四季派学会・宮沢賢治学会イーハトーブセンター合同研究会 ―宮沢賢治から「四季」派へ―で行われた研究発表です。
研究発表要旨は以下の通りです。
「立原道造(一九一四~三九)は、一九三八年七月の段階で肺尖カタルの診断を受けており、死期を予感するように自身を彷徨に駆り立てた。「僕は 十月一ぱいあたりまで盛岡に行つてくらすだらう、そして秋ふかくなつて南へかへつてゆくだらう、候鳥のやうに。そして冬一、二月あたりには長崎に行つて住まうとおもふ」(九月六日付矢山哲治宛書簡)。盛岡滞在時には「僕はこの小さい丘の麓にあたらしく生れたのではないだらうか。昨日でないならば、けふたつたいま!」(九月二八日付猪野謙二宛書簡)と新たなる生の実感が述べられる。ところが彼は一方で、「宮沢賢治をよんでゐたら、宮沢賢治もかなしいうそつきです。僕がいま欲しいのはあんないつはりの花ではありません」(九月二八日付深沢紅子宛書簡)、「もとは宮沢賢治にはあのイメージの氾濫でだけ反撥した。しかし今はもつとふかく反撥します。大切な大切なもののために」(同)のように賢治への否定的見解を吐露してもいた。なにゆえ賢治が「かなしいうそつき」なのか。「大切な大切なもの」とは何か。長崎での手記には、「北方のドイツ人たちがアルプスをこえてイタリイに行つたとき見たものを見得ないのは僕の罪だらうか」(長崎紀行・一二月六日)とあり、彼の彷徨はゲーテ『イタリア紀行』を模したものと見られている。これらの書簡・ノートを足掛かりにして、彼をとりまいた環境要因をすりあわせ、晩年の立原を読み解いていきたい。」
研究発表は、以下の順番に進められました。
1.宮沢賢治への反発
2.融和の詩想 リルケ
3.遍歴の詩想 芳賀檀
4.立原道造の帰趨
1と4は賢治との関連に触れていますが、2と3は賢治から離れて道造の詩想の背景について述べられたものです。
そういった意味では、やや道造側に偏った発表内容になっていたように思われます。
まあ、名木橋は四季派学会の研究者なのですから、それもやむを得ないかもしれません。
各項目は、道造の書簡や先行論文を丁寧に引用していって、それに名木橋の考察を加える形で行われていました。
なにしろ分野が狭いので、先行論文に自分の考えを積み上げていく形でしか研究ができないのでしょう。
その点では、この発表はよくまとめられていたと思います。
名木橋は現代詩の実作もやっているそうで、彼もまた道造の「アダジオ」、「のちのおもひに」、「何処へ」、「歌ひとつ」、「風立ちぬ」、「南国の空青いけれど」などを引用して、朗々と歌ってみせました。
うっとりとした表情を浮かべて歌う名木橋を見て、この人は本当に詩が好きなんだなと、感銘を受けました。
そういう意味では、実作をやらない児童文学の研究者たちよりも、詩の研究者たちの方が純粋に対象を愛している気がして、「創作、評論、研究、翻訳」のすべてをやる「児童文学者」を目指している自分としては、非常に励まされた気がしました。
研究発表要旨は以下の通りです。
「立原道造(一九一四~三九)は、一九三八年七月の段階で肺尖カタルの診断を受けており、死期を予感するように自身を彷徨に駆り立てた。「僕は 十月一ぱいあたりまで盛岡に行つてくらすだらう、そして秋ふかくなつて南へかへつてゆくだらう、候鳥のやうに。そして冬一、二月あたりには長崎に行つて住まうとおもふ」(九月六日付矢山哲治宛書簡)。盛岡滞在時には「僕はこの小さい丘の麓にあたらしく生れたのではないだらうか。昨日でないならば、けふたつたいま!」(九月二八日付猪野謙二宛書簡)と新たなる生の実感が述べられる。ところが彼は一方で、「宮沢賢治をよんでゐたら、宮沢賢治もかなしいうそつきです。僕がいま欲しいのはあんないつはりの花ではありません」(九月二八日付深沢紅子宛書簡)、「もとは宮沢賢治にはあのイメージの氾濫でだけ反撥した。しかし今はもつとふかく反撥します。大切な大切なもののために」(同)のように賢治への否定的見解を吐露してもいた。なにゆえ賢治が「かなしいうそつき」なのか。「大切な大切なもの」とは何か。長崎での手記には、「北方のドイツ人たちがアルプスをこえてイタリイに行つたとき見たものを見得ないのは僕の罪だらうか」(長崎紀行・一二月六日)とあり、彼の彷徨はゲーテ『イタリア紀行』を模したものと見られている。これらの書簡・ノートを足掛かりにして、彼をとりまいた環境要因をすりあわせ、晩年の立原を読み解いていきたい。」
研究発表は、以下の順番に進められました。
1.宮沢賢治への反発
2.融和の詩想 リルケ
3.遍歴の詩想 芳賀檀
4.立原道造の帰趨
1と4は賢治との関連に触れていますが、2と3は賢治から離れて道造の詩想の背景について述べられたものです。
そういった意味では、やや道造側に偏った発表内容になっていたように思われます。
まあ、名木橋は四季派学会の研究者なのですから、それもやむを得ないかもしれません。
各項目は、道造の書簡や先行論文を丁寧に引用していって、それに名木橋の考察を加える形で行われていました。
なにしろ分野が狭いので、先行論文に自分の考えを積み上げていく形でしか研究ができないのでしょう。
その点では、この発表はよくまとめられていたと思います。
名木橋は現代詩の実作もやっているそうで、彼もまた道造の「アダジオ」、「のちのおもひに」、「何処へ」、「歌ひとつ」、「風立ちぬ」、「南国の空青いけれど」などを引用して、朗々と歌ってみせました。
うっとりとした表情を浮かべて歌う名木橋を見て、この人は本当に詩が好きなんだなと、感銘を受けました。
そういう意味では、実作をやらない児童文学の研究者たちよりも、詩の研究者たちの方が純粋に対象を愛している気がして、「創作、評論、研究、翻訳」のすべてをやる「児童文学者」を目指している自分としては、非常に励まされた気がしました。
![]() | 立原道造の詩学 |
クリエーター情報なし | |
双文社出版 |