私の昔働いていた職場は労働設計がきちんとなっていなかった。
まず、上流の親会社の定めている工数に見合った契約を子会社がする。
2007年の上期に、その契約工数が満たせず、間に合わないことが分かったが、一方で誰かが長時間残業をやればそれが満たせることが分かった。
そこで、その子会社の協力会社の社員である私(一番上の親会社から数えて上から三番目)に白羽の矢が立って、私が長時間残業をしたところ、それを満たすことができ(子会社課長Yさんは「ノルマは達成できた」と言っていた)、私は体調を崩し、体重がその後の翌月中盤から翌々々月中盤の二ヶ月で8kg減って、言葉がしゃべれなくなったが、会社側からは何の補償もなかった。
そういう時、本来はその普通にある人員の普通の労働でどれだけできますという計算をしなければならないと思うのだが、その余剰で無理がある分について下に無理を言わせて達成してしまうという労働上の倫理やら論理計算などが労働設計側の思考から欠落しているのだと思う。
子供のおもちゃで、積み木をきれいにしまわないときちんとしまえないケースがあるだろう。
むだなく整理して入れればそこにあふれるものはない。
あふれるならば、新しいオモチャ入れのケースを買えばいいし、あるいは親に要求したり、あるいは親にどこに置けば良いかを相談すればいい。
この労働設計があふれても下位職制の人間に何とかさせるという悪習は、積み木が上手く入れられないから積み木の方に何とかさせるという対応をしており、はっきり言えば幼児以下の対応である。そういうのは小学校に上がる前に習わないのか。
しかも積み木の方が何とかしたら何とかしたで、何らの昇進やら声がけやら昇給やらもない。
誰がこんなところで働くと言うのだ。
まず、上流の親会社の定めている工数に見合った契約を子会社がする。
2007年の上期に、その契約工数が満たせず、間に合わないことが分かったが、一方で誰かが長時間残業をやればそれが満たせることが分かった。
そこで、その子会社の協力会社の社員である私(一番上の親会社から数えて上から三番目)に白羽の矢が立って、私が長時間残業をしたところ、それを満たすことができ(子会社課長Yさんは「ノルマは達成できた」と言っていた)、私は体調を崩し、体重がその後の翌月中盤から翌々々月中盤の二ヶ月で8kg減って、言葉がしゃべれなくなったが、会社側からは何の補償もなかった。
そういう時、本来はその普通にある人員の普通の労働でどれだけできますという計算をしなければならないと思うのだが、その余剰で無理がある分について下に無理を言わせて達成してしまうという労働上の倫理やら論理計算などが労働設計側の思考から欠落しているのだと思う。
子供のおもちゃで、積み木をきれいにしまわないときちんとしまえないケースがあるだろう。
むだなく整理して入れればそこにあふれるものはない。
あふれるならば、新しいオモチャ入れのケースを買えばいいし、あるいは親に要求したり、あるいは親にどこに置けば良いかを相談すればいい。
この労働設計があふれても下位職制の人間に何とかさせるという悪習は、積み木が上手く入れられないから積み木の方に何とかさせるという対応をしており、はっきり言えば幼児以下の対応である。そういうのは小学校に上がる前に習わないのか。
しかも積み木の方が何とかしたら何とかしたで、何らの昇進やら声がけやら昇給やらもない。
誰がこんなところで働くと言うのだ。