本当は謎がない「古代史」 (ソフトバンク新書) | |
八幡 和郎 | |
ソフトバンククリエイティブ |
日本の古代史ほど奇説・珍説が大手を振ってのさばっている国もない。有史以降については、『日本書紀』『古事記』に書いてあることを普通に読んで、皇国史観的な見方を排除していけば、おかしなことは書かれていないのだ。世界各国の歴史を見るのと同じように、自然体で日本の歴史を考察してみると、「謎」といわれていることのほとんどは「謎」ではない。「古代史の謎」とされるものは本当に「謎」といえるほどのことなのか。いますべての真実が明らかになる。
第一章 「旧石器捏造事件」と「週替わり世紀の発見」の不思議
第二章 「神武東征」は記紀には書かれていなかった
第三章 機内勢力が筑紫に初登場したのは邪馬台国が滅びてから
第四章 『魏志倭人伝』を外交文書として読めば真実は明白
第五章 継体天皇が新王朝を創った可能性はない
第六章 中国の混乱と大和朝廷必死の外交戦略
第七章 「聖徳太子架空説」と「天武朝の過大評価」を嗤う
第八章 「唐の落日」とともに「日本の古代」も終わった 』
どっぷり「謎」に埋まってしまってはわからない簡単な解決をちょっと引いてみればこうなるという点で面白かった。
多少我田引水気味のところもあるのが気になるが、その弊害以上の魅力。
藤原宮跡「大嘗宮」幻に くぼみを柱穴と勘違い 奈文研 のニュース(2010年11月19日)も記憶に新しい。
考古学者は研究費確保という大義名分があれば受け狙いを躊躇しないという本書の指摘は至言。
奈良文化財研究所は18日、奈良県橿原市の藤原宮(694~710)跡で見つかったと7月に公表した「大嘗宮(だいじょうきゅう)」とみられる建物跡について、その後の詳しい調査の結果、建物跡ではなかったと発表した。地面のくぼみなどを、建物跡の根拠となる柱穴と勘違いしたという。考古学の発表がその後に取り消されるのは異例。
奈文研は7月1日、掘っ立て柱建物1棟(東西12メートル、南北3メートル)が出土し、大嘗宮の一部の「膳屋(かしわや)」(調理場)の可能性があると発表した。大嘗宮は、天皇の即位儀礼で使う仮設の宮殿。奈良市の平城宮(710~84)跡で複数確認されているが、藤原宮跡では初めてで国内最古の例となるため注目され、同3日の現地説明会は約400人が参加した。
奈文研によると、7月の時点では小石敷きの地面のくぼみや、溝の断面の土の色目の違いから、柱穴42個を確認したと判断した。しかし、その後の発掘調査で、宮殿建設に伴う整地などによる土の変化を柱穴と勘違いしていたことがわかり、実際の柱穴は7個だけだったという。
6月は雨天が多く、小石敷きを掘り下げて柱穴を検証することはしなかったが、発掘成果は速やかに伝えた方がいいと考え、記者発表や現地説明会をしたという。
奈文研は日本トップクラスの考古学研究機関。平城宮跡や藤原宮跡の発掘調査のほか、全国の自治体の発掘担当者への指導・研修も行っている。
奈文研の深沢芳樹・都城発掘調査部長は「建物跡の位置が平城宮跡の例と似ていたこともあり、土の色の違いなどを誤認してしまった。今後同じことが起きないようにしたい。皆様にご迷惑をおかけした」と陳謝した。(渡義人)