現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

イターロ・カルヴィーノ「春 都会のキノコがり」マルコヴァルドさんの四季所収

2017-02-02 18:29:12 | 作品論
 人夫のマルコヴァルドさんの日々の生活を描いた、連作短編集の巻頭作です。
 都会に暮らす庶民の生活を、ユーモアとペーソスをもって描いています。
 この作品では、都会に生えた(毒)キノコをめぐって、庶民の欲望と連帯感からくるおかしみをうまく描いています
 イタリア人も日本人も、おかしさを感じるポイントはあまり変わらないようです。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
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イターロ・カルヴィーノ「夏 小さなベンチの別荘」マルコヴァルドさんの四季所収

2017-02-02 18:28:00 | 作品論
 マルコヴァルドさんは、寝苦しい夏の夜を、涼しいであろう公園のベンチで寝ようと思いつきました。
 しかし、いろいろな邪魔が入って、なかなか寝ることができません。
 ようやく眠りについたときには、すぐに朝になってしまいました。
 他の作品のような、読者に人生を考えさせるようなひねりはありませんが、眠らぬ都会の夜の雰囲気がよく描けています。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
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イタロ・カルヴィーノ「秋 市役所のハト」マルコヴァルドさんの四季所収

2017-02-02 18:25:18 | 作品論
 町に飛来してきたヤマシギを捕ろうとして、住んでいるアパートのバルコニーにトリモチを塗ってわなを仕掛けたマルコヴァルドさん一家は、ヤマシギの代わりに市役所のハトを捕まえて食べてしまい、とんだ目にあいます。
 食べることに貪欲な一家の様子が、ユーモアたっぷりに描かれています。

マルコヴァルドさんの四季 (岩波少年文庫)
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岩波書店
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椋鳩十「動物ども」

2017-02-02 09:31:01 | 参考文献
 1943年5月1日に発行された作者の最初の子ども向けの本です(大人向けとしては1933年に「山窩調」という小説集を出しています)。
 作者の代表作の一つである「大造爺さんと雁」も含まれています。
 作者は、四十年後の1973年に「日本児童文学」8月号で、「興味本位のものならば、無事通過したが、こっちのねらったものを発表すると、XXXという、記号だらけの、作品になってしまうのだ」と、1935年をすぎてからの思想統一の状況を書いています。
 そして、少年倶楽部の編集者の熱心な勧めを受けて、
「そうだ。動物の生態を描きながら、愛情をいのちの問題を、扱ってみよう。この不安な時代に生き、戦地に送られている若者の背後には、愛情の火が、命へのいつくしみが、燃えながら、幾重にもとりまいていることを、閉じ込めた物語を、若い人たちと、その母たちに、ささげよう。動物の生態なら、何とか、こういう時代にも、お目こぼしにあずかれそうだ」
 この文章の前半には、作者のヒューマンな部分が語られていますが、最後には意外に抜け目ない体制順応的な側面ものぞかせています。
 当時、戦争を賛美する作品を多く載せていた少年倶楽部という媒体に対しても、まったく無批判なのにも少々驚かされます。
 この本の広告にも、戦争賛美の子ども向けの本がずらりと並んでいます。
 著者略歴には日本少国民文化協会文学部会員との肩書きが堂々と載っており、作者の四十年後の文章は、当時の自分の執筆動機を戦後の民主主義に合わせて少々美化しているように思えてしまいます。
 作者は、戦後も作家活動だけでなく、全国の図書館の整備や読書運動などに優れた実績を残しているので、作品から受けるイメージからすると意外ですが、実際は実務能力の高いリアリストなのでしょう。
 こういった実務能力を持った児童文学者は、ビジネスとして子どもの本に関わっている出版社と互角に渡り合うために、ともすれば商業主義に流されている現在においては、日本児童文学者協会などにはもっと必要なのかもしれません。

大造じいさんとガン―椋鳩十名作選 (椋鳩十名作選 1)
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理論社
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ウルズラ・ヴェルフェル「お茶の時間」灰色の畑と緑の畑所収

2017-02-02 09:25:51 | 作品論
 戦争中の、どこかの国の小さな村のことです。
 いつものようにお茶の時間をむかえていました。
 そこへ敵の飛行機がやってきました。
 飛行機が去った時、兄は死に、主人公は二度と歩くことができなくなっていました。
 お茶の時間という日常と、死という非日常が、紙一重に存在するのが戦争中の生活です。
 これは遠い過去の事でしょうか?
 それとも、遠い外国の事でしょうか?
 いえ、日本でもそういう状態がこれから起こらないという保証は、まったくありません。
 我々が日常だと思っている平和な生活は、長い歴史の中ではむしろ特殊なことなのかもしれません。
 この生活がいつか非日常な世界にならないように、細心の注意を払わなくてはなりません。

灰色の畑と緑の畑 (岩波少年文庫 (565))
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岩波書店
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白河桃子「専業主婦になりたい女たち」

2017-02-02 09:24:57 | 参考文献
 ジェンダー観の揺り戻しにより、専業主婦を志望する若い女性が増えている状況(本書によると2012年ごろから再び減少に転じているそうです。おそらく、就活の状況が良くなり、一方独身男性の給与は未だに上がらないので、専業主婦を目指した婚活がますます難しくなっているためと思われます)を分析した本だと思って期待して読みましたが、全く別種の本でした。
 実際は、「専業主婦になりたい」若い女性たちに、それがいかに困難でリスクが多く、結婚や出産で仕事を辞めずに細く(著者の言葉を借りれば「ゆるキャリ」)長く働くことを勧める啓蒙書でした。
 作者のいうことはもっともな点が多いのですが、書き方が雑なので(取り上げているデータやインタビュー対象の選び方がかなり恣意的で客観性にかけています)、読み物としては面白いのですが説得力には欠けています。
 略歴によると著者は「婚活」の提唱者の一人だそうですが、その時その時のトレンドをとらえてうまいネーミングをして本に仕立てるのが得意なようです。
 この本も、2011年に「専業主婦に、なりたい!?」という題名で出された本を、状況の変化に合わせて改題して新書化したようです。
 しかし、あまりそういった些末なテクニックにはしると、羊頭狗肉になって読者の信頼を失いかねないと思います。

専業主婦になりたい女たち (ポプラ新書)
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ポプラ社
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三木卓「K」

2017-02-02 09:22:56 | 参考文献
 詩人で、小説家で、児童文学作家の三木卓が、2007年に癌で亡くなった配偶者で詩人の福井桂子のことを書いた私小説的な作品です。
 「K」というタイトルは、彼女が自分のことをⓀ(マルK)と呼んでいたことに起因しています。
 ちなみに、三木のことは㊂(マルミ)と呼んでいたそうです。
 25歳から72歳までの47年間の二人の奇妙な夫婦生活も、4年半のすさまじい闘病生活の描写もすごいのですが、何より驚かされたのはこの作品での三木の文体です。
 私の部屋の書棚には、三木が36歳だった1971年に出版された児童文学「真夏の旗」があります。
 その作品も実にいきのいい文体なのですが、「K」の文体もそれに負けず劣らず若々しく、特にKと出会ったころの二十代や三十代のころを書いた部分などは、その背後に浮かんでくる作者は登場人物と同年代としか思えないのです。
 とても76歳の老作家が書いた文章とは思えません。
 私の好きな老年になっても現役で本を出している作家、例えば黒井千次とか故庄野潤三などは、文章の後ろに浮かんでくるのは明らかに老人の姿なのです(それはそれで魅力的ですが)。
 やっぱり、生来の詩人の書く文章というのは違うのでしょうか。
 この不老不死のような文体を読むだけでも、この作品は価値があると思います。
 児童文学の世界では、カニグズバーグやペイトンのように、八十歳を超えても若々しい作品を書く作家もたくさんいます。
 三木は児童文学作家でもあるわけですから、これは児童文学者の特権なのかもしれません。
 とにかくこの本を読んで、私もまだ二十年はがんばれると、励まされた思いがしました。

K
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講談社
 
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天使たちの夏

2017-02-02 08:27:12 | キンドル本
 いよいよ夏休みが始まりました。
 いたずらっ子の主人公は、今日も張り切っていたずらをしています。
 しかし、最後に仕掛けた見知らぬ相手は、あまりにも純粋無垢な少年でした。
 主人公は、いたずらをしたことを後悔します。
 それから、主人公は少年と夢のような時間を過ごします。
 ラストで天使のように感じられたのは、誰?

(下のバナーをクリックすると、2月5日まで無料で、スマホやタブレット端末やパソコンやキンドルで読めます。Kindle Unlimitedでは、いつでも無料で読めます)。


天使たちの夏
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児童文学における無国籍ファンタジーの書き方

2017-02-02 08:19:13 | 考察
 児童文学の独特の分野として、無国籍ファンタジーがあります。
 これは、戦後の一時期に盛んだった無国籍童話とはかなり違った特色を持っています。
 第一に、これらの作品では、かつての無国籍童話とは違って、かなり緻密な構成を備えており、その世界固有の文化や風物が描かれています。
 作品の舞台は架空の世界なので、説明しなければならない物が多く、うまく書かないとかなり説明的な文章の多い作品になってしまいます。
 一般に、このジャンルの作品では、登場人物も多く、しかも耳慣れない外国風の名前なので、読者は咀嚼するのに時間がかります。
 また、作品世界を構築するための作者の労力は感じられるのですが、へたをすると自己満足的にとらえられる恐れもあります。
 これらの作品はエンターテインメントの場合が多いので、読者にページをめくらせる工夫が必要です。
 読者が読みたいのは、作品世界そのものではなく、そこで展開される物語なのです。
 特に、物語の語り手や視点をどのようにとるかは、読者が作品世界に入り込めるかどうかに大きくかかわってくるので重要です。
 無国籍ファンタジーの一番大きな利点は、リアリズムで描くと制約の多いような事柄(障碍者問題、差別、戦争、災害、原発問題など)を、かなり自由な設定で書けることでしょう。
 架空の舞台なので、作者は現実に縛られずにのびのびと書くことができます。
 ただし、読者に作者が作品世界に託したメッセージを正しく受け取ってもらうためには、前述したような注意と努力が必要とされます。

ファンタジーの世界観を描く コンセプトアーティストが創るゲームの舞台、その発想と技法
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エムディエヌコーポレーション
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