現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

丘修三「こおろぎ」ぼくのお姉さん所収

2017-10-14 18:08:28 | 作品論
 養護学級に通う知恵遅れ(現在ではこの言葉は差別的なので、代わりに「知的障害」という用語が使われていますが、この本が出版された1986年当時では、少なくとも子どもたちや一般の人たちには使われていたのでしょう)の少年と、近所に住む小学生の兄妹との交流を描いています。
 本当は妹が引き起こした空き地でのボヤ騒ぎが、コミュニケーションが取れないために知的障害の少年のせいにされてしまいます。
 その後、妹が告白して、少年の無実は証明されるのですが、その過程でいろいろな大人たちの論理や事情に振り回されて、少年と兄妹は苦い別れを経験させられます。
 大人の論理や事情によって、子どもたちが抑圧されている状況は今も変わりません。
 いえ、現在では少子化や格差社会によって、子どもたちを取り巻く状況はさらに悪くなっています。
 一例をあげると、子どもの貧困率は2012年には六人に一人を超えていて、戦争直後を除くと最悪です。
 児童文学研究者の宮川健郎による「現代児童文学」の三つの特長のひとつに、「子どもへの関心」があります(他の二つは「散文性の獲得」と「変革の意志」です」)。
 私自身も、児童文学を書くならば、「子どもの論理」、「子どもの立場」に立たなければならないと、一貫して固く信じています。
 そういった意味では、この作品は「大人の論理」や「大人の立場」のよって子どもたちが抑圧される姿はよく表されていると思われますが、その結末は情緒的すぎて、「子どもの論理」や「子どもの立場」を打ち出すところまではいっていないと思われます。
 80年代の「現代児童文学」としてはそれでも意義があったと思いますが、現時点で児童文学(それはポスト「現代児童文学」と呼べるかもしれません)を書くならば、「子どもの論理」で抑圧者である大人たちを撃つような作品が求められていると思います。

ぼくのお姉さん (偕成社文庫)
クリエーター情報なし
偕成社

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