BOOK、CDなど

1 BOOK、CD、DVD、LP、コンサート、音楽鑑賞サークル、筋トレ等のメモ
2 失念防止のためのメモ

歌川国貞(三代目歌川豊国)~源氏かるた 紫式部 廿九 行幸

2014年01月28日 | 浮世絵

歌川国貞(三代目歌川豊国)~源氏かるた 紫式部 廿九 行幸

1857(安政4年)

寸法~縦36.3 cm ×横24.4 cm

保存状態~しみ、汚れ、裏打有

購入日~1月27日(2月1日到着)

購入先~兵庫県、個人で収集した美術品の出品、ネット・オークション

購入額~7920円+送料1680円~合計9600円

額縁に入れて飾る

参考~ローニン・ギャラリーでの価格~220ドル

Genji_karutach29_2

三代目歌川豊国~初代歌川豊国の門人。本名は角田 庄五郎(すみた しょうごろう)。後に庄蔵、肖造と改める。号は、五渡亭・香蝶楼・一雄斎、琴雷舎、北梅戸、富望山人、富望庵、桃樹園、月波楼、喜翁、浮世又平、不器用又平など。誕生日は不明だが、安政2年(1855年)5月19日に、70歳を祝した宴会を両国中村楼で催す旨を記した招待状を版行配布している事から、5月19日かそれ以前の日が誕生日だと推定できる。

面長猪首型の美人画が特徴。存命中と没後で評価が分かれる。豊国襲名後は工房を安定させ大量の作品を出版、作品の数は浮世絵師の中で最も多い。その作品数は1万点以上に及ぶと言われる。嘉永6年(1853年)の『江戸寿那古細撰記』には「豊国にかほ(似顔)、国芳むしや(武者)、広重めいしよ(名所)」とある。

天明6年(1786年)、江戸本所竪川の五ツ目に渡し船の株を持つ材木問屋の家に生まれた。生家は亀田屋といい、父は庄兵衛といった。15、6歳で豊国の門下に入り、歌川を称し、後に国貞と名乗った。五渡亭の号は狂歌師の大田南畝からつけてもらったものといわれ、国貞は他の号を名乗るようになってもこの号を長く愛用している。文化4年(1807年)22歳頃から美人画を描き始め、文政8年(1825年)には艶本の挿絵も始めた。文化11年から文化12年頃の「大当狂言之内」全9枚シリーズを始めとする役者絵は師をも越えた作品と評価された。

英一蝶に私淑しており、文政10年(1827年)頃より使用した香蝶楼の号は一蝶の「蝶」と一蝶の名の信香の「香」を取ってつけたものであった。天保元年(1830年)、英一珪に師事して英一螮と号す。歌川広重と合作した「双筆五十三次」においては、三代目豊国が歌舞伎役者などの人物を描き、広重が風景を描いている。この「双筆五十三次」の内、赤坂の画中に英一螮の落款がみられる。天保の改革により、美人画、役者絵にさまざまな制約が加えられたが、改革の抑圧が緩和すると、嘉永頃にはその反動で彫り摺りの技術は一層高度に極彩、細密なものとなり、目を奪う工芸美といえる浮世絵版画が作られるようになっていった。

弘化元年(1844年)、二代目豊国を称した。同門の歌川豊重が二代目豊国を襲名していたので実際には国貞は三代目豊国であり、現在も豊重と区別する必要があることから「三代目豊国」と呼ばれる。またその居宅を以って亀戸豊国ともいう。弘化2年(1845年)、剃髪して名も肖造と改める。弘化3年、三代目歌川国政を養子にして二代目歌川国貞を継がせ、文久2年(1862年)の77歳以降、喜翁と号した。

作画期が長く、その作品の量も膨大なものになっている。五渡亭国貞時代の美人画が、良く時代の「粋」な女性像を表現し得ている。また柳亭種彦偐紫田舎源氏』の挿絵は「源氏絵」ブームを巻き起こし、歌舞伎に影響するほどであった。この評判に隠れて役者絵は押されがちであるが、質量ともにやはり独自な世界を持っており、ことに大首絵は優れていた。国貞の肉筆浮世絵も見落とせないが、また国貞時代の春画も彼の力量を良く伝えるものであった。代表作として「浮世名異女図会」、「思事鏡写絵」、「当世美人合」、「当世美人流光好」「時世江戸鹿子」、「江戸名所百人美女」、「星の霜当世風俗」などといった美人画シリーズに秀作があり、「豊国漫画図絵」の役者絵30枚も見逃せない。晩年には歌川広重との合作のシリーズものもみられる。元治元年(1865年)に79歳で死去。墓所は亀戸の光明寺にあり、墓も現存している。法名は豊国院貞匠画遷信士。

弟子として歌川貞秀、歌川貞景、歌川貞虎、豊原国周、上方では歌川貞広、歌川貞升などがおり、その画系は明治以降にも引き継がれた。

Japanese Art Open Database~http://ja.ukiyo-e.org/image/jaodb/Kunisada_2_Utagawa-Murasaki_Shikibu_Genji_Karuta-CH29_The_Royal_Outing_Miuki-00029950-020314-F12

CH29- The Royal Outing Miuki ? 行幸

Photo

ボストン美術館~http://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc218624

No. 29, Miyuki, from the series Lady Murasaki's Genji Cards (Murasaki Shikibu Genji karuta)

4

ボストン美術館~http://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc151561

No. 29, Miyuki, from the series Lady Murasaki's Genji Cards (Murasaki Shikibu Genji karuta)

 

2

東京都立図書館~http://ja.ukiyo-e.org/image/metro/K660-013-029

「紫式部げんじかるた」 「廿九」「行幸」

3 

Japanese Art Open Database~http://ja.ukiyo-e.org/image/jaodb/Kunisada_2_Utagawa-Murasaki_Shikibu_Genji_Karuta-CH29_The_Royal_Outing_Miuki-00029951-030528-F06

CH29- The Royal Outing Miuki ? 行幸

5


2014/01/01~NET NEWS~呉市準看護師殺人事件

2014年01月27日 | ネット・ニュースなど

2014/01/01~NET NEWS~呉市準看護師殺人事件

広島県呉市の病院の寮で、この寮に住む23歳の准看護師の女性が殺害された事件で、女性の部屋は鍵がかけられ部屋の中が荒らされた形跡はないことが警察への取材でわかりました。寮の玄関から女性が倒れていた階段への入り口のオートロックは開いていたということで、警察は不審な人物の出はいりが目撃されていないか捜査しています。


12月31日、広島県呉市朝日町の「呉市医師会病院」の独身寮で、この病院の准看護師で、寮に住む風呂光沙夜香さん(23歳)が首にタオルが巻かれた状態で倒れているのが見つかり、警察は首を絞められて殺害されたとみて捜査しています。

警察によりますと、風呂光さんはおとといの夜、実家で食事をしてから車を運転して寮の部屋に戻り、着替えて外に出たあと何者かに襲われたとみられています。その後の捜査で風呂光さんの4階の部屋は鍵がかけられ部屋の中が荒らされた形跡はない。

また、寮の玄関から階段への入り口はオートロックでしたが、ふだんから半開きの状態で開いていて、風呂光さんが持っていた寮の玄関や自分の部屋など3つの鍵も現場に残されていたバッグの中から見つかった。

警察は何者かが風呂光さんをこの階段で襲ったとみて寮への不審な人物の出はいりが目撃されていないか捜査しています。

 

風呂光沙夜香さん(23歳) 

Photo



月岡芳年~「新柳二十四時・午後十時」

2014年01月27日 | 浮世絵
絵 師~月岡芳年 (1839~1892年)
時 代~明治10年 (1877年)
サイズ~大判
説 明~シミ汚れ、中折れ、ムレ、補修あり、虫穴、カケ、色移り有り
※ 芳年の人気のシリーズ絵「新柳二十四時・午後十時」
※ 桜の木を背景に三味線を奏でる美人が非常に美しい
※ 状態は良くないが、芳年らしい繊細な筆致であり、美人
 
商品~月岡芳年の美人画「新柳二十四時」
購入先~artyoshikiri(アート芳桐)
購入日~1月27日(1月30日到着)
価格~10500円+送料1370円÷2~
10500円+685円~11185円
 
トリミングしてFUJICOLOR 額縁 A27 4切 アルミ シルバーに入れて飾る
 

Photo_3 

立命館大学http://ja.ukiyo-e.org/image/ritsumei/Z0173-277

Photo_2

 

Egenolf Gallery~Burbank CA 91503, U.S.A.

Tsukioka Yoshitoshi (1839-1892) 10 O’clock in the Evening

Every hour of geishas’ activities is depicted in 24 prints,starting at 1:00. Here at 10 pm a geisha is playing a shamisen, plectrum in hand. Outside is a beautiful

flowering bush, and we see an image of a happy customer enjoying her music in the cartouche above. From the series

Twenty Four Hours with the Courtesans of Shinbashi and Yanagibashi

Publisher: Morimoto Junsaburo

Size: ôban

Signed: Oju Yoshitoshi ga Condition: Excellent impression , color and condition. Very large sheet.

$775(アメリカ合衆国での価格)~77500円


初代豊国~「瀬川路考」

2014年01月27日 | 浮世絵
絵 師~豊国 (1769~1825年)
時 代~1820年頃
サイズ~大判
説 明~シミ汚れ、しわ、少虫穴、少薄み、版たっぷり
※ 初代豊国の役者絵「瀬川路考」
※ 初代豊国の作品は珍しい
 
浮世絵木版~初代豊国~「瀬川路考」
購入先~artyoshikiri(アート芳桐)
購入日~1月27日(1月30日到着)
価格~3700円+送料1370円÷2~
3700円+685~合計4385円
 
トリミングして木製額縁に入れて飾る
浮世絵検索するも発見に至らず~珍品

Photo_4

初代 歌川豊国(しょだい うたがわ とよくに、明和6年〈1769年〉 - 文政8年1月7日〈1825年2月24日〉)とは、江戸時代浮世絵師。本名は倉橋 熊吉(くらはし くまきち)、後に熊右衛門。一陽斎(いちようさい)と号す。

江戸芝神明前の人形師五郎兵衛の息子として生まれる。幼少期に歌川派の創始者歌川豊春の元で学び歌川豊国と称し、理想の美しさを表現した役者絵美人画で絶大な人気を得た。

天明6年(1786年)には処女作を発表し、以降作画は最晩年の文政7年まで及んだ。寛政2、3年(1790年-1791年)頃から、和泉屋市兵衛より美人画を出し、清長風や歌麿風を取入れながら、独自の様式を模索していた。

寛政6年(1794年)5月、和泉屋市兵衛から豊国による「役者舞台之姿絵」の連作が出版された。これは単調な背景に浮き上がる当時の人気役者の舞台姿を描いたものである。寛政4年に勝川春章は世を去り、春英らが役者絵を描いて活躍していたが、人々は新しい風を期待していた。
 
そこに豊国の役者絵「役者舞台之姿絵」が登場したのであった。この「役者舞台之姿絵」は大変な好評で、寛政8年(1796年)までの間に40点以上が制作されている。
 
その後役者絵を独占する様になり、文化文政(1804-30年)年間には舞台上の役者を客観的に捉え、三枚続に一場面を舞台の背景も加えて描き、より一層大衆の人気を得るに至った。
 
その後次第に様式化していくが、時代の好みを敏感に摑み、いっぽう美人画においても時代の要求に応じた粋と侠艶の婀娜な女性美を描く歌川派様式を創り出した。
 
さらに読本、絵本、合巻の挿絵など幅広い分野に活躍し、合巻に出てくる登場人物の顔を役者の似顔絵にしたのも豊国が最初であった。

代表作として前述の「役者舞台之姿絵」の他、「風流芸者身振姿絵」、『役者此手嘉志和』、『絵本役者三階興』、『絵本時世粧』などがあげられる。

また肉筆画も、すっきりした江戸前の雰囲気を持っている。最も初期の肉筆画として「春の愁図」、「雪の訪問図」などがあげられる。また「菖蒲持つ女図」も初期に属す優品として著名で、まだ後年の豊国様式の確立前の穏やかな画風を示している。

これに対し文化13年(1816年)作画と推定される「時世粧百姿図」(絹本二十四幅対)になると、やや目の釣上った容貌の美人で、いかにも豊国らしい作品に仕上がっている。

 

多くの門弟を育て、幕末に至る歌川派の興隆をもたらした。

享年57。墓所は三田聖坂の功運寺(大正11年〈1922年〉に中野区上高田へ移転)。法名は得妙院実彩麗毫信士。

主な門人として歌川国政歌川国長歌川国貞歌川国安歌川国丸歌川国直歌川国芳歌川国虎歌川豊国 (2代目)歌川国種歌川国綱らがあげられる。

歌川広重も入門を希望したが、門生満員で断られたという。歌川派の中興の祖となった豊国はこのように多数の弟子たちを抱え、浮世絵界における最大派閥を形成した。

そして、その流れは国芳を通じて大蘇芳年水野年方鏑木清方伊東深水へと続いて行った。

版元の和泉屋は、明治維新後も、教科書販売として存続した。


後藤理沙写真集「Go to R」 株式会社集英社

2014年01月24日 | BOOK(売却した本)

Go_to_r

後藤理沙写真集「Go to R」 

株式会社集英社

2000年6月21日、初版発行

定価(本体2400円+税)

BOOKOFF、105円 

後藤 理沙(ごとう りさ、1983年6月18日 - )は、日本の女優。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。所属事務所はJMO。

2002年に一旦引退した時に、第二の人生を羽ばたく為の意味を込めて、左肩に蝶のタトゥーを入れた。

2010年1月12日のフジテレビスーパーニュース』にて、美容整形(腹部および脚部の脂肪吸引と豊胸、顔面のシミ消し)の密着取材を受けた様子を放送。

また、一般人男性と3年間の同棲の末に結婚し、その2年後(2009年11月)に女優としての芸能活動を本格再開するため離婚していたことを明かした。(wikipedia)


田中麗奈写真集「rena@19」 ワニブックス

2014年01月24日 | BOOK(売却した本)

Photo

田中麗奈写真集「rena@19」

 

ワニブックス

初版発行1999年8月10日

2版発行1999年9月20日

定価(本体2500円+税)

ブックオフ、105円

 

1980年5月22日生まれだから、1999年19歳、2013年で33歳

 

   

田中 麗奈(たなか れな、1980年(昭和55年)5月22日 - )は、日本の女優。福岡県久留米市出身。テンカラット所属。B77・W56・H82 cm。

久留米市立上津小学校、久留米市立青陵中学校、西日本短期大学附属高等学校卒業。5歳の時から既に女優を志し、小学校6年生の時から実際にオーディションを受け始める。そして、中学2年生の時に、父親の紹介で福岡のモデル事務所レイ・ワールド」に所属。数々の九州ローカルCMに出演を果たす。上京願望が非常に強く、中学卒業と同時にすぐにでも上京したかったが、「高校を卒業するまでは家を出てはいけない」と親に強く反対された。 高校に入ってから東京での仕事が急激に増えたが、親との約束を守り、高校卒業直後の1999年(平成11年)3月に上京した。それまでは毎週、東京と久留米を往復しながら芸能活動をしていた。

1998年(平成10年)に放送されたサントリーのジュース「なっちゃん」のCMの初代キャラクターで人気を集めた(2001年(平成13年)までこのCMシリーズが放送された。その後は同社のビール類のCMに出演していたが、2005年(平成17年)3月放送のCMで4年ぶりに復帰した)。1999年(平成11年)末には荒井注を含むザ・ドリフターズの面々が揃った「写ルンです」の2000年(平成12年)正月用七福神のCMで共演。なお、荒井が2000年2月に逝去したため、ドリフターズ新旧面々の揃った映像はこれが最後となり、いかりや長介の著書『だめだこりゃ』にも紹介されている写真の中に田中も写っている。人気が出てからも、テレビドラマへの出演やバラエティ番組の参加は、ほんの数本しかなかったが、2006年(平成18年)あたりから映画の番宣のフィルム出演としては、バラエティ番組の顔見せも目立ってきている。しかし主としては、引き続き映画(フジテレビが制作に携わっている作品が多い)かCMでの活動が中心だった。

2006年、主演映画『暗いところで待ち合わせ』で孤独な盲目女性役として、演技を披露した。この映画で共演したチェン・ボーリンとは同年『幻遊伝』でも再度共演した。さらに同年広島原爆をテーマとするこうの史代作の漫画『夕凪の街 桜の国』に惚れ込み、同作の映画化に出演を希望、それまでで最も社会性の強い作品のヒロインを演じる。また、同年11月8日発売の、melody.が歌うシングル「Lovin' U」のカップリング曲「Our Journey」を、melody.との共同で制作した。

2007年(平成19年)には、『ゲゲゲの鬼太郎』初の実写映画で妖怪(正確には半妖怪)の猫娘を演じた。ここ近年海外への進出にも力を入れている。

2008年(平成20年)は「犬と私の10の約束」「山桜」「築地魚河岸三代目」といった映画に主演。『ゲゲゲの鬼太郎・千年呪い歌』で引き続き猫娘を演じる。田中自身この猫娘を、実写版「鬼太郎」シリーズの持ち役として、今後も演じ続けてゆきたい旨のコメントをしている。4月からは主要キャストとしては連続ドラマ初登場となる『猟奇的な彼女』に出演したが、番組自体が視聴率的には苦戦した。10月、向田邦子の小説を原作に劇団ONEOR8がプロデュース公演を行う『思い出トランプ』で舞台に初挑戦。

2009年(平成21年)にはNHKドラマ初挑戦となる金曜ドラマ『派遣のオスカル~『少女漫画』に愛をこめて』の主演に抜擢され、映画の他に舞台やテレビドラマでの活躍も増している。

2010年11月9日、出身地の久留米市より、2011年九州新幹線鹿児島ルートの全線開業に伴う同市のPR事業のため「久留米ふるさと特別大使」に任命された。(wikipedia)


生稲晃子写真集「off-White」 ワニブックス

2014年01月24日 | BOOK(売却した本)

 

 

Offwhite

 

生稲晃子写真集「off-White」

株式会社ワニブックス

1990年8月5日初版発行

1991年11月1日3版発行

定価1950円(本体1893円)

ブックオフ、105円

 

1990年の時は22歳、2013年45歳、熟女

   

生稲 晃子(いくいな あきこ、1968年4月28日 - )は、日本歌手女優。本名・佐山 晃子(さやま あきこ)。旧姓・生稲(いくいな)。

小金井市立緑中学校→私立吉祥女子高等学校 → 恵泉女学園短期大学英文学科卒業。高校は芸能活動禁止であったが、生稲の成績が非常に優秀であったため、「トップの成績を維持すること」と「大学を受験する事」の2つを条件に芸能活動が特別に許可された。

 

2003年にCM制作会社プロデューサー・佐山智洋と結婚(現在、鉄板焼き店経営)。2005年10月、妊娠していることが判明、「思っていたよりつわりがひどかった」とのこと。2006年3月に第一子(長女)を出産。

2006年からは芸能事務所・株式会社ポートレーブに所属。家事の都合や子育てに支障が出ないスケジュールを組んでもらい、主に女優やレポーターなどの仕事を中心にしている。近年は、夫婦で鉄板焼き屋を経営し、生稲も時間がある時には女将として店に出ている。

テレビ朝日系『ちい散歩』や『三波豊和の日本が元気です』等司会やレポーターの仕事を中心に活動。

2009年よりプロダクション尾木に復帰。2010年7月、ハートフルライフカウンセラー学院にて認知行動療法を学び、心理カウンセラーとして活動を始める(大場久美子も同校の卒業生)。2010年9月、AKB48Team Ogiが開催した音楽イベント「Team Ogi祭り」に城之内早苗らとゲスト出演。『麦わらでダンス』を当時の衣装、ダンスとともに披露した。(wikipedia)


高橋由美子写真集「Blue」、ワニブックス

2014年01月24日 | BOOK(売却した本)

Blue

 

 

高橋由美子写真集「Blue」、木村晴

ワニブックス

1992年7月10日初版発行

定価2200円(本体2136円)

ブックオフ、105円

 

1992年の時は22歳、2013年39歳

  

 

高橋 由美子(たかはし ゆみこ、1974年1月7日 - )は、日本アイドル女優歌手である。愛称は「Good-P」(目が熱帯魚グッピーに似ていると言われていたことと、Good Personality の略をかけたものである)。

埼玉県さいたま市大宮区(旧大宮市)出身、所属事務所は、ビッグアップルヒラタオフィス(ビッグアップルが吸収されたため)→東宝芸能

CMや『ショムニ』シリーズでの個性的な演技で、従来の清純派アイドルというイメージからの脱却と個性派女優への転身に成功し、存在感を確立した。(wikipedia)