「闇の中のオレンジ」(1976年)の中に収められている短編で、編者の宮川健郎が転載しました。
主人公の男の子が、三才の目の不自由な妹を自転車の後ろに乗せて、団地の小さな公園(原文では遊園地となっています。この作品が書かれたころは、子ども用の遊具がある児童公園のことを遊園地と呼んでいました)へ行く途中で、電線のあたりに一瞬赤い凧が自転車と並走しているのを見ました。
公園について二人が砂場で遊んでいると、突然ナメクジナマズという象ほども図体がある怪物が現れて二人に襲いかかります。
二人がなんとか逃れようとしていると、あの赤い凧が現れて、ナメクジナマズをやっつけてくれます。
最後に、男の子が「おまえ、誰なんだ?」と問うと、「ふふふ、正義の味方、アカヤッコ。ほんとうはおまえらの味方じゃないのさ。でも心配はいらないよ。ここはあの世のとっぱずれ。ふーふーふー」という謎の言葉を残して、空の彼方へ去っていきます。
これだけでは、まったくわからないでしょう。
この作品は、作者の代表作の「三つの魔法」三部作の前段階を断片的に描いた本のごく一部ですから。
編者は、天沢の言葉のあり方が、「現代児童文学」が失ってしまった「童話」の「呪文」のような力を持っているとしています。
「現代児童文学」は1950年代の出発期に、小川未明たちの「近代童話」の性格を、「近代人の心によみがえった呪術・呪文とその堕落としての自己満足である」(古田足日「さよなら未明」(1959)(その記事を参照してください))として批判しました。
編者は、「コノテーション(含意性)」の強い「近代童話」の言葉のあり方を、「現代児童文学」では「デノテーション(明示性)」の強いもの変える必要があったとしています。
しかし、その方向性が強すぎると、極端に言えば薬の取扱説明書のような文学とはかけ離れたものになるとしています。
これは、「児童文学」が「児童」と「文学」という二つの中心を持つ「楕円構造」をしている(詳しくは、児童文学研究者の石井直人の論文に関する記事などを参照してください)以上は宿命のようなのもので、子どもだけのものではなく「文学」の一ジャンルとして確立しようとしていた「近代童話」から、「児童(子ども)」の方へと大きく舵を切った「現代児童文学」の宿命のようなものでしょう。
「現代児童文学」が、「児童」と「文学」の二つの中心のどちらかに傾きながら、また揺り戻していった歴史については、それに関する記事を参照してください。
編者は、そうした「現代児童文学」においても、「童話」の方法で書く作家として、斉藤隆介、立原えりか、安房直子、あまんきみこの名前をあげていますが、これらは至極妥当な選択でしょう。
しかし、その後で、「実は、天沢退二郎が、現代の「童話」の第一人者なのではないか」という部分には、大いに異論があります。
確かに、天沢作品は一部に熱狂的な読者を獲得していますが、現代の「童話」としては前衛すぎて、それゆえ傍流(多くの読者に支持されないという点で)なのではないでしょうか。
天沢は、宮沢賢治に傾倒して詩と童話を書き出し、賢治に関する論文も多数書いています。
論文の多くが独創的で優れたものであることは、大多数の賢治研究者(私もそも末席をけがしていますが)が認めているところです。
しかし、編者の「「天沢の児童文学は、宮沢賢治よりも宮沢賢治らしい。賢治のもつ文学的な可能性をさらに煮つめたようなものとして書かれているのだ」という意見には、天沢自身も含めて多くの賢治研究者は首を傾げるでしょう。
さて、前述したように、この作品は1976年に発表されました。
この本に転載されている他の作品は、すべて1980年代中ごろから1990年代中ごろまでに発表された作品です。
このそれらより十年以上古い作品がなぜ転載されたかについては、一切説明されていません。
編者が天沢ファンなのはわかるのですが、この時期(1980年代中ごろから1990年代中ごろまで)に彼の適当な作品がないのならば、他の「童話」の方法で書く作家の適当な作品を選ぶべきだったと思います。
もしも、それもないのなら、「童話」の方法でかく児童文学は「新しい潮流」とは言えないのではないでしょうか。
主人公の男の子が、三才の目の不自由な妹を自転車の後ろに乗せて、団地の小さな公園(原文では遊園地となっています。この作品が書かれたころは、子ども用の遊具がある児童公園のことを遊園地と呼んでいました)へ行く途中で、電線のあたりに一瞬赤い凧が自転車と並走しているのを見ました。
公園について二人が砂場で遊んでいると、突然ナメクジナマズという象ほども図体がある怪物が現れて二人に襲いかかります。
二人がなんとか逃れようとしていると、あの赤い凧が現れて、ナメクジナマズをやっつけてくれます。
最後に、男の子が「おまえ、誰なんだ?」と問うと、「ふふふ、正義の味方、アカヤッコ。ほんとうはおまえらの味方じゃないのさ。でも心配はいらないよ。ここはあの世のとっぱずれ。ふーふーふー」という謎の言葉を残して、空の彼方へ去っていきます。
これだけでは、まったくわからないでしょう。
この作品は、作者の代表作の「三つの魔法」三部作の前段階を断片的に描いた本のごく一部ですから。
編者は、天沢の言葉のあり方が、「現代児童文学」が失ってしまった「童話」の「呪文」のような力を持っているとしています。
「現代児童文学」は1950年代の出発期に、小川未明たちの「近代童話」の性格を、「近代人の心によみがえった呪術・呪文とその堕落としての自己満足である」(古田足日「さよなら未明」(1959)(その記事を参照してください))として批判しました。
編者は、「コノテーション(含意性)」の強い「近代童話」の言葉のあり方を、「現代児童文学」では「デノテーション(明示性)」の強いもの変える必要があったとしています。
しかし、その方向性が強すぎると、極端に言えば薬の取扱説明書のような文学とはかけ離れたものになるとしています。
これは、「児童文学」が「児童」と「文学」という二つの中心を持つ「楕円構造」をしている(詳しくは、児童文学研究者の石井直人の論文に関する記事などを参照してください)以上は宿命のようなのもので、子どもだけのものではなく「文学」の一ジャンルとして確立しようとしていた「近代童話」から、「児童(子ども)」の方へと大きく舵を切った「現代児童文学」の宿命のようなものでしょう。
「現代児童文学」が、「児童」と「文学」の二つの中心のどちらかに傾きながら、また揺り戻していった歴史については、それに関する記事を参照してください。
編者は、そうした「現代児童文学」においても、「童話」の方法で書く作家として、斉藤隆介、立原えりか、安房直子、あまんきみこの名前をあげていますが、これらは至極妥当な選択でしょう。
しかし、その後で、「実は、天沢退二郎が、現代の「童話」の第一人者なのではないか」という部分には、大いに異論があります。
確かに、天沢作品は一部に熱狂的な読者を獲得していますが、現代の「童話」としては前衛すぎて、それゆえ傍流(多くの読者に支持されないという点で)なのではないでしょうか。
天沢は、宮沢賢治に傾倒して詩と童話を書き出し、賢治に関する論文も多数書いています。
論文の多くが独創的で優れたものであることは、大多数の賢治研究者(私もそも末席をけがしていますが)が認めているところです。
しかし、編者の「「天沢の児童文学は、宮沢賢治よりも宮沢賢治らしい。賢治のもつ文学的な可能性をさらに煮つめたようなものとして書かれているのだ」という意見には、天沢自身も含めて多くの賢治研究者は首を傾げるでしょう。
さて、前述したように、この作品は1976年に発表されました。
この本に転載されている他の作品は、すべて1980年代中ごろから1990年代中ごろまでに発表された作品です。
このそれらより十年以上古い作品がなぜ転載されたかについては、一切説明されていません。
編者が天沢ファンなのはわかるのですが、この時期(1980年代中ごろから1990年代中ごろまで)に彼の適当な作品がないのならば、他の「童話」の方法で書く作家の適当な作品を選ぶべきだったと思います。
もしも、それもないのなら、「童話」の方法でかく児童文学は「新しい潮流」とは言えないのではないでしょうか。
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