隆志の家族にとって、世界の中心は真子ねえさん(マコネー)だ。
マコネーを真っ青な空に輝く太陽としたら、隆志なんか、夜空の月。いや、ダンボールで拵えたただのペーパームーンかもしれない。
小さい頃から、可愛くて、しかも賢いマコネーは、とうさんやかあさんの自慢の種だった。
七五三の時だけでなく、毎年、写真スタジオで撮ったマコネーの写真のパネルが、居間の周りをグルリと取り囲んでいる。アイドルのような派手な衣装を着ても、不思議なくらい似合ってしまう。いや、本物のアイドルなんかより、よっぽど可愛かったかもしれない。
(何かのグッズにプリントして売り出したら、爆発的に売れたりして)
七年後に、ヒョッコリと隆志が生まれてからも、マコネーの王座は微塵も揺らがなかった。ちょうど小学校に上がったばかりのマコネーは、今度はクラスや学校中の人気者になっていた。
禿げちゃびんで泣いてばかりの赤ん坊なんて、両親にとっては単なるオマケの様な物だったかもしれない。隆志にとって唯一の赤ちゃんの時の写真パネル(隆志が生まれた産婦人科医院では、院長先生がそこで出産した赤ちゃんは全員、記念に写真を撮って小さなパネルにしてくれていた)は、食器棚の上でホコリを被っている。
家ばかりではない。卒業してもう六年以上もたつのに、マコネーは若葉小学校では、今だに「生ける伝説」として語り継がれている。
児童会長にして、文化祭の劇では作者兼演出家兼ヒロイン。運動会では、応援団長兼騎馬戦の大将兼対抗リレーのアンカーを務めて、赤組を勝利に導いた。ミニバスケットチームでは、市大会の得点王でチームを優勝させてMVPに選ばれた。その他、数え切れないほどの栄光に包まれたマコネーの小学校時代。さらに、若葉小学校では誰も受かった事のない最難関私立中に、塾にも通わずにあっさり合格してしまったのだ。
(なんで、隆志がマコネーの小学校時代について、こんなに詳しいかって?)
だって運の悪い事に、マコネーの六年の時の担任だったのが、今の校長先生なのだ。
今日もこんな事があった。
隆志は、啓太やジュンくんと一緒に、いつもの様に廊下をドタドタと走り回っていた。
ガラガラガラッ。
いきなり校長室の戸が開いた。禿げ頭の校長先生(もちろんあだなはピカチューだ)が、顔を覗かせた。
「うるさいなあ。廊下を走っちゃだめだろ。ちょっとこっちに来なさい」
気が付くと、啓太もジュンくんも、もう姿が見えない。ほんとにすばしっこい奴らだ。
しょうがないので、隆志は一人でピカチューのもとにスゴスゴと歩いていった。
「また、石川くんか」
ピカチューは、呆れたような顔をしていた。
「すみません」
と、隆志が頭を下げると、
「本当に君は落ち着きがないねえ。それに引き替え、君のおねえさんは、……」
また始まった。今日だけじゃない。隆志の顔を見るたびに、
(いかに石川くんのおねえさんが素晴らしかった)
かを、長々と話し出すのだ。
こうして隆志は、たっぷりとさっきいったような伝説的な思い出話を、聞かされてしまう事になる。しかも、そんな時、ピカチューは、遠くを見つめるようなうっとりした表情まで浮かべているのだからたまらない。
2月のある晩、隆志は居間のテレビの前で「ウルトラスーパープロ野球」をやっていた。お年玉で買った新しいゲームソフトだ。
「タカちゃん、見つけてあげたよ」
大学から帰ってきたマコネーが、居間に入ってくるなり隆志に向かって言った。
「お帰り、ところで何を見つけたの?」
「何って、あなたたちの監督じゃない」
「監督?」
「ヤングリーブスのよ」
ヤングリーブスっていうのは、隆志が入っている少年野球チームだ。
「どうして?」
「だって、捜していたじゃない?」
マコネーは、さっさと二階の自分の部屋へ行こうとしている。
「誰?」
隆志は跳ね起きると、階段の下まで付いていった。
「佐藤くんよ」
「佐藤くんって?」
でも、マコネーはトントンと階段を登っていくと、そのまま部屋に入ってしまった。さすがの隆志も部屋の中までは付いていけない。なにしろマコネーは、自分の部屋に入るなり、ほとんど全裸同然の格好になるからだ。
大学に入るまでマコネーが熱中していたのは、なんと「受験勉強」だった。さすがのマコネーも、今回は塾に通わないで受験するのは無理な様だった。高校生になってからというもの、放課後には毎日熱心に予備校に通っていた。
でも、これはいわゆる「ガリ勉」といった様な、悲壮感の漂ったものではなかった。純粋に「受験勉強」に興味をそそられた様なのだ。そして、ここでも持ち前の集中力を発揮して、成績をグングン伸ばしてしまった。なにしろ、どこの大学でも合格間違いなしという、全国模擬試験で百番以内の常連になってしまったのだ。もちろん予備校でも大人気で、「模試の女王」というニックネームまでゲットしていた。そして、あっさりと現役で、一番偏差値が高いと言われている大学に合格してしまった。
大学に入ると、マコネーは一転して今度は「恋愛ごっこ」に熱中し始めた。当然すごくもてるから、すぐにいっぱいボーイフレンドができた。そして、家に連れてくる相手は、毎月クルクルと変わっていた。
ジャニーズ系のイケメン。ポルシェを乗り回している金持ちのボンボン。医者や弁護士志望の優等生。……。様々なタイプの男の人たちがいた。
でも、どの人もすぐに飽きてしまうみたいだ。気に入らなくなると、マコネーはあっさりとみんなふってしまった。
佐藤くんも、そんな新しいボーイフレンドなんだろう。
(今度は、どんな人なんだろう?)
いささかうんざりした気分だった。
「だって、タカちゃん。あんたの所、監督のなり手がいないんでしょ」
マコネーは、服を着替えて部屋を出てくると、隆志に言った。
「うん、まあね」
隆志たちのチーム、ヤングリーブスが新しい監督を必要としているのは本当だ。そればかりか、チーム自体がつぶれかかっていたのだ。
先月、それまで20年以上もチームを率いていた監督が辞めてしまった。監督がいなくなっただけではない。打撃コーチも、ピッチングコーチも、スコアラーも、チームを支えてくれていた人たちは、みんないっせいに辞めてしまったのだ。それらの人たちは、監督が頼んだりかつての教え子だったりで、監督を慕って手伝ってくれていた人たちばかりだった。
残った大人たちは、チームメンバーのおとうさんやおかあさんたちだけだ。その中には、野球をよく知っている人は、まったくいなかった。
そのためもあって、次のチームの監督がなかなか決まらなかった。監督だけでなく、打撃コーチも、ピッチングコーチも決まっていないから、だれもメンバーに野球を教えてくれなかった。
いなくなったのは大人たちばかりではない。肝心のチームの子どもたちも、監督たちが辞めてからずいぶん減ってしまった。みんな、指導者のいないチームに見切りをつけて、次々と辞めてしまったのだ。
今では、五年生は隆志を入れてたった三人しかいない。四年生も五人しかいなかったから、試合をするのには三年生までメンバーに入れなければならない。その下級生たちも減って、三年生が四人、二年生が二人、一番年下の一年生も二人しかいない。チームは、ぜんぶで十六人しかいなくなってしまった。これでは、紅白戦もできやしない。
(なんで、こんな事になったかって?)
実は元々の事件の発端は、隆志に原因があったのだ。
去年の十一月、隆志たちのチームは、ライオンズカップというシーズン最後の大会に参加していた。チームの調子は最高で、順調に勝ち進んで決勝戦を迎えていた。
今さら言っても仕方がないけれど、今年のチームは結成以来最強といわれていた。10月に新チームになってから、郡の新人戦でも優勝していたし、ライオンズカップでも優勝候補の筆頭だった。
最終回の表に勝ち越し点をあげて、一点のリード。その裏の相手の攻撃も、四球でランナーが一人出たものの簡単にツーアウトを取っていた。あと一人で二大会連続の優勝だ。
次のバッターの当たりはライトフライ。いい当たりだったものの、ライトを守る隆志の正面だった。
なんなくキャッチと思った瞬間、河川敷のグランドの向こうに傾きかけていた太陽が目に入ってしまった。
(あっ!)
あわててグラブで光を遮ったけれど、間に合わなかった。打球は見失った隆志のグラブをかすめて、頭の上を越していってしまった。いわゆる「バンザイ」って奴だ。
あわてて追っかけたけれど、球はそのままどこまでもころがっていく。
土手の手前でようやく追いついて振り返った。
でも、ランナーはとっくにサードを回っていて、もうスピードをゆるめている。ランニングツーランホームランで、逆転サヨナラ負けをしてしまったのだ。
相手ベンチでは、総出でバッターを迎え入れて大騒ぎだ。ハイタッチしたり、バッターのヘルメットを殴り付けたりして喜んでいた。
「ありがとうございましたあ」
試合後の挨拶をして、ベンチに戻ってきた時だった。
バシーン。
ピッチャーの康平が、グローブをベンチに叩き付けた。
「ヘボ野郎」
そうつぶやくと、隆志を睨みつけた。何を言われても仕方がないので、隆志は黙っていた。周りのメンバーは、二人を遠巻きにして黙っている。
「おい、康平」
(いけねえ。監督に聞こえてしまった)
バチーン。
あっという間に、監督は康平をビンタしていた。康平は、ホッペタを押さえたまま立ちすくんでいる。まわりのみんなも、凍り付いた様にその場を取り囲んでいた。
「試合にミスはつきものなんだ。終わってしまったものを、グズグズ言うんじゃない」
監督は真っ赤になって怒鳴っていたけれど、康平はプイとふてくされた様な顔をしていた。
(まずいなあ)
その時、隆志はそう思った。試合に負けただけでなく、チームの雰囲気まで最悪になってしまった。
ビンタ事件をきっかけに、監督と一部の親たちが対立してしまった。
(体罰をするような暴力監督は辞めろ)
と、いう訳だ。ちょうど、全国的に部活やスポーツクラブでの体罰が問題になっているときだった。
騒いでいたのは、ビンタされたエースの康平、キャプテンの淳一などの親たちが中心だ。隆志の親なんかは、監督が辞めることには反対だった。今まで、ずっとチームを指導してくれていたのに、たった一度のビンタで辞めさせろというのは、いきすぎだというのだ。
何度も大人たちで話し合いが持たれた様だったけれど、なかなからちがあかなかった。
「辞めろ」
「辞めるな」
で、チームを二分して揉め続けた。
次第に、話は監督の選手起用法にも飛び火した。監督は練習では厳しかったが、試合での選手起用は温情的で、下手でも上級生や普段の練習に真面目に出ている子たちを優先して出場させていた。実は隆志もその温情のおかげでレギュラーになっていたのかもしれない。反対派の親たちは、学年などに関係なく実力主義でレギュラーを選ぶべきだと主張した。そうすれば、この間のエラー(隆志のだ)なんかで、負ける事はなくなると言うのだ。
メンバーたちも、オチオチ練習をやっていられるような雰囲気ではなかった。とりあえず、監督は練習に参加する事を自粛していたので、チームにはいつもの緊張感がなかった。
すったもんだしたあげく、結局監督は先月辞任する事になった。そして、それと同時に監督が頼んでいたコーチたちも、みんな辞めてしまった。
それからさっきも言った様に、次の監督がなかなか決まらなかったのだ。
そうこうしているうちに、今度は康平や淳一たち中心選手が、硬式野球のボーイズリーグのチームへ移っていってしまった。騒ぎの当事者だった癖に、さっさとチームを見限ったって訳だ。監督を辞めさせた彼らの親たちは、どんなつもりだったのだろうか。
残された隆志たち、普通のメンバーにとっては、
(なんのこっちゃ)
って、感じだった。
自分たちで騒ぐだけ騒いでおいて、チームが苦しくなったらあっさり辞めてしまう。まったく身勝手な奴らだ。
(ひどいなあ)
って、隆志も思っていた。
そうは言っても、とりあえず野球の練習は続けなければならないので、親たちが交替でチームの指導をしていた。
でも、みんなあまり野球を知らないので、チームはぜんぜん盛り上がらなかった。今まで、いかに監督やコーチたちに頼り切っていたかがよく分かる。
その後も、時々は練習試合はやっていたのだが、いつも大差を付けられてボロ負けだった。チームの戦力も士気もガタ落ちだったから、それも無理はなかったが。
そして、だんだんに他の人たちも辞めてしまい、本格的な野球シーズンを前にして、このままではチームは潰れてしまいそうだった。
「こんにちわー」
マコネーが、チームのメンバーににこやかに挨拶した。
「こ、こんちわ」
みんなは、気の抜けたような返事をしていた。一応、全員が顔を揃えているけれど、もう十六人しかいない。
「それでは、ヤングリーブスの新しい監督を紹介します。佐藤俊一さんです」
マコネーは、そんなことには少しも構わずにニコニコしている。
「こんちは」
隣にいた男の人が一歩前に進み出て、挨拶した。
マコネーのボーイフレンドだから、
(どんなカッコいい人かが来るのだろう)
と、思っていた。
ところが、その人は、髪の毛がボサボサのさえない感じの人だった。
「みんな、野球が好きかな?」
佐藤さんは、こちらもニコニコしながらみんなに尋ねた。
その時、ぼくは、佐藤さんが笑顔になると、なんとも言えずいい感じになるのに気が付いた。イケメンじゃないけれど、(いい人)って、感じがするんだ。もしかすると、マコネーも、そこの所が気に入っていたのかもしれない。
「ふぁーい」
みんなからは、なんだかさえない返事だった。ここの所のゴタゴタで、みんなは野球もチームもかなり嫌になっている所だったのだ。
「そうか、そうか」
それでも、佐藤さんはまだ一人でニコニコしていた。
あの後、マコネーは、まず隆志の両親に、佐藤さんを新しい監督に推薦した。
マコネーの言う事ならなんでも信用する両親は、もちろん大賛成だ。そして、チームの連絡網を使って、他の親たちに電話で連絡した。
この降ってわいたような話に、ヤングリーブスの選手の親たちは、一も二も無く飛びついた。正直言って、野球をよく知らない親たちは、ヤングリーブスの練習の面倒を見るのを、完全に持て余していたのだ。古い言葉でいえば、まさに「渡りに船」っていうやつだ。
それに、もしかすると、佐藤さんがマコネーと同じ偏差値の一番高いと言われる大学の学生だというのも、賛成の理由だったかもしれない。大人たちにとって、あの大学の名前は、魔法の呪文みたいに凄い威力があるらしいのだ。
全員の賛成を取り付けた隆志の両親は、改めてマコネーに佐藤さんへ正式に監督を依頼するように頼んだ。
佐藤さんも、すぐにOKしてくれたらしい。
そして、今日が佐藤さんとチームの初顔合わせと言うわけだった。
佐藤さんが来るというので、校庭の隅には大人たちが大勢集まっている。おかあさんたちはほとんど全員が来ているし、おとうさんたちも結構来ていた。
(佐藤さんって、どんな人なんだろう)
と、みんな興味津々なのだ。
ペチャクチャと、そんな事をおしゃべりしているおかあさんたちの話し声が、隆志たちにも聞こえてきた。
「それじゃあ、まずウォーミングアップをやろう。キャプテンは誰?」
「……」
佐藤さんが聞いても誰も答えない。淳一が辞めてからは、ちゃんとしたキャプテンは決めていなかった。ただ試合の時なんかにキャプテンがいないと困るので、一応隆志がキャプテン役を代わりに務めていた。
「あれ、キャプテンはお休み?」
「えーと、キャプテンが辞めちゃったので、一応代理という事で、……」
隆志がおずおずと手を上げると、
「OK。じゃあ、ランニングから始めて」
「分かりました」
隆志は、みんなを学年順に二列に並べると、
「行くぞっ」
声をかけて走り出した。
「ヤンリー、ファイトッ」
「フ、ファイト」
「ファイトッ」
「フ、ファイト」
気合の入らない声を出しながら、みんなはヨロヨロと走り出した。それでも、佐藤さんは相変わらずニコニコしながらみんなを見送っていた。
「みんな、野球じゃ、何が好きかな?」
ウォーミングアップのランニングと体操とキャッチボールが終わると、佐藤さんはまたみんなを集めてたずねた。
「バッティング!」
「バッティング!」
みんなが、餌をついばもうとするヒナがピーチクパーチクする様に、口々に叫んだ。
「よーし、それじゃあ、今日はバッティングだけをやろう。みんな思い切り打っていいぞ」
「わーい」
みんな大喜びだ。面白くない守備の練習なんかより、バッティングの方が断然楽しい。
「じゃあ、打順通りに打っていこう」
打順って言っても、最近はレギュラーがごっそり抜けたから特に決まっていない。みんなが困ってモジモジしていると、
「それなら、背番号順にしようか」
「えーっと」
それでも結構困る。一桁の番号を付けていたレギュラーが、ごっそり抜けていたからだ。
「あっ、ぼくが最初だ」
なんという事はない。残っている一番小さな番号は9番。つまり隆志だった。
「じゃあ、他の人は守備位置について」
そこでも、レギュラーがみんないなくなっていたから混乱したけれど、やっとみんなが守備位置についた。
佐藤さんはピッチャーマウンドに歩いていくと、控えピッチャー(いや、今はエースだけど)の耕太に言った。
「俺が投げるから、どこかの守備について」
耕太はボールを佐藤さんに渡すと、外野の方へ走って行った。
「お願いしまーす」
隆志は帽子を脱いでペコリと頭を下げると、バッターボックスに入った。
「次の背番号の子は、素振りをしていて」
佐藤さんが振り返ってそう言うと、背番号11番の健介がこちらに走ってきた。
佐藤さんが新監督になって、はじめての練習が終わった。
みんなは、満足して家路についていた。もうゲップがくるくらいたっぷり、バッティングをやらしてもらったからだ。
佐藤さんが投げてくれたフリーバッティングは最高だった。びっくりするくらいコントロールが良かったのだ。二、三球でそれぞれのバッターの得意なコースを探り当てると、後はそこに続けて投げてくれる。だから、みんな急にうまくなった様に、快音を響かせていた。
佐藤さんは投げるだけでなく、守備にも目を光らせていて、誰かがエラーすると練習を中断して、丁寧に捕り方を教えてくれた。
「いいかあ、腰を落としてグラブの先を地面すれすれにするんだ。そのままグラブを上下させないで、すり足で左右に移動してキャッチするんだぞ」
佐藤さんはエラーした子の後ろに回って、実際に取るポーズをさせながら丁寧に教えていた。
だから、この練習は、バッティングだけでなく守備の練習にもなっていたのだ。
シートバッティングが全員終わると、それからは、三箇所に分かれての、トスバッティング。今度は、まわりで見ていたおとうさんたちの出番だった。みんなが交代で、たっぷりとトスボールを上げてくれた。
佐藤さんは、ここでもあちこちに回って、バッティングや守備の指導をしていた。
みんなが嫌いな守備専用の練習は、最後にみんなを自分の守備位置につかせてのシートノックをちょっぴりやっただけだった。
「ねえ、佐藤さんって、いったい何者?」
隆志は、帰り道でマコネーに聞いてみた。
「そうねえ。私も、最近付き合い始めたんで、よく知らないんだけど。どこか東北の方の県の出身じゃなかったかしら」
マコネーは、少し首を傾げながら答えた。佐藤さんは練習が終わると、アルバイトがあるとかで急いで帰っていた。
「野球がすごくうまいね」
隆志がほめると、
「そうね。高校の時に野球部のキャプテンだったって、言ってたな」
マコネーも、自分の事のように嬉しそうに話している。
「ふーん。甲子園に出ていたりして」
「残念だけど、甲子園には出られなかったみたい。でも、進学校の弱小チームを、キャプテンとして県大会の決勝にまで導いたのよ」
「そんなに野球をやったのに、マコネーと同じ大学なの?」
「そう。野球部を引退してから猛勉強したみたいよ。うちの大学に、現役で受かっているぐらいだから」
マコネーは、特に自慢そうでもなく、あっさりと言っていた。きっと自分も現役で合格しているから、たいしたことだと思っていないのだろう。
ヤングリーブスのメンバー全員は、たった一度の練習で佐藤さんの魅力にまいってしまった。佐藤さんは、一度に十六人もの崇拝者を獲得した事になる。
佐藤さんを気に入ったのは、子どもたちだけではなかった。メンバーの親たちも同様だった。野球を教えるのがうまいだけでなく、あの偏差値が一番高いといわれる大学に一発で合格してしまった勉強での実績も、魅力だったに違いない。
「ねえ、野球だけでなく勉強も教えてもらえないかしら」
啓太のおかあさんから、隆志のおかあさんに電話がかかってきた。啓太のおかあさんだけではない。他の親たちからも同じ様な依頼が殺到した。
結局、みんなで相談して、佐藤さんに野球だけでなく勉強も見てもらうように、マコネーから頼んでもらう事になったのだ。
もちろん、こっちの方は無料という訳にはいかない。なにしろ家庭教師は佐藤さんのもともとのバイトなのだ。
けっきょく、チームの会費とは別に、一人月五千円ずつ佐藤さんにアルバイト料を出す事になった。これでも、学習塾なんかに行くよりはずっと安い。
十六人分で合計月八万円になるから、貧乏学生でアルバイトに追われている佐藤さんにとっては、結構な収入だった。
さっそくマコネーは、佐藤さんにみんなの希望を伝えた。他ならぬマコネーの頼みとあっては、佐藤さんも断るわけにはいかなかったろう。佐藤さんは今までやっていたアルバイトはすべて辞めて、子どもたちの勉強も引き受けてくれる事になった。
佐藤さんとメンバーの親たちとの話し合いで、スケジュールが決められた。
平日は四時から六時までが野球で、六時から七時までが勉強、週末は一時から六時までが野球で、六時から七時までが勉強という事になった。
(えっ、勉強の時間が少ないんじゃないかって)
今言ったのは、晴れの日のスケジュールだ。雨の日は勉強の時間はもっと多くなる。もちろん遊びの時間もあるけれど。
佐藤さんはこのスケジュールの事を、古い言葉の「晴耕雨読」をもじって、「晴球雨勉」とよんでいた。晴れた日は野球で雨の日は勉強という意味だ。
佐藤さんが来るのは、もちろん毎日というわけにはいかない。佐藤さんが授業や他の用事があって来られない時は、親たちが交代で面倒を見る自習や自主練習という事になる。
それでも、佐藤さんは途中からでもなるべく来ると約束してくれた。なにしろ下宿からこちらまでの回数券を買ったほどなのだ。
子どもたちも、全員が毎日参加するわけではない。みんなこれを機会に学習塾は辞めたものの、スイミングやピアノなどの習い事に行っている子たちもけっこういたからだ。
親たちは、野球のためには小学校の校庭や地域のグラウンドを確保した。勉強の方は自治会館や公民館でやる事になった。
佐藤さんは、勉強を教えるのも抜群にうまかった。やり方も独特で、塾のようにいっせいの授業をやるのではなく、みんなにそれぞれが持ってきた問題集をやらせるのだ。
それも、子どもたちがやるのは、算数でも、社会でも、国語でも、理科でもなんでもいい。佐藤さんは、それを一年生から六年生まで、いっぺんに教えてくれるのだ。
みんなは1ページ終わるごとに、佐藤さんの所へ問題集を持っていく。そうすると、佐藤さんは解答集も見ずに、あっという間に丸付けをしてくれた。そして、間違えた所を丁寧に説明してくれる。
(すげえ!)
と、隆志は思った。
佐藤さんはまるで魔法使いみたいだった。佐藤さんには、小学生の問題なんて一瞬で答えが分かっちゃうみたいなのだ。
この野球&勉強塾(?)は、たちまち学校で評判になった。入会者が殺到して、すぐにメンバーは三十人以上にもなった。今ではヤングリーブスの人数が減り始める前より多いくらいだ。
中には、一度チームを辞めたのに、ちゃっかり戻ってきたメンバーもかなりいた。
でも、佐藤さんは、そういう子たちも分け隔てなく、チームに加えていった。こうして、佐藤さんの収入も、メンバーが増えるにつれて十五万円以上にもなっている。
でも、佐藤さんがチームを引き受けたのは、お金のためだけではない。他ならぬマコネーに頼まれたからだろう。
佐藤さんは、練習や授業に来た時には、夕食を隆志の家で食べていく様になった。佐藤さんは地方出身者だったので、都内のアパートに住んでいる。もっとも、みんなとしゃべる時は標準語でしゃべっているので、地方出身者だとは分からなかったけれど。よく注意して聞いてみると、かすかに東北地方のなまりがあるようだった。
アパートでは一人で自炊しているので、佐藤さんには我が家での夕食は魅力的だったようだ。一方、隆志のかあさんは、毎日はりきってご馳走をこしらえている。マコネーも、もう夜遊びはせずに夕食に顔を見せるようになった。
もしかすると、佐藤さんにとっては、夕食よりもマコネーに会えるのが魅力だったのかもしれなかった。平日は、隆志とマコネーとかあさんと佐藤さんの四人で、夕食を食べる事が多くなった。隆志のとうさんは、会社からの帰りが遅くて参加できなかったのを残念がっていた。どうやら、今までのマコネーのボーイフレンドたちに比べて、古い言葉でいえば朴訥とした雰囲気のある佐藤さんのことを気に入っているようだ。
話題はチームの事が多く、みんな最近メキメキうまくなっているとほめてくれるので、隆志はすっかりいい気分だった。幸いな事に、勉強の方の話は出ないので、あまり一所懸命やっていない隆志としては大助かりだった。
土日には、夕食に隆志のとうさんも加わった。
佐藤さんはまだ未成年なのに、
「まあまあいいから」
などと言って、ビールを勧めていた。佐藤さんはあまりお酒が強くないらしく、コップ一杯のビールで真っ赤になっていた。とうさんがもう一杯注ごうとすると、佐藤さんは、
「もうけっこうです」
と、コップの上を手で覆った。
「私も」
マコネーが、自分のコップをとうさんに差し出した。
「なんだ、お前、酒なんか飲むのか?」
「もちろん。だって、大学って新歓コンパなんかで、一年生だって飲むのよ」
「しょうがねえなあ」
とうさんが、渋々ビールを注ぐと、マコネーがグビグビと一気に飲み干した。
「プハーッ、うめえ。お代わり」
マコネーがまたとうさんにコップを出すと、
「何よ、お行儀の悪い」
と、かあさんが顔をしかめていた。
ある日、佐藤さんが、グループの名前をみんなに決めさせる事になった。もうすでに、佐藤さんのもとに集まっているグループは、単なる野球チームというよりは、勉強や遊びも含めた少年団の様になっていたかもしれない。それには、手垢のついた「ヤングリーブス」という名前は似合わない。
「じゃあ、みんな、どんどんアイデアを出して」
佐藤さんは、まわりにみんなを座らせて言った。
みんなは、次々といろいろな名前を提案した。
「ドラゴンモンスターがいいな」
そう言ったのは、五年生の麻生ちゃんだ。
「それなら、スペシャルファンタジーの方がいいよ」
四年の誠が言い返した。なんだか、どちらもゲームの名前のようだ。
「若葉ビクトリーズはどう?」
三年の章吾が言った。
「城山ジャイアンツ」
四年の純もいった。ようやく、野球チームらしいものが出てきた。
でも、それでは、今のグループの名前には相応しくない。
その時、隆志の頭の中にひらめくものがあった。
「スーパーキッズってのは、どう?」
「いいね、それ」
「なんかかっこいい」
すぐにみんなの賛同が得られた。
「でも、ちょっと短くないかなあ」
「うん」
「なんとかとスーパーキッズっていうのは?」
「それ、いただき」
「佐藤さんとスーパーキッズは?」
「なんか、かっこ悪いよ」
「じゃあ、キャプテン佐藤とスーパーキッズでどう?」
「うん、いい。いい」
最終的に、その「キャプテン佐藤とスーパーキッズ」に決まった。
ただ、これでは少年野球チームの登録名としてはおかしいので、そのときはたんに「スーパーキッズ」とする事にした。
キャプテン佐藤は、小学生の男の子たちを夢中にするあらゆる魅力を持っていた。
まず、なんといっても野球がうまい。今までのチームでは、バッティングとピッチングは違うコーチがいた。
でも、キャプテン佐藤は、バッティングでも、ピッチングでも、守備でも、走塁でもなんでも上手だった。だから、一人で全部を教えられるのだ。
今までのパパよりも年上のコーチと違って若いから、子どもを教えるぐらいでは全然疲れないみたいだ。なにしろ、ついこの前まで、現役の高校球児だったのだ。
キャプテン佐藤は、高校時代はピッチャーと外野を守っていたらしい。
でも、中学時代は内野手だったし、少年野球時代にはキャッチャーの経験もあるそうだ。そして、何よりも、自分がうまいだけでなく、教えるのが上手だった。こんなところには、弱小チームをキャプテンとして引っ張っていた経験が生きているようだ。
教える事に関しては、勉強も同様だった。教え方がユーモアたっぷりで、学校や塾の先生よりだんぜん面白かった。
勉強や野球だけでなく、キャプテン佐藤は遊びにも卓越していた。驚いた事に、キャプテン佐藤はあらゆるビデオゲームの名人だったのだ。おかげで、たちまちのうちにみんなの尊敬を集めてしまった。
キャプテン佐藤は、ビデオゲームだけでなくモノポリーやカタンのようなボードゲームにも詳しかった。アパートにたくさんのボードゲームを持っていて、雨の日には自治会館に持ってきてゲーム大会を開いてくれた。
さらに、屋外の遊びにもめちゃくちゃくわしかった。「Sケン」とか「すいらいかんちょう」など、みんなの知らない遠い昔の遊びをたくさん教えてくれた。今の大学に受かるための勉強や、野球の練習をたくさんしなくてはならなかったはずなのに、どうしてこんなに遊ぶ事に詳しくなれたのか不思議でならない。
前にも言ったけれど、キャプテン佐藤は見た目にはかっこいい人には見えなかった。特に、女の人には、ぜったいもてそうなタイプではなかった。身長は、百六十センチちょっとしかないんじゃないかな。チームで一番のっぽの大樹よりも低いくらいだ。
一方、マコネーは百六十八センチの八頭身美人だ。特に、マコネーがヒールの高い靴をはいてキャプテン佐藤と一緒にいると、完全に見下ろすような感じになってしまっている。
キャプテン佐藤は、上半身は肩幅が広くがっちりとしていて、筋肉がよく発達している。いかにもスポーツマンって感じだ。でも、残念ながら足がすごく短いのだ。
キャプテン佐藤の短めの髪の毛はボサボサで、ぜんぜんつやがなかった。隆志は、いつも(ムースか何かを使えばいいのになあ)と、思っていた。
口のまわりやあごには、びっしりとぶしょうひげが生えていた。
キャプテン佐藤は、古い形の黒ぶちの眼鏡をかけている。着ている物も、ジャージやフリースの様な物が多く、あまり構わない様だった。美人でスタイルのいいマコネーと歩いていると、「美女と野獣」って感じだった。誰が見ても、不釣合いなカップルに見えただろう。
でも、そんなのは外見だけの判断だ。キャプテン佐藤の魅力は、内面にこそあるのだ。そこの所が、マコネーにも良く分かっていたのだろう。
キャプテン佐藤が監督になって一ヶ月がたった。スーパーキッズは初めての試合をやることになった。
対戦相手は、城山ジャガーズ。同じ町の城山小学校のチームだ。町の春季大会の前哨戦といったところだ。
去年の新人戦では、7対4で勝っているが、こちらのメンバーは、その時からだいぶ主力が抜けている。もっともキャプテン佐藤が監督になってからは、前よりも練習量を増えているし内容もいいので、全体にはかなりレベルアップしているとも思えた。
その前の日、キャプテン佐藤は練習の後で、みんなを集めて明日のメンバーを発表した。
「一番、センター、孝治」
「はい」
名前を呼ばれた者はその場にしゃがむ。
「二番、ショート、章吾」
「はい」
「三番、キャッチャー、……」
「……」
次々と発表されていく。
「六番、サード、隆志」
「はい」
隆志も大きな声で返事した。去年まではライパチだったから、だいぶ昇格したことになる。
「隆志、今までは代理だったけれど、明日から正式にキャプテンをやってくれ」
「はい」
隆志はもう一度返事したけれど、はたして、大所帯になったチームをまとめていけるか、あまり自信がなかった。硬式野球チームに移った連中を除いては、レギュラーをやっていた人たちも戻ってきていたので、隆志より野球のうまいメンバーも多かった。
「キャプテン」
主審が両チームに声をかけた。
隆志は、初めそれが自分のことだと思わなかった。うちのチームでは、みんなが監督のことを「キャプテン」とか、「キャプテン佐藤」って呼んでいるからだ。
「タカちゃん、主審が呼んでるよ」
隣にいた孝治に注意されて、初めて気が付いた。
主審が呼んでいたのは、試合前のメンバー表の交換のためだった。隆志はキャプテン佐藤からメンバー表を受け取ると、小走りに主審の方へ向かった。
「じゃあ、握手して」
主審にうながされて、隆志は相手のキャプテンと握手した。相手のキャプテンは隆志より頭一つ大きい。
「お願いしまーす」
隆志は、相手とメンバー表を交換した。
「最初はグー、ジャンケンポン」
隆志がチョキで、相手がパーだ。幸先良くジャンケンに勝った。
「先攻でお願いします」
ねらいどおりに先攻が取れた。
「先攻だそお」
三塁側の ベンチに戻りながら怒鳴ると、
「オーッ」
キャッチボールをしていたみんなからも歓声が起きた。
「ベンチ前集合」
隆志が声をかけると、みんなはキャッチボールをやめて集まってきた。
みんなは右足を一歩前に出して足先を揃えて整列する。隆志は一番左端で、みんなとは逆に左足をみんなに揃えて一歩出している。
「集合」
主審が両チームに声をかけた
「行くぞお」
隆志が叫ぶと、
「オーッ」
みんなが答えて、いっせいにホームベース横に駆けていった。反対側からは城山ジャガーズが走ってくる。
両チームは、ホームベースをはさんで整列した。城山ジャガーズは元々大きなチームだったが、今ではスーパーキッズも人数だったら負けない。
「キャプテン、握手して」
「お願いしまーす」
隆志は、背の高い城山ジャガーズのキャプテンとまた握手をした。
「それでは試合を開始します、礼」
「お願いしまーす」
みんなが大声で叫んで、いよいよゲームが始まった。
一回の表、ツーアウト満塁。
いきなり絶好のチャンスに、六番の隆志に打順が回ってきた。隆志は緊張で少し足が震えながら、バッターボックスに向かう。
と、その時だ。
「タイム」
キャプテン佐藤が叫んだ。隆志の方に手招きしている。
隆志がベンチのキャプテン佐藤のところへ走っていくと、
「いいか、隆志。お前は、この一ヶ月間、誰よりも練習をやってきたんだ。昔のライパチのお前とは違うんだからな」
(そうだ!)
本当にこの一ヶ月間は、隆志は熱心に練習をやってきた。それというのも、キャプテン佐藤が大好きだったからだ。キャプテン佐藤の言うとおりにやれば、きっとうまくなれると固く信じていた。
隆志は、ジーッとキャプテン佐藤の目を見つめていた。
キャプテン佐藤は、ぼくを後ろ向きにすると肩をもむようにしてから、最後にポンと尻を叩いて言った。
「よし、自信持っていけ」
隆志は、小走りにバッターボックスに向かった。もう足は震えていなかった。
「いくぞーっ」
隆志は気合を入れて叫びながら、ピッチャーをにらみつけた。
相手ピッチャーが、一球目を投げ込んできた。
「ボール」
外角高めにはずれた。
(よし!)
隆志はボールが良く見えていた。相手ピッチャーは制球に苦しんで、この回二つも四球を出している。
(このまま打たずに、フォアボールをねらおうか)
一瞬、そんな弱気な考えが、隆志の頭をかすめた。
と、その時だ。
「隆志、フォアボールなんかねらわずに強気でいけ。いい球が来たら、思い切り叩いてやれ」
まるで隆志の心の中を読んだように、キャプテン佐藤に言われてしまった。
第二球。
四球を嫌がった相手投手のボールは、ど真ん中の直球。
(今だ!)
隆志は、思いっきりバットを振った。
ガキッ。
鈍い音を立てて、小飛球を打ち上げてしまった。
(しまった)
隆志は、懸命に一塁に向かって走った ボールは、フラフラとセカンドの後方へあがっていく。ジャガーズのセカンドとセンターとライトが、ボールを追っていく。
でも、幸運にも三人の間に、ボールはポトリと落ちた。テキサスヒットだ(昔、アメリカのテキサス州の地方リーグでこうしたポテンヒットが多かったので、そう呼ばれている)。
ツーアウトだったのでスタートを切っていた三塁ランナーはもちろん、二塁ランナーまでホームインして二点を先制した。一塁ランナーも三塁まで到達して、チャンスは続いている。
「隆志、よくやった」
ベンチから、キャプテン佐藤が声をかけてくれた。
翌日、自治会館の部屋で反省会が開かれた。城山ジャガーズとの練習試合は、惜しくも6対9で敗れていた。
キャプテン佐藤とベンチ入りした四年生以上のメンバーが集まった。それから記録係として、マコネーが参加している。マコネーはいつの間にかスコアブックのつけ方を完璧にマスターしていて、スーパーキッズのスコアラーをやるようになっていた。
「今日の試合はどうだった」
キャプテン佐藤がみんなにたずねた。
「リードしたのに逆転されて惜しかった」
「負けて悔しかった」
「城山ジャガーズは強かった」
みんなが口々に言った。
「うんうん」
キャプテン佐藤は、そのひとつひとつにうなずいていた。
そして、みんなが言い終わると、優しい声で話し出した。
「まず、バッティングだけど、今日の相手のピッチャーはどうだった?」
「そんなにスピードは速くなかった」
「コントロールもそれほど良くなかった」
みんなが口々に答える。
「そうだな。うちのチームも、ヒットやフォアボールですいぶん攻められていたよな。でも、点が六点しか取れなかった。それはなぜだろう」
こうやって、キャプテン佐藤はみんなに自分たちに欠けていたことを考えさせた。
みんなは、自分の考えをどんどん出していった。その結果を、最後にキャプテン佐藤は、みんなの発言の記録を取っていたマコネーと一緒に、黒板にまとめてくれた。
1. 攻撃
・バントの失敗が多かった。最後までよくボールを見なかった。
・ランナーを先に進める進塁打(右方向に打つこと)ができなかった。右バッターはサード側に引っ張りすぎていた。
・初球から積極的に打っていかなかった。
・見逃しの三振が多かった。自信がなくて積極的に打っていけなかった。
・盗塁が少なかった。自信がなくて、フリーのサイン(走れると思ったら自分の判断で走ってよい)が出ていても走れなかった。
・サインの見逃しが多かった。緊張しすぎていた。
2.守備
・ピッチャーは、耕太に頼り過ぎ。きちんと投げられるピッチャーがあと三人は必要。特に大会になったら、一日二試合あるから、同じ日に投げられるピッチャーの人数が大事だ。
・相手の盗塁をぜんぜん防げなかった。二塁まで送球の届くキャッチャーを作らなければならない。
・牽制球やスクイズを外して、相手ランナーをはさんだときに、それからどうするかがわからない。そういったランダンプレーの時の約束事ができていない。
・ベースカバーができていない。エラーに備えた行動を忘れている。
・ダブルプレーができなかった。連携プレーの練習が足りない。
・相手にバントを決められすぎた。バントの守備陣形ができていない。
キャプテン佐藤は、これらを説明した後でみんなに言った。
「今までは、前からのポジションをやっていたけれど、みんなの基本的な体力測定をやった後で、それぞれに適したポジションに割り振りし直そう。平日は、今までは基本プレーの練習だけをやっていたけれど、これからは連係プレーを中心にやる。土日は、試合に慣れるために、練習試合をできるだけやろう」
みんなは真剣な顔をして、キャプテン佐藤の話を聞いていた。
「それから、みんな約束して欲しい。基本プレーの時間が不足するから、それを補うために、各自が素振り百回とキャッチボールを百球、毎日やって欲しい。キャッチボールの相手の見つからない人は壁当て(家の石垣や塀にボールを投げて、跳ね返ったボールをキャッチする練習)でもOKだ。いいかな?」
「はい」
みんなは、大きな声で返事した。
すぐにユニフォームに着替えて、校庭へ移動した。
まずは、50メートル走のタイム測定だ。キャプテン佐藤はマコネーに手伝ってもらって、巻尺とライン引きで50メートル走のコースを作った。そして、キャプテン佐藤のホイッスルを合図に、一人ずつ全力で走って、マコネーがストップウォッチで計測する。一人二回ずつ計っていい方のタイムを取ることになった。
次は、遠投だ。
これも巻尺とライン引きで距離をはかれるようにして、一人二回ずつ投げることになった。
意外だったのは、隆志の遠投力だ。なんとチームでトップであることがわかったのだ。これには隆志自身が一番びっくりしてしまった。
キャプテン佐藤は、最後にノックでみんなの守備力をチェックしていた。
こうして、スーパーキッズの新しいチーム作りが、本格的に始まったのだ。
次の日、さっそくキャプテン佐藤から、新しいポジションが発表された。
まず、ピッチャー。新六年からは、エースの耕太となんともう一人は隆志が選ばれた。隆志が選ばれたのは、肩の強さを見込まれたからに違いない。五年生からは章吾が、四年生からは慎太郎が、ピッチャーをやることになった。彼らは、六年生たちの控えであるとともに、五年生以下でBチームを組むときのエースにもなる。
キャッチャーには、隆志が選ばれた。つまりぼく以外がピッチャーをやるときは、必ずキャッチャーをやることになる。隆志が投げるときには、耕太がキャッチャーをやることになった。これも肩の強さを重視した人選だと、キャプテン佐藤はみんなに説明した。とにかく本塁から二塁までボールが届かなくては、相手に盗塁されっぱなしになって話にならない。
ファーストには、チームで一番のっぽの六年の大樹が選ばれた。大樹は背が高いだけでなくキャッチングもうまかったので、ファーストには向いている。
セカンドは小柄な五年生の徹だった。肩はあまり強くないが、動きが敏捷だった。
サードは六年の竜介だ。ボールを怖がらないので強い打球が多いサードにうってつけだ。
ショートは、五年生の章吾。ピッチャーの控えもやる章吾は、小柄だが肩が強く守備もうまい。それに一年生からチームに入っていたので、野球を良く知っているから、内野のかなめのポジションにはピッタリだ。
外野は、全員、足が速くて守備範囲が広い子たちが選ばれた。
こうして、新生スーパーキッズのレギュラーが定まった。
それ以来、練習は、四年生以上と三年生以下に、分かれて行われるようになった。
キャプテン佐藤が四年生以上の子たちと校庭で正式練習をやっている時には、おとうさんたちが何人かついて三年生たちを隣の公園に連れて行く。そこで二チームに分かれてミニゲームをやっている。
(三年生以下は野球をただ楽しめばいい)
というのが、キャプテン佐藤の方針だった。
「ワアーッ」
公園の方からは、時々歓声があがる。なかなか楽しそうだ。おとうさんたちも、一緒に試合に入ってやっているようだった。
上級生たちの正式練習で、キャプテン佐藤が真っ先に取り組んだ練習はバントだ。
送りバント、スクイズバント、セーフティバント、……。
少年野球では、いろいろなシーンでバントが使われる。これがうまいかどうかで、得点力はずいぶん変わってしまう。
この前の試合では、スーパーキッズはバント失敗を何回もしてしまっていた。もし成功していたら、試合に勝っていたかもしれない。
バント練習は、三人一組になって、ピッチャー、バッター、キャッチャーを交代しながら行う。十本ずつを十セット。合計百本もバントの練習を繰り返した。これを毎日やり続ける
練習の間は、キャプテン佐藤が見回っているから、みんな真剣に取り組んでいた。
隆志も、キャプテン佐藤から教わったバントの注意事項を頭に浮かべながら練習していた。
体をボールが来る方向に対して、きちんとまっすぐむける。足の間隔はやや広くして、ゆったりと構える。両手をにぎりこぶし二つ分離して、ボールの勢いに負けないようにしっかりと握る。バットはできるだけ目の高さに近づけ、ボールが来ても腕だけでバットを上下させない。高さの調整は、腕ではなくひざの屈伸を使って行う。
これらを注意してやると、だんだんうまくなっていくのが実感できた。
ビュッ。
カッ。
コロコロ。
ビュッ。
カッ。
コロコロ。
……。
ほとんど百発百中で、バントを決められるようになってきた。
隆志だけではない。みんなも上手になったから、これで試合でもバントをうまく使っていけそうだ。
みんながうまくバントをできるようになると、キャプテン佐藤はランナー一塁の送りバント、ランナー二塁の送りバント、ランナー三塁のスクイズバントなど、状況ごとのバントの練習も始めた。みんなを守備位置につけ、実際にランナーを置いていろいろなバントの練習をした。
盗塁の練習もたくさんやった。
「この前の試合、相手のキャッチャーの送球は山なりだったんだぞ。あれなら、セカンドまではフリーパスだったのに。盗塁のサイン出しても走らない奴もいたぞ」
キャプテン佐藤は、少し悔しそうに言った。
「例えばな、ノーアウトの時にフォアボールで出塁するとするだろ。これをバントで送ったらうまくいってもワンアウト二塁だ。ところが、相手のキャッチャーの肩が弱ければ、黙っていても盗塁で二塁までいける。これをバントで送ればワンアウト三塁だ。これならスクイズだって、パスボールだって、外野フライだって、一点取れちゃうんだぞ。もったいないと思わないか」
これからは、相手の投球練習の最後にキャッチャーがセカンドへ送球するを見ていて、届かなかったり山なりだったりしたら、ノーサインで全員が二盗することになった。三盗と相手のキャッチャーの肩が強いときは、今までどおりにキャプテン佐藤のサインで走る。
「ただ、ピッチャーの牽制球だけには気をつけろ」
キャプテン佐藤はそう言って、牽制球を投げる時のピッチャーのプレートからの足のはずし方を実地に何度もやって見せた。
「要は相手の左足だけを見ていればいいんだ。それがプレートに平行に上がった時は、牽制球だからな。足がホームの方を向いたら投球だから、スタートを切っていい。もし、それでピッチャーが牽制球を投げたら、ボークになるから、黙っていても二塁まで行ける」
キャプテン佐藤は、ピッチャー役の耕太に実際に投げさせて、みんなに盗塁のスタートの切り方を練習させた。キャッチャー役はキャプテン佐藤自身がやって、牽制か投球かのサインを出すことになった。ファースト役には、レギュラーの大樹がついている。
効率良くやるために、ランナーは一人ではなく、ファーストベースの前後に一人ずつ立って、合計三人が同時に練習する。
「おーい、他の連中もピッチャーの左足を良く見てろよ」
監督が大声でみんなに言った。
「それじゃ、始めるぞ」
「リーリーリー」
隆志はファーストベースから離れてリードしながら、耕太の左足に注目した。他の二人も、前後でリードを取っている。
耕太の左足が上がった。
(投球だ)
隆志は、素早くスタートを切った。
ところが、他の二人は、ベースの方に戻ってしまった。
隆志の予想通りに、耕太はキャッチャー役のキャプテン佐藤に投球した。
「はーい。正解は隆志だけ。他の二人は失敗だ」
キャプテン佐藤が叫んだ。みんなが習得するのは、なかなか難しいようだ。二盗の練習が終わったら、今度は三盗もやらなくてはならない。
「連携プレーも少し練習しておこう。まずランダンプレーだな」
ある日、キャプテン佐藤がいった。
ランダンプレーの練習は面白い。まるで鬼ごっこのようだった。
ランダンプレーというのは、塁間にはさんだランナーを、キャッチボールをしながら追い詰めていってアウトにするプレーだ。前の試合では、このやり方がわからなくって、せっかくスクイズをはずして三塁ランナーをはさんだのに、逆にこちらが大慌てになってしまい、ミスが出てホームインされてしまった。
キャプテン佐藤は、ランダンプレーを、順を追ってていねいに説明しながら、ランナーの殺し方を教えてくれた。
まず、最初に練習したのは、やはり三本間でのランダンプレーだった。これは試合で失敗したばかりだったので、みんなも真剣な顔つきになっている。
三本間の場合は、キャッチャーと三塁手で追い詰める。このとき三塁ベースはショートが、ホームベースはピッチャーがカバーする。さらに、三塁ベースの後ろにはレフトが二重にカバーする。これはランダンプレーが、三塁ベース寄りの所で行われることが多いからだ。
基本的には、キャッチャーが三塁ベースの方に向かってランナーを追い詰めていく。これなら失敗しても、ランナーは元の塁へ戻るだけで進塁できない。
これが逆にホームベースの方へ追い詰めると、へたをするとランナーにホームインされてしまう危険がある。
こういったことを、三本間、二三塁間、一二塁間のそれぞれについて、実地に何度も繰り返して練習した。
頭ではわかったつもりでも、実際にやってみると、焦ってしまってなかなかうまくいかない。
「練習で百パーセントできるようにならないと、実戦では使い物にならないぞ」
キャプテン佐藤はそう言って、みんなにはっぱをかけた。
「連携プレーには、まだダブルプレーとか、中継プレーとか、ピックオフプレーとか、いろいろあるけれど、いっぺんにやると混乱するから、今はこのくらいにしておこう」
キャプテン佐藤はそう言ってから、最後に付け加えた。
「バントと盗塁。それさえきっちりやれば、少年野球は絶対勝てるから。しっかり練習しようぜ」
「はい」
みんなは大きな声で返事をした。
「逆の言い方をすると、相手にバントと盗塁をさせなければ、なかなか点が取られないってことになる。それには、バッテリー、おまえたちの腕にかかっているからな」
キャプテン佐藤は、みんながバッティング練習をやっているときに、ぼくと耕太には、牽制球の投げ方や盗塁のときのスローイングをつきっきりで教えてくれた。
「この前は、フォアボールが多かったな。それを減らせば、ぐっとピンチの回数を減らせる」
ぼくと耕太、それに五年生の章吾と四年生の慎太郎、スーパーキッズの投手陣全員に交代でバッティング練習のときのピッチャーをやるように、監督は指示した。
バッティング投手は、すべてストライクを投げなければならない。コントロールをつけるには絶好の練習だった。
それと、一日百回のシャドーピッチングのノルマが、素振りとキャッチボールに付け加えて、投手陣のノルマになった。シャドーピッチングとは、ボールの代わりにタオルを握って、投球練習をすることだ。
隆志は、一日も欠かさず、素振りとキャッチボール(相手がいないときは壁あて)、それにシャドーピッチングを繰り返した。
毎週、土曜日と日曜日には、練習試合が組まれた。対戦相手は、同じ町内のチームのことが多かったが、時には近隣の地域にまで遠征することもあった。そんな時は、メンバーのおとうさんたちが車で送り迎えをしてくれた。
キャプテン佐藤は、スーパーキッズの町のある郡や隣のS市の少年野球協会に連絡を取って、近くにあるチームの連絡先を調べていた。そして、片っぱしから電話をかけて、練習試合の日程を組んでいた。
時には、違うチームとダブルヘッダーを組むこともあった。例えば、午前中はホームグラウンドである若葉小学校の校庭で同じ町のチームと試合をする。試合後、急いでお昼ごはんを食べると、隣のS市のチームのグラウンドまで急いで車で移動する。午後は、そのチームと練習試合をやった。
一日に二試合やるのは、大会に備えてだ。当面のスーパーキッズの目標は、五月の下旬に行われる郡大会だった。ここで、ベストファイブに入れば、夏休みに行われる県大会のどれかに出場できる。大会では一日に二試合行われることもあるから、練習試合でもダブルヘッダーに慣れておく必要があった。
ダブルヘッダーでは、第一試合はエースの耕太が、第二試合は隆志が先発した。章吾や慎太郎は、リリーフピッチャーに使われていた。これも大会に備えてのことだった。
こうして、週に3、4ゲームも練習試合が行われた。
初め、練習試合ではなかなか勝てなかった。
しかし、練習の成果が出てきたのか、そのうちに勝ったり負けたりするようになってきた。
「宣誓! 日頃の練習の成果を発揮して、スポーツマン精神にのっとり、正々堂々プレーすることを誓います。20XX年10月22日。選手代表、スーパーキッズ主将、石川隆志!」
久々に晴れ上がった空に、堂々とした隆志の声が響いた。
キャプテン佐藤とスーパーキッズが結成されてから初めての大会、郡大会の開会式が行われていた。大会に参加する郡内四町からの18チームが、グラウンドに整列している。
隆志は、一礼すると駆け足でヤングリーブスの列に戻った。
いよいよ県大会出場をかけたトーナメントが始まる。
隆志は、興奮と期待で胸が高鳴っていた。隆志だけではない。チームメンバー全員が、自信を持って大会にのぞんでいる。
もう四か月前のつぶれかかっていた弱小ヤングリーブスではない。キャプテン佐藤の指導の下に、一から生まれ変わったスーパーキッズの初陣なのだから。
マコネーを真っ青な空に輝く太陽としたら、隆志なんか、夜空の月。いや、ダンボールで拵えたただのペーパームーンかもしれない。
小さい頃から、可愛くて、しかも賢いマコネーは、とうさんやかあさんの自慢の種だった。
七五三の時だけでなく、毎年、写真スタジオで撮ったマコネーの写真のパネルが、居間の周りをグルリと取り囲んでいる。アイドルのような派手な衣装を着ても、不思議なくらい似合ってしまう。いや、本物のアイドルなんかより、よっぽど可愛かったかもしれない。
(何かのグッズにプリントして売り出したら、爆発的に売れたりして)
七年後に、ヒョッコリと隆志が生まれてからも、マコネーの王座は微塵も揺らがなかった。ちょうど小学校に上がったばかりのマコネーは、今度はクラスや学校中の人気者になっていた。
禿げちゃびんで泣いてばかりの赤ん坊なんて、両親にとっては単なるオマケの様な物だったかもしれない。隆志にとって唯一の赤ちゃんの時の写真パネル(隆志が生まれた産婦人科医院では、院長先生がそこで出産した赤ちゃんは全員、記念に写真を撮って小さなパネルにしてくれていた)は、食器棚の上でホコリを被っている。
家ばかりではない。卒業してもう六年以上もたつのに、マコネーは若葉小学校では、今だに「生ける伝説」として語り継がれている。
児童会長にして、文化祭の劇では作者兼演出家兼ヒロイン。運動会では、応援団長兼騎馬戦の大将兼対抗リレーのアンカーを務めて、赤組を勝利に導いた。ミニバスケットチームでは、市大会の得点王でチームを優勝させてMVPに選ばれた。その他、数え切れないほどの栄光に包まれたマコネーの小学校時代。さらに、若葉小学校では誰も受かった事のない最難関私立中に、塾にも通わずにあっさり合格してしまったのだ。
(なんで、隆志がマコネーの小学校時代について、こんなに詳しいかって?)
だって運の悪い事に、マコネーの六年の時の担任だったのが、今の校長先生なのだ。
今日もこんな事があった。
隆志は、啓太やジュンくんと一緒に、いつもの様に廊下をドタドタと走り回っていた。
ガラガラガラッ。
いきなり校長室の戸が開いた。禿げ頭の校長先生(もちろんあだなはピカチューだ)が、顔を覗かせた。
「うるさいなあ。廊下を走っちゃだめだろ。ちょっとこっちに来なさい」
気が付くと、啓太もジュンくんも、もう姿が見えない。ほんとにすばしっこい奴らだ。
しょうがないので、隆志は一人でピカチューのもとにスゴスゴと歩いていった。
「また、石川くんか」
ピカチューは、呆れたような顔をしていた。
「すみません」
と、隆志が頭を下げると、
「本当に君は落ち着きがないねえ。それに引き替え、君のおねえさんは、……」
また始まった。今日だけじゃない。隆志の顔を見るたびに、
(いかに石川くんのおねえさんが素晴らしかった)
かを、長々と話し出すのだ。
こうして隆志は、たっぷりとさっきいったような伝説的な思い出話を、聞かされてしまう事になる。しかも、そんな時、ピカチューは、遠くを見つめるようなうっとりした表情まで浮かべているのだからたまらない。
2月のある晩、隆志は居間のテレビの前で「ウルトラスーパープロ野球」をやっていた。お年玉で買った新しいゲームソフトだ。
「タカちゃん、見つけてあげたよ」
大学から帰ってきたマコネーが、居間に入ってくるなり隆志に向かって言った。
「お帰り、ところで何を見つけたの?」
「何って、あなたたちの監督じゃない」
「監督?」
「ヤングリーブスのよ」
ヤングリーブスっていうのは、隆志が入っている少年野球チームだ。
「どうして?」
「だって、捜していたじゃない?」
マコネーは、さっさと二階の自分の部屋へ行こうとしている。
「誰?」
隆志は跳ね起きると、階段の下まで付いていった。
「佐藤くんよ」
「佐藤くんって?」
でも、マコネーはトントンと階段を登っていくと、そのまま部屋に入ってしまった。さすがの隆志も部屋の中までは付いていけない。なにしろマコネーは、自分の部屋に入るなり、ほとんど全裸同然の格好になるからだ。
大学に入るまでマコネーが熱中していたのは、なんと「受験勉強」だった。さすがのマコネーも、今回は塾に通わないで受験するのは無理な様だった。高校生になってからというもの、放課後には毎日熱心に予備校に通っていた。
でも、これはいわゆる「ガリ勉」といった様な、悲壮感の漂ったものではなかった。純粋に「受験勉強」に興味をそそられた様なのだ。そして、ここでも持ち前の集中力を発揮して、成績をグングン伸ばしてしまった。なにしろ、どこの大学でも合格間違いなしという、全国模擬試験で百番以内の常連になってしまったのだ。もちろん予備校でも大人気で、「模試の女王」というニックネームまでゲットしていた。そして、あっさりと現役で、一番偏差値が高いと言われている大学に合格してしまった。
大学に入ると、マコネーは一転して今度は「恋愛ごっこ」に熱中し始めた。当然すごくもてるから、すぐにいっぱいボーイフレンドができた。そして、家に連れてくる相手は、毎月クルクルと変わっていた。
ジャニーズ系のイケメン。ポルシェを乗り回している金持ちのボンボン。医者や弁護士志望の優等生。……。様々なタイプの男の人たちがいた。
でも、どの人もすぐに飽きてしまうみたいだ。気に入らなくなると、マコネーはあっさりとみんなふってしまった。
佐藤くんも、そんな新しいボーイフレンドなんだろう。
(今度は、どんな人なんだろう?)
いささかうんざりした気分だった。
「だって、タカちゃん。あんたの所、監督のなり手がいないんでしょ」
マコネーは、服を着替えて部屋を出てくると、隆志に言った。
「うん、まあね」
隆志たちのチーム、ヤングリーブスが新しい監督を必要としているのは本当だ。そればかりか、チーム自体がつぶれかかっていたのだ。
先月、それまで20年以上もチームを率いていた監督が辞めてしまった。監督がいなくなっただけではない。打撃コーチも、ピッチングコーチも、スコアラーも、チームを支えてくれていた人たちは、みんないっせいに辞めてしまったのだ。それらの人たちは、監督が頼んだりかつての教え子だったりで、監督を慕って手伝ってくれていた人たちばかりだった。
残った大人たちは、チームメンバーのおとうさんやおかあさんたちだけだ。その中には、野球をよく知っている人は、まったくいなかった。
そのためもあって、次のチームの監督がなかなか決まらなかった。監督だけでなく、打撃コーチも、ピッチングコーチも決まっていないから、だれもメンバーに野球を教えてくれなかった。
いなくなったのは大人たちばかりではない。肝心のチームの子どもたちも、監督たちが辞めてからずいぶん減ってしまった。みんな、指導者のいないチームに見切りをつけて、次々と辞めてしまったのだ。
今では、五年生は隆志を入れてたった三人しかいない。四年生も五人しかいなかったから、試合をするのには三年生までメンバーに入れなければならない。その下級生たちも減って、三年生が四人、二年生が二人、一番年下の一年生も二人しかいない。チームは、ぜんぶで十六人しかいなくなってしまった。これでは、紅白戦もできやしない。
(なんで、こんな事になったかって?)
実は元々の事件の発端は、隆志に原因があったのだ。
去年の十一月、隆志たちのチームは、ライオンズカップというシーズン最後の大会に参加していた。チームの調子は最高で、順調に勝ち進んで決勝戦を迎えていた。
今さら言っても仕方がないけれど、今年のチームは結成以来最強といわれていた。10月に新チームになってから、郡の新人戦でも優勝していたし、ライオンズカップでも優勝候補の筆頭だった。
最終回の表に勝ち越し点をあげて、一点のリード。その裏の相手の攻撃も、四球でランナーが一人出たものの簡単にツーアウトを取っていた。あと一人で二大会連続の優勝だ。
次のバッターの当たりはライトフライ。いい当たりだったものの、ライトを守る隆志の正面だった。
なんなくキャッチと思った瞬間、河川敷のグランドの向こうに傾きかけていた太陽が目に入ってしまった。
(あっ!)
あわててグラブで光を遮ったけれど、間に合わなかった。打球は見失った隆志のグラブをかすめて、頭の上を越していってしまった。いわゆる「バンザイ」って奴だ。
あわてて追っかけたけれど、球はそのままどこまでもころがっていく。
土手の手前でようやく追いついて振り返った。
でも、ランナーはとっくにサードを回っていて、もうスピードをゆるめている。ランニングツーランホームランで、逆転サヨナラ負けをしてしまったのだ。
相手ベンチでは、総出でバッターを迎え入れて大騒ぎだ。ハイタッチしたり、バッターのヘルメットを殴り付けたりして喜んでいた。
「ありがとうございましたあ」
試合後の挨拶をして、ベンチに戻ってきた時だった。
バシーン。
ピッチャーの康平が、グローブをベンチに叩き付けた。
「ヘボ野郎」
そうつぶやくと、隆志を睨みつけた。何を言われても仕方がないので、隆志は黙っていた。周りのメンバーは、二人を遠巻きにして黙っている。
「おい、康平」
(いけねえ。監督に聞こえてしまった)
バチーン。
あっという間に、監督は康平をビンタしていた。康平は、ホッペタを押さえたまま立ちすくんでいる。まわりのみんなも、凍り付いた様にその場を取り囲んでいた。
「試合にミスはつきものなんだ。終わってしまったものを、グズグズ言うんじゃない」
監督は真っ赤になって怒鳴っていたけれど、康平はプイとふてくされた様な顔をしていた。
(まずいなあ)
その時、隆志はそう思った。試合に負けただけでなく、チームの雰囲気まで最悪になってしまった。
ビンタ事件をきっかけに、監督と一部の親たちが対立してしまった。
(体罰をするような暴力監督は辞めろ)
と、いう訳だ。ちょうど、全国的に部活やスポーツクラブでの体罰が問題になっているときだった。
騒いでいたのは、ビンタされたエースの康平、キャプテンの淳一などの親たちが中心だ。隆志の親なんかは、監督が辞めることには反対だった。今まで、ずっとチームを指導してくれていたのに、たった一度のビンタで辞めさせろというのは、いきすぎだというのだ。
何度も大人たちで話し合いが持たれた様だったけれど、なかなからちがあかなかった。
「辞めろ」
「辞めるな」
で、チームを二分して揉め続けた。
次第に、話は監督の選手起用法にも飛び火した。監督は練習では厳しかったが、試合での選手起用は温情的で、下手でも上級生や普段の練習に真面目に出ている子たちを優先して出場させていた。実は隆志もその温情のおかげでレギュラーになっていたのかもしれない。反対派の親たちは、学年などに関係なく実力主義でレギュラーを選ぶべきだと主張した。そうすれば、この間のエラー(隆志のだ)なんかで、負ける事はなくなると言うのだ。
メンバーたちも、オチオチ練習をやっていられるような雰囲気ではなかった。とりあえず、監督は練習に参加する事を自粛していたので、チームにはいつもの緊張感がなかった。
すったもんだしたあげく、結局監督は先月辞任する事になった。そして、それと同時に監督が頼んでいたコーチたちも、みんな辞めてしまった。
それからさっきも言った様に、次の監督がなかなか決まらなかったのだ。
そうこうしているうちに、今度は康平や淳一たち中心選手が、硬式野球のボーイズリーグのチームへ移っていってしまった。騒ぎの当事者だった癖に、さっさとチームを見限ったって訳だ。監督を辞めさせた彼らの親たちは、どんなつもりだったのだろうか。
残された隆志たち、普通のメンバーにとっては、
(なんのこっちゃ)
って、感じだった。
自分たちで騒ぐだけ騒いでおいて、チームが苦しくなったらあっさり辞めてしまう。まったく身勝手な奴らだ。
(ひどいなあ)
って、隆志も思っていた。
そうは言っても、とりあえず野球の練習は続けなければならないので、親たちが交替でチームの指導をしていた。
でも、みんなあまり野球を知らないので、チームはぜんぜん盛り上がらなかった。今まで、いかに監督やコーチたちに頼り切っていたかがよく分かる。
その後も、時々は練習試合はやっていたのだが、いつも大差を付けられてボロ負けだった。チームの戦力も士気もガタ落ちだったから、それも無理はなかったが。
そして、だんだんに他の人たちも辞めてしまい、本格的な野球シーズンを前にして、このままではチームは潰れてしまいそうだった。
「こんにちわー」
マコネーが、チームのメンバーににこやかに挨拶した。
「こ、こんちわ」
みんなは、気の抜けたような返事をしていた。一応、全員が顔を揃えているけれど、もう十六人しかいない。
「それでは、ヤングリーブスの新しい監督を紹介します。佐藤俊一さんです」
マコネーは、そんなことには少しも構わずにニコニコしている。
「こんちは」
隣にいた男の人が一歩前に進み出て、挨拶した。
マコネーのボーイフレンドだから、
(どんなカッコいい人かが来るのだろう)
と、思っていた。
ところが、その人は、髪の毛がボサボサのさえない感じの人だった。
「みんな、野球が好きかな?」
佐藤さんは、こちらもニコニコしながらみんなに尋ねた。
その時、ぼくは、佐藤さんが笑顔になると、なんとも言えずいい感じになるのに気が付いた。イケメンじゃないけれど、(いい人)って、感じがするんだ。もしかすると、マコネーも、そこの所が気に入っていたのかもしれない。
「ふぁーい」
みんなからは、なんだかさえない返事だった。ここの所のゴタゴタで、みんなは野球もチームもかなり嫌になっている所だったのだ。
「そうか、そうか」
それでも、佐藤さんはまだ一人でニコニコしていた。
あの後、マコネーは、まず隆志の両親に、佐藤さんを新しい監督に推薦した。
マコネーの言う事ならなんでも信用する両親は、もちろん大賛成だ。そして、チームの連絡網を使って、他の親たちに電話で連絡した。
この降ってわいたような話に、ヤングリーブスの選手の親たちは、一も二も無く飛びついた。正直言って、野球をよく知らない親たちは、ヤングリーブスの練習の面倒を見るのを、完全に持て余していたのだ。古い言葉でいえば、まさに「渡りに船」っていうやつだ。
それに、もしかすると、佐藤さんがマコネーと同じ偏差値の一番高いと言われる大学の学生だというのも、賛成の理由だったかもしれない。大人たちにとって、あの大学の名前は、魔法の呪文みたいに凄い威力があるらしいのだ。
全員の賛成を取り付けた隆志の両親は、改めてマコネーに佐藤さんへ正式に監督を依頼するように頼んだ。
佐藤さんも、すぐにOKしてくれたらしい。
そして、今日が佐藤さんとチームの初顔合わせと言うわけだった。
佐藤さんが来るというので、校庭の隅には大人たちが大勢集まっている。おかあさんたちはほとんど全員が来ているし、おとうさんたちも結構来ていた。
(佐藤さんって、どんな人なんだろう)
と、みんな興味津々なのだ。
ペチャクチャと、そんな事をおしゃべりしているおかあさんたちの話し声が、隆志たちにも聞こえてきた。
「それじゃあ、まずウォーミングアップをやろう。キャプテンは誰?」
「……」
佐藤さんが聞いても誰も答えない。淳一が辞めてからは、ちゃんとしたキャプテンは決めていなかった。ただ試合の時なんかにキャプテンがいないと困るので、一応隆志がキャプテン役を代わりに務めていた。
「あれ、キャプテンはお休み?」
「えーと、キャプテンが辞めちゃったので、一応代理という事で、……」
隆志がおずおずと手を上げると、
「OK。じゃあ、ランニングから始めて」
「分かりました」
隆志は、みんなを学年順に二列に並べると、
「行くぞっ」
声をかけて走り出した。
「ヤンリー、ファイトッ」
「フ、ファイト」
「ファイトッ」
「フ、ファイト」
気合の入らない声を出しながら、みんなはヨロヨロと走り出した。それでも、佐藤さんは相変わらずニコニコしながらみんなを見送っていた。
「みんな、野球じゃ、何が好きかな?」
ウォーミングアップのランニングと体操とキャッチボールが終わると、佐藤さんはまたみんなを集めてたずねた。
「バッティング!」
「バッティング!」
みんなが、餌をついばもうとするヒナがピーチクパーチクする様に、口々に叫んだ。
「よーし、それじゃあ、今日はバッティングだけをやろう。みんな思い切り打っていいぞ」
「わーい」
みんな大喜びだ。面白くない守備の練習なんかより、バッティングの方が断然楽しい。
「じゃあ、打順通りに打っていこう」
打順って言っても、最近はレギュラーがごっそり抜けたから特に決まっていない。みんなが困ってモジモジしていると、
「それなら、背番号順にしようか」
「えーっと」
それでも結構困る。一桁の番号を付けていたレギュラーが、ごっそり抜けていたからだ。
「あっ、ぼくが最初だ」
なんという事はない。残っている一番小さな番号は9番。つまり隆志だった。
「じゃあ、他の人は守備位置について」
そこでも、レギュラーがみんないなくなっていたから混乱したけれど、やっとみんなが守備位置についた。
佐藤さんはピッチャーマウンドに歩いていくと、控えピッチャー(いや、今はエースだけど)の耕太に言った。
「俺が投げるから、どこかの守備について」
耕太はボールを佐藤さんに渡すと、外野の方へ走って行った。
「お願いしまーす」
隆志は帽子を脱いでペコリと頭を下げると、バッターボックスに入った。
「次の背番号の子は、素振りをしていて」
佐藤さんが振り返ってそう言うと、背番号11番の健介がこちらに走ってきた。
佐藤さんが新監督になって、はじめての練習が終わった。
みんなは、満足して家路についていた。もうゲップがくるくらいたっぷり、バッティングをやらしてもらったからだ。
佐藤さんが投げてくれたフリーバッティングは最高だった。びっくりするくらいコントロールが良かったのだ。二、三球でそれぞれのバッターの得意なコースを探り当てると、後はそこに続けて投げてくれる。だから、みんな急にうまくなった様に、快音を響かせていた。
佐藤さんは投げるだけでなく、守備にも目を光らせていて、誰かがエラーすると練習を中断して、丁寧に捕り方を教えてくれた。
「いいかあ、腰を落としてグラブの先を地面すれすれにするんだ。そのままグラブを上下させないで、すり足で左右に移動してキャッチするんだぞ」
佐藤さんはエラーした子の後ろに回って、実際に取るポーズをさせながら丁寧に教えていた。
だから、この練習は、バッティングだけでなく守備の練習にもなっていたのだ。
シートバッティングが全員終わると、それからは、三箇所に分かれての、トスバッティング。今度は、まわりで見ていたおとうさんたちの出番だった。みんなが交代で、たっぷりとトスボールを上げてくれた。
佐藤さんは、ここでもあちこちに回って、バッティングや守備の指導をしていた。
みんなが嫌いな守備専用の練習は、最後にみんなを自分の守備位置につかせてのシートノックをちょっぴりやっただけだった。
「ねえ、佐藤さんって、いったい何者?」
隆志は、帰り道でマコネーに聞いてみた。
「そうねえ。私も、最近付き合い始めたんで、よく知らないんだけど。どこか東北の方の県の出身じゃなかったかしら」
マコネーは、少し首を傾げながら答えた。佐藤さんは練習が終わると、アルバイトがあるとかで急いで帰っていた。
「野球がすごくうまいね」
隆志がほめると、
「そうね。高校の時に野球部のキャプテンだったって、言ってたな」
マコネーも、自分の事のように嬉しそうに話している。
「ふーん。甲子園に出ていたりして」
「残念だけど、甲子園には出られなかったみたい。でも、進学校の弱小チームを、キャプテンとして県大会の決勝にまで導いたのよ」
「そんなに野球をやったのに、マコネーと同じ大学なの?」
「そう。野球部を引退してから猛勉強したみたいよ。うちの大学に、現役で受かっているぐらいだから」
マコネーは、特に自慢そうでもなく、あっさりと言っていた。きっと自分も現役で合格しているから、たいしたことだと思っていないのだろう。
ヤングリーブスのメンバー全員は、たった一度の練習で佐藤さんの魅力にまいってしまった。佐藤さんは、一度に十六人もの崇拝者を獲得した事になる。
佐藤さんを気に入ったのは、子どもたちだけではなかった。メンバーの親たちも同様だった。野球を教えるのがうまいだけでなく、あの偏差値が一番高いといわれる大学に一発で合格してしまった勉強での実績も、魅力だったに違いない。
「ねえ、野球だけでなく勉強も教えてもらえないかしら」
啓太のおかあさんから、隆志のおかあさんに電話がかかってきた。啓太のおかあさんだけではない。他の親たちからも同じ様な依頼が殺到した。
結局、みんなで相談して、佐藤さんに野球だけでなく勉強も見てもらうように、マコネーから頼んでもらう事になったのだ。
もちろん、こっちの方は無料という訳にはいかない。なにしろ家庭教師は佐藤さんのもともとのバイトなのだ。
けっきょく、チームの会費とは別に、一人月五千円ずつ佐藤さんにアルバイト料を出す事になった。これでも、学習塾なんかに行くよりはずっと安い。
十六人分で合計月八万円になるから、貧乏学生でアルバイトに追われている佐藤さんにとっては、結構な収入だった。
さっそくマコネーは、佐藤さんにみんなの希望を伝えた。他ならぬマコネーの頼みとあっては、佐藤さんも断るわけにはいかなかったろう。佐藤さんは今までやっていたアルバイトはすべて辞めて、子どもたちの勉強も引き受けてくれる事になった。
佐藤さんとメンバーの親たちとの話し合いで、スケジュールが決められた。
平日は四時から六時までが野球で、六時から七時までが勉強、週末は一時から六時までが野球で、六時から七時までが勉強という事になった。
(えっ、勉強の時間が少ないんじゃないかって)
今言ったのは、晴れの日のスケジュールだ。雨の日は勉強の時間はもっと多くなる。もちろん遊びの時間もあるけれど。
佐藤さんはこのスケジュールの事を、古い言葉の「晴耕雨読」をもじって、「晴球雨勉」とよんでいた。晴れた日は野球で雨の日は勉強という意味だ。
佐藤さんが来るのは、もちろん毎日というわけにはいかない。佐藤さんが授業や他の用事があって来られない時は、親たちが交代で面倒を見る自習や自主練習という事になる。
それでも、佐藤さんは途中からでもなるべく来ると約束してくれた。なにしろ下宿からこちらまでの回数券を買ったほどなのだ。
子どもたちも、全員が毎日参加するわけではない。みんなこれを機会に学習塾は辞めたものの、スイミングやピアノなどの習い事に行っている子たちもけっこういたからだ。
親たちは、野球のためには小学校の校庭や地域のグラウンドを確保した。勉強の方は自治会館や公民館でやる事になった。
佐藤さんは、勉強を教えるのも抜群にうまかった。やり方も独特で、塾のようにいっせいの授業をやるのではなく、みんなにそれぞれが持ってきた問題集をやらせるのだ。
それも、子どもたちがやるのは、算数でも、社会でも、国語でも、理科でもなんでもいい。佐藤さんは、それを一年生から六年生まで、いっぺんに教えてくれるのだ。
みんなは1ページ終わるごとに、佐藤さんの所へ問題集を持っていく。そうすると、佐藤さんは解答集も見ずに、あっという間に丸付けをしてくれた。そして、間違えた所を丁寧に説明してくれる。
(すげえ!)
と、隆志は思った。
佐藤さんはまるで魔法使いみたいだった。佐藤さんには、小学生の問題なんて一瞬で答えが分かっちゃうみたいなのだ。
この野球&勉強塾(?)は、たちまち学校で評判になった。入会者が殺到して、すぐにメンバーは三十人以上にもなった。今ではヤングリーブスの人数が減り始める前より多いくらいだ。
中には、一度チームを辞めたのに、ちゃっかり戻ってきたメンバーもかなりいた。
でも、佐藤さんは、そういう子たちも分け隔てなく、チームに加えていった。こうして、佐藤さんの収入も、メンバーが増えるにつれて十五万円以上にもなっている。
でも、佐藤さんがチームを引き受けたのは、お金のためだけではない。他ならぬマコネーに頼まれたからだろう。
佐藤さんは、練習や授業に来た時には、夕食を隆志の家で食べていく様になった。佐藤さんは地方出身者だったので、都内のアパートに住んでいる。もっとも、みんなとしゃべる時は標準語でしゃべっているので、地方出身者だとは分からなかったけれど。よく注意して聞いてみると、かすかに東北地方のなまりがあるようだった。
アパートでは一人で自炊しているので、佐藤さんには我が家での夕食は魅力的だったようだ。一方、隆志のかあさんは、毎日はりきってご馳走をこしらえている。マコネーも、もう夜遊びはせずに夕食に顔を見せるようになった。
もしかすると、佐藤さんにとっては、夕食よりもマコネーに会えるのが魅力だったのかもしれなかった。平日は、隆志とマコネーとかあさんと佐藤さんの四人で、夕食を食べる事が多くなった。隆志のとうさんは、会社からの帰りが遅くて参加できなかったのを残念がっていた。どうやら、今までのマコネーのボーイフレンドたちに比べて、古い言葉でいえば朴訥とした雰囲気のある佐藤さんのことを気に入っているようだ。
話題はチームの事が多く、みんな最近メキメキうまくなっているとほめてくれるので、隆志はすっかりいい気分だった。幸いな事に、勉強の方の話は出ないので、あまり一所懸命やっていない隆志としては大助かりだった。
土日には、夕食に隆志のとうさんも加わった。
佐藤さんはまだ未成年なのに、
「まあまあいいから」
などと言って、ビールを勧めていた。佐藤さんはあまりお酒が強くないらしく、コップ一杯のビールで真っ赤になっていた。とうさんがもう一杯注ごうとすると、佐藤さんは、
「もうけっこうです」
と、コップの上を手で覆った。
「私も」
マコネーが、自分のコップをとうさんに差し出した。
「なんだ、お前、酒なんか飲むのか?」
「もちろん。だって、大学って新歓コンパなんかで、一年生だって飲むのよ」
「しょうがねえなあ」
とうさんが、渋々ビールを注ぐと、マコネーがグビグビと一気に飲み干した。
「プハーッ、うめえ。お代わり」
マコネーがまたとうさんにコップを出すと、
「何よ、お行儀の悪い」
と、かあさんが顔をしかめていた。
ある日、佐藤さんが、グループの名前をみんなに決めさせる事になった。もうすでに、佐藤さんのもとに集まっているグループは、単なる野球チームというよりは、勉強や遊びも含めた少年団の様になっていたかもしれない。それには、手垢のついた「ヤングリーブス」という名前は似合わない。
「じゃあ、みんな、どんどんアイデアを出して」
佐藤さんは、まわりにみんなを座らせて言った。
みんなは、次々といろいろな名前を提案した。
「ドラゴンモンスターがいいな」
そう言ったのは、五年生の麻生ちゃんだ。
「それなら、スペシャルファンタジーの方がいいよ」
四年の誠が言い返した。なんだか、どちらもゲームの名前のようだ。
「若葉ビクトリーズはどう?」
三年の章吾が言った。
「城山ジャイアンツ」
四年の純もいった。ようやく、野球チームらしいものが出てきた。
でも、それでは、今のグループの名前には相応しくない。
その時、隆志の頭の中にひらめくものがあった。
「スーパーキッズってのは、どう?」
「いいね、それ」
「なんかかっこいい」
すぐにみんなの賛同が得られた。
「でも、ちょっと短くないかなあ」
「うん」
「なんとかとスーパーキッズっていうのは?」
「それ、いただき」
「佐藤さんとスーパーキッズは?」
「なんか、かっこ悪いよ」
「じゃあ、キャプテン佐藤とスーパーキッズでどう?」
「うん、いい。いい」
最終的に、その「キャプテン佐藤とスーパーキッズ」に決まった。
ただ、これでは少年野球チームの登録名としてはおかしいので、そのときはたんに「スーパーキッズ」とする事にした。
キャプテン佐藤は、小学生の男の子たちを夢中にするあらゆる魅力を持っていた。
まず、なんといっても野球がうまい。今までのチームでは、バッティングとピッチングは違うコーチがいた。
でも、キャプテン佐藤は、バッティングでも、ピッチングでも、守備でも、走塁でもなんでも上手だった。だから、一人で全部を教えられるのだ。
今までのパパよりも年上のコーチと違って若いから、子どもを教えるぐらいでは全然疲れないみたいだ。なにしろ、ついこの前まで、現役の高校球児だったのだ。
キャプテン佐藤は、高校時代はピッチャーと外野を守っていたらしい。
でも、中学時代は内野手だったし、少年野球時代にはキャッチャーの経験もあるそうだ。そして、何よりも、自分がうまいだけでなく、教えるのが上手だった。こんなところには、弱小チームをキャプテンとして引っ張っていた経験が生きているようだ。
教える事に関しては、勉強も同様だった。教え方がユーモアたっぷりで、学校や塾の先生よりだんぜん面白かった。
勉強や野球だけでなく、キャプテン佐藤は遊びにも卓越していた。驚いた事に、キャプテン佐藤はあらゆるビデオゲームの名人だったのだ。おかげで、たちまちのうちにみんなの尊敬を集めてしまった。
キャプテン佐藤は、ビデオゲームだけでなくモノポリーやカタンのようなボードゲームにも詳しかった。アパートにたくさんのボードゲームを持っていて、雨の日には自治会館に持ってきてゲーム大会を開いてくれた。
さらに、屋外の遊びにもめちゃくちゃくわしかった。「Sケン」とか「すいらいかんちょう」など、みんなの知らない遠い昔の遊びをたくさん教えてくれた。今の大学に受かるための勉強や、野球の練習をたくさんしなくてはならなかったはずなのに、どうしてこんなに遊ぶ事に詳しくなれたのか不思議でならない。
前にも言ったけれど、キャプテン佐藤は見た目にはかっこいい人には見えなかった。特に、女の人には、ぜったいもてそうなタイプではなかった。身長は、百六十センチちょっとしかないんじゃないかな。チームで一番のっぽの大樹よりも低いくらいだ。
一方、マコネーは百六十八センチの八頭身美人だ。特に、マコネーがヒールの高い靴をはいてキャプテン佐藤と一緒にいると、完全に見下ろすような感じになってしまっている。
キャプテン佐藤は、上半身は肩幅が広くがっちりとしていて、筋肉がよく発達している。いかにもスポーツマンって感じだ。でも、残念ながら足がすごく短いのだ。
キャプテン佐藤の短めの髪の毛はボサボサで、ぜんぜんつやがなかった。隆志は、いつも(ムースか何かを使えばいいのになあ)と、思っていた。
口のまわりやあごには、びっしりとぶしょうひげが生えていた。
キャプテン佐藤は、古い形の黒ぶちの眼鏡をかけている。着ている物も、ジャージやフリースの様な物が多く、あまり構わない様だった。美人でスタイルのいいマコネーと歩いていると、「美女と野獣」って感じだった。誰が見ても、不釣合いなカップルに見えただろう。
でも、そんなのは外見だけの判断だ。キャプテン佐藤の魅力は、内面にこそあるのだ。そこの所が、マコネーにも良く分かっていたのだろう。
キャプテン佐藤が監督になって一ヶ月がたった。スーパーキッズは初めての試合をやることになった。
対戦相手は、城山ジャガーズ。同じ町の城山小学校のチームだ。町の春季大会の前哨戦といったところだ。
去年の新人戦では、7対4で勝っているが、こちらのメンバーは、その時からだいぶ主力が抜けている。もっともキャプテン佐藤が監督になってからは、前よりも練習量を増えているし内容もいいので、全体にはかなりレベルアップしているとも思えた。
その前の日、キャプテン佐藤は練習の後で、みんなを集めて明日のメンバーを発表した。
「一番、センター、孝治」
「はい」
名前を呼ばれた者はその場にしゃがむ。
「二番、ショート、章吾」
「はい」
「三番、キャッチャー、……」
「……」
次々と発表されていく。
「六番、サード、隆志」
「はい」
隆志も大きな声で返事した。去年まではライパチだったから、だいぶ昇格したことになる。
「隆志、今までは代理だったけれど、明日から正式にキャプテンをやってくれ」
「はい」
隆志はもう一度返事したけれど、はたして、大所帯になったチームをまとめていけるか、あまり自信がなかった。硬式野球チームに移った連中を除いては、レギュラーをやっていた人たちも戻ってきていたので、隆志より野球のうまいメンバーも多かった。
「キャプテン」
主審が両チームに声をかけた。
隆志は、初めそれが自分のことだと思わなかった。うちのチームでは、みんなが監督のことを「キャプテン」とか、「キャプテン佐藤」って呼んでいるからだ。
「タカちゃん、主審が呼んでるよ」
隣にいた孝治に注意されて、初めて気が付いた。
主審が呼んでいたのは、試合前のメンバー表の交換のためだった。隆志はキャプテン佐藤からメンバー表を受け取ると、小走りに主審の方へ向かった。
「じゃあ、握手して」
主審にうながされて、隆志は相手のキャプテンと握手した。相手のキャプテンは隆志より頭一つ大きい。
「お願いしまーす」
隆志は、相手とメンバー表を交換した。
「最初はグー、ジャンケンポン」
隆志がチョキで、相手がパーだ。幸先良くジャンケンに勝った。
「先攻でお願いします」
ねらいどおりに先攻が取れた。
「先攻だそお」
三塁側の ベンチに戻りながら怒鳴ると、
「オーッ」
キャッチボールをしていたみんなからも歓声が起きた。
「ベンチ前集合」
隆志が声をかけると、みんなはキャッチボールをやめて集まってきた。
みんなは右足を一歩前に出して足先を揃えて整列する。隆志は一番左端で、みんなとは逆に左足をみんなに揃えて一歩出している。
「集合」
主審が両チームに声をかけた
「行くぞお」
隆志が叫ぶと、
「オーッ」
みんなが答えて、いっせいにホームベース横に駆けていった。反対側からは城山ジャガーズが走ってくる。
両チームは、ホームベースをはさんで整列した。城山ジャガーズは元々大きなチームだったが、今ではスーパーキッズも人数だったら負けない。
「キャプテン、握手して」
「お願いしまーす」
隆志は、背の高い城山ジャガーズのキャプテンとまた握手をした。
「それでは試合を開始します、礼」
「お願いしまーす」
みんなが大声で叫んで、いよいよゲームが始まった。
一回の表、ツーアウト満塁。
いきなり絶好のチャンスに、六番の隆志に打順が回ってきた。隆志は緊張で少し足が震えながら、バッターボックスに向かう。
と、その時だ。
「タイム」
キャプテン佐藤が叫んだ。隆志の方に手招きしている。
隆志がベンチのキャプテン佐藤のところへ走っていくと、
「いいか、隆志。お前は、この一ヶ月間、誰よりも練習をやってきたんだ。昔のライパチのお前とは違うんだからな」
(そうだ!)
本当にこの一ヶ月間は、隆志は熱心に練習をやってきた。それというのも、キャプテン佐藤が大好きだったからだ。キャプテン佐藤の言うとおりにやれば、きっとうまくなれると固く信じていた。
隆志は、ジーッとキャプテン佐藤の目を見つめていた。
キャプテン佐藤は、ぼくを後ろ向きにすると肩をもむようにしてから、最後にポンと尻を叩いて言った。
「よし、自信持っていけ」
隆志は、小走りにバッターボックスに向かった。もう足は震えていなかった。
「いくぞーっ」
隆志は気合を入れて叫びながら、ピッチャーをにらみつけた。
相手ピッチャーが、一球目を投げ込んできた。
「ボール」
外角高めにはずれた。
(よし!)
隆志はボールが良く見えていた。相手ピッチャーは制球に苦しんで、この回二つも四球を出している。
(このまま打たずに、フォアボールをねらおうか)
一瞬、そんな弱気な考えが、隆志の頭をかすめた。
と、その時だ。
「隆志、フォアボールなんかねらわずに強気でいけ。いい球が来たら、思い切り叩いてやれ」
まるで隆志の心の中を読んだように、キャプテン佐藤に言われてしまった。
第二球。
四球を嫌がった相手投手のボールは、ど真ん中の直球。
(今だ!)
隆志は、思いっきりバットを振った。
ガキッ。
鈍い音を立てて、小飛球を打ち上げてしまった。
(しまった)
隆志は、懸命に一塁に向かって走った ボールは、フラフラとセカンドの後方へあがっていく。ジャガーズのセカンドとセンターとライトが、ボールを追っていく。
でも、幸運にも三人の間に、ボールはポトリと落ちた。テキサスヒットだ(昔、アメリカのテキサス州の地方リーグでこうしたポテンヒットが多かったので、そう呼ばれている)。
ツーアウトだったのでスタートを切っていた三塁ランナーはもちろん、二塁ランナーまでホームインして二点を先制した。一塁ランナーも三塁まで到達して、チャンスは続いている。
「隆志、よくやった」
ベンチから、キャプテン佐藤が声をかけてくれた。
翌日、自治会館の部屋で反省会が開かれた。城山ジャガーズとの練習試合は、惜しくも6対9で敗れていた。
キャプテン佐藤とベンチ入りした四年生以上のメンバーが集まった。それから記録係として、マコネーが参加している。マコネーはいつの間にかスコアブックのつけ方を完璧にマスターしていて、スーパーキッズのスコアラーをやるようになっていた。
「今日の試合はどうだった」
キャプテン佐藤がみんなにたずねた。
「リードしたのに逆転されて惜しかった」
「負けて悔しかった」
「城山ジャガーズは強かった」
みんなが口々に言った。
「うんうん」
キャプテン佐藤は、そのひとつひとつにうなずいていた。
そして、みんなが言い終わると、優しい声で話し出した。
「まず、バッティングだけど、今日の相手のピッチャーはどうだった?」
「そんなにスピードは速くなかった」
「コントロールもそれほど良くなかった」
みんなが口々に答える。
「そうだな。うちのチームも、ヒットやフォアボールですいぶん攻められていたよな。でも、点が六点しか取れなかった。それはなぜだろう」
こうやって、キャプテン佐藤はみんなに自分たちに欠けていたことを考えさせた。
みんなは、自分の考えをどんどん出していった。その結果を、最後にキャプテン佐藤は、みんなの発言の記録を取っていたマコネーと一緒に、黒板にまとめてくれた。
1. 攻撃
・バントの失敗が多かった。最後までよくボールを見なかった。
・ランナーを先に進める進塁打(右方向に打つこと)ができなかった。右バッターはサード側に引っ張りすぎていた。
・初球から積極的に打っていかなかった。
・見逃しの三振が多かった。自信がなくて積極的に打っていけなかった。
・盗塁が少なかった。自信がなくて、フリーのサイン(走れると思ったら自分の判断で走ってよい)が出ていても走れなかった。
・サインの見逃しが多かった。緊張しすぎていた。
2.守備
・ピッチャーは、耕太に頼り過ぎ。きちんと投げられるピッチャーがあと三人は必要。特に大会になったら、一日二試合あるから、同じ日に投げられるピッチャーの人数が大事だ。
・相手の盗塁をぜんぜん防げなかった。二塁まで送球の届くキャッチャーを作らなければならない。
・牽制球やスクイズを外して、相手ランナーをはさんだときに、それからどうするかがわからない。そういったランダンプレーの時の約束事ができていない。
・ベースカバーができていない。エラーに備えた行動を忘れている。
・ダブルプレーができなかった。連携プレーの練習が足りない。
・相手にバントを決められすぎた。バントの守備陣形ができていない。
キャプテン佐藤は、これらを説明した後でみんなに言った。
「今までは、前からのポジションをやっていたけれど、みんなの基本的な体力測定をやった後で、それぞれに適したポジションに割り振りし直そう。平日は、今までは基本プレーの練習だけをやっていたけれど、これからは連係プレーを中心にやる。土日は、試合に慣れるために、練習試合をできるだけやろう」
みんなは真剣な顔をして、キャプテン佐藤の話を聞いていた。
「それから、みんな約束して欲しい。基本プレーの時間が不足するから、それを補うために、各自が素振り百回とキャッチボールを百球、毎日やって欲しい。キャッチボールの相手の見つからない人は壁当て(家の石垣や塀にボールを投げて、跳ね返ったボールをキャッチする練習)でもOKだ。いいかな?」
「はい」
みんなは、大きな声で返事した。
すぐにユニフォームに着替えて、校庭へ移動した。
まずは、50メートル走のタイム測定だ。キャプテン佐藤はマコネーに手伝ってもらって、巻尺とライン引きで50メートル走のコースを作った。そして、キャプテン佐藤のホイッスルを合図に、一人ずつ全力で走って、マコネーがストップウォッチで計測する。一人二回ずつ計っていい方のタイムを取ることになった。
次は、遠投だ。
これも巻尺とライン引きで距離をはかれるようにして、一人二回ずつ投げることになった。
意外だったのは、隆志の遠投力だ。なんとチームでトップであることがわかったのだ。これには隆志自身が一番びっくりしてしまった。
キャプテン佐藤は、最後にノックでみんなの守備力をチェックしていた。
こうして、スーパーキッズの新しいチーム作りが、本格的に始まったのだ。
次の日、さっそくキャプテン佐藤から、新しいポジションが発表された。
まず、ピッチャー。新六年からは、エースの耕太となんともう一人は隆志が選ばれた。隆志が選ばれたのは、肩の強さを見込まれたからに違いない。五年生からは章吾が、四年生からは慎太郎が、ピッチャーをやることになった。彼らは、六年生たちの控えであるとともに、五年生以下でBチームを組むときのエースにもなる。
キャッチャーには、隆志が選ばれた。つまりぼく以外がピッチャーをやるときは、必ずキャッチャーをやることになる。隆志が投げるときには、耕太がキャッチャーをやることになった。これも肩の強さを重視した人選だと、キャプテン佐藤はみんなに説明した。とにかく本塁から二塁までボールが届かなくては、相手に盗塁されっぱなしになって話にならない。
ファーストには、チームで一番のっぽの六年の大樹が選ばれた。大樹は背が高いだけでなくキャッチングもうまかったので、ファーストには向いている。
セカンドは小柄な五年生の徹だった。肩はあまり強くないが、動きが敏捷だった。
サードは六年の竜介だ。ボールを怖がらないので強い打球が多いサードにうってつけだ。
ショートは、五年生の章吾。ピッチャーの控えもやる章吾は、小柄だが肩が強く守備もうまい。それに一年生からチームに入っていたので、野球を良く知っているから、内野のかなめのポジションにはピッタリだ。
外野は、全員、足が速くて守備範囲が広い子たちが選ばれた。
こうして、新生スーパーキッズのレギュラーが定まった。
それ以来、練習は、四年生以上と三年生以下に、分かれて行われるようになった。
キャプテン佐藤が四年生以上の子たちと校庭で正式練習をやっている時には、おとうさんたちが何人かついて三年生たちを隣の公園に連れて行く。そこで二チームに分かれてミニゲームをやっている。
(三年生以下は野球をただ楽しめばいい)
というのが、キャプテン佐藤の方針だった。
「ワアーッ」
公園の方からは、時々歓声があがる。なかなか楽しそうだ。おとうさんたちも、一緒に試合に入ってやっているようだった。
上級生たちの正式練習で、キャプテン佐藤が真っ先に取り組んだ練習はバントだ。
送りバント、スクイズバント、セーフティバント、……。
少年野球では、いろいろなシーンでバントが使われる。これがうまいかどうかで、得点力はずいぶん変わってしまう。
この前の試合では、スーパーキッズはバント失敗を何回もしてしまっていた。もし成功していたら、試合に勝っていたかもしれない。
バント練習は、三人一組になって、ピッチャー、バッター、キャッチャーを交代しながら行う。十本ずつを十セット。合計百本もバントの練習を繰り返した。これを毎日やり続ける
練習の間は、キャプテン佐藤が見回っているから、みんな真剣に取り組んでいた。
隆志も、キャプテン佐藤から教わったバントの注意事項を頭に浮かべながら練習していた。
体をボールが来る方向に対して、きちんとまっすぐむける。足の間隔はやや広くして、ゆったりと構える。両手をにぎりこぶし二つ分離して、ボールの勢いに負けないようにしっかりと握る。バットはできるだけ目の高さに近づけ、ボールが来ても腕だけでバットを上下させない。高さの調整は、腕ではなくひざの屈伸を使って行う。
これらを注意してやると、だんだんうまくなっていくのが実感できた。
ビュッ。
カッ。
コロコロ。
ビュッ。
カッ。
コロコロ。
……。
ほとんど百発百中で、バントを決められるようになってきた。
隆志だけではない。みんなも上手になったから、これで試合でもバントをうまく使っていけそうだ。
みんながうまくバントをできるようになると、キャプテン佐藤はランナー一塁の送りバント、ランナー二塁の送りバント、ランナー三塁のスクイズバントなど、状況ごとのバントの練習も始めた。みんなを守備位置につけ、実際にランナーを置いていろいろなバントの練習をした。
盗塁の練習もたくさんやった。
「この前の試合、相手のキャッチャーの送球は山なりだったんだぞ。あれなら、セカンドまではフリーパスだったのに。盗塁のサイン出しても走らない奴もいたぞ」
キャプテン佐藤は、少し悔しそうに言った。
「例えばな、ノーアウトの時にフォアボールで出塁するとするだろ。これをバントで送ったらうまくいってもワンアウト二塁だ。ところが、相手のキャッチャーの肩が弱ければ、黙っていても盗塁で二塁までいける。これをバントで送ればワンアウト三塁だ。これならスクイズだって、パスボールだって、外野フライだって、一点取れちゃうんだぞ。もったいないと思わないか」
これからは、相手の投球練習の最後にキャッチャーがセカンドへ送球するを見ていて、届かなかったり山なりだったりしたら、ノーサインで全員が二盗することになった。三盗と相手のキャッチャーの肩が強いときは、今までどおりにキャプテン佐藤のサインで走る。
「ただ、ピッチャーの牽制球だけには気をつけろ」
キャプテン佐藤はそう言って、牽制球を投げる時のピッチャーのプレートからの足のはずし方を実地に何度もやって見せた。
「要は相手の左足だけを見ていればいいんだ。それがプレートに平行に上がった時は、牽制球だからな。足がホームの方を向いたら投球だから、スタートを切っていい。もし、それでピッチャーが牽制球を投げたら、ボークになるから、黙っていても二塁まで行ける」
キャプテン佐藤は、ピッチャー役の耕太に実際に投げさせて、みんなに盗塁のスタートの切り方を練習させた。キャッチャー役はキャプテン佐藤自身がやって、牽制か投球かのサインを出すことになった。ファースト役には、レギュラーの大樹がついている。
効率良くやるために、ランナーは一人ではなく、ファーストベースの前後に一人ずつ立って、合計三人が同時に練習する。
「おーい、他の連中もピッチャーの左足を良く見てろよ」
監督が大声でみんなに言った。
「それじゃ、始めるぞ」
「リーリーリー」
隆志はファーストベースから離れてリードしながら、耕太の左足に注目した。他の二人も、前後でリードを取っている。
耕太の左足が上がった。
(投球だ)
隆志は、素早くスタートを切った。
ところが、他の二人は、ベースの方に戻ってしまった。
隆志の予想通りに、耕太はキャッチャー役のキャプテン佐藤に投球した。
「はーい。正解は隆志だけ。他の二人は失敗だ」
キャプテン佐藤が叫んだ。みんなが習得するのは、なかなか難しいようだ。二盗の練習が終わったら、今度は三盗もやらなくてはならない。
「連携プレーも少し練習しておこう。まずランダンプレーだな」
ある日、キャプテン佐藤がいった。
ランダンプレーの練習は面白い。まるで鬼ごっこのようだった。
ランダンプレーというのは、塁間にはさんだランナーを、キャッチボールをしながら追い詰めていってアウトにするプレーだ。前の試合では、このやり方がわからなくって、せっかくスクイズをはずして三塁ランナーをはさんだのに、逆にこちらが大慌てになってしまい、ミスが出てホームインされてしまった。
キャプテン佐藤は、ランダンプレーを、順を追ってていねいに説明しながら、ランナーの殺し方を教えてくれた。
まず、最初に練習したのは、やはり三本間でのランダンプレーだった。これは試合で失敗したばかりだったので、みんなも真剣な顔つきになっている。
三本間の場合は、キャッチャーと三塁手で追い詰める。このとき三塁ベースはショートが、ホームベースはピッチャーがカバーする。さらに、三塁ベースの後ろにはレフトが二重にカバーする。これはランダンプレーが、三塁ベース寄りの所で行われることが多いからだ。
基本的には、キャッチャーが三塁ベースの方に向かってランナーを追い詰めていく。これなら失敗しても、ランナーは元の塁へ戻るだけで進塁できない。
これが逆にホームベースの方へ追い詰めると、へたをするとランナーにホームインされてしまう危険がある。
こういったことを、三本間、二三塁間、一二塁間のそれぞれについて、実地に何度も繰り返して練習した。
頭ではわかったつもりでも、実際にやってみると、焦ってしまってなかなかうまくいかない。
「練習で百パーセントできるようにならないと、実戦では使い物にならないぞ」
キャプテン佐藤はそう言って、みんなにはっぱをかけた。
「連携プレーには、まだダブルプレーとか、中継プレーとか、ピックオフプレーとか、いろいろあるけれど、いっぺんにやると混乱するから、今はこのくらいにしておこう」
キャプテン佐藤はそう言ってから、最後に付け加えた。
「バントと盗塁。それさえきっちりやれば、少年野球は絶対勝てるから。しっかり練習しようぜ」
「はい」
みんなは大きな声で返事をした。
「逆の言い方をすると、相手にバントと盗塁をさせなければ、なかなか点が取られないってことになる。それには、バッテリー、おまえたちの腕にかかっているからな」
キャプテン佐藤は、みんながバッティング練習をやっているときに、ぼくと耕太には、牽制球の投げ方や盗塁のときのスローイングをつきっきりで教えてくれた。
「この前は、フォアボールが多かったな。それを減らせば、ぐっとピンチの回数を減らせる」
ぼくと耕太、それに五年生の章吾と四年生の慎太郎、スーパーキッズの投手陣全員に交代でバッティング練習のときのピッチャーをやるように、監督は指示した。
バッティング投手は、すべてストライクを投げなければならない。コントロールをつけるには絶好の練習だった。
それと、一日百回のシャドーピッチングのノルマが、素振りとキャッチボールに付け加えて、投手陣のノルマになった。シャドーピッチングとは、ボールの代わりにタオルを握って、投球練習をすることだ。
隆志は、一日も欠かさず、素振りとキャッチボール(相手がいないときは壁あて)、それにシャドーピッチングを繰り返した。
毎週、土曜日と日曜日には、練習試合が組まれた。対戦相手は、同じ町内のチームのことが多かったが、時には近隣の地域にまで遠征することもあった。そんな時は、メンバーのおとうさんたちが車で送り迎えをしてくれた。
キャプテン佐藤は、スーパーキッズの町のある郡や隣のS市の少年野球協会に連絡を取って、近くにあるチームの連絡先を調べていた。そして、片っぱしから電話をかけて、練習試合の日程を組んでいた。
時には、違うチームとダブルヘッダーを組むこともあった。例えば、午前中はホームグラウンドである若葉小学校の校庭で同じ町のチームと試合をする。試合後、急いでお昼ごはんを食べると、隣のS市のチームのグラウンドまで急いで車で移動する。午後は、そのチームと練習試合をやった。
一日に二試合やるのは、大会に備えてだ。当面のスーパーキッズの目標は、五月の下旬に行われる郡大会だった。ここで、ベストファイブに入れば、夏休みに行われる県大会のどれかに出場できる。大会では一日に二試合行われることもあるから、練習試合でもダブルヘッダーに慣れておく必要があった。
ダブルヘッダーでは、第一試合はエースの耕太が、第二試合は隆志が先発した。章吾や慎太郎は、リリーフピッチャーに使われていた。これも大会に備えてのことだった。
こうして、週に3、4ゲームも練習試合が行われた。
初め、練習試合ではなかなか勝てなかった。
しかし、練習の成果が出てきたのか、そのうちに勝ったり負けたりするようになってきた。
「宣誓! 日頃の練習の成果を発揮して、スポーツマン精神にのっとり、正々堂々プレーすることを誓います。20XX年10月22日。選手代表、スーパーキッズ主将、石川隆志!」
久々に晴れ上がった空に、堂々とした隆志の声が響いた。
キャプテン佐藤とスーパーキッズが結成されてから初めての大会、郡大会の開会式が行われていた。大会に参加する郡内四町からの18チームが、グラウンドに整列している。
隆志は、一礼すると駆け足でヤングリーブスの列に戻った。
いよいよ県大会出場をかけたトーナメントが始まる。
隆志は、興奮と期待で胸が高鳴っていた。隆志だけではない。チームメンバー全員が、自信を持って大会にのぞんでいる。
もう四か月前のつぶれかかっていた弱小ヤングリーブスではない。キャプテン佐藤の指導の下に、一から生まれ変わったスーパーキッズの初陣なのだから。
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平野 厚 | |
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