現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

宮川健郎「児童文学の中の「戦争」」現代児童文学の語るもの所収

2017-09-07 11:18:29 | 参考文献
 「「戦争児童文学」をこえて」という副題をもつこの論文は、いわゆる「戦争児童文学」の変遷をたどりながらその限界を論じています。
 ここでいう「戦争児童文学」は、日本児童文学学会の児童文学辞典によると、「反戦平和の願いを託した児童文学」ということで、主にアジア太平洋戦争を扱ったものです。
 「戦争児童文学」は、「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)において重要な部分を占めていました。
 そこには、大きく分けて三つの理由があると思われます。
 まず、1950年代に「現代児童文学」がスタートした時の書き手は、すべてアジア太平洋戦争の体験者(実際に出征した者、空襲を経験した者、被爆した者、疎開を経験した者などの違いはあります)で、「戦争」が彼らにとって最も大きな児童文学のテーマであったことがあげられます。
 次に、「現代児童文学」が始まる前に書かれた代表的な「戦争児童文学」である壺井栄「二十四の瞳」、竹山道雄「ビルマの竪琴」は、文学的に優れベストセラーになって映画化もされましたが、「戦争の悲惨さを伝える」、「二度と戦争を起こさないようにうったえる」といった「反戦平和」の文学という面では弱いとされ、それを克服するような作品が求められていました。
 最後に、これはあまり表向きには語られないことですが、保守革新の対立状況であった1950年代後半から1970年代前半にかけては、「戦争児童文学」は比較的本になりやすかったこともあると思われます。
 著者は、まず父親の立場で戦争を語った例として、今西祐行「一つの花」(1953年)をあげて、自分自身の読書体験もふまえて、大人の視点で書かれている部分が多いので子どもが十分理解するのは難しいが、大人になって読み返すとその価値がわかる「二重底」になっているとし、そういった児童文学(子どもの時の理解は不十分でも、後になってより深く理解できる)も子どもに手渡すことは、大人の「愛」だとしています。
 しかし、そうした体験もさらに時代が進んで、周辺の大人も戦争を体験していない世代の子どもたち(1970年代後半以降に生まれた人たちでしょう)になると、戦争そのものがよくわからないために著者のような「二重底」の体験はできなくなるとしています。
 ここであげられた他の作品は、長崎源之助「あほうの星」(1964年)です。
 そうした状況で生まれてきた「戦争児童文学」が、虚構の中で「戦争」を描いて現代の子どもたちに出会わせる作品だとしています。
 先駆的な作品として、乙骨淑子「ぴいちゃあしゃん」(1964年)をあげて、他に松谷みよ子「二人のイーダ」(1969年)、三木卓「ほろびた国の旅」(1969年)、那須正幹「屋根裏の遠い旅」(1975年)、大石真「街の赤ずきんちゃんたち」(1977年)、わたりむつこ「はなはなみんみ物語」三部作(1980-1982年)、鶴見正夫「長い冬の物語」(1975年)、さねとうあきら「神がくしの八月」(1975年)、しかたしん「国境」三部作(1986ー1989年)をあげています。
 一方で、ベストセラーになった高木敏子「ガラスのうさぎ」(1977年)も、この時期の「自分史」(この作品の場合は空襲体験)的戦争児童文学の代表として紹介しています。
 しかし、このころに「反戦平和の願いを託した」戦争児童文学は臨界点に達したとし、「つちかってきた作品づくりの方法をどこかで踏襲している」「「戦争児童文学」という概念にしばられる」作品が多くなり、1980年代に入ってからは那須正幹「折り鶴の子どもたち ― 原爆症とたたかった佐々木禎子と級友たち」(1984年)や長谷川潮「死の海をゆく ― 第五福竜丸物語」(1984年)といったノンフィクション作品に「成果を見ることができる」としています。
 そして、著者は、「現代児童文学」が「戦争を書くこと」はやめないが、(反戦平和の願いを託した)「戦争児童文学」という枠組みは廃止しようと提案しています。
 一方で、長谷川潮などを中心に「戦争児童文学」の定義を見直し、好戦的な物も含めて、アジア太平洋戦争に限らない、広範に「戦争」を描いた作品に適用しようという動きもあります(その記事を参照してください)。
 著者は、いわゆる「戦争児童文学」ではないが、「きっちりと戦争が書かれていた作品」として、長崎源之助「向こう横丁のおいなりさん」(1975年)と安藤美紀夫「でんでんむしの競馬」(1972年)を紹介しています。
 また、戦争体験を伝承していくことを訴える作品として、後藤竜二「九月の口伝」(1991年)(その記事を参照してください)にもふれています。
 「戦争児童文学」の概要とその限界及び可能性についてうまくまとめられていて、おおむね著者の考えや提案には納得させられます。
 ただし、ここでも、対象は児童文学プロパーの作家の作品に限られていて、プロパーではないあるいは傍流の作家が書いた重要な作品(例えば、庄野英二「星の牧場」(1963年)、柏原兵三「長い道」(1969年)など)はまったく無視されています。


現代児童文学の語るもの (NHKブックス)
クリエーター情報なし
日本放送出版協会


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