現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

武田勝彦「サリンジャー作品の和歌・俳句」サリンジャー文学の世界所収

2019-08-18 10:46:56 | 参考文献
 後期のサリンジャーの作品が、東洋思想や中国、日本の詩歌に影響を受けていることは良く知られています。
 ここでは、サリンジャー作品に出てくる和歌・俳句について、その出典とサリンジャーの受容について、詳しく論考しています。
 取り扱われた和歌・俳句は、以下の通りです(カギカッコ内は、それが出てくるサリンジャー作品ですので、それぞれの記事を参照してください)。
 サリンジャー The little girl on the plane/who turned her doll's head around/To look at me.(著者訳 機上乙女 人形の首まげ われを見る)「ズーイ」
 西行 何事のおはしますをばしらねどもかたじけなさの涙こぼるる 「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」
 芭蕉 頓て死ぬ けしきは見えず 蝉の声 「テディ」
 芭蕉 此道や 行人なしに 秋の暮 「テディ」
 一茶 てもさてもても福相のぼたん哉 「シーモァ ― 序論」
 一茶 蝸牛そろそろのぼれ富士の山 「ズーイ」

 著者は、これらの詩歌の原典や英訳書にあたり、サリンジャーの出典と受容について論考しています。
 結論から言うと、サリンジャーは日本語の原典を読んだのではなく、R・H・プライス「俳句 ― 東洋の文化」(西行の作品は和歌ですが、それもここに載っているようです)を読んで学んだのではないかとしています。
 また、受容においては、プライスの解釈に負うところが多いものの、おおむね正しく解釈して作品に反映しているとしています。
 それはその通りだと思います。
 他の記事にも書きましたが、サリンジャーはシーモァ(グラス家七人兄弟の長兄で、18歳で博士号を取った天才。東洋思想の本を原典で読みこなせ、俳句も日本語で書けます)ではないのですから。
 時空を超越できて予言もできルックスも悪い(シ-モァに限らず、サリンジャーが本当にあこがれている人物は、みな外見が悪いです)超人シーモァは、サリンジャーにとっては憧れではあったと思いますが、彼自身はバディ(グラス家兄妹の次兄で作家)なのでルックスが良くて年を取っていき、半隠遁生活をしているのです。
 こうした常人(かなり優秀ですが超人ではありません)が外国文学を読む時には、翻訳本で読むのが普通です。
 おそらく、サリンジャーは、中国語や日本語も勉強し、これらの作品を原典でも読んだことでしょう。
 しかし、正しく受容するためには、優れた翻訳本(おそらくプライスの翻訳はそれにあたるのだと思います)が必要なのです。
 私自身も、公用語が英語のアメリカ系のグローバルな会社に30年以上勤めていましたので、専門のエレクトロニクス、マーケティング、ビジネスに関する文章ならば読み書きは大丈夫でしたが、それ以外の分野の本を読むのは翻訳本です。
 好きな本(例えば、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、ケネス・グレアム「楽しい川辺」、ミルン「くまのプーさん」、ボンド「くまのバディントン」、カニグズバーグ「クローディアの秘密」、ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」、ペイトン「卒業の夏」、ピアス「トムは真夜中の庭で」、マージェリー・シャープ「小さな勇士の物語」など)は原書でも読みましたが、それは読む前に翻訳本を読んでいたから楽だったのであって、その証拠に好きな作家の未翻訳本(例えば、ペイトンの「卒業の夏」の続編やミルンの童謡集やマージェリー・シャープの「ミス・ビアンカ」シリーズの未翻訳本など)を原書で読んだ時にはかなり苦労しました。
 サリンジャーの作品(特に「テディ」)を読んだ時から、サリンジャーが正しく俳句の世界を理解していると思っていましたが、詳しく原典や解説に当たって論考されたこの論文を読んでそれが裏付けられ、非常に参考になりました。





 

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