これを丁寧に考えていく。まずはニュースから。
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「美人であれば読書などしなくても良い」水道橋博士、アイドルへの発言が炎上 謝罪投稿も批判止まず
2021年02月19日 13時20分
https://npn.co.jp/article/detail/200011413
タレントの水道橋博士が投稿したツイートが、アイドルへの暴言だと批判が集まっている。
事の発端となったのは18日に収録が行われた、水道橋博士のカルチャートーク番組『BOOKSTAND.TV』(BS12トゥエルビ)に、ハロー!プロジェクトのアイドルグループ・Juice=Juiceの金澤朋子がゲスト出演したこと。収録と前後し、水道橋博士はツイッターで金澤やJuice=Juice関連のツイートを多数投稿していた。
ファンの間では読書好きで知られていた金澤だったが、そんな金澤について水道橋博士は17日に投稿したツイートの中で、「事前資料で金澤朋子さんの読書リストをチェックして、こんなに読書好きなのかと感心する」と評価。その上で、「美人であり、あんな歌声を持っていれば読書などしなくても良いのに」とし、「でも読書は鏡であり扉でもあるわけだから……。もっともっと飛翔して欲しいですね」とつづっていた。
しかし、この「美人であり、あんな歌声を持っていれば読書などしなくても良いのに」という一文に対し、ネット上からは「容姿と読書になんの関係が?」「読書好きな女はブスで根暗だと思ってるんでしょ」「これ金澤さんはもちろん女性全員を侮辱してることになる」といった批判が殺到する事態に。水道橋博士の元には多くの批判ツイートが寄せられている。
炎上を受け、水道橋博士は18日になり、「ゴメンナサイ。リア充の可能性のある若者には青春と人生を楽しんで下さいと思ってしまうだけです」と弁明。そして、「でもボクは読書は大好きなので、そういう性質の人とは文を通して通じあえる。そのメッセージです」とつづったものの、批判の声は止まず。
さらに、同日には「もしこのツイが誤解され彼女にご迷惑をお掛けしていたらお詫びしますね」と謝罪したものの、このツイートにもネットから、「金澤さんに迷惑をかけたかどうかでなく、博士自身の中にある女性差別をみなさんが指摘したんだと思うのですけど」「金澤さんに迷惑かけてるから話題になってるんじゃなくて、公衆の面前でセクハラ、女性蔑視をしてるからざわざわしてるって話」という指摘が集まっている。
女性蔑視に繋がりかねない発言に、多くの人が困惑していた。
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挙がった批判は3つ。
1.「容姿と読書になんの関係が?」
2.「読書好きな女はブスで根暗だと思ってるんでしょ」
3.「これ金澤さんはもちろん女性全員を侮辱してることになる」
と言うことで、全体像を捉え直し、更に(上記の1は置いておいて)2と3を考えたい。
元々の文章は「美人であり、あんな歌声を持っていれば読書などしなくても良い」と言うことで、人が社会で評価される軸と言うのは複数あり、一つは美人軸、一つは歌声軸、そして最後の一つは読書による教養を得る軸の3つであると、仮おきで規定できることになる。
Ⅰ.水道橋博士のコメントの見方は下記の2つあると個人的に考える。
一つは美人であったり歌唱力が無ければ、読書を頑張るしかないと言う、読書に対して消極的な否定を投げかける論である。
もう一つは人生を上昇気流に乗せるためにはどこかの軸で評価される必要があり、読書はその努力たる労力を払わなければならず、頑張るのも大変なので、美人で歌が上手ければそうした頑張る人生のコストを払わなくとも良いのではないか、と言う読書に対する積極的な肯定をする論である。
多くの女性は前者の文脈で捉えたが、水道橋博士は後者の文脈で論じたのではないのか。
本来の議論ではそうした整理が必要であっただろうが、この反論コメントはそうしたじっくりしたことを考えずに条件反射で反論してしまっている。
Ⅱ.その上で、私から水道橋博士への反論を書くが、「美人であり、あんな歌声を持っていれば読書などしなくても良い」と言うのは読書は飽くまで苦労して払うべき教養のコストである、と言うことを前提にして言っているように思われてならない。米が穫れて、魚も獲れたんだから、野菜は穫らなくてもいいんじゃないかと言う発想で、確かに行き過ぎた努力や一生懸命さは必要ないのかもしれない。
ただ、(無理が無ければ、の条件付きだが)本人の力量はそれぞれなので、とことんやりたいことをやらせるべきなんじゃないのだろうかと私は思うのだ。
美人で歌がうまくて教養もある、武器は最大限に揃えた方がいいと私は考える。
Ⅲ.読書は時として苦痛を伴うかもしれない。私がずっとそうであったのでよく分かるが、文字を読むのが大変に苦痛なのである。だがそれは私個人の特殊な生態の状況が独特的にそうなのであって、社会集合としては読書そのものを払うべき労苦やコストだと捉えるべきではないように思う。
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「美人であれば読書などしなくても良い」水道橋博士、アイドルへの発言が炎上 謝罪投稿も批判止まず
2021年02月19日 13時20分
https://npn.co.jp/article/detail/200011413
タレントの水道橋博士が投稿したツイートが、アイドルへの暴言だと批判が集まっている。
事の発端となったのは18日に収録が行われた、水道橋博士のカルチャートーク番組『BOOKSTAND.TV』(BS12トゥエルビ)に、ハロー!プロジェクトのアイドルグループ・Juice=Juiceの金澤朋子がゲスト出演したこと。収録と前後し、水道橋博士はツイッターで金澤やJuice=Juice関連のツイートを多数投稿していた。
ファンの間では読書好きで知られていた金澤だったが、そんな金澤について水道橋博士は17日に投稿したツイートの中で、「事前資料で金澤朋子さんの読書リストをチェックして、こんなに読書好きなのかと感心する」と評価。その上で、「美人であり、あんな歌声を持っていれば読書などしなくても良いのに」とし、「でも読書は鏡であり扉でもあるわけだから……。もっともっと飛翔して欲しいですね」とつづっていた。
しかし、この「美人であり、あんな歌声を持っていれば読書などしなくても良いのに」という一文に対し、ネット上からは「容姿と読書になんの関係が?」「読書好きな女はブスで根暗だと思ってるんでしょ」「これ金澤さんはもちろん女性全員を侮辱してることになる」といった批判が殺到する事態に。水道橋博士の元には多くの批判ツイートが寄せられている。
炎上を受け、水道橋博士は18日になり、「ゴメンナサイ。リア充の可能性のある若者には青春と人生を楽しんで下さいと思ってしまうだけです」と弁明。そして、「でもボクは読書は大好きなので、そういう性質の人とは文を通して通じあえる。そのメッセージです」とつづったものの、批判の声は止まず。
さらに、同日には「もしこのツイが誤解され彼女にご迷惑をお掛けしていたらお詫びしますね」と謝罪したものの、このツイートにもネットから、「金澤さんに迷惑をかけたかどうかでなく、博士自身の中にある女性差別をみなさんが指摘したんだと思うのですけど」「金澤さんに迷惑かけてるから話題になってるんじゃなくて、公衆の面前でセクハラ、女性蔑視をしてるからざわざわしてるって話」という指摘が集まっている。
女性蔑視に繋がりかねない発言に、多くの人が困惑していた。
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挙がった批判は3つ。
1.「容姿と読書になんの関係が?」
2.「読書好きな女はブスで根暗だと思ってるんでしょ」
3.「これ金澤さんはもちろん女性全員を侮辱してることになる」
と言うことで、全体像を捉え直し、更に(上記の1は置いておいて)2と3を考えたい。
元々の文章は「美人であり、あんな歌声を持っていれば読書などしなくても良い」と言うことで、人が社会で評価される軸と言うのは複数あり、一つは美人軸、一つは歌声軸、そして最後の一つは読書による教養を得る軸の3つであると、仮おきで規定できることになる。
Ⅰ.水道橋博士のコメントの見方は下記の2つあると個人的に考える。
一つは美人であったり歌唱力が無ければ、読書を頑張るしかないと言う、読書に対して消極的な否定を投げかける論である。
もう一つは人生を上昇気流に乗せるためにはどこかの軸で評価される必要があり、読書はその努力たる労力を払わなければならず、頑張るのも大変なので、美人で歌が上手ければそうした頑張る人生のコストを払わなくとも良いのではないか、と言う読書に対する積極的な肯定をする論である。
多くの女性は前者の文脈で捉えたが、水道橋博士は後者の文脈で論じたのではないのか。
本来の議論ではそうした整理が必要であっただろうが、この反論コメントはそうしたじっくりしたことを考えずに条件反射で反論してしまっている。
Ⅱ.その上で、私から水道橋博士への反論を書くが、「美人であり、あんな歌声を持っていれば読書などしなくても良い」と言うのは読書は飽くまで苦労して払うべき教養のコストである、と言うことを前提にして言っているように思われてならない。米が穫れて、魚も獲れたんだから、野菜は穫らなくてもいいんじゃないかと言う発想で、確かに行き過ぎた努力や一生懸命さは必要ないのかもしれない。
ただ、(無理が無ければ、の条件付きだが)本人の力量はそれぞれなので、とことんやりたいことをやらせるべきなんじゃないのだろうかと私は思うのだ。
美人で歌がうまくて教養もある、武器は最大限に揃えた方がいいと私は考える。
Ⅲ.読書は時として苦痛を伴うかもしれない。私がずっとそうであったのでよく分かるが、文字を読むのが大変に苦痛なのである。だがそれは私個人の特殊な生態の状況が独特的にそうなのであって、社会集合としては読書そのものを払うべき労苦やコストだと捉えるべきではないように思う。