:54:36 | 映画

 2017年公開のフランス映画です。

 モロッコから来た男性が、不法滞在による強制送還を逃れるために偽装結婚をします。

 しかし、その相手が親友の男性だったことから、ハチャメチャの大騒ぎになります。

 ドタバタコメディなのであまり堅いことは言いたくないのですが、LGBTQだけでなく女性や障害者への差別に関してもかなりルーズで関心できません。

 

 

 

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J.D.サリンジャー「シーモァ ― 序論」大工らよ、屋根の梁を高く上げよ所収

2022-02-01 17:32:09 | 作品論

 1959年に発表された、グラス家サーガの一篇です。
 グラス家七人兄妹の中心人物である長兄のシーモァについての人物論を、二歳下のバディ(作家兼大学教師)が描く形をとっています。
 しかも、シーモァの外見、考え方、性格、能力、家族内での位置づけなどを、彼の遺稿である184篇の詩を出版するために紹介する名目で書いているという、非常に凝った形式で描かれています。
 また、バディ=サリンジャーだということを匂わせる記述(「バナナ魚にもってこいの日」、「テディ」、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」らしき作品(それらの記事を参照してください)の作者であることと、この時の年齢が同じ40歳であることなど)もあって、シーモァ、バディ、ブー=ブー、ウォルト、ウェイカー、ズーイ、フラニーの七人兄妹だけでなく、サリンジャー自身も登場人物であるような不思議な感覚を味あわせてくれます。
 実際に、「バナナ魚にもってこいの日」でシーモァが31歳で自殺した時には、バディとサリンジャーは共に29歳だったわけで、そう考えるとバディが自分を描写している中年太りが始まった姿は、かつて本に載せることを許していた痩身で若々しいサリンジャーの写真からの変化が想像されて微笑ましいとともに、夭折したものだけに許されるいつまでも31歳のままで変わらないシーモァとの対比がより鮮明になります。
 筋らしい筋がない書き方は、1957年に発表された「ズーイ」(その記事を参照してください)よりさらに進んでいるため、グラス家サーガの先行作品をすべて読んでいない読者には非常に分かりにくい作品になっています(「ズーイ」は、少なくとも「フラニー」(その記事を参照してください)を読んでいれば理解が可能です)。
 その一方で、グラス家サーガのファン、特に、「なぜ、シーモァは自殺しなければならなかったか?」を考え続けている私のような人間にとっては、貴重な手掛かりに富んだ作品になっています。

 

 

 

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