現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

J.D.サリンジャー「倒錯の森」倒錯の森所収

2022-05-05 17:51:49 | 参考文献

 サリンジャーにとっては最初の中編小説(1947年作)ですが、その完成度については評価が分かれており、雑誌には発表したものの単行本としての出版を許さなかったことから考えると、サリンジャー自身もこの作品を一種の習作として位置づけていたのかもしれません。
 主人公は、ドイツ貴族の血を引く裕福な家庭に育った、才色兼備(長身の美人で、万能なルポライター兼編集者で、秀逸な演劇評論家でもあります)の30歳の女性です。
 彼女が、子ども時代に離れ離れになった初恋の相手が天才的な詩人になっていたことを知って有頂天になり、再会してからわずか四か月で結婚し、結婚してからわずか数週間で、突然やってきた自称20歳の女子大生(実際は30代半ばの人妻で、11歳の子どもがいます)に、彼女の世間知らずの隙を突かれて駆け落ちされてしまいます。
 詩人と結婚する前に、一番親しい男友達(この話の語り手で、かつて彼女にプロポーズしてふられたことがあります)が、彼の精神的な問題(詩に関しては天才的ですが、不幸な生い立ちとあまりに詩作に没頭したためか、社会性に大きな問題を抱えています)を見抜いて結婚しないように忠告したのですが、彼に夢中になっていた主人公は耳を貸しませんでした。
 この作品を、サリンジャー自身の隠遁生活(1953年から2010年に91歳で亡くなるまで)と結びつける批評が多いのですが、少なくともこの作品においては、世俗的な生活とそれを排した芸術至上主義的な生活に対してはニュートラルなポジションで書かれています。
 ゴージャスな暮らしをしている主人公に対しても、彼女を捨てて貧窮している詩人に対しても、フェアな視線で作品を書くことはなかなか難しいものです(どちらかに、過度に批判的になってしまうことが多いです)。
 詩人が、対等な男女関係(これは作品の時代設定になっている1937年では、アメリカでもかなり新しい考え方だと思います。彼女は単なる大金持ちの御嬢さんではなく、当時の言葉で言えば有能な職業婦人でもあります)を求めている主人公を捨てて、自分を支配してくれる下品だが生活力がありそうな女性と駆け落ちしたのは、彼の母親(駆け落ち相手と同じタイプ)とそれに従わされていた少年時代の影響と短絡的に結びつける批評が多いのですが、その観点で見たらあまりうまく書けていないと思われます。
 母親が粗野で詩人を従わせていたことは書かれていますが、それに対して少年時代の彼は一定の精神的な距離感を持っていたように思えます。
 はっきりいって、詩人になった30歳の彼よりも、少年時代の彼の方がはるかに魅力的で、主人公の初恋相手としてふさわしい存在でした。
 また、駆け落ち相手の女性も、自称20歳の彼女と正体を明らかにした後の中年女の彼女のギャップが大きすぎて、うまく人物像を結びません。
 しかし、ここで描かれた詩人の人物像は、その後のグラス家サーガの作品群に引き継がれてているので、そういった意味では重要な作品だとも思われます。
 児童文学的観点で見たこの作品の一番の魅力は、主人公と詩人の双方が、11歳の少年少女時代の二人の人物像と30歳の大人になった二人の人物像が、再会した時に二十年近くの時を超えて瞬時にしかもなめらかに結び付くことです。
 この感覚は、児童文学者の資質と非常に近い物があります。
 他の記事にも書きましたが、天性の児童文学者(例えば、エーリヒ・ケストナーや神沢利子など)は子ども時代の記憶や感覚を瞬時に取り出すことができます。
 これらの優れた作家と並べて書くのはおこがましいのですが、私自身も過去の記憶(特に、子ども時代と、息子たちが子どもだった時代が鮮明なのは、いろいろな理由で一番不幸だった時代と、一番幸せだった時代のせいかもしれません)を瞬時に取り出すことができます。
 この感覚は、他の人たちにはなかなか理解できないものなのかもしれません。
 古い友だちと何十年かぶりで再開した時に、すぐにその時代に戻ったような話し方をするので、「昨日別れたみたいだね」と必ず言われてしまいます。
 おそらく、サリンジャーも子ども時代の記憶や感覚を鮮明に覚えていて、それを作品の中に登場させているのでしょう。
 この感覚を持たない文芸評論家などの批評を読むと、まったくとんちんかんな大人感覚でそれらの子ども像を見ていることに気づかされます。
 もちろん、サリンジャーは児童文学者ではないのですが、常に子どもも含めた若い世代に関心を持って作品を書いていました。
 他の記事にも書きましたが、かつては日本でもサリンジャーの影響を受けたと思える児童文学作品が出版された時代もありました。
 児童文学に求めるものが、作者も出版社も読者も大きく変化した現在では、サリンジャー作品の世界観は、児童文学創作よりも子どもや若い世代が登場する一般文学の創作の参考になると思われます。

 

 




 




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