とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

スワンプマン思考実験

2015-05-04 23:23:43 | 哲学・学術・教育

スワンプマン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%9E%E3%83%B3

スワンプマン(Swampman)とは、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思考実験。「私とは何か」といった同一性やアイデンティティーの問題を考えるのに使われる。スワンプマンとは沼 (Swamp) の男 (man) という意味の英語。

思考実験の詳細

ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然 雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える[1]。沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。



さて、このような場合、事件があった前と後では同一のものが残っているか? それとも異なるものが残っているのか? 


私なりの回答を書くと、Yesであり、Noである(最近こんな文章多いな)。
社会的には全く同じ存在が活動しているので、同一の存在と見做せるが、本人からすれば、認識の主体がその時点で消滅しているので、完全に異なる、という見方である。

つまり記憶や意識がスワンプマンに継承されたとしても、その認識主体の認識は雷に打たれた時点で消滅しているので、全く異なる人物が生成されたと考えるのが妥当である、と私は作業仮説を立てて考える。



コメント
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