現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

J.D.サリンジャー「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」大工らよ、屋根の梁を高く上げよ所収

2022-02-09 15:54:38 | 作品論

 1955年に発表されたグラス家サーガを構成する重要な中編です。
 1942年に行われたグラス家の七人兄妹の長兄シーモァの結婚式をめぐる騒動を、二つ年下の次男のバディ(作家でサリンジャー自身の分身と言われています)の眼を通して描いています。
 結婚式の当日に、「幸福すぎて結婚できない」という奇妙な理由で、シーモァはミュリエルとの結婚式をキャンセルして姿を消します。
 大混乱の式場で、バディは偶然花嫁の縁者たちと狭いタクシーの中に押し込まれ、さらにパレードのために交通止めになったために、偶然近くにあったシーモァと二人で借りていたアパートメント(二人が兵役に就いていたため、妹のブー・ブーが住んでいましたが、彼女も兵役に就くことになって不在でした)へ招待する羽目になり、シーモァを非難する花嫁の縁者たち(特に花嫁の付添役の体育会系の女性が強硬派)に囲まれる四面楚歌の中で、シーモァの名誉のために酒の力も借りて奮闘します(精神分裂症だとか同性愛者だとか、花嫁の付添役に言われますが、なにぶん七十年以上も前の話なので、マイノリティへの差別意識は、両者ともにあります)。
 結局、その頃ミュリエルの実家に現れたシーモァは、前言を翻してミュリエルと結婚することと、彼女の母親の勧め通りに精神分析医にかかることを約束すると、大泣きしていたミュリエルもあっさり機嫌を直して、花嫁の家族や親戚たちを残してハネムーンへ旅立ちます。
 しかし、ご存じのように、二人の結婚生活はわずか6年後にシーモァのピストル自殺によって幕を閉じます(「バナナ魚にもってこいの日」の記事を参照してください)。
 シーモァは、ミュリエルが自分を好いていることも確かだけど、愛しているから結婚したいというよりは結婚という制度とそれに付随する楽しいこと(結婚式や、二人での新生活や、やがて授かるであろう(自分に似て)かわいい子どもたちなど)にあこがれていて結婚したがっていることを見抜いています(現在の日本でも、同様な女性が少なからず存在していると思います)。
 しかし、重要なことは、シーモァがそれを非難しているのではなく、それも含めてありのままのミュリエルを愛そうと決意していることです。
 いや、むしろ、自分にはない(兄妹たちも同様です)そうした愛すべき部分を持った女性(もちろん美しい外見も魅力なのでしょうが)に魅かれているのだと思われます。
 一方、ミュリエルも、彼女の知性ではシーモァのような存在(15歳で大学に入学し18歳で博士号を得ています)を理解するのは無理なのですが、一応理解しようとは努めています。
 問題は、彼女が親離れ(特に母親)していなかったことです。
 シーモァのことはなんでも母親にそのまま話してしまいますし、母親の方も子離れしていないので何かと干渉してきます(一番驚いたのは、シーモァを家に招いた時に、自分の精神分析医を同席させたことです)。
 シーモァはミュリエルをそのままの存在として愛していましたし、ミュリエルもシーモァのことを理解しようとしていて積極的には変えようとはしていませんでした。
 しかし、ミュリエルの母親は、シーモァを自分の娘にふさわしい男性に変えようとしていたのです。
 こうした母娘関係は、現在の日本では大きな問題になっていますので、極めて今日的なテーマを備えていると言えます。
 シーモァの自殺については、戦争体験などいろいろな要素がからみあっているのですが、この不幸な結婚もその一因になっていたでしょう。
 あのまま、シーモァが逃げてしまっていたらと思わざるを得ません。
 なお、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」という風変わりなタイトルは、妹のブー・ブーがアパートメントに残したメッセージに起因していますが、その意味合いについては諸説あってはっきりしていません。
 ただ、兵役に就くために結婚式に出席できなくなったブー・ブー(兄弟の中では一番バランスの取れた聡明な女性で、ミュリエルやその母親の本質を正しく見抜いていました)が、厳しい未来が予想される結婚に臨む兄を励ましている(チアーアップしている)と読むのが、一番素直なように思えます。




 

 

 

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