2018/03/20 モーツァルト モーツァルト大全集第2巻 1770-1772、17LP record18 LPを聴く
モーツァルト モーツァルト大全集第2巻 1770-1772、17LP
record18 イタリア四重奏団ほか
A1~K.80・弦楽四重奏曲・ト長調・第1番~
A2~K.137・ディヴェルティメント・変ロ長調~
B1~K.136・ディヴェルティメント・ニ長調~
B2~K.138・ディヴェルティメント・ヘ長調~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/11/14828dc465a05dd545de9123659d376d.jpg)
03/21のコンサートで聴くので予習的にK.136を聴く。
wikipedia抜粋
ディヴェルティメント ニ長調 K. 136 (125a) は、当時16歳のヴォルフガング・アマデウス・ モーツァルトが作曲した弦楽四重奏のためのディヴェルティメントで、最も有名な作品である。ザルツブルクで作曲されたことからK. 136からK. 138をまとめてザルツブルク・ シンフォニーとも言い、本項はその1曲目である。モーツァルトのセレナード類の作品はその成立時期から、およそ5つの時期に分けて考えることができる。そのうち1771年から1774年までを、15歳から18歳までを第2期と言っても差支えない。この時期は彼が2回目のイタリア旅行から戻り、故郷ザルツブルクで作曲に耽っていた時期であり、3回目のイタリア旅行を企てた時期でもあった。イタリアで受け取った影響が彼を動かしていたことは確実で、この時期は機会音楽の面でも、ゆたかな実験的時期と言えるものであった。その時期に作曲されたのが、K. 136からK. 138までの3曲であり、驚くべきは、16歳と言う若さにしてこれらを作曲したことである。シンプルに見えてかなりの精緻に富んだこれらの曲は、モーツァルトが音楽史に燦然と輝く天才であることを裏付ける1つの証左となる。この曲集を作曲したあたりから対位法的な手法を止め(それでもまれに用いているのだが)、第1ヴァイオリンに主導的な役割を与え、他のパートにはもっぱら伴奏の役割を与えていることなどから、当時数多くのディヴェルティメントを作曲していたハイドンの影響が見られる。第3版のケッヘル・アインシュタインの曲目では、本項を含むK. 136からK. 138にはイタリア音楽の影響が強く反映されているため管楽器を含まない「イタリア風序曲」と呼ぶほうが適切である、と主張してある。