「とべとべ手巻き寿司」の件。
つづき。雑感なのでまとまりなし。
おそらく製作期間的には、「構想を含め、製作期間は7年」と言うことなので、スタートは2016年前後から。
その途中で映画JOKER(2019年)など、これらを含んだ社会情勢が背景にあったことによって、弱者男性の暴走と救済と言うテーマも急遽盛り込まれたのだと思う。
が、本来救済されるべき対象のヴィラン(悪役)は「頑張れ」と言う応援によって救済の決着を与えられたと言う。これが余りにも不評である。
おそらくこれは、1960〜1990年前半でやる分には大正解だったはずである。
今では不正解だ。個人の努力は構造を超えない。
ではどうすれば良かったのか?
これは映画製作のためのストーリーライン、プロット構築には向いていないが、「『理想的な』現実論」としての線を引いた場合、次のようになる。
・同じ境遇でそこから脱した人を引き合わせる。
・それをロールモデルにし、人生の生き方をコピーしていく。
・コピーした人間が集団になって大反乱で、社会的に繁栄。
当然ながらこれは「『理想的な』現実論」であって、「『現実に作る映画としての』現実論」には向いていない。それの現実的に人間ができる実装の一例が今回の映画であったと思う。
ともかくも、各レビュー動画を見ての感想は、監督の時代感覚が合ってないと思った。
人間には変わるところと変わらないところがある。
変わるのは仕事形態、雇用形態、生活形態、精神形態(努力や克己や理念に生きるなどの方向性や度合い)、富の状態、権利の状態である。これが昭和後期から令和にかけて変化した。
変わらないのは、社会的弱者の発生と心理的・経済的救済、欲望、富の収集、死の恐怖と救済、病気になることへの恐怖と救済、美男美女、超能力、神、最新テクノロジー、華麗なる衣服や化粧・髪型など。
(他のエンターテイメント要素としては、日本刀、忍者、侍、ギャグ、音楽など)
変わるところは敏感に察知してその時代に併せ、変わらないところを主軸のテーマにして、その中のストーリーのもたせ方を軸をそのままに、時代に併せて実装を変更をすると言うのがいいのかなと。
余談1。
映画での上映方法について。
実験的要素としては水しぶきやエアー、香りを出すなどもあった。
あとはニッケルオデオンなどでのサイレント映画に生演奏で伴奏していたやつかな。
余談2.
それはともかくも、映画と言うものは、大衆社会が求める内容が変化する。
例えば、大量消費社会において、大衆が見たいものが優先して製作される現代においては、火垂るの墓の製作は絶対にありえないだろう。これは社会意識と監督自身が持っている社会問題のテーマ、あるいは娯楽がまだ比較的少なかったあの時代の要請によって作らえた作品であったのだろうと推察する。
ん? 絶対にありえないとは書いたが・・・この世界の片隅には製作されたな・・・
つづき。雑感なのでまとまりなし。
おそらく製作期間的には、「構想を含め、製作期間は7年」と言うことなので、スタートは2016年前後から。
その途中で映画JOKER(2019年)など、これらを含んだ社会情勢が背景にあったことによって、弱者男性の暴走と救済と言うテーマも急遽盛り込まれたのだと思う。
が、本来救済されるべき対象のヴィラン(悪役)は「頑張れ」と言う応援によって救済の決着を与えられたと言う。これが余りにも不評である。
おそらくこれは、1960〜1990年前半でやる分には大正解だったはずである。
今では不正解だ。個人の努力は構造を超えない。
ではどうすれば良かったのか?
これは映画製作のためのストーリーライン、プロット構築には向いていないが、「『理想的な』現実論」としての線を引いた場合、次のようになる。
・同じ境遇でそこから脱した人を引き合わせる。
・それをロールモデルにし、人生の生き方をコピーしていく。
・コピーした人間が集団になって大反乱で、社会的に繁栄。
当然ながらこれは「『理想的な』現実論」であって、「『現実に作る映画としての』現実論」には向いていない。それの現実的に人間ができる実装の一例が今回の映画であったと思う。
ともかくも、各レビュー動画を見ての感想は、監督の時代感覚が合ってないと思った。
人間には変わるところと変わらないところがある。
変わるのは仕事形態、雇用形態、生活形態、精神形態(努力や克己や理念に生きるなどの方向性や度合い)、富の状態、権利の状態である。これが昭和後期から令和にかけて変化した。
変わらないのは、社会的弱者の発生と心理的・経済的救済、欲望、富の収集、死の恐怖と救済、病気になることへの恐怖と救済、美男美女、超能力、神、最新テクノロジー、華麗なる衣服や化粧・髪型など。
(他のエンターテイメント要素としては、日本刀、忍者、侍、ギャグ、音楽など)
変わるところは敏感に察知してその時代に併せ、変わらないところを主軸のテーマにして、その中のストーリーのもたせ方を軸をそのままに、時代に併せて実装を変更をすると言うのがいいのかなと。
余談1。
映画での上映方法について。
実験的要素としては水しぶきやエアー、香りを出すなどもあった。
あとはニッケルオデオンなどでのサイレント映画に生演奏で伴奏していたやつかな。
余談2.
それはともかくも、映画と言うものは、大衆社会が求める内容が変化する。
例えば、大量消費社会において、大衆が見たいものが優先して製作される現代においては、火垂るの墓の製作は絶対にありえないだろう。これは社会意識と監督自身が持っている社会問題のテーマ、あるいは娯楽がまだ比較的少なかったあの時代の要請によって作らえた作品であったのだろうと推察する。
ん? 絶対にありえないとは書いたが・・・この世界の片隅には製作されたな・・・
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